りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:実家のこと > 父のこと




父は、歳相応の脳の老化で、私の子どもの事、孫の名前も忘れて居た。
話し出すと、ああそうだったねと思い出す。
まだ私の存在、顔は覚えているのでほっとする。
会わないでいると、忘れてしまうのだろうなあ。

それにしても、父の足腰の強さには驚いた。

私の古い荷物が出て来たから持ち帰ってと
段ボールを抱えて2階からおりて来た。
私の方が腰が痛くて持てなくて、父は平気な顔で運んでいる。
中を見て、唖然とした。

ゴミに捨てようと学生の時に置いていたやつ。
母に捨ててと頼み、母が捨てようと外に出していたら
父が持ち帰ったと言う物だった。

母から電話で愚痴られた事を思い出した。
本が入っていたから、もったいないと思ったのだろうか。
持ち主が不要と思った物を、この長い間、どこにしまっていたのか。
DSC_0624

「あー、これは前に捨てたはずの物だわ、捨ててほしい。」と
私が口走ったら、弟がシッと黙らせて、
「持ち帰るふりをすればいい。僕が車で持ち帰って捨てるから」
と、小声で言った。
で、実際弟はそうしてくれた。
黙って父のご機嫌をとればいいんだよとのこと。

弟がいなかったら、何十年も埃をかぶった重いゴミの箱を
私はお金を出して自宅に送ることになったかも?

弟宅に行く度に、家が綺麗になっている。
本当はこうしたかったと思っていた事を、思い切り出来る様にはなってきたのだろう。
それでも寂しそうだ。急に1人になったのだからね。
一時でも気が紛れるなら、遠慮なくお邪魔する事にしたい。
あまり長居はしないけど。
弟も1人暮らしのペースがあるから疲れると思う。

気が付けば、父も弟も私も1人暮らし。
ここ数年で急にそうなった。
私の1人暮らしは希望通りで、最高なんだけど、
父と弟は、奥さんを病気で失った悲しさがあるし全然違う。
私は別居で夫は生きている。
弟と私が入れ替われば良かったのにといつも思う。
父と弟を見ていると、涙が出そうになる。



昨日は、ぐったり疲れて爆睡した。
爆睡した後は気分が良い。

同じ1日でもただ普通に過ごすのと、環境を変えるのとでは
時間の早さが違うといつも思う。

実家に着いた時は、父が眼科からまだ帰宅しておらず、
合鍵で家に入って待っていた。
付き添いの弟に連絡し、父にも伝えて貰った。

帰宅した父は、笑顔でご機嫌。
弟は「留守中に勝手に入ったのか」と父が怒るのではとビクビクしていたらしい。 
これまでも自由に入っていたし、父と何度か二人で生活した事もあったし、
娘が家に入って怒るわけもなく、それより父にも娘の顔を見れる喜びという親心が
少しはあると私は信じて居た。

老化で思いがけなく怒り出すことがあったので、
弟が心配するのは当然のことだとは思う。
IMG_3506
父の好きなお菓子をいつもの様に持って行った。
「これはこれは、有難う」と頭を下げた父。
早速に口にして、これは美味しいね!と笑顔になった。
帰省した時はいつもこういう感じ。
私のお土産をいつも目の前で、美味しそうに、まるで子どものように
パクパクと食べる。
そして気を使って「うちにはお菓子が無くて」と
私を接待できずに申し訳ないと言う。

娘なのにお客様扱い。

私も1人暮らしになって何となくわかった。
父は何も接待してやれないと気を使って疲れるのだ。
母のいない1人暮らしになり、
自分のペースが出来て、誰かが家にいると疲れるのだろう。
長く居座ると、疲れがたまってイライラしてきて爆発するのだ。
前頭葉の萎縮で、感情をコントロールできない。

毎年のお正月に1泊するのは大丈夫みたいだけど、2泊以上は無理だと思う。
それ以上は、弟宅か、ホテルに泊まることにしている。
父が病気で寝込んでしまえば、何日いても大丈夫だろうが、
1人で頑張って生活したいと父が希望する間は、
短時間で帰る方が良いと思う。

母と一番仲良くして下さっていたご近所の方が、施設に入られていた。
父も聞いておらず、いつのまにかいなくなられ心配していた。
「あの人はもう家に帰って来ない。話し相手がいなくなり寂しいよ」
と父が言う。
ご近所は高齢化が進み、空き家が並ぶ。
母のことは、いなくなってどうだと、一切何も父は言わない。
強がっているのかも。

近くに住む弟の存在は大きい。


弟からラインが来る度どきっとする。
父に何かあったのかとつい思ってしまう。

昨日、弟から
「墓参りに帰ると父に電話したんだって?」
とラインが来た。

私はいつも弟に連絡して父には弟経由で伝えてもらう。
電話だと耳が遠い父と話が通じない気がして、
弟に送迎してもらったり、泊めてもらう事もあるので、
父に先に電話をすることはありえない。

え?電話していないのに、何の事やら。
ついに父が認知症悪化した?
と不安になった。
電話していないと返事すると、
すぐに弟から電話がきた。

弟は父の話を信じて居たので、
私の返事にびっくりして、同じ事を思ったらしい。
他におかしな様子は無いか聞くと、
話もまとも、行動も変な所はないと言う。
だったら、夢を見て現実と混同したか、
叔母さんと間違えているのかもと言う結論になった。

電話の着信履歴を見る様に頼んだ。
今度実家に行って調べてみるとのこと。
墓参りの話がでたのなら、おそらく叔母だろうと思う。
途中で声が良く聞こえないと言って、
電話がきれたらしいから、その可能性は高い。
26NJ_syoujinomaenobonnsaito_TP_V

ああ、びっくりした。
父の年齢ではとっくにそういう認知症になってもおかしくはない。
以前はなりかけていた感じだったが、
歳相応の脳の老化はあるけど、病的な認知症までにはなっていない。
ホッとしたのは、私のことを忘れていなかったんだなという事。

いつか、あなた誰?と言われる時が来そうで怖かった。
叔母の名を私と聞き間違うなら、すぐに私を認識できるって事だな。
何だか、父が可哀想に思えて来た。
弟から叔母さんと間違えてるよと聞いたら
がっかりする様な気がして来た。思い過ごしかもしれないが。

普段、お互いに電話もかけないし、なかなか会えない父。
珍しく私から帰るよと電話が来たと思い込み、
もしかして嬉しくて弟に話したのかな、なんて思ってしまう。
父親ならそれが当然。
世話は迷惑とか、帰れとか、怒る時もあるけど
それは脳の老化のせい。

娘に酷い事を言ったと後悔していればいいのだけど。
昔ながらの頑固爺さんだから、本音は見せない。
近ければもっと様子を見に、母のお墓参りもしたい。
自由なはずなのに、意外に動けないものだ。
私の体力、気力が急に削がれてきている感覚。

昨日、母が夢に出て来た。
私が高校生で運動会の日、母がお弁当を作ってくれた夢。
夢に出て来る母は、理想の母。
目が覚めると悲しい気持ちになっていたのは何故だろう。
父の事で弟と話したから、夢に出て来たのかな。
何かのメッセージかなといつも思ってしまう。





暑さももう少しの辛抱。やっと秋が来る。
気候が良い期間が限られ 、その中で色んな行事や用事などが殺到してしまう。
今年こそは秋に旅行して友人に会いたいと思っていた。
が、コロナが蔓延、マスクをしない人が増え
旅行にいったまま帰れなくなったらと思うと不安になる。

父の目の手術があるのでおそらく世話をしに行かねばならないだろう。
入院するので、その間気にせず実家を掃除できる。
とは言え、ほんの一部しか触れないだろうけど。

父も、術後は不便だし誰かの手助けは必要だから
前みたいに文句は言わないと思う。
目が良く見えるようになれば、頭も冴えるだろうし、
世界が鮮明に広がり、機嫌が良くなることを期待している。

白内障でよく見えないまま放置すると、認知症が進む可能性が高くなるそう。
自分も目の調子が悪いと、作業効率が下がり、
頭痛、肩こり、気力の低下、不安感まで襲ってくる。
私は、昨年からの飛蚊症、光視症で、硝子体後部剥離と診断された。
硝子体が網膜から綺麗に剥がれてしまえば何の心配もいらないが、
一部くっついた部分が網膜剥離になる心配があるとのこと。
hayatoIMG_7059249_TP_V

光視症は治まった気がするから
そろそろ全部綺麗に剥がれてくれたかな。
左目はこれからだと言われたので、次は左目の心配になる。
老化を意識する機会が増えてきて嫌になる。

それにしても、母が白内障の手術をした時に
父も一緒に検査して早くに手術しておけばよかったのに、
病院嫌いで、老いを認めたくない頑固さは、
結果的には我々が振り回されることになってくる。

自分に何かあった時、子ども達に負担書けない様に、
家を片付け、体調管理に気をつけているつもりだけど
いざ、入院となると誰かの世話にならざるを得なくなる。
今はとてもそんな迷惑はかけられない。
それだけでも気がかりなのに、夫の存在が更に重くのしかかる。

そろそろ、夫は、親のいない義実家にまた遊びに帰省する頃だ。
お金の無いアピールばかりして、無計画に自分の為だけに浪費する。
自分にも嘘をついて生きる事しかできない憐れな人生。
何が楽しみで生きているのか、私には理解できないし、
分かりたくもないけど。



今頃になって、身内二人との別れがまだ心のどこかに影を落としていると感じる。 
秋を感じ始めたせい?
1人暮らしになったから?
変な不安感や焦りが沸いてくる。
あの世はあるのだろうかと答えのない考えが浮かんでは消える。

弟から久し振りにラインがきて
色々忙しかったらしいが、初盆の話には触れなかった。
父の様子を伝えたかったらしい。
以前から目が見えにくいと訴えてはいたが、
眼科を勧めても頑固に聞かなかった。

やっと眼科に行き、白内障と言われたらしい。
母が手術した時に、父も一緒に診察を受ける様に何度も誘ったのに
聞き入れないまま、今日まで進行していたのだろう。

白内障は老化現象だから、なるのが当たり前のもの。
手術は簡単だし、目が若返って生活の質も良くなる。

父は老眼だと言って聞かず、弟が困っていたそうだ。
脳が老化して頑固、偏屈になってしまった。
それでも、目が見えないと不便で、手術を受ける意思はあるという。
高齢なので危険はないのかが、気になる。
内科で検診を受けてから受ける事になりそうだ。

手術の時期は秋だ。
手術の前後、誰かが身の回りの世話をしないといけないかもと弟が言う。
もしかしたら私にしてほしいのだろうか。

家事したくてもできる様な状態の家じゃない。
私の寝る部屋も物置にされているのに。
普段、弟が少しでも片付けてくれたらと思うけど。

最近、実家で過ごすのがハードで、体力に自信が持てない。
母がいた頃の実家なら、すぐに帰ったと思う。
12ellyri529C_TP_V (1)

母が白内障の手術をした時のことをよく覚えている。
入院したので、私が末っ子をつれて新幹線で帰省した。
父は今よりずっと元気で手もかからない人だった。
退院の日は迎えに行き、帰宅した日はお祝いをした。

その時、弟の奥さんは完全無視で、退院の手伝いどころか
夕食に招待しても無視された。
その後、病気で寝込もうが入院しようが、何があっても
そんな調子だった。
さんざん母に助けられ、利用してきたのに、
恩返しと言う気持ちも全く無い人だった。

まさか、こんなに早く逝ってしまうなんて思ってもいなかったから
思い出すのはそんな事ばかり。
もっと良い思い出を残してくれたらなあと。
自分も、人にそんな思い出を残さないようにしなくてはと思う。

去年までは、自分はもっと動けると思っていた。
何故か、全然行動できない自分が嫌になる。
先に予定を決めてしまえばいいのに、
それもストレスになるので、
思い付きで決行する方が自分に合っているのかも。

気候が悪い時期はじっとしているし、
コロナも怖くて飛行機や新幹線の空いている時期にとか、
春と秋にと思っていると、今度は用事が入ってあっという間にタイミングを失う。

いつのまにこんなに引きこもり体質になったのか。
不安症がまだ残っているのかもしれない。



高校野球もついに決勝戦。
どちらかを応援していると、終わるまで神経をすり減らす。
負けていたり、接戦だとずっとハラハラする。
終ってしまえば、嘘みたいに忘れてしまうけれど
観戦している間だけでも、刺激になるのはいいと思う。

夏の楽しみの一つが終わる。
夏休みが終わると、物寂しくなる。
もう子育てしていないのに。
夏が終わると、時があっという間に過ぎていく気がする。

父はあんなに野球が好きだったのに
今では、全く興味を持たなくなった。
信じられない異変だ。
テレビを見ても、言葉や画像を理解する力が衰えて
ついていけないらしい。

脳の老化は、好きな物、趣味まで奪ってしまうのか。
先日、100歳でもまだ化粧品販売の仕事を続けている女性が
ギネス記録に載ったニュースを見た。
とても100歳とは思えない、しっかりした話し方、
美容部員をされていただけあって、肌も綺麗で、
赤い口紅がお似合いで、お化粧も綺麗にされていた。

100歳であそこまで脳も身体もお元気で、綺麗な人はなかなかいないだろう。
今も仕事をしていることや、美への追求、努力もあってのことだろうが、
どんなに気を付けても、病気になる時はなると思うのだ。
aig-ai20221111097-xl_TP_V

この人の様に生きられるのなら長生きしたいなあとは思う。
今の自分では、無理なのは確実。
父を見ていると、毎日何か作業はしている様だけど
あんな寂しい老後を過ごすなら長生きしたいとは思わない。
(夫よりは長く生きる予定)
子どもや孫が寄り付かなくなったら終わりじゃないか。
これまで母がいる間、孫たちと色々楽しんだからもう満足?
母がいなくなった途端、母だけに見せていたDVを
私に向けて来た。

元気に長生きしても、友人はほとんど亡くなるか、病気かで、
話相手もいなくなっている。
もっと子や孫を可愛がり、素直に甘えればよいものを。

老いては子に従え、は、正しい。
全ては自分に返ってくる。



インターネットのお陰で、県外の高校野球の試合も観れるのは有り難い。
興味ある決勝戦をライブ配信で観ている。
ファィヤースティックを買った時は、その機能をよく知らなかったが、
無料のアプリを使ってテレビ画面で色んなものが見られる様になった。
 
予選でこんなに楽しめているので、
いざ甲子園大会が始まったらどうなることか、と
自分で自分に突っ込みを入れている。
地元の贔屓のチーム?は決勝で負けてしまった。
出場する県代表は、良い線までいけるのではと期待している。

何でもいいから、ささやかな楽しみがあるのは良いこと。
暑くなくて、体力があれば甲子園球場に行きたいけどなあ。
バテて倒れたら迷惑かかるからやめておこう。

甲子園球場はアルプススタンドまで屋根を広げるそうだ。
何もしないよりはましだが、選手の暑さ対策を考えてほしい。
屋根を広げるのも2年後?とは遅い。
DSCF9033_TP_V

高齢者が家の中で、熱中症で亡くなるニュースが増えて来た。
エアコンの電気代を節約しようとしたのか、
暑さを感じにくくなっていたのか、他人事ではない。
やっぱり父の様子が気になってくる。

7年ほど前の夏に、母が足の手術で入院した時、
2週間ほど父の世話をしに帰った。
実家に入ると父は冷房と間違えて煖房をつけ、うたた寝していた。

老化すると色んな事で、いつ命を落とすかわからない危険を招く。
野球が大好きだった父は、今は全く興味を示さない。
一緒にプロ野球観戦も行ったことがあるし、
テレビで野球を見ている時は、声をかけても聞こえていないほど夢中だった。

テレビ画面や言葉を理解するスピードについていけなくなったと父は言う。
老いによって趣味が消えていくのは悲しい。
若い頃の父の姿が今の衰えた父に塗り替えられてしまうのも寂しい。





高校に入ったら、家庭科の授業レベルが上がった。
いちいち人に借りに行くようなことはできない位、
多くのミシン縫製の宿題が出た。

これはもうミシンが無いと、授業に追いつけない。
先生に正直に言ったとしても、
買えない事情のある家庭じゃないんだから
親にお願いしなさい、と言われるだろう。
それに、恥かしくて友人に知られたくない。
と追い詰められた私は、母を無視して父に直接訴えた。

家でミシンを使う宿題が多くなり、
このままでは家庭科の授業についていけなくなる、
これまでの苦労も訴え、ミシンを買ってほしいと伝えた。

すると、父の顔が青ざめた。
~何も知らなかった。そんな苦労をさせていたのか。
どうしてもっと早く言わなかったのか。
学校生活に差し支えることが一番よくないし、
それだけは親として気をつけていたのに。~

と言って、すぐミシンを買いに行ってくれた。

しかも、当時では最高の新型を買ってくれた。
それほど、父のプライドが傷ついたようだった。

父としてとんでもないミスをしていたと
反省したようだったが、かといって謝ってはくれなかった。
当時の父親像なら仕方が無いかな。
成績に影響がなければ、買ってくれなかったかもしれない。

aig-ai20221111455-xl_TP_V

それにしても父の反応は予想外だった。
え?今までの苦労は何だったの?
もっと早くに他の家電も買ってほしい、部活で必要、
学校生活に影響すると言えば
さっさと買ってくれたのか。と力がぬけた。

この時も母に止められ邪魔されていたらと
思うとぞっとした。

こういう無駄な苦労を、我が子には絶対させたくなかった。

現実には、別の事で我慢ばかりさせてしまった。
が、母の様に何もしないで、苦労を子に押し付ける事は絶対したくなかった。
夫には子どもに必要なこと、親としてすべきことは全部言って来た。
それでも、何もしなかった夫は父と違って最低だし、
プライドも無いろくでなしだ。

あの頃の父は、現実を知るとすぐにフォローをした。
単純だし、人間らしさを感じる。
母の話と全然違うじゃないかと驚いた。
それからずっと父はずっと悔いていたのかもしれない。

私が結婚する時、父がお祝いにと買ったミシン。
自分から買ってあげると言う事で、許してもらいたかったのかな。

その気持ちが伝わるだけでいいんだ。
夫に完全に欠けている、人として大事な感情、
それを父には感じた。

ミシンを使う度、父の気持ちを受け止め、大事にしてきた。
それももう寿命で、引退だ。
長い間、お疲れ様。
沢山の思い出も作ってくれた事に感謝してお別れしよう。




 

この悲しさは、子ども時代の理不尽な我慢と母の苦労を思い起こす事から来る。

父には、女子どもへの差別意識があった。
と言っても、昔それが当然な時代で、
父はただ時代が変わってもアップデートができないままで、
時代錯誤な今ではDVになる様な家庭生活をしてきた。

夫とは全く質が違い、父には悪気はなく、
それが一家の長の責任だと、家族の為に必死だったのだと思う。
だから全ての責任は父がきちんと負って来た。

父は現実を知らなさすぎていただけ。
女性の家事は簡単で、専業主婦の仕事なのだから
楽をさせる必要はない。と言って、
冷蔵庫、洗濯機、ミシンなどの家電を
父は、なかなか買わなかった。

誰かが「奥さんに買ってあげたら」と言っても、
全部手でやればいい、主婦には贅沢だと言うだけ。
父は、贅沢は敵と言いながら、悪徳セールスには騙され、
高い必要の無い物を衝動買いしていた。

父は、家電が無いことの影響は母だけと思っていた。
子どもに影響があるなんて想像もせず。
中学生になる頃には、流石に家電は買っていたが、
ミシンは買っていなかった。

母はミシンより編み機に夢中だった。
洋裁に関心の無い母を見て
父は、ミシンは不要だと思い込んだ。
NKJ52_zoukaarenji_TP_V4

小学校の家庭科で、ミシンを使う授業が始まった。
出来なかったところは家で縫ってきなさいと宿題になった。
家にミシンが無いなんて恥かしくて言えず、
母に相談すると、近所にミシンを借りに行かせられた。
宿題が出る度、近所に迷惑をかけるのが嫌だった。

いつもいつもそういう訳にはいかないので、
ついには、電車にのって、遠い親戚まで借りに行っていた。

時間が無い時は、先生に「うちのミシンが壊れてしまいました」
と嘘を言い、放課後1人居残りをして、
学校のミシンを特別に借りて縫った。
でも、それも1度しかできなかった。
先生は私が縫い終わり、帰るまでそばで見守り、
先生も帰宅できない。
そんな状況も嫌だった。

私が母親なら、すぐに父を説得しただろう。
学校の授業にまで影響がでているのだと。
子どもが宿題も家でできない、こんな苦労をするのはおかしいと。

父は、学業にはうるさかった。
家庭科を馬鹿にしていたとは思えないし、
流石に授業に影響があると言えば、買ったと思うが、
母が最悪だった。
「物をねだればお父さんに怒られる。贅沢だと言われるから黙りなさい」
と私を脅していた。あなたさえ我慢すればいいんだと。

母は、娘のことより、自分が父の機嫌をとることを優先した。
これが弟だったら違っていた。
弟には欲しがるものは買っていた。



結婚した時に、父が「両親からのお祝い」と言って、
ミシンを買ってくれた。
なにしろ、夫の方は派手な嘘ばかりついて
いざとなると妻側に全部負担させようとした。

なので、ミシンだけでも買って貰ったのは嬉しかった。
しかも、しっかりした高品質な物を選んでくれた。

20代から今日まで、壊れもせずずっと使ってきた。
昨日、服の補正をしようとしたら、動かなくなってしまった。
電源は入るけど、中の何か部品が引っ掛かっている感じ。
分解して、手入れをすればまた動く気はする。

でも、もういいかな。
ありえないほどの年数を、故障もせず、頑張ってくれたミシン。
人間なら100歳位じゃないのかな。
修理にだすより、安いミシンを買うことにしよう。
 elly134101938_TP_V

両親と一緒に買いに行った時のシーンをはっきり覚えている。
母でなく、突然父が言い出したのだ。
とても気が利いたプレゼントだとあの時思った。
実際に、絶対に必要な物だったし、
当時はまだミシンは高かった。
夫がミシンを買うお金を出すはずもなかった。

自分の趣味の縫物以外に、子ども服、保育園や学校で使うゼッケン、袋類など、
今では百均で買えるが、当時はそんなお店も近くに無く、
手作り必須で、ミシンがあって本当に助かった。
カーテンを自作したり、色々使った。
子どもの手作りコスプレ衣装にも使ったし、
長年の思い出が詰まったミシンだ。

普段、あまり家事などに関心を示さない父が
何故、突然ミシンを贈ると言い出したのか。
よく考えてみると、ある理由を思いついた。
ちょっと悲しい様な、何とも言えない気持ちになった。


↑このページのトップヘ