りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: 実家のこと



近所のホームセンターの爆?バーゲンセールに行ったら
混雑していて、大盛況。
コロナ禍のこの3年も同じセールはあったけれど
売る商品、値段もいつもよりパッとせず、客もいまいちだった。

でも、今回は懐かしさを感じた。
これこれ、この雰囲気よ。
皆マスクはしているし、手の消毒をしてから入店している。
一見、これまでと変化無い様には見えるが、気分が違った。

このまま収束してほしい、(と何回言ってきた事か)

帰宅すると、弟からラインがきた。

当然なのだが、まだ奥さんの急な不幸に戸惑い、
強い孤独感、不安感に襲われている風。
先日、元気そうに感じたのは娘が帰省していたからだそう。

再び、広い家に1人になると
自分ではしっかりしよう、早くこの生活に慣れようと思っているが
なかなかそうはいかなくて、このまま自分がおかしくなりそうな恐怖に襲われている様だ。


過去に、鬱を患い入院したこともある弟なので
ちょっと心配になってきた。
父とは会話しているし、父を近くで見守る役目?があれば、少しは気が紛れるのかなと
思ったが、関係無さそう。

私が向こうに行く前に、何かあったら困る。

そんなにきついなら、いっそ、弟に我が家に来て貰おうかと思った。
2~3日でもいいし、帰る時に私が一緒についていくと一石二鳥。

旅行気分で、外に出ると気分転換できるかも、と提案した。
こういう時、夫がいないのは本当にラッキー。
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すると、ハッとした様子で、乗り気になった様子。
夫婦関係にもよるけれど、
配偶者を亡くした後、男性の方ががっくりするというのは確かだなと思った。

うちの夫のようなNPD、サイコは、がっくりする演技をして
周囲の同情を集め、内心にんまりするだろう。
そう言う点では、弟はまともだという事だ。

弟は私の環境を幸せそうで羨ましいと言う。
母からも言われていた。
そうだよ。幸せ。でもね、ここまでくるには苦しんできた。
弟や母の方がずっと安心して生活できて、幸せに見えていた。
やっとここまで来たんだよ。

毒夫に振り回され、ストレスまみれの生活。
常にどう生きていこうか、子ども達をどう守るかばかり考えてきた。
それが今は、夫と立場が逆転し、私には味方が沢山ついている。
弱い立場の家族を、脅迫や意地悪でコントロールしようとした人間を
今では誰も相手にしない。

まだまだこれから、夫がいる限り戦いは続くし、
そういう事を考えている点においては、自分は不幸だと思う。


弟と少し言い合いになった。
いい歳して、ガラスのハートかい?って感じだ。
ちょっと私が反対意見を言うと、焦って自己弁護したり
言い争いを避けようとする。

そして被害妄想が酷い。
よくこれで今まで世の中渡って、成功してきたものだ。
というより、トラブルからうまく目をそらして要領よく世の中渡って来たのだろう。

あまり深く考えず、したくないことは目をそらし、
争いを避けて、感情を出さずに生きるタイプ。

だから、ある時は無神経で鈍感、ルーズに見えたりする。
我儘に生きてきたようにも見える。
だからこそ、成功したのだろう。

私は、親から差別され、圧迫されて育ったせいなのか、
自分を大事にできず、夫の様な人間に騙され人生を狂わす素地がある。

弟の真似をして自分を守る事優先に、我儘に生きて来たら
別の人生があったかも。
まあ、そうしたとしても、両親に罵倒され阻止されたと思うが。
同じ事を弟がしても親の方が我慢し、全て認めて来た。
親のその姿も、夫の様な人間は見抜いてこいつなら何をしても大丈夫と
舐められた気がする。

娘のことを必死で守る親ではないのは確かだ。
他の父親なら、うちの大事な娘を泣かすなと怒るはずが、
うちの両親は、娘が悪いから仕方ない、世間体が悪い、
娘が我慢すればいいこと、で終わる。

そこに、夫は付け込んできた。
親も内心、夫の事を嫌っているが、
本人には何も言わない。弟の為にはすぐに動くのに。

いや、我儘に感じるのは私だけで、それが当たり前なのか。

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幸せは、比較できるものではないし、本人の主観で感じるもの。
勝手に弟の将来を決めつけるのもおかしいけど、
このままいくと、明らかに寂しい老後になる予感がする。
本人がその不安に、今から落ち込んでいる。

傍からみれば予想していたことも本人には見えていない。
結果は何でも自業自得。私もだ。
これまでは、弟の方が幸せに見えてきた事も
歳をとると、それまでの自分の生き方が結果として出て来る。

今、自分は、小さな幸せを感じる事が多い。
ちょっとした事に、心がほっこりする事が多いのだ。
何だかんだと誰かが私を必要としてくれるのも有難い、
親と夫のお陰で?幸せを感じるハードルが低すぎるのかも?
それが自分にとってはプラスになったと思う。

夫にも、後悔させるほどの結果がしっかり出てほしい。

人の不幸が好きな人は、自分の不幸も好きなんじゃないかと思う。

この日は、途中から野球を見ながらラインでやりとりしているうちに
弟の機嫌が良くなって終わった。
村上様がやっとヒットを打ち、ホッとした。


弟から電話がきた。 
いつもは、ラインばかりなので、
一瞬、父に何かあったのかとドキッとした。

声が元気で明るかったので、ああ、悪い知らせじゃないなと感じ、
安心して応対した。

携帯ショップに何かの手続きに行っていて、聞きたいことがあっての電話だった。

どうってことのない用事だったが、
先日のラインでは鬱っぽい印象があったので、
元気そうな声で安心した。

もういい歳のおじさんなのに、家族の事はいくつになっても気になるもの。
酷い鬱になって、以前の様に長く入院する位なら
そうなる前に、私の家の近くに引越して来たらと提案しようかと思っていた。
現実的には不可能だろうが、私も何かあった時に、近くに親族がいるのは心強い。
夫対策にも良さそうだ。


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父が1人になるし、生活基盤をしっかり築いている土地から動けないのはわかっている。
引越すとしたら、一人娘のいる所だろう。
親子共依存が悪化して逆にダメになりそうな気もするが、口は出せない。

弟は、我が家の携帯の契約について聞いて来た。
夫の電話の事も聞かれたので、参考に教えたが、
本当は話題にもしたくない。

夫が家族である限り、親戚や他人からも、色々聞かれることはある。
何も知らない人達は、良かれと思って話題にしてくる。
思い出したくも無いし、話題にもしたくない。

それにしても、以前はどの家も賑やかだったのに
皆、独り暮らしになってしまった。
父も弟も、配偶者を亡くした寂しいお1人様。

私も、子ども達の出入りはあるけれど、一応1人暮らし。
私も夫を亡くした人みたいな感覚で、家族は接してくる。(笑)
子ども達も、私の老後だけを気にかけている。
夫がいつか家に戻るなんて誰も思っていない。
私が永遠に一人親のままでいると信じきっている。
自分に父親がいることすら忘れて居る様な感じだ。

夫の行動がそう思わせて来たのだ。
真のお1人様になる日が今すぐ現実になりますように。と強く願う。


昨日も、眠りこけながら書いていた。
強い睡魔が襲う時間があって、気が付けばウトウトしている。

弟は、思ったよりも落ち込みが酷い様だ。
仕方ない、急だったし、元々メンタルが弱いから。
冷たくて、無神経なところもあるのになあ。
男性の方が配偶者を亡くすとがっくり来ると言うが、
(父は例外)まさか、ここまで落ち込むとは予想外だった。
生活費を稼ぐ必要があったり、子育てしている訳でもなく、
余裕があるから尚更だろう。

弟は、どこか結婚を後悔している様に見えていたが、
夫婦でいるのが当たりまえの日常が
突然変わったのだから喪失感が襲うのは当然だ。
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相手の嫌だった点も、いざいなくなると消えて、
楽しかった思い出だけが残るのだろう。
性格もどこか似た者夫婦だったとも言える。

もし、先にいなくなったのが弟だったらどうなっていたことか。
彼女のことだ、連絡もすぐにくれたかどうか。

我が家の場合、私が先にいなくなったら、夫は待ってましたとばかりに
仕事をやめて帰宅し、プラスの物は独り占めし、
マイナスになるまで子ども達を利用しまくり、後始末を押し付け、
また逃げると思う。
だから、私より先にいなくなってくれないと困る。
絶対に夫がいなくなって落ち込む事はない。

弟は、私のこの気持ちは理解できないかもしれない。
それだけ、彼等は幸せな結婚をしたということだ。(意外にも)
弟嫁に対する弟と私の立場は、全然違う。
弟から、同じレベルで一緒に悲しんで当然みたいに期待されてもそれは無理な話なのだ。



この時期になると母とのお別れを思い出す。
父の冷たさも。

2年前の今頃は、医師が匙を投げ、緩和ケア病院に転院した頃だ。
母は、点滴だけで命を繋ぐ状態だったけど、本人は諦めてはいなかった。
まともに歩く力も無くなっていたけど、まだ毎日電話で普通に話せていた。

コロナ禍真っただ中で、今より感染の不安が強かった頃。
時期も悪かった。

県外からの見舞い客は、帰省後2週間後たたないと院内に入れなかった。
2週間、父の世話をしながらただじっと待っていたが、
その間、父が「邪魔だ、帰れ」と言い出したり、
何の為に娘が帰省しているのかわかっていなかったのか、
母に会う為にいるんだ、今帰ったら待っていた時間が無駄になる、
次、帰省した時はもう会えないかもしれないと説明しても
母に会えなくてもいいじゃないか、と言い出した。

いつお別れになるかわからない状況でのその言動、酷い人だと思った。
若い時の父は人間的でまともな人に見えていたが、
今では父の事がわからなくなった。

認知症の始まりかと思ったが、
しっかり話は通じるし、日常生活は1人でどうにかできている。
老化については、自分の事をよく分析もしている。

病院でも、おそらく病的な認知症とは診断されないと思う。
若い時に理性で抑えていた部分が、脳の老化でむき出しになったのか。
本質はあんな人だったのか。母の長年の父への愚痴とストレスはこれが原因だろう。
表の顔と裏の顔が違う人だったのかも。
責任感が強く、家庭第一の人だったことが母の救いだったのだろう。
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弟の奥さんの件も、父は表向きは常識的な態度をとってはいるようだが、
私には他人事な冷たい言い方をしていた。
口には出さなかったが、嫁に相当失望していたせいなのか。

弟が、もう父には会いたくないと言って来た。
何かあったのだろうか。
来月、弟宅に行くので、詳しく聞いてみたいと思う。
父は高齢の1人暮らしなので、心配なのは変わらない。
人格がむき出しになったのも、老化のせいなのだし。
弟が一緒に過ごすのが一番の解決方法だが、
元から親の世話をしない夫婦だったし、奥さんがいなくなった今、
更に父を避けている様子。

私には、葬儀後も再び父から邪魔と言われた経験から、
父の世話をするのは躊躇われる。
1日位なら喜ぶが、それ以上いたら邪魔、迷惑と言われそうだ。
先日は、一緒に住んで、家のことをしてほしいみたいな言葉も出たが
心からは信じられない。

こんな話は、母にしかできない。
母と話せたら、父と弟の件について色々分かり合えたかもしれない。

最後の時、あの小さい身体をぎゅっと抱きしめてあげればよかった。
コロナ禍でなかったら、もっともっと母に触れられたのに。



押し入れの片づけをしていて、
出て来た古いビデオカメラのテープ。
いらない物は、ばらしてほとんど処分した。 

その中に、母の実家に親族が集まり、宴会をしている動画があった。
私は子どもが小さくて参加できなかったので、
父がビデオを写して送ってくれた物だと思う。

当時は余裕が無かったし、ビデオを貰っても興味がなく放置していた。

今になって見てみると、そこにいる親族のほとんどの人はもういない。
祖母、母、叔母、叔父たちにももう会えない。
皆で歌ったり、楽器を演奏したりして笑顔が溢れている。
あの場所に自分も居たかったなあと今になって思う。

父はまだ定年前の若い姿。
今の父とは別人に見える。
映像の中の母は若いし笑顔でとても楽しそう。

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今よりずっと良き時代、年齢的にも皆生活が充実していた時だ。
今の自分と両親の同じ年齢の頃の環境の違いにため息が出る。

若い頃の母の姿を見て、今の私よりずっと安定感があり、
幸せそうに見える。父に責任感があったからというのが大きい。

母は自分の人生を、色々病院で振り返っていたのだろうな、
と想像するし、電話でもそんな話をしていた。
子育てを頑張ってた頃が一番楽しかったと言っていた。

父のモラハラや、小姑からの虐めもあり、
経済面でも一番苦しかった子育て時代だったとは思うが、
それでも一番幸せだったと思える気持ちは、理解できる。
自分も同じで、当時は辛くてもどうあっても、
子ども達との思い出は心が安らぎ、嫌な事を消し去ってくれる。

ありがとう。私の所に生れて来てくれて。といつも感謝している。






やっと工事が終わった。
簡単な工事なのに、どうしてこんなに日がかかったのか。

最初は、先月末、1日で終るから駐車場を使わせてくれとのことだった。

とんでもない。18日もだらだらと待たせられた。
「今日はこれで終ります、残りは明日やりますので」
を繰り返し、その明日に来ないし、
来ても「今日はできないので、明日」とまた延ばす。

明日明日詐欺じゃんと内心思っていたが
本当に、何度「明日には終わります」と言われたか。

私は留守でいませんが、車をとめるならどうぞと言っていた。
でも、留守中に知らない人が敷地内に入るのは気持ち悪い。

土日で、私がいる時間に、さっさと予定通りにしてほしかった。
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色々、他の予定もつまってきて、慌ただしい。
それも来月までで落ち着くとは思う。

そうなると、後は実家のことに取り掛かれる。
友人が「弟さんとお父さんが一緒に暮らせばよいことだけどね」と
言っていたが、その通り。
すぐ近くに住んでいるのに、
弟は元々、夫婦で世話をしたがらなかったし、
最近益々父を避けているよう。

父は弟を頼りにはしているし、避けられているなんて思っていない。
が、誰かとずっと一緒に過ごすのは嫌なのではないかと思う。

こんなことなら、男尊女卑で育てた意味なかったじゃんと思う。

長男だからと気を使い、老後に世話してもらうつもりで、
奴隷の様に尽くした親がこんな風に扱われて、
後継ぎだとか期待してきて馬鹿みたい。
と、母があの世で言っている気がする。


 


弟と再びラインのやりとりをした。
まだまだこれから寂しさが増すのは当然。

都会で暮らす弟の一人っ子は、父親が気にならないのか、
母親がいなくなって、状況が変わっても
高い靴をおねだりして買って貰い、
もっと広いマンションに住みたいと言い出し、
弟も、嬉しそうにまたお金をだすらしい。

弟の子は、我が末っ子よりも年上なのだが、
健康で、働けない事情がある訳では無い。
ただ、自分は働きたくない、親はお金に困っていないから
甘えて当たり前と思っている様子。

母は、亡くなる直前まで、この孫の事を気にしていた。

長男が後を継ぐからと男尊女卑で育てた父、
実家の事を心配しているのは
私たち親子の方。
父はこんなはずじゃなかったと感じ始めたのかも。
今更遅い。
それで、弟におかしな態度をとったのか?
まだ真実は聞いていないけど。

子の将来に弟が頭を悩ましているのかと思いきや、
正反対だった。
何でもやってあげることが良い親と思っているのかも。
親がいなくても自分の力で生きていける様に育てる。
それが子育ての成功だと思う。

弟に、夫の話を少ししてみた。
夫の性格と、うちは経済的に苦しいという事だけ話した。

すると「自分も全く余裕がなくて、厳しい」と返事が来た。
おそらく、向こうの厳しいのレベルとこっちのレベルは
天と地の差だとわかっていないのだろう。
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余裕が無いのは、
子どもに贅沢させて自立させないからだろう、
豪邸に住み、贅沢な暮らしをしてきたのは事実で、
使うから無くなるのは当たり前。

本人達は、本心から余裕のない生活と思っている。
年金が少なく、貯金も無く、歳をとってから生活ができない、
生活保護を申請するか、働き続けるかみたいなレベルでは絶対無い。

よく貧乏のカテゴリーのブログで、
貧乏で節約したいと訴えながら、
まったくそうじゃない人が結構いる。
弟も同じ。
本当に苦しい人は使うお金そのものが無い。

お金があるのに、使った後で、無い、苦しいと言う小金持ちの人達。
これは、姑、夫も同じだ。
買物依存、浪費、カルトに寄付、などを内緒で行い、
子育てにはケチる。
ケチる理由に、お金が無いから、貧乏だからと言う。
お金はあったけど、使ったからでしょうと言いたくなる。

弟の返事にはがっくりした。
うちの夫婦の状況を少しは分かってもらった方が
いいかなと思ったのだけど。

具体的に話せば、信じるかもしれないが、
今は、話す時じゃないし、
また落ち着いてから話そうと思う。
いざ、実行!の時になるかも?


「こんなに寂しいものとは」
と、弟の言葉。
奥さんが元気な時は、旅行で居ない時、自由で楽しかったのに
永遠のお別れとなると全然違った。
似た様な事を、御主人を若くして亡くされたママ友からも聞いた事がある。

”夫婦喧嘩するたび「この野郎!別れたい!」と思っていたのに、
いざこの世からいなくなってしまうと、
そんな気持ちは全く消えて、どれだけ大事な存在だったかを
実感する、寂しくて泣いてしまう”と。

良い思い出と、当たり前だったルーティンが急変する事で、
悲しみと寂しさが増すのだろう。
そう思える夫婦関係は、お互い協力しあって、根本的に仲が良かったのだろう。
精神を病んだり、生活に支障がでるDV相手との喧嘩とはレベルが違うと思う。

私は、夫が急にこの世からいなくなったら、
寂しさを感じたり、悲しいと思うだろうか。
想像できない。
彼女の身代わりになってほしいと思ったくらいだから。

何も知らない人から見たら、冷たい妻に見えるだろうな。
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弟も、時間が経つと孤独に慣れて来るのだろうか。
孤独は辛いと思う。
色んな人生計画を描いていただろう。
夫婦で老後を楽しみ、孫が生まれたらこうしようとか、
家族が増えて賑やかになる未来を夢見て、立派な広い家を建てたのに。

何も実現できないまま、ぶつっと夢は消えた。
これから夢の半分でも叶うと良いけど。

何が起こるかわからない。人生はそんなものかもしれない。
計画通りになる人なんているのだろうか。

平凡な生活を幸せとする人もいれば、
自分の利益だけを求め、人を利用するのは当然と思う夫みたいな人もいる。
夫も、こんなはずじゃなかったと思っているだろうが、
弟とは全く意味が違う。夫は自業自得なだけ。そんな人と結婚した私も同じ。

それにしても、もう彼女に会えないなんて
まだ信じられない。
あまり会う機会も無かったけど、
それでも急すぎた。明日は我が身みたいに怖くなった。

これからは、弟と父に会う機会を増やす方が良いのかな。

そう言えば弟が父の事をちらっと批判していた。
何かあったのかも。




昨夜やっと弟からラインがきた。
私への連絡は一番最後にしているみたいだ。
住居が離れているし、奥さんと血の繋がりが無いからかな?
奥さんの兄弟が近くにいて、私よりもだいぶ年上で
当然、そちらの対応優先。
色々気を使っていると思う。

ほっと一息ついて、私に連絡してきたみたいだ。

亡くなったと連絡がきてから、
何も連絡がなかったので、心配していた。

精神状態は、全然大丈夫そう。
無理に元気ぶっている訳でもなく、
母の時を思い出すと、弟は、亡くなるまでが辛そうで、
葬儀が終わると、重荷を下ろした様に
ホッとした様子で、気持ちの切り替えが早かった。
殆どの人がそうなのかも。

確かに、亡くなるとわかっていて、
病人と接するのは辛いものだが
私は反対のタイプ。
生きている限り、諦めない。
奇跡を信じ、悲観的にならない。
悲しく辛くなるのは、亡くなった後だった。

母が亡くなった日、
弟は笑顔で「ああ、やっと終わった」と言った。
それまでずっと近くにいて、頼りにされて
彼なりに頑張っていたのだろう。
今回も、同じなのかもしれない。
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我が夫婦と違ってずっと同居していた訳だし、
思い出も多いだろうし、
服や荷物を見ると、喪失感を感じるだろう。
広い家にずっと1人暮らしになるのも寂しいだろう。

「旅行に行ってる間は、1人暮らしが楽しくてはしゃいでいたけど、
これからの1人暮らしは寂しいと思う。」
と言っていた。
まだ亡くなったばかり。これからじわじわとくることだろう。

そして、私に交通費をだすから、遊びに来てほしいという。
もう奥さんはいないから、いつでも来ていいよと言いたげな、
どこか解放されたような本音も見えた。

すぐにでもお参りに行きたいけど、
町内会の引継ぎ、子の転勤の手伝いも頼まれている。
スケジュールを調整しよう。
まだ私の存在を必要としてくれる人がいるということ、
帰省した時、待っている人がいてくれるのは幸せなのだと思う。

弟が自宅に帰って、父の心配が消えた。
父の近くにいてくれるだけでありがたいと思える。

目の検診にもいかなくては。
飛蚊症は変化なし。光視症は気にならなくなった。


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