りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: 実家のこと


秋を感じる日々。
気候が良くなると、さあ、外へ出よう、何かしなくちゃと
焦りがでてくる。
それに、太ってしまったし!

家の中は、少しづつ片付けてはいるが、
気になるのは実家の母の物。
とにかく勝手に処分しないでほしいと祈るのみ。

母の持ち物は、意外に私がプレゼントしたものやお土産であげた物が多い。
母が若い頃、自由に使えるお金が無く、
父の顔色を伺っているのがが、子ども心に可哀想に思っていた。

そのせいか、就職してから
母に何かと服や時計、ハンドバック、ミキサー、ホットプレート、炊飯器まで
買って送っていた。

娘が買ってくれたのだと、古くなっても捨てずに大事に保管していたことを
私は、葬儀の前後に母の部屋を見て知った。
父も弟もそんな事は知らない。

それを父は勝手に「こんな物を買いやがって」と捨てようとした。
弟も「ボロだから捨てていいね」と電話で言っていたが、止めた。
私が母に贈った物は、全部、私の思い出の物でもある。

初めてのお給料、出産の時、新婚旅行、病気の時、手伝ってくれたお礼などなど。
捨てるなら私が自分で捨てたい。母の気持ちに応えて、私が捨てるなら許してくれると思う。
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父にも、贈り物をしたが、父はすぐに忘れるし、
もう残っていないだろう。
娘からプレゼントを貰ったと言う事が頭に無い。

「家の中の物は全部、自分の金で買ったのだから自分の物だ、
どうしようが俺の勝手だ」と言う父。
弟が今は父を止めているが、このまま捨てずに父が我慢できるかどうか。

母の物は捨てたがり、自分の集めたゴミ?は増やしている。
家はゴミ屋敷になりそうだ。
ゴミを捨てられないのに、母の着物や思い出の品は
すぐに捨てようとするのが理解できない。
父の心を分析しても、辛いことしか浮かばない。

老化のせいだとわかっているが、
足腰が動く為、止められない。

弟は、次第に父の様子を見に行くのが苦痛になって来たと言う。

顔を見るだけで、具合が悪くなりそうだと。

でも、父に期待され、大事にされてきたじゃないの。
私に比べれば、楽じゃない。贅沢よねと内心思ったが、
弟のストレスは他にあるんじゃないか。

さて、動かないと。




葬儀の日「寂しいだろう、心配だからしばらく一緒にいよう」と思い、
寄り添っていた我々に向かって、
”娘や娘の孫は邪魔だ、帰れ”と言い放った父は、
私が怒っている事位は感じているだろう。気まずいはずだ。
弟の前では、弱味を見せず、格好つけてるから、
娘なんかどうでもいいと平気なふりをし、
弟には気を使っている様だ。

闘病中の母に向かって、
家事ができないなら出ていけと言う様な
女性差別する鬼みたいな人だ。
母の次は娘の私が被害にあっている。
理由もなく、ストレス発散に女性を虐めて来る。
同じ女性でも、お嫁さんは特別扱い。

亡くなる前の母に、弟は無神経な事を言った。
父を嫌う弟だが、根本的には似ている。
最近まで弟は父を尊敬していたらしい。
だから弟にも無意識の差別意識があるのだ。
父を真似していたら、そうなる。
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亡くなる数日前になると、母は弟に電話をかけなくなった。
父と弟に不信感を持ったまま亡くなった。
母の長い間のストレスは大変なものだった。
私がずっと愚痴の聞き役だった。

それがもう無くなって、愚痴を聞かされるイライラは消えたが
まさか直接父が私に矛先を向けるとは思っていなかった。
母が亡くなってすぐに、まるで、虐める相手がいなくなり、
母の代わりはお前だと言わんばかり。

離れているから良かった。

父と会うのは控えよう。
今年は、弟がどうするか様子をみてみよう。

その前に、父が留守の時に実家に行って、母の形見を早く持ち帰りたい。
その時は、ホテルに泊まる予定だが、父がいつ留守(僻地の空き家に行く)するか、
こちらの都合とあえばよいが、コロナもあるし、タイミングがなかなか難しい。

自分にとって大事な人は誰なのか。
自分を大事に思ってくれているのは誰なのか、わからない人が多い。

大事にすべき人に意地悪をしたり、冷たくしたり、
利用して捨てるなんてもったいない。

ゴマをすり、利用しようと詐欺師みたいに寄ってくる人を大事にし、
言いなりになる。
本当に心配してくれる人の忠告は聞かず、悪意にとる。
失敗すれば人のせい。

夫を含め、そういった大変な間違いをする人が周りに多い気がする。






ふと思った。

次の年末年始のこと。

昨年はコロナでなければ私が帰省して
母の代わりに家事を手伝いたいと思った。
最後になる気がしていたから。
現実になってしまったけど。

年末には病気が悪化していたのだろう。
「体調が悪いから、年末もお正月も食べに来ないでね、料理も作る元気は無いから」
と、母が弟に言っていたにもかかわらず、夫婦は大晦日に訪れ母に無理をさせた。
手ぶらで何か差し入れする事も、手伝う事もなく、母の状態も無視して食べに来たという。

大晦日、具合悪い母は、早く休みたかった。
でも、弟夫婦はお客様気分で深夜までだらだらと座っており、
母は、気を使い無理して、お茶や食べ物を出したそうだ。

その数時間後に、体調悪化して病院に。
元日に入院、そのまま家で暮らすことは二度と無かった。
弟たちは、それでも自分らの行動に何も感じていない。

母は
「私が大病してもまだあの夫婦は、私を労わることはなかった。
これまでさんざん私を利用してきたのに、人の為には絶対動かないと決めてるようね。
最後まで無神経な気の利かない息子夫婦よね。」
と病院から電話で私に愚痴った。

これが私だったら、母から「来るなと言ったでしょ、帰って」とはっきり言われたと思う。
息子には甘い両親の自業自得なのだが、それでも酷い話だ。
母に優しくする人は近くに誰もいなかった訳だ。

私がやっと面会が許可された時、
背中をさすったり、手をマッサージしただけで
母は嬉しそうだった。
「ずっとそういうことをしてほしかったの。誰もしてくれない」
と言っていた。
もっともっと触れていたかったが、コロナ対策で20分しか会えなかった。
また来るねと言って、次の面会を楽しみにしていたのに
危篤になってしまった。
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父は1人になって、初めての年末年始だ。
喪中だから、静かに過ごせばいいのだろうが、
弟は父をほったらかしにするのだろうか。
まさか、いつも通りに夫婦で行って
父に接待させるつもりか?

父が慌てて、弁当を買いに行ったり、
寿司をとったりするのを当然のように二人で座って見ているだけだったりして?
どんなに部屋が汚れていても、掃除してあげることもない。
茶碗が洗ってなくても、放置して帰る2人。

以前私が注意したら、弟は理由にならない言い訳を必死でしていた。
今でも、何も変わらない。

あの世の母とお喋りができたらな。といつも思う。
母は毎日、父と弟の愚痴をこぼす事だろう。

弟夫婦は、私を母と同じ扱いにするだろう。
そう、自分達の手伝いさんと思っている。

葬儀の時に、そう感じてぞっとした。

弟嫁は、雑用は何もかも私にやらせ、自分はお客様よと堂々と座っていた。
手伝うどころか、お客様より先にお茶を飲んでいた。

見かねた斎場の人が、弟嫁に手伝うように声をかけても
「ばかみたい。何で私がお茶椀洗わないといけないの」
と言い、私がバタバタしているのを馬鹿にして笑っていた。

それを見て、無反応だったのは父と弟、
他の人全員は、呆れて茫然としていた。 
                       続く




テレビで、食べ物紹介シーンを見ると
レポートする人が上手に表現するというのもあり
よだれがでそうになる。

食欲が増してきて、つい食べ過ぎる。

やっぱり、食べるという本能は生きる為に必要だし、
大事な楽しみの一つだなと再確認する。

介護状態になっても、
食べられるうちは、食事が楽しみとなり、
生きる力となるだろう。

ある日突然、物理的に口から食べ物を入れることができなくなったら?
点滴だけの栄養でしか生きる術がなくなったら?
味もわかるし、臭いもわかる、
歯もあるし、咀嚼できる、口ものども何も異常は無いのにそうなったら?

胃と腸の途中を塞ぐ腫瘍がある為に、飲食物がひっかかり、
飲み込んでも、吐いてしまうとしたら?

腫瘍を手術で摘出すればいい、
薬で小さくすればいいと思う。

それが両方共、無理だと言われたら?

ああ、自分はもうダメなんだな、と絶望するだろう。
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食べ物を見て「美味しそう!」と思う度に、
あの時の母を思い出す。

「私のご飯はこれよ」と
不機嫌な顔で、首に繋がれた点滴を指さしていた。
一時帰宅した時に、
テーブルにあった父の湯のみや御茶菓子を指さし、
母が「もう私は何も食べられないのよ」と怒っていた。

しまったと思ったが後の祭り。

そんな時も、父と弟は何も感じていない様で、
母を無視していた。
私は、すぐに目に突かない場所に片付けたが。

やっぱり手術をした方が良かったのではとか、
母の体力なら大丈夫だったのではないかと思ってしまう。

高齢だから危険、腫瘍の場所が悪いと言う理由で
薬だけの治療になった。
入院したその日から2度と口から食事はできないと言われた。

最初は、母には言わなかった。
2週間ほどで、回復して帰宅できると信じていた母。

「そのうち食事のリハビリがあるだろうから
お箸とスプーンを持ってきて」と言われた弟。

あの頃は、毎日悲しい気持ちを抑えて
母からの電話に明るく答えていた私と弟。

食べる事さえしなければ、何の苦痛も無かった母は
自分の回復を信じていたから
私も信じることにした。

でも、こんな残酷なことってあるだろうか。
もう少し、やり方があったのではないかと
今でも、後悔する。

医師は、年齢だけで判断し、最初から匙を投げている感じがした。

母なら、手術をすれば、
あと1年、あと半年は元の生活に戻れたのではないかと思った。

半年、元気でいられたら、
違っていたと思う。

今更、何を言っても仕方ないけど。

いつ、どんな理由で
食べたい物が食べられなくなるかもしれないという不安が
頭をよぎる様になった。

病気、災害、戦争など
いつどんなことで、今の幸せが奪われるかわからない。
そんな事を考えて居ると
人は、何の為に生まれてくるのだろうとか
哲学的に思い詰めてしまうので
そこで考えるのを止めて、気分転換するようにしている。

カルト宗教にだけは騙されない(笑)


最近、子どもの頃流行った音楽を
アレクサで聴いてみると
浮かぶのは、当時の母の姿。
母が「一番幸せだった子育て中の頃」の姿だ。
痩せた小さい身体で、よく動いていた。

これまでは、自分の思い出しか浮かばなかった。
親のことなんて、思い出したくなかったかも。

母がいなくなってからは、古い曲を聴くと
当時の母の姿が浮かんできて、
懐かしさよりも悔しさが溢れてどうしようもない。

今の私の中にいる母は、嫌いだった母ではなく
同年代の友人の様な存在に変わっている。
同じ女性として、父と父の実家に女、嫁というだけで、
差別的な扱いを受けて耐えて来た人生は何だったのかと
母に問いかけている。

自分の命は残り少ない…と悟った時の母の電話の声を思い出す。
病室で孤独に涙を流しながら、色んな事を思った事だろう。

私に一番訴えていたのは、
「自分の結婚はこの人で良かったのか、
こんなはずじゃなかった。
もっと報われると信じていたから
どんな苦労も我慢してきた。
せめて、夫より長生きしたかった。」
と言う事だ。

父がもっと母を労わってさえいれば
母は、自分の人生に満足していたはずだ。

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長く連れ添った妻が、重い病気と戦いながら家事をやり、
体調の悪さを訴えた時位は
父は夫として、人間として、労わる優しさやこれまでの感謝の気持ちが
態度にでそうなものだ。
父は、自分にとって役にたたなくなった人間は不要だと
言わんばかりの冷たさ、非人間的な態度をとった。

それが、母の後悔に繋がり、病気の悪化にも繋がった気がしてならない。

母の悔しさが私自身の心にも残っていて、
自分と重ねてしまい、どうもすっきりしない。

母は、あの世でもまだ、自分の運命に納得していないのでは?
亡くなった後も、次々と母の嫌がることをしている父に対して
腹をたてているのではないか。

と、私は感じるのだが、母の本心がわからない。
天国にいってもそんなの、可哀想すぎる。

母に会って、聞いてみたい。



父の若い頃を思い出すと
流石に今ほどひどくは無かった。
特に子ども、孫に対しては優しくて良いお爺ちゃんだった。
以前は、いつもにこやかで穏やかな顔をしていた。
今は、しかめ面で怖く、別人のよう。

母の人生を思い出すと、常に父と一緒で、頼り切っていた。
そうなる様に父に仕向けられていたというべきか。
父をたてて、尽くしてきた。

定年退職してからは、日本中をあちこち2人で旅行していた。
実家で親のアルバムを見ると、
色んな観光地で 夫婦並んだ写真が沢山ある。

私の人生とは正反対。

父も母無しではいられなかったはずだ。

旅行に行くのも、母の方がもう飽きた、と嫌がり
父が1人で行く事もあったらしい。

それだけでも、母は幸せだったんじゃなかろうか。
あの頃の父も、我儘だったが、今ほどでは無かった。
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父には、母と過ごした結婚生活をもっと思い出してほしい。
私たち子どもとの思い出も。
どうして、妻子との思い出を捨てるみたいな事をしているのか。
「母の苦労も労って。二人で頑張ったんでしょう」と言いたい。

父は、給料を全て家族に使っていたし、
うちの夫に比べるとずっとまともな責任感の強い父親だった。
父の頑張りに応えようと、母も努力していた。

生活費や、物事の決定を全て父に頼れたという点では、
母は安心して生活できた訳で、私に比べれば幸せだった。
母が幸せだった事を探していくと
少しほっとする。


デルタ株の恐怖の為、マスクをKF94に変えた。

東京は人が相変わらず多い。
気が滅入るだけなので、父の話題に戻そう。

あれから弟から電話がきて
止めたのに、父は業者に断りの電話をいれてなかった様だ。

お弟がたまたま業者と鉢合わせし、
玄関でお断りしたという。
当然「わざわざ来たのに、断りの電話をしてくれないと困る」と
文句言われたらしい。
そりゃそうだろう。
父が言うには、がらくたの売れる訳のない食器や鍋など
ゴミまで売れると思っていたから呼んだとのこと、

「こんな物、今時買い取りしませんよ」と言われて終わり。

弟が代わりに文句言われ、頭を下げた。

とにかく、母の物を家から全て消したい様だ。
だから、着物と台所の物に異常にこだわる。

我々家族が実家で食器を使うということは頭に無い。

もしかしたら、父は母の事を全く悲しんでもいなく、
やっといなくなった、と喜んでいるのかと疑いたくなる。
全て俺の物になった、邪魔な物は目の前から無くそうと思っているのか。

生前、全く無関心で、母が「この着物を見て」と声をかけても知らん顔だったくせに、
今頃になり「黙って勝手に買っていた。俺の金で無駄使いしやがって」
と言い出している。
私の嫁入り道具の着物も、無駄使いだと母の悪口ばかり言っているらしい。

もう以前の父とは別人だ。
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元来そういう人ではあったが
表むきは、理性や世間の目を気にして
自分を抑え、温厚なふりをしていたのだろう。

それが、高齢になり、認知症も入り、
脳の老化で理性もきかなくなり、おかしくなった。

弟のメンタルも心配になる。
もっと強い性格だったらなあ。

コロナで私が行き来出来ない事もあり、
尚更、良くない方向にいきそうだ。

母の親族が知ったら、どう思うだろうか。

法事や納骨など心配して手紙が来るのだが
素直に父の事を書いてしまおうか、迷う。

父がいつか、失礼な事をする前に、
父の様子を情報として伝えた方がいいのかなとか
考えて居る。
生前、母から父のおかしさは聞いていた人達だから、
分かってくれる気もする。
でも、まさかここまで冷酷だなんて、
母方の叔父らは、きっとショックだろうなあ。

弟がぽつりと言った。

「父がいなくならないと、母の本当の供養はできないね。
いなくなってから、きちんとやってあげよう」
「こんな事を言うのは、異常なことだとわかっているけど」

そう、この異常な親に育てられたのだ。我々は。







処分すべき物、負の遺産には執着し、
ゴミは貯め込み、大事な思い出の品で、高価な物は捨てる父。

長年連れ添った妻を失ったばかりなのに。

その妻の大事にしていた物、
子どもに残した物を勝手に捨てるなんて。
父は、普段、ゴミももったいないと言って
なかなか捨てずに貯める人で困っていた。

昔の人だから、勿体ない精神なのかと思っていたが、
そうじゃなさそうだ。
ゴミは大事にして、母の貴重品は捨てる?
もう狂っている。

母だけじゃない、自分にとっても思い出の大事な品のはず。
息子や娘の入学式、結納、結婚式の為に作った着物、
結婚記念の食器、孫の出産記念品などまで邪魔だと言い、捨てるなんてありえない。
邪魔なら、私たちに持って行ってと言えばいい。

相談せず、勝手に捨てるかなあ。
今のところ、まだ間に合いそうだけど、
すでに捨てている物もあるかもしれない。

父の衰え方は、元々の性質が悪化している感じ。
家族という発想が消え、全て自分一人の物、自分だけが大事。
妻への感情は0で、子や孫の為に、という優しさや情が消えている。
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認知症が間違いなくあるのだが、
普通に生活ができているので
医師に診断してもらうレベルにない。
身体が動くので、何をやらかすか心配になる。

とりあえず、今回は止められたが、
まだ油断できない。

弟が、少しずつ家に持ち帰り、保管しておくとのこと。
その前に、きちんと父に注意しないと
一機に全部捨てる可能性もある。

次々と母への嫌がらせをしている父。
まるで長年恨んできた相手への復讐みたいだ。
逆だろう、母の方が被害者だ。
詫びて、感謝の言葉をかけるべきだった。
それが無かったから、母は悔しがっていたのだ。

父を見ていると、残された子や孫に
嫌われて終わる人生なんて嫌だと思う。

モラハラ人間は、老後、父みたいになっていくとしたら
寝込まない限り、家族はストレスで寿命も縮まりそうだ。
母の死後までモラハラを続けていく父の冷酷さに
憂うつになる。



今朝、弟からラインがきて、その内容に焦った。 
父が母の大事にしていた着物や焼き物など
家族の大事な思い出の品や宝物を全て邪魔だと言って
業者に持ち帰らせようとしていた。

たまたまその直前に弟が気が付いて止めたという。
「いらないから欲しけりゃ持っていけ」
と弟に言ったらしい。

捨てる前に、形見分けとして我々に相談するとか
欲しい物は持って行く様にいう事もなく
いきなり処分しようとした。

前にもそういう事を口走ったことはあったと聞いていた。

その時の、弟の態度もダメだったのだと思う。

何も言わず、そうだねみたいなノリで
いつもの賛成派の振りで誤魔化すからそうなる。
その時は、私から弟に手を打つように言ったが
いつもの面倒臭さで、弟はうやむやにしていた。
自分の欲しい物だけ、こっそり持ち帰ろうとしている様だった。

そもそも、実家だから我々が育った家。
私の大事な物も置いてある。
私が寝るベッドすら邪魔だ捨てると言うらしい。
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子や孫が実家に帰省するという発想も無い。
帰省しても、泊まるな、帰れと言うのだろうか。
ついこの前までは、
「孫に早く会いたい、長く泊まってて」
みたいな普通のお爺ちゃんだった。

あの頃は、母が生きていて、
来客があっても、全てをやっていたからか。
これからは、自分が接待をしなくてはいけない、
嫌だ、したくないし、できない。
かといって勝手に俺の家で、子や孫に台所を触ってほしくない。
我物顔で俺の家でウロウロされたくない、
みたいな発想だろう。

家族の概念が消え、全て他人に見えるのだろう。
娘でも、家に居てほしくない。
勝手に寝てほしくない、料理も作らせたくない。
何も触らせたくない。他人に家に入ってほしくない。
実家は俺だけの物。
家の物は全て俺の物。
そこまでおかしくなった父。






知人から聞いた。
県外のお友達がコロナに感染したそうだ。
熱があり苦しいけど、保健所から
家にいてといわれただけで、薬もなく、
医師にも見て貰えず、自宅でただ苦しむだけだそうだ。

家族感染も広がり、悲惨なケースが続いていて、
もう嫌だ!と叫びたくなってくる。

未だにこんな状態。
国は何やってるんだろう。
オリパラは、必死でやろうとするのに、
国民の命なんか守る気なんか無くて
わざと何もしないのかと疑いたくなる。

とにかく1日も早く、体育館的な場所に
感染者を隔離する施設を作り
自宅放置なんてやめてほしい。
まだ余裕のある地方にしても
今のうちに大きな設備を作り
慌てないよう、やっててほしい。

中には、すでに作っている自治体もある。
自治体のリーダーの能力、人間性の差が出て来る。

検査もいつでもどこでも、無料で受けられる様に
なぜしないのか。
遅いのだ。今まで何をやっていたのか。
オリンピックに熱をあげていただけじゃないか。
そう言えば、go toとかもやっていたな。

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母のいた病院では、
帰省後、2週間過ぎていない人は面会禁止だった。

すぐに面会したいなら
3万近くの料金を払ってPCR検査を受けなければならなかった。
(抗原検査キットで自分で検査はしていたが、病院での検査必須)

仮に会えても20分のみ、1週間に1回だけだった。
毎日電話で話せたので、2週間過ぎるのを待ってから
面会の許可を貰った。

結果、亡くなるまでに4回は会うことができた。
私にすれば、たったの4回、されど4回。
本来なら毎日会って、背中をさすり、
手足をマッサージしたかった。
1度やってあげたら
とても嬉しそうだった。

不安で孤独だったはず。
触れるだけで安心感があったのではと思う。
すぐに手を握って来ていた。

それが1回しかできなかったのが悔しい。

検査が無料でいつでもできたなら
病人も家族も、寂しい辛い思いをしなくてすんだかもしれない。

それでも、緩和ケア病棟だったので
融通をきかせて貰え、最期が近くなると
毎日会わせて貰った。
 
同じ時期にお父様が亡くなった知り合いは、
帰省しても、コロナ対策で面会できず、
最期を看取るなんて奇跡に近い位の
厳しさだった様だ。

私は運が良かったのか、というより
自分の願いが通じて、導かれた様な感じ?。

面会までの待機期間中、もう少しで許可がでると言う時に
父が突然私に「帰れ」と言い出した。
ここで帰ったら帰省の意味が無い、母と会えずにお別れになってしまうと
文句を言って、無視して実家にいた。

父にしたら、娘が自分に反抗するなんて許せない、
女が男に文句を言うのはおかしいと思ったはずだ。
だから、葬儀の日に再び私に帰れと我を通したのだ。

父はおかしくなった。
実家を私が乗っ取るとでも思ったのだろうか。

母の父へのストレスも大変だったろうし
それが再発に影響した気もしてしまう。

話がそれてしまった、いつも愚痴ばかり。
ストレスが溜まってるなあ。

コロナのせいだ。

次々と変異株も入ってくるし
ワクチン3回目も早くうちたいし、
自由に旅行が出来るように早く落ち着いてほしい。

何も考えず、自由に旅行している人もいる。
夫もそうだが、怖くないのだろうかと不思議で仕方がない。

この人、こんな考えの人だったんだ~と
色々、コロナで見えて来るのも予想外だった。


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