りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: 実家のこと


実家で捨てたはずの古い段ボール2個の中は、ほとんどがゴミ。
学生時代の物は自分で整理し、捨ててほしいと置いて行ったもの。
何十年前になるのだろう。埃をかぶって触るのも嫌だ。
当時はいらないと思ったが、今見ると、古すぎて逆にお宝になりそうな物があった。
少しだけ持ち帰り、残りは弟に処分をお願いした。

ゴミのほとんどが小学校時代のテストのプリントやノート。
捨てようとしてぐちゃぐちゃに袋に突っ込んだままの状態。
捨てると言うか、当時は庭で燃やしていた。まだそれができた時代。

小学校のプリント類の処分は、親の仕事では?
おそらく私か、母が整理して処分しようとまとめていた物だ。

父は母を支配し、ゴミも捨てさせず、親のやるべき仕事をしないで
今頃になって、私に整理させるのかと少し腹が立ってきた。
いくら昔の物の無かった時代の人だからといっても、
そんな人ばかりじゃない。整理する事の重要性がわかってない。
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弟が父のいない所でため息をついていた。
「人が捨てた物を勝手に保管しといて、今頃邪魔だから持って帰れは無いだろう。
その前に自分の物を処分すればいいのに。」
本当にそう思う。

父は、自分がいなくなった後の我々の苦労をわかっていない。
荒れ果てた実家と遠い僻地の父の実家までも、管理させようと思っている。
親の思い出がいっぱいだと我々が喜んで残すと思っている。

誰かが住むにしても、汚くなりすぎ、古すぎて改修にお金がかかる。
その前に、父の残した荷物の処分をしないと寝る場所も無い。
水回りも汚い。母がいなくなってから一気に家がだめになった。
売り払うにしても、片付けにお金と労力がいる。
田舎では、赤字になるだろう。

今の実家は、居間も座るスペースも無い。
母が残っていたら、逆に綺麗に広々となっていただろうに。

持ち帰ったお宝的な書類は、学生時代の懐かしい品。
捨てたと思っていたし、忘れて居た物だから無くても良かった物ではあるけど。
天気が良かったので、陽に干して当時のアルバムに挟んでおいた。
ちょっとだけ、タイムスリップした気分になれた。
そこだけは、父に感謝しておこう。





父は、歳相応の脳の老化で、私の子どもの事、孫の名前も忘れて居た。
話し出すと、ああそうだったねと思い出す。
まだ私の存在、顔は覚えているのでほっとする。
会わないでいると、忘れてしまうのだろうなあ。

それにしても、父の足腰の強さには驚いた。

私の古い荷物が出て来たから持ち帰ってと
段ボールを抱えて2階からおりて来た。
私の方が腰が痛くて持てなくて、父は平気な顔で運んでいる。
中を見て、唖然とした。

ゴミに捨てようと学生の時に置いていたやつ。
母に捨ててと頼み、母が捨てようと外に出していたら
父が持ち帰ったと言う物だった。

母から電話で愚痴られた事を思い出した。
本が入っていたから、もったいないと思ったのだろうか。
持ち主が不要と思った物を、この長い間、どこにしまっていたのか。
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「あー、これは前に捨てたはずの物だわ、捨ててほしい。」と
私が口走ったら、弟がシッと黙らせて、
「持ち帰るふりをすればいい。僕が車で持ち帰って捨てるから」
と、小声で言った。
で、実際弟はそうしてくれた。
黙って父のご機嫌をとればいいんだよとのこと。

弟がいなかったら、何十年も埃をかぶった重いゴミの箱を
私はお金を出して自宅に送ることになったかも?

弟宅に行く度に、家が綺麗になっている。
本当はこうしたかったと思っていた事を、思い切り出来る様にはなってきたのだろう。
それでも寂しそうだ。急に1人になったのだからね。
一時でも気が紛れるなら、遠慮なくお邪魔する事にしたい。
あまり長居はしないけど。
弟も1人暮らしのペースがあるから疲れると思う。

気が付けば、父も弟も私も1人暮らし。
ここ数年で急にそうなった。
私の1人暮らしは希望通りで、最高なんだけど、
父と弟は、奥さんを病気で失った悲しさがあるし全然違う。
私は別居で夫は生きている。
弟と私が入れ替われば良かったのにといつも思う。
父と弟を見ていると、涙が出そうになる。



昨日は、ぐったり疲れて爆睡した。
爆睡した後は気分が良い。

同じ1日でもただ普通に過ごすのと、環境を変えるのとでは
時間の早さが違うといつも思う。

実家に着いた時は、父が眼科からまだ帰宅しておらず、
合鍵で家に入って待っていた。
付き添いの弟に連絡し、父にも伝えて貰った。

帰宅した父は、笑顔でご機嫌。
弟は「留守中に勝手に入ったのか」と父が怒るのではとビクビクしていたらしい。 
これまでも自由に入っていたし、父と何度か二人で生活した事もあったし、
娘が家に入って怒るわけもなく、それより父にも娘の顔を見れる喜びという親心が
少しはあると私は信じて居た。

老化で思いがけなく怒り出すことがあったので、
弟が心配するのは当然のことだとは思う。
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父の好きなお菓子をいつもの様に持って行った。
「これはこれは、有難う」と頭を下げた父。
早速に口にして、これは美味しいね!と笑顔になった。
帰省した時はいつもこういう感じ。
私のお土産をいつも目の前で、美味しそうに、まるで子どものように
パクパクと食べる。
そして気を使って「うちにはお菓子が無くて」と
私を接待できずに申し訳ないと言う。

娘なのにお客様扱い。

私も1人暮らしになって何となくわかった。
父は何も接待してやれないと気を使って疲れるのだ。
母のいない1人暮らしになり、
自分のペースが出来て、誰かが家にいると疲れるのだろう。
長く居座ると、疲れがたまってイライラしてきて爆発するのだ。
前頭葉の萎縮で、感情をコントロールできない。

毎年のお正月に1泊するのは大丈夫みたいだけど、2泊以上は無理だと思う。
それ以上は、弟宅か、ホテルに泊まることにしている。
父が病気で寝込んでしまえば、何日いても大丈夫だろうが、
1人で頑張って生活したいと父が希望する間は、
短時間で帰る方が良いと思う。

母と一番仲良くして下さっていたご近所の方が、施設に入られていた。
父も聞いておらず、いつのまにかいなくなられ心配していた。
「あの人はもう家に帰って来ない。話し相手がいなくなり寂しいよ」
と父が言う。
ご近所は高齢化が進み、空き家が並ぶ。
母のことは、いなくなってどうだと、一切何も父は言わない。
強がっているのかも。

近くに住む弟の存在は大きい。


今日と明日、都合がついたので、
急遽、実家に帰省することにした。
朝出発しても、到着は夕方になる。

少しの時間しか実家にはいられないけど、
父の様子を見るだけでいい。
長居すると父も疲れると思う。

弟に連絡したら、うちに泊まってくれとのこと。
寂しい日々だろうし、遠慮なく泊まらせてもらう方がいいのかもしれない。
明日は父の右目の手術前検査らしい。
ちょうど良かったかも。
きっと目の話題で盛り上がる事だろう。
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バタバタで疲れるかもしれないけど、家で考えているよりも
行ける時にさっと行った方がいい。
父は高齢だし、あの時会っていればと思う事もあるかもしれない。
悔いの無い様に、会える時に会っておこう。
(またすぐ大晦日に会えるかもしれないけど。)

1泊だから荷物も少なめ。
お土産を持って、さあ出発だ。 


スポーツの各大会の応援を楽しんでいる。
日本シリーズも面白い。
ネット配信やテレビで観戦。
現地に行けたらもっと良かったのにな。

一番上の子が「年末に旅行に行くけど一緒に行く?」と誘ってくれた。
仕事の都合上、まとまった休みは年末しかとれないらしい。

行先は、上の子が学生の時に私が誘って一緒に行った所。
またあそこに行きたいと思ったらしく、
近くに友人もいるので、泊めてもらえるらしい。
一人旅のつもりだったが、私と行き来だけでも一緒に行けたら楽しいかなと
思って声をかけたみたいだ。
私が1人寂しそうに見えて気にしてくれたのかも?

ほとんど別行動になりそうだけど、
今から一緒に飛行機予約するよ、どうする?と聞かれた。
どこでもいいから旅行行きたい気分。
しかも同行するのが子どもなら一番気楽でいい。

でもね、残念な事に時期が。
年末なんてホテルは高いだろうし、
空いてないかもしれないし、人も多い。
これまで何度か行った所だしなあ。
1人で行動するのは慣れているけど、
寒い時期で、腰痛がでたらどうしようと
色々不安になる。
残念だけど、また来年ね、と諦めた。
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父の目の手術が、右が明後日、左が2週間後だ。
かなりの高齢なので、ちょっと心配。
簡単で日帰り、あっという間に終わるし、
良く見える様になると医師には言われている。

目が見える様になるだけで、QOLがぐんと上がる。
耳が遠かった親族は、認知症になってしまい、施設に。
目と耳は大事。

父は、脳はかなり老化して人格も変わってしまい、
下手に元気になって出歩き、事故や人とのトラブルが増えそうで心配。
弟が大変だろうが、1人で寂しく過ごすよりも
父の付き添いをするだけでも気は紛れるだろう。
私よりも弟には父は優しいし。

実家の様子を見に、近いうちに帰省しようかなと思う。
放置したままであろう母の部屋。
ゆっくり片付けたいけど、掃除するだけで精一杯。
今の父の状況では、実家なのに居場所が無い。
自分の身体が動くうちに片づけを済ませたいのに、
いつになったら、実家を元の状態に戻せるのだろう。


何となく思う事。
ここ数年の自分の生活がこうだったら良かったのになと。

それは…
”母が元気なうちに、夫を看取るか縁を切る。
その後、定期的に実家に帰り親の世話をする。
母と一緒に父を介護し看取る。
定期的に、母を呼び寄せるか、帰省して世話をする。
住みやすい実家に変えていく。”

現実は、何一つ違っていて、夫じゃなくて弟妻が先に逝ってしまうし、
父が残り、実家を住みやすくどころか、
泊まる事も出来そうにない状況に変えてしまった。

何もできないまま、どんどん歳をとっていく私。
もし、夫から今の家を追い出されたら、
何も無い私には逃げ場は実家しかない。

母は、亡くなる数年前には「離婚して実家に帰ればいい」と言っていた。
若い時は、正反対の冷たい言葉を言っていたのに。
「世間体が悪いから、離婚しないで。
できれば遠くに住んで。離婚しても帰らないで。
あなたを助ける気はないからあてにしないで」
と言われた。そこにも夫は付け込んでいたと思う。
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年を取り、自分の健康状態が気になってきて、
あてにしていた長男夫婦が冷たいと感じたら、
急に私をあてにするような事を言い始めたのだ。
やっぱり、娘の方がいいと口にしていた。

気を遣わず好きに利用できると言うだけの、
差別意識にも感じて私は反発していた。

近くに住んでいたら、何でわたしだけこき使われるの、
と不満に感じた事だろう。
母は(何もしない)弟夫婦がよく世話をしてくれると嘘をつき、
私の話題はしなかったと思う。

そんな事を思い出すと、離れていたからこそ、
もっと世話をしたかったと思えるのだろう。
思い通りにならなかった事がむしろ良かったのかもしれない。

親とも夫とも離れた方が、自分の心を守るには良かったということ。
ただし、親の考え方は、時代が原因だと思うし、
夫とは違い、きちんと責任をもって子どもを育ててくれて感謝している。

ただ私を支配しようとする点が似ていた。

親が弱った時、お世話をしたいと自分の意志で思う。
夫の世話なんか絶対したくない。



最近、何故か毎日の様に母が夢に出て来る。
確かに母を夢で見たが、内容は覚えていない。
夢に出て来る母の姿は今の私の年齢か、それより若い。

自分の中の母はその頃が一番思い出に残っているのかもしれない。
今、自分と同じ年齢の母と会えたら、きっと話が合うだろう。
友人なら気が合いそうだ。
親子という関係が私達には合わなかったのかも。

自分と同じ年齢の母は、つい最近の姿の様な気がする。

私はあと何年生きられるかわからないけど
もし、母と同じ年齢まで生きたとして、あっと言う間だろう。

いつまでも親は元気で変わらないと思い込みがち。
気が付けば年老いていたと言う感覚だった。
我が子達も同じなんだろうな。

子ども達にとって、父親(NPD夫)の存在は頭に無いだろうから
母親(私)だけが実家にいる親としての存在だと思う。

私がいつまでも今のまま変わらず元気で、
永遠に親として見守ってくれると思い込んでいるかもしれない。
私が老いて寝込んだり、重病で入院するなんて
想像していない気がする。思いたくもないだろうし。
だから、できるだけ長く元気でいたいし、
迷惑もかけたくない。
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それにしても、母は夢の中で何を伝えたかったのだろう。
メッセージを伝える為に出て来ると勝手に思っているので、
内容を思い出そうとするのだが、思い出せない。
不思議な偶然というものが良く起こるので、
何かの予兆、良いことだったら良いけれど。

棚に飾っている写真を、夢の中の母の姿に近い写真に変えてみた。
父と並んでいる写真も横に。

夫が突然帰宅したら、陰湿ないつもの嫌がらせで
写真を落として割ったり、変な風にいじられるかもしれない。
そういう幼稚な意地悪をする。
でも、そんな事をいちいち気にするのも馬鹿らしいので
夫が二度とここには来ないと念じて生活している。


弟からラインが来る度どきっとする。
父に何かあったのかとつい思ってしまう。

昨日、弟から
「墓参りに帰ると父に電話したんだって?」
とラインが来た。

私はいつも弟に連絡して父には弟経由で伝えてもらう。
電話だと耳が遠い父と話が通じない気がして、
弟に送迎してもらったり、泊めてもらう事もあるので、
父に先に電話をすることはありえない。

え?電話していないのに、何の事やら。
ついに父が認知症悪化した?
と不安になった。
電話していないと返事すると、
すぐに弟から電話がきた。

弟は父の話を信じて居たので、
私の返事にびっくりして、同じ事を思ったらしい。
他におかしな様子は無いか聞くと、
話もまとも、行動も変な所はないと言う。
だったら、夢を見て現実と混同したか、
叔母さんと間違えているのかもと言う結論になった。

電話の着信履歴を見る様に頼んだ。
今度実家に行って調べてみるとのこと。
墓参りの話がでたのなら、おそらく叔母だろうと思う。
途中で声が良く聞こえないと言って、
電話がきれたらしいから、その可能性は高い。
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ああ、びっくりした。
父の年齢ではとっくにそういう認知症になってもおかしくはない。
以前はなりかけていた感じだったが、
歳相応の脳の老化はあるけど、病的な認知症までにはなっていない。
ホッとしたのは、私のことを忘れていなかったんだなという事。

いつか、あなた誰?と言われる時が来そうで怖かった。
叔母の名を私と聞き間違うなら、すぐに私を認識できるって事だな。
何だか、父が可哀想に思えて来た。
弟から叔母さんと間違えてるよと聞いたら
がっかりする様な気がして来た。思い過ごしかもしれないが。

普段、お互いに電話もかけないし、なかなか会えない父。
珍しく私から帰るよと電話が来たと思い込み、
もしかして嬉しくて弟に話したのかな、なんて思ってしまう。
父親ならそれが当然。
世話は迷惑とか、帰れとか、怒る時もあるけど
それは脳の老化のせい。

娘に酷い事を言ったと後悔していればいいのだけど。
昔ながらの頑固爺さんだから、本音は見せない。
近ければもっと様子を見に、母のお墓参りもしたい。
自由なはずなのに、意外に動けないものだ。
私の体力、気力が急に削がれてきている感覚。

昨日、母が夢に出て来た。
私が高校生で運動会の日、母がお弁当を作ってくれた夢。
夢に出て来る母は、理想の母。
目が覚めると悲しい気持ちになっていたのは何故だろう。
父の事で弟と話したから、夢に出て来たのかな。
何かのメッセージかなといつも思ってしまう。





暑さももう少しの辛抱。やっと秋が来る。
気候が良い期間が限られ 、その中で色んな行事や用事などが殺到してしまう。
今年こそは秋に旅行して友人に会いたいと思っていた。
が、コロナが蔓延、マスクをしない人が増え
旅行にいったまま帰れなくなったらと思うと不安になる。

父の目の手術があるのでおそらく世話をしに行かねばならないだろう。
入院するので、その間気にせず実家を掃除できる。
とは言え、ほんの一部しか触れないだろうけど。

父も、術後は不便だし誰かの手助けは必要だから
前みたいに文句は言わないと思う。
目が良く見えるようになれば、頭も冴えるだろうし、
世界が鮮明に広がり、機嫌が良くなることを期待している。

白内障でよく見えないまま放置すると、認知症が進む可能性が高くなるそう。
自分も目の調子が悪いと、作業効率が下がり、
頭痛、肩こり、気力の低下、不安感まで襲ってくる。
私は、昨年からの飛蚊症、光視症で、硝子体後部剥離と診断された。
硝子体が網膜から綺麗に剥がれてしまえば何の心配もいらないが、
一部くっついた部分が網膜剥離になる心配があるとのこと。
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光視症は治まった気がするから
そろそろ全部綺麗に剥がれてくれたかな。
左目はこれからだと言われたので、次は左目の心配になる。
老化を意識する機会が増えてきて嫌になる。

それにしても、母が白内障の手術をした時に
父も一緒に検査して早くに手術しておけばよかったのに、
病院嫌いで、老いを認めたくない頑固さは、
結果的には我々が振り回されることになってくる。

自分に何かあった時、子ども達に負担書けない様に、
家を片付け、体調管理に気をつけているつもりだけど
いざ、入院となると誰かの世話にならざるを得なくなる。
今はとてもそんな迷惑はかけられない。
それだけでも気がかりなのに、夫の存在が更に重くのしかかる。

そろそろ、夫は、親のいない義実家にまた遊びに帰省する頃だ。
お金の無いアピールばかりして、無計画に自分の為だけに浪費する。
自分にも嘘をついて生きる事しかできない憐れな人生。
何が楽しみで生きているのか、私には理解できないし、
分かりたくもないけど。




母の重い病気がわかった時、母から電話で言われた。
「私は重い病気みたいだわ。今日医師からあの子(弟)に説明があったみたい。
可哀想に、母親が病気と聞いてショックを受けてるわよね、
ああ可哀想に。今頃、落ち込んでいるだろうねえ。あの子に余計な心配かけてしまったわ」

思わず、私は「え?私もあなたの子どもだけど。可哀想じゃないの?」と口走った。
それでも母は??という反応で、意味が理解できていない様子だった。

重い病気で先が短いと知り、母自身、相当辛いはずなのに、
息子の気持ちを心配する母。
小さい頃から息子の気持ちばかり配慮して、娘の気持ちは想像もしないし、
どうでもよいという長年の習慣?がそのまま表れていた。

世間体の悪い行動をする私の夫を軽蔑してはいたが、
弟は嫁の尻に敷かれて可哀想、私には悪い男に騙されたあなたが悪い、と言う。
恥かしい娘だからと、他人のふりをさせられたこともあった。

私は弟に母の表裏を全て話した。
弟がたまに母にちくりと注意すると、一瞬慌てるが態度が変わる事は無かった。
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母が病気になってからは、それまでの気持ちは一旦忘れ、積極的に母と話す様にした。

皮肉なもので、寿命を意識した母は、
次第にまともな事を言う様になり、俗っぽい計算や世間体や差別意識も消えていた。
本当に、仏様に近づいていってた気がする程だ。
言葉使いも綺麗になっていた気がする。

私への態度も自分の人生と重ね、
女性の生き方として共感し、まるで同じ年の友人と話している様だった。
変なフィルターが外れ、真実が見えたかのように。
自分の人生を振り返りながら、20代に戻った様な、別人のような、
何でも素直に私に話す日が続いた。

亡くなる日が近づくにつれ、弟に不信感を持ち始め、
息子と話があわないと言い出し、自分は間違っていたと言い出した。
私にだけ電話をかけてくるようになった。
「大丈夫だから、心配しないで」と何度も慰めた。

「私はもうダメかもしれない」と言う最期の電話も私にかけてきて
私一人、病室に泊まった日の夜明け前、
結果的に、私一人で看取ることになった。
あの時の幸福感は悲しみを超えていた。
理想的なお別れが出来た様な、満足感があった。

自分にとって、二人の母がいた。
毒親的母と亡くなる前の良き母。どちらも記憶から消えない。

暇な時間ができる度に、思い出す。
今までずっと母の電話の相手で、こんなゆったりした時間は無かったなあ。と。

そして、生れてからこの歳まで続いていた説明のつかない嫌な感情がぷつっと消えた。 


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