りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: 実家のこと



コロナ感染者数が減少気味になり、
気候も落ち着きつつあるので、
実家の片づけに行きたくなってきた。
県外の友人にも会いにいきたい。

どっちを優先しようかなと迷っているところ。
実家の方が、衝動的に行けるしホテルも予約しなくていい。

友人に会いに行くには、航空チケット、ホテル、
相手の都合もきいておかないといけないし。
まだ、県外の人に会うのは怖いと相手が思っている可能性もあるし。
もう少し、後がいいかな。
 
今朝、ふと思い出した。
私が小学生の頃、母が自分のタンスを整理してる時に
見せてくれた手紙のこと。
私がおなかにいる時、里帰り出産の為に
実家に帰っている母宛に、父が送った手紙。

”自分は1人で元気にやっている。
子どもの名前を考えたよ。男の子と女の子、両方考えたから、
生まれたら、この中から選びたいと思う。”みたいな内容だった。
手紙には、父になる喜びがあふれていて、
沢山の候補の名前が書いてあった。

まだ若かりし頃の両親の新婚時代。
母は、その手紙をずっと大事にタンスにしまっていた。

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あの頃の父は今よりずっと優しく、
素敵な旦那さんだったのだろう。

母が幸せを感じていたからこそ、
あの手紙を宝物にしていたのだと思う。

前回、母の部屋で、手紙や書類の入った袋はチェックしたが
その中には無かった。
タンスの中は、服がびっしりで、おそらく誰も触っていないと思う。
どうか、そのままにしていてほしい。

前と同じ場所にあるなら、そっとその手紙を出して
父に見せたい。どんな反応をするだろう。

実家でやりたいことは沢山ある。
父の老化による人格の変化、コロナ禍であることで
何もできない状態。

母の物は勝手にしていいとは言われたから
安心して整理できる。

ただ、何日も実家にいると怒り出すので、
ゆっくりできない。
父が入院でもしない限り、本格的な片付けはできそうにない。

母の幸せ探し。見つけるとホッとする。

自分の幸せ探しは、継続中。
夫のいない長い母子生活が、一番幸せだった。
今からも、その幸せは続いていくと思う。
このまま守っていかなくては、と思う。



アイフォンに好きな音楽を沢山入れて
時間があると音量を大きめにして聴いている。

何度か聴いていると飽きて来る曲もあり、
入れ替える作業も楽しい。

アレクサで聴きたい曲を聴くこともあるが
アマプラしか加入していないので、聞ける曲が限られる。

運転中に車のスピーカーに繋いで。
台所に立っている時も、
お風呂の中でも、
パソコンをいじっている時なども音楽を流す。
胸がきゅんとなってくる。

選ぶのは、懐かしさを感じる古い作品ばかり。

母が亡くなった途端に、そうなった。
母が好きだった音楽じゃないのに、
その曲を聴いていた時の実家の様子が思い出されるからだ。

そして、父にも感謝する。
きちんと働いて、私を育ててくれたことを。
毒親な部分もあったかもしれないが、
あの時代の人は、戦争の影響も大きく、仕方が無いのかもしれない。
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裕福ではなかったが、普通に楽しく学校生活が送れたことは
当たり前なことではなく、とても恵まれていたのだと感じる。

両親が、子どもをしっかり育てなくてはと
責任感を強く持っていたのは伝わっていた。
そのやり方が、おかしかったけど、
自分が子ども達に与えられなかった家庭像を
両親は私に与えてくれた。

私も夫も、ろくでもない親だ。

自分がまともな結婚生活を送っていたら
母が亡くなった後に、こんな風に自分の子ども時代を振り返る事も無かったかもしれない。

子ども時代に持つ安心感は、簡単に手に入るものでは無く、
両親、特に母の忍耐と努力の賜物だった事を知る。

私は、夫の最悪な行動に振り回され、
子ども達に安心感を与えられていなかったと思う。

おまけに自分まで体調を崩したり、
頼りない母親だったはずだ。

うんざりするまで音楽を聴き、あれこれと振り返り、
反省したり、郷愁に浸ったりしながら、
気分を切り替えられたらいいなと思う。




新婚の頃住んでいた土地で,仲良くなったママ友がいて、
その人はお母様を幼い頃に亡くされていた。
結婚しても、お父様と同居していた。
1人目を出産してすぐに、お父様が重い病に倒れた。

赤ちゃんを育てながら、自宅で介護をしていた。
さっぱりした性格の人で、
介護の辛さも顔に出さず、時間をつくっては
私と子供とよく遊んでくれた。
「気分転換になるから、また誘ってね」
と言ってくれていた。

彼女は、いつも明るかった。
たまに頼まれて、私は家事の手伝いに行ったりした。

しばらく会えない時期があり、
久し振りに会った時、お父様は亡くなっていた。
あの頃、まだ自分の親は若かったし
親が亡くなるなんて、ピンと来なくて、
20代で、まだ子どもさんも小さいのに、
両親を亡くしてしまうなんて、想像もできないほど辛いだろうと思っていた。

あの時、彼女が口にした言葉で、印象に残ったのは、

「父が亡くなる前、一時おかしくなったのよ。
目を覚ますと、きょとんとして、私の事が誰かわからなくなり、
自分の事を、16歳位の少年だと思っていた様なの。
父の頭は16歳の頃にタイムスリップしていて、当時の話を話すの。
その時の目つきも顔も子どもになっていたのよ。
しばらくすると、元の父に戻ったけど、翌日、息を引き取ったの。
あれは、不思議な体験だったわ。」
「自分が体調が悪い時、父の気持ちを想像してみるの。
父は病の辛さを何も語らなかったけど、親の気持ちは
いなくなってから、わかってくるものね」
と言う内容だった。

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お父様の変化は、脳の機能が弱り、せん妄かなと思うが、
私が、今も記憶に残している、理想の母、
亡くなる前に、聡明になった母の変化と重なった。

最後に長電話した時も、
母は、20代の独身女性になっていたと思える。
独身時代の事、結婚するまでの葛藤、
今起きているかのような、乙女の気持ちが伝わった。
その後、まだ小さい私たちを育てている若いママになり、
子育て楽しかったなあと笑っていた。

人は、もうすぐ命が消えようとする直前に、
急にしっかりする瞬間があるという。
家族は、元気になったと誤解する。
私も、まさか、その後すぐに急変するとは
思ってもいなかった。
だから、もっともっと話を聞いていればよかったと後悔した。

声だけ聴いていると、本当に高齢者とは思えない、
若い母の声だった。

翌日夜に急変し、まさかあんなに弱った姿を見る事になるなんて信じられなかった。

彼女のお父様の話を思い出し、
彼女もお父様も、私も母も、最後にベッドの上で見送る事ができて
幸せなお別れだったことは確かだろう。



早いもので、母が亡くなってから2度目のお盆。
今年のお盆も実家には行けない。

先日のお墓参りで、父と弟に会えたからまあ良かった。
母もあれで満足してくれたかな。
家で母を迎えようと思う。
きっといつも近くにいる。

古いアルバムを見ると、
子ども達が小さい時、出産の時、
実家で過ごした時の写真には、若い時の両親がいる。

嫌な事も多かったけど、母が小さい身体で良く動いていた。
良い妻、良い母、良い祖母であろうと母なりに頑張っていたのだろう。

私は、母みたいにはできないと思う。
家庭の形、夫婦で暮らしていないし、生活形態が違うし。
あそこまで夫の奴隷みたくはなれない。
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母は、これまで何のために頑張ったのだろうか、
父の冷たさのせいで何も報われなかったんじゃないかと思えて来る。
私と弟が最後まで母と向かい合っていたことは
救いであってほしい。
でも、結果、いなくなったら意味が無いじゃないか、とつい思う自分がいる。

どんなに頑張っても、死んだら終わりだと。
今、私がいくら先の事を心配しても
いくら頑張っても、
明日はどうなるかわからない。
この世から消えたら自分にはもうどうにもできないし、
その後のことはわからないのだ。

でも、せめて残った子等が困る様な事にならないように、手は打っておきたい。

生きているうちの努力は無駄にならない、
後に生きる人を守れるのだと信じたい。


手元にいつも置いていて、メモしているノートがよれよれになってきた。
字も汚くて自分でも読めなかったりするので、
新しいメモ帳に整理し直すことにした。

中には、これまでの夫の色んな嫌がらせや、嘘の記録も書いている。
ずっと繰り返す嘘、転職など内容が多すぎ、現在進行形なので見るだけで嫌になる。

母が入院してから亡くなるまでの記録もあった。
当時、メモしていて正解だった。今見ると忘れている事が多い。
そうだったっけ?と時間もずれて記憶していたり、
母が呟いた言葉などもメモしていて良かったと思った。

書き直していると
当時の事が、甦ってきて辛くなってきた。

母と毎日電話で話していた。
母にとっては、最後は我が子との会話だけが救いだった。
最初は、すぐに帰れると思っており、
明るく元気だったのが、次第に現実を知るにつれて
鬱になり、涙声で話していたが「電話で話していたら気が紛れた」
「元気がでた」といつも言っていた。

コロナ禍で、少ししか面会ができなかったことが一番お互いに辛かった。
亡くなる4日前、1時間半も長電話した日がある。

あの日の翌日夜に、急変した。
長電話した日は、声は元気で、頭もしっかりしていて、
翌日に急変するなんて思ってもいなかった。
だから、あの日の事を後悔している。

最後の長電話をした母は、
自分の人生を振り返り、
あの時は楽しかったね、と、子育て中の思い出を話していた。
父との結婚は、後悔している風だった。
もっとあの時、もっと深く話を聞けば良かった。

母はあの日の朝、医師に宣告されていた。
「私はこれからどうなるのでしょうか」
と医師に聞いた母。
医師は、正直に、もう長くない、最期は、苦しまない様にしますから
最善を尽くしますから、と答えたそうだ。
母は「もう今すぐ楽にしてもらいたいと思っています」と言い、
医師は「まだ早いですよ。大丈夫ですよ。」と諭したらしい。
その話も、母から聞いた。

その電話の前日は、私がやっと2度目の面会を許可されて会えた日だった。
母にマッサージをしたり、手や足をさすったりしていると
決まりの20分はあっという間に過ぎ、後ろ髪をひかれる思いで帰った。
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翌日のその電話で「面会時間は短すぎるよね、もっといてほしかった。
マッサージも誰もしてくれないし」
と、まるで子どもの様に、私に甘えたそうにしていた。

私も、もっとこれから会えると信じて居たので、色々やってあげるつもりでいた。

あの日、母は、なかなか電話をきりたがらなかった。
永遠と話をしていたい様だった。
予感がして、恐かった、寂しかったのだろうと思う。

私も、もっと話をしていたかったが、
夕方になり、父の食事の準備を何もしておらず、気になっていた。
こんな時だから、父に待ってもらっても良かったのだろうが、
父は、最後まで母に冷たく、
元気な時から「長電話するな!」と怒鳴りつける人だったので、
いつ最後の電話になろうが、お構いなしで、
ましてや自分の食事をおざなりにされたら怒るだろうと思った。

最後まで、母に嫌な思いをさせたくないと思い、
私の方から、父の夕飯の準備があるからと言って電話をきった。
また、明日話せばいいやと思っていた。

あの時の、すがりつくような、もっと話したいという母の声を思い出し、
辛くなる。

父は最後まで、母と電話でも面会でも話そうとしなかった。
だから、尚更母は結婚を後悔したのかもしれない。

当時使っていた携帯電話の着信履歴、留守メモに残る母の声。
今、目にすると母との最後のやりとりが甦る。

後悔することばかりだ。
それと同時に、やってて良かったと思う事もある。
母に、日記を書いてもらったことも。

面会許可を得るまでの待機期間中に、邪魔だと帰れと
父に追い返されそうになったことがあったが、
抵抗し帰らなかった。当時の父はおかしくなっていた。
粘ってよかった、母にあえて、看取りもできた。

いつからか、父は人が変わって来た。
それでも、夫よりは全然まともで、父としての責任を果たし、誇りに思う。

私の母への気持ちというのは、最後の数日間、同じ女性として心が通じた事が大きい。

これまでの母は「どうしたら娘に自分の気持ちが伝わるのだろうか」
と、どこか冷たい娘に、必死で親の愛を伝えたかったのだろうなと、
娘と自分はどこか合わない、自分を理解してほしいと
もがいていたかもしれないなと、いなくなった今、感じる。

コロナ禍であることが、一番の障害だった。
世の中の多くの人が同じ思いをしている事だろう。

こうやって何度も繰り返し、思いを書き出すことが救いになっている。





久し振りに手紙を書いた。
字を書く機会が減っているので、乱れてうまく書けない。
そして、字を書くと疲れる。

結局、パソコンに変更。
とても楽になった。こうやって退化?していくのか。

夏柄の便せんのテンプレートを選び、
無駄な書き損じの紙も無し。手書きより書き直しは簡単。

書いているうちに、つい愚痴っぽくなってしまい、
手紙は相手方に残る物なので、
これじゃいけない、と何度も読み直し、訂正する。

母方の親族の人から手紙が来て、その返事なのだ。

その人は、母に生前、色々聞いていたらしく、
父や弟夫婦の様子などを気にしてくれている。
父は耳が遠くなり、電話にはでなくなり、
弟も、電話をしてもそっけなく、すぐに切ろうとする。
手紙を出しても、返事がこないらしい。
なので、私に色々聞いてくる。

母がいれば、詳しく話するところだろう。
これまで入っていた情報が、全く入って来なくなり、
コロナもあって、行き来も出来ず、
身体も弱いし遠いので、手紙でということなのだ。

私は、手紙を書くのは好きな方だし、
たまには字を書かなきゃと思うので、
すぐに近況を書いて返信する。
相手は高齢の方で、手書きなので
できれば、こちらも手書きの方が良いとは思うが、
結局、パソコンになってしまう。

一番気にかけてくれるのは
当然、父の事。
私が近くにいれば、誰も心配しないことだろう。
なにせ、あの弟夫婦のこと。
母からも聞いていたと思う、何も世話をしないということ。

弟は、車は出すし、通院の付き添いもやる。
が、家の中のことは、どんなに荒れても、食事がとれなくても
放置で、掃除もしたことはない。
自分ちの掃除もまともにしないのだから
当たり前か。

ヘルパーさんを頼むことも邪魔している。
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はっきり言って、元気で長生きしてほしくないのだと思う。
そんな怖いこと、口には出さないが、
やってることはそうだろう。
特に奥さんは。

その辺のことを、何となく感じ取っている親族の人だから
色々質問されて、どこまで話せばいいのか、迷う。

弟は、長男でそばにいて
しっかり親の面倒を見ているだろうと、思われている、
奥さんも。昔の人たちなので、それは当然のことだと。
現実を知れば、呆れてびっくりされる。

母が一部の人に、愚痴っていたので、
知っている人もいる。
手紙で、説教じみた事を弟夫婦に書いた人もいたが、
全く気にせず、無視していた。

それで、私に心配して定期的に聞いてくる。

書き出すと、つい愚痴ぽくなってしまい、
家の恥をさらす事になるし、
言ったからどうなるものでもない。

だったら、あまり書かない方がいいかなと
色々、書いては消し、と繰り返したらどっと疲れた。

彼等が、親族に嘘の顔を見せているのは、腹が立つ。
が、もう叔父叔母達は、高齢で、自分の事で精一杯。

親族が集まる機会も、このコロナでは、2度と無いかもしれない。
弟は、奥さんに言われて、今後は親族との付き合いを切るだろう。

それにしても、何故、私も弟も
結婚相手にコントロールされて、
抵抗しながら、生きて行かないといけないのだろう。
弟は、あまり深く考えず、いつのまにか洗脳されている。
気が付いたら、自分の描いた未来と全く違う方向に来てしまっていた、
と気が付いてはいるようだ。
たまに鬱状態になったりしている。

急にポールのアルバム、”フラワーズインザダート”を聴きたくなった。
発売頃の自分を思い出し、当時の母の姿や
時の流れ、状況の変化を感じながら聴くことが増えた。




前から、実家には帰らなくても、
墓参りには行きたいと思っていた。
何度か予定を立てては、変更の繰り返しだった。

コロナを気にしていたら、この調子ではいつまでたっても何もできないと、
思いつつ、そんな時に子どもが協力してくれた。
「じゃあ、行こうかな」
と私が言葉を発した瞬間、バサッと音がした。
壁に下げていたカレンダーが落ちた。

タイミングがぴったりで、まるで「賛成!」と言う掛け声みたいだった。
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またもや、面白いハプニング。
父ともめた後、初めて実家に帰ると決めた時も
タイミングよくライトが点滅した。

母が合図してくれているのかな。
と勝手に思っている。

私には、どうでもいいおかしな偶然がよく起きる。
笑い話にすると楽しいので、その偶然を大切にしている。

母が賛成した?墓参り。
そこで、またまた凄い偶然があり、父と弟に会えた。
お互いに何かを感じたのか、引き寄せられた様な父と我が子と私が急に決めた墓参り。
コロナ禍だったので、気にはなったが
マスクしたまま会話し、自分も感染せず、父にも感染させずに済んだ様だ。

やっぱり、母が集合させたのかなと思ってしまう。

ホテルに1泊したことで、
旅行気分も味わえ、父にも会え、気分転換できて、良かった。

帰宅すると、相変わらずの夫の嫌がらせがあった。

もうどうでもいい。あなたなんかどうでもいい存在と
心の中で繰り返した。



一昨日の朝、子どもが声をかけてきた。
「夏休みを取ったから、お墓参りに行こうよ。旅費は気にしなくていいから」

 私が「コロナがまた凄い事になってるし~」と躊躇っていると
「山の中お墓にいくだけなら、誰もいないし、大丈夫でしょう」
と説得してきた。

49日も初盆も、今みたいにコロナが増えてきて行けなかった。
年末年始には、感染数が減っていたので、
父が1人で正月を迎えると聞き、急遽帰省した。
あの日は、偶然父もお墓参りに来ていて、
一緒に実家に帰った。
その事、父は覚えていないだろう。
弟夫婦が冷たいということも、
今の父の頭にはないと思う。

今回、行く前に、父はお墓参りに行く予定はあるのか、と弟に聞いたら
何そんな話は無いから、月末だろうと返事が来た。

なら、本当に誰にも会わずにすむし、お墓参りだけして帰ろうと
ぎりぎりで決心し、あれこれ調整して少しの荷物で出発した。

私も、ストレスが溜まりがちで、
どこかに出かけたかった。良い機会だった。
途中、人混みを避けながら、
緊張しながら移動した。

近くの市街地のホテルに1泊して帰ることに。

ホテルにチェックインしてから
墓の近くまでバスで向かった。
夏は夕方でも明るいので助かる。

母のお骨が無ければ、ここまでして通わない。
母の為に行く墓参り。
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父の実家の敷地にも入ったが、
誰も住んでおらず、過疎地なので
周囲も荒れ果てている。

ただ、自然の香りが強く、風は心地よく、小さな池には、珍しい生き物もいた。
久し振りに元気なツクツクボウシを聞いた。

子どもの頃、祖父と祖母に会いに、
毎年この土地に来ていた。
夏休みの思い出そのもの。

心が病んだ時、ここにきて過ごせば
人間らしさを取り戻せそうな場所。

周囲が荒れておらず、家の補修費がかからず、
もっと近ければ、間違いなく私が別荘的に使っていただろうな。
父も定期的に掃除に来ているが、
手入れが楽になって喜んだだろう。

が、母にとっては辛く嫌な思いでしかない場所で、
早くこの場所と縁を切りたいと言っていた。

そのうち、お骨は、ここから両親の分だけ、弟の家の近くに移すだろう。
それまで、母には我慢してもらうことになる。
で、また私の勝手な妄想なのだが、
出発を迷っていた時、ちょっとした合図があった。




昨日、ちょっとだけ母の事を書いたが、
あの後、母が若かった頃の、と言っても今の自分と同じ年頃の写真を見たくなり、
アルバムを広げてみた。
エプロン姿でピースサインを作った笑顔の写真を見つけた。
足は悪かったけど、健康で、ふっくらとしている。

遺影として、フォトフレームに入れていた写真は、
病気になって手術後、一時的に回復した時のもの。
痩せていて、脱毛でウイッグをつけている。
いつもその写真に話しかけてきた。
昨日見つけた元気な頃の写真に交換した。

今朝、5時すぎに子どもからラインが来た。
何かあったのかと思ったら。
とても鮮明な母の夢を見たという。
「歩けない、悔しい!お医者さんに治してもらうんだ」と、
とても、悔しがり、元気になりたいと訴えていたそうだ。
そして、これとこれを持って行って、と
母の愛用品を押し入れから出して渡す夢だったそうだ。

あまりに鮮明で、目覚めた後に悲しくなり、
急に母に会いたくなり、私にラインしたそう。

この子は、霊感?が強いところがあると私だけが思っている。
写真を探して、入れ替えたタイミングでもあるし。
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この子が小学生の時、
「今日、学校で親族のおじさんの声が聞こえたよ。
振り返ってもいないし、おかしいなと思った」と話した。
すると、その日、おじさんは急逝していた。

そんな事が、何度かあった。
母の葬儀の翌日も「母の声がして、メッセージを残してたけど
どういう意味だろう」と聞いて来た。

その内容は、私が母に何度も言われたお願いごとと一致していて、
すぐに手紙で父に伝えた。でも、父は無視した。

霊感とは言わず、自分が気にしているから、そんな夢を見たり
勘違いするんだねと言う程度ですませている。

なかなか、帰省できないし、父の頑固さのせいでお墓も遠い不便な土地になり、
(母が嫌がっていたのに)母は、寂しいのかもしれない。
弟夫婦に対する不満も、あの世で積らせていることだろう。

実家は、母が心配していた通りか、それ以上のひどい状態になっている。
だから、そんな夢を見るのだろうか。



今の土地に住む数少ない友人の1人は、
ご両親が、数年前に続けて亡くなられた。

お兄さんが県外におられるが、
近くにいる彼女が、仕事をしながら、両親共長年介護をした。
現在は、実家も処分し、相続も済ませたとのこと。

彼女は苦労人で、若くして結婚、出産、離婚も経験し、
子どもさんはすでに独立し、独身生活は長い。

ご実家は、資産があり裕福だったそう。
不動産や預貯金などをお兄さんと分け、
結構な額が通帳にあると話していた。

長くアパート住まいだったが、老朽化したので、
相続したお金で新築マンションを買って
優雅に暮らそうかなと話していた。

が、彼女は、公営住宅に引越した。
生活も地味で、何も変わっていない。

「いざとなったら、現金を持っている方が老後が安心だと思って」
と話していた。賢い人だと思う。
彼女は持病もあり「自分は長生きできないだろう、
子どもや孫達にお金を残したい」
「子ども達には、離婚で苦労させたから、
これからは、その御詫びのつもりで色々援助してあげたい」と言う。

実家が裕福かどうかで、人生が違ってくるのは感じるが、
老後が楽になるのは羨ましい話だ。
でも、相続しても、浪費家だったら
夫みたいな人なら、舞い上がってすぐに使い果たしてしまうだろう。
お金がいくらあっても、使い果たすタイプ。
絶体に貯金が出来ないタイプ。
それを世の中、政治のせいにして言い訳をする。

そして、老後破産して、妻子に迷惑をかける。
最初からいつも誰かをあてにしている。
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友人の場合、
「介護は全部私がやったのに、相続は平等。
でも、もめたくないから、黙ってた」
と愚痴っていた。
ただ、お兄さん夫婦は、県外におられたし、二人共病気持ち。

彼女には、いつも感謝と御詫びの言葉をかけてくれ、
できるだけの手伝いはしようとし、
頻繁に、金銭や贈り物をしてくれたと言う。

それだけで、気持ちは伝わるから
兄夫婦には何のわだかまりもないと話していた。

私の弟夫婦にはそういう、気配りをする神経は無い。
頭を下げたら負けと思っている。??
言い訳が多くて、批判させないわよと言う強気な面が
更にこちらにストレスを与える。
母が一番きつかったと思う。

私の実家は、資産は無く、あるのは負の不動産。
夫は、自分の親から相続したはずのお金は
私には内緒で、即使い果たしたのだろう。

そして、次は妻の相続資産があると思い込み、
それをあてにしているのが見え見えだ。
父が長生きしてくれたら良いが、
もし、今父に何かあったら、その時が離婚ドタバタの始まりになるかもしれない?



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