りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 母の病気~悪性リンパ腫





今のうちに、母と少しでも話をしておきたい、と思う気持ちが強くなった。

県外の人間は、帰省後、2週間病院内に入れない。

このまま会えない可能性がある。

ずっと持っていたわだかまりは、
母に自分で伝えた。
わかった。と答えた母に、もうこれ以上何も言えない。
先の短い弱っている人、逝く恐怖に涙している人に
もう強い事は言えない。

父も、持病で母と同じ病院にかかっている。
昨日は通院日だった。

母はせっかく父が病院に来るなら顔をみたいと思ったようだ。

先日、弟が面会した時、
母は父を探したと言う。

あんなに憎い、と嫌っていたのに
今は会いたがっている。

看護師さんに、母は今日は父の通院日だと話しながら
泣いたらしい。

看護師さんが、面会をさせてやろうと
父に声をかけてくださったが
「ガラス越しだし、話もできないから」と言って断ったという。

え?顔を見るだけでもいいのに。
原則面会禁止なのに、姿を見たくないの?
冷たいなあと呆れた。
母も、がっくりしたようだった。

が、その後、母の気持ちを大事にしてくださった婦長さんが
ガラス越しでなく、
直接会える様に、医師に掛け合ってくれ
同じ部屋で、ゆっくり話せる状況を作ってくださった。

弟も一緒で、その時の動画や写真を送ってくれた。

いざ対面すると
母は強気で話しているし、父も気楽な雰囲気で
「大丈夫だから」と繰り返している。

「ご飯ちゃんと食べてね。」とか
「回覧板はどうしてる?」とか
「誰にも私の話をしないで」とか
心配事ばかりを話す母。

父と元々会話も無かったし、喧嘩ばかりの日々だったから
今更、つのる話もなかったようで、
弟も無口な方なので
短時間で終わった様だ。


病院からは「ゆっくりお話ししてくださいね」と
言ってくださったのに、母には物足りなかった様だ。

コロナが無ければ、
毎日の様に会えて、母の辛さも随分和らいだはず。

コロナ禍で、どれだけの入院患者と家族が
こういう思いをしている事だろう。

ましてや、コロナで入院している人は
1人で病気と闘っている。
家族とお別れもできず、悲しい帰宅をする人もおられる。
どんなにか辛いことか。

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面談が終わってから、母から電話で
上に書いた様な心情を聞いた。

母と父は二人三脚で
いつも一緒で、責任感の強い父を母は頼り切っていて
安心して暮してきた。


歳をとり、認知症のせいか暴言が酷くなった父を
恨む言葉ばかりの母で、
確かに酷い父だが、母の本音は今もまだ父を頼っている。

何かあると
「お父さん、助けて」と泣きつき
父が全て後の処理をして解決してきた。
具合が悪くなっても、まずは父に頼り
父から弟へ相談という動きだった。

父が具合悪くなると
母が頑張って支えていた。

最近は、父もおかしくなって
母は弟に直接電話をかけて、SOSを伝えていた。

昔の父に戻ってほしくて
余計に歯がゆいのだろう。
それが恨みの言葉になっている。

ここで、1人ぼっちのまま、この世を去るのは嫌だ
という恐怖と戦っている母。

昔のように「お父さん、助けて」と言いたいのだと思う。

その父が、そっけなく、何もしてくれない様に見えるのだ。

私の場合は、夫にそんな感情は全く持った事も無いし
夫に頼るなんてありえない。

母が、「昨日は、お父さんにもっと話しておけば良かった。
(栄養点滴を指さして)これが私のご飯よ。私はこんな事になってしまったの。
こんな自分を誰にも見られたくない。誰にも言わないでねと、念を押せば良かった」
と、泣きながら話していた。

食べることができない=もうだめだ
という恐怖、ショックが次第に母を弱らせている。

1人で、毎日泣いていることだろう。








弟からの連絡。

予定より早く検査が終わり
弟が医師に呼び出された。

今回は、母は一緒ではなく
まずは医師と弟だけの面談。

弟の報告の内容はこうだった。
結果は、予想通りというか、もっと悪かった。

かなり強い抗がん剤を使ったが
進行を抑える事はできなかった。
もういつどうなるか、わからない状況。

緩和ケア病棟のある病院に移ることになった。
母が以前入院したことのある病院を希望していたが
満室で、別の病院に申し込む事になった。

弟が面談に行き、その後入院となる。
早ければ面談の翌日、2~3日後には 移れそうだ。

移動時、家族が連れて行く事になるとの事。

弟が「その時、会えるよ。チャンスだよ。」と連絡をくれた。
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PCR検査キット、抗原検査キットを購入していたので、
それをうまく使い、
どうにか無事に帰省しようと思う。

とにかく感染は絶対させられない。

自分もしたくない。

コロナは以前より少しは落ち着いてきたものの
変異株も増えてきており、
ワクチンもまだこれから。

でも、今しかチャンスは無い。

弟が、いつものガラス越しの面会をし、
母の姿を動画に撮り、送ってくれた。

母の動きはそこまで鈍くは見えなかったが
顔色が悪く、転倒で、口の上に大きな内出血のあざが見えた。

出血なんてこんな時に…と
母の姿が痛々しく、悲しくて、
動画を見ながら泣いてしまった。






母は耳も遠くなっており、声も弱々しい。

何度も聞き直すと
「輸血をすると言われた」と言っている。

おそらく、輸血の為の同意書だろう。
説明をされたと思うが
聞こえていないし、理解もしてないまま
母は、ハイハイと頷いているのだろう。

何かわからないけど、お医者さんのする事に従えばいいと
思っているから。

父も弟も同意書については聞いていなかった。

そう言えば、数日前に
「何かの数値が下がっているとかいわれた。」と母が言ったが
何のことやらわからず、だった。

白血球が減っているのは知っているから
その他に何が?と思っていた。

輸血するほどの酷い数値だったのか。

全く家族にはわからない。


母が電話していなければ
さっぱり様子がわからない。


一旦電話を切り、
数時間後にまた電話がきた。
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電話の後に輸血はしたようだ。

一時的な効果はあるだろうが
この話を聞いて
一機に悪化してきたなあと
いつまでもつのだろうか、と不安になった。

検査が予定より早くなっている。
それも、母から聞いたこと。

検査結果次第で、どうなるかだ。
今の感じでは回復は難しそうだ。

覚悟をして緩和ケア病棟にうつることを頭に入れ、
転院の時に、病院の外で母の顔を見れないか、チャンスを待とう。
県外の人の面会お断りのままなら
緩和ケア病棟に移動しても、
このまま、お互いに顔を見れずにお別れになるかもしれない。

コロナで、昨年何もできなかった。
母も通院してはいたが
密かにじわじわと再発し始めていたのだろう。

「だるい、食欲が無くなった、と
来年まで生きている気がしない」と何度か言っていた。

弟はそれを聞き流し、相変わらず家事をいっさい手伝わずにいる。(今でも)
それに加え、暴言を吐く父に耐えていた母。

気分の落ち込みやだるさは
コロナの影響かと、本人も周りも誤魔化していた。

弟夫婦に、複雑な思いを持っていた母。

ただの胃もたれだろうと思い、
すぐに帰宅できると思って病院に行ったまま、帰れなくなった。

最後に家にいた日は、元日。
その前日まで、母は父、弟夫婦に家政婦みたいに
扱われていた。

そういう事なら、コロナが無ければ
両親と私と3人で静かに年末年始を過ごしたかった。

コロナが落ち着いたら、次の年末はそうしようなんて言っていた。

もう、できなくなりそうだ。
母は、二度と食事ができないのだ。



昨日、母から電話があり
「昨日、トイレで思いっきり倒れてしまった。」という。

話をきくと
病院側の不注意のようだ。

まだ歩けるのに、転倒が怖いからと
看護師が車椅子で移動させる様になった。

本人は、寝込みたくないから
少しでも歩こうとしているのに
車椅子にされたことで、もう私はだめなんだと落ち込んでいた。

看護師は車椅子をトイレに置くと、さっと離れるらしい。
母は抗がん剤で力が弱くなっている。

車椅子から立ち上がる時にバランスをくずし
バターンと倒れたと言う。
誰も横にいないから支える人もいなかった。

何の為の車椅子?
ただ、看護師が楽をしたかっただけ?
付き添って歩くのが面倒?

車椅子を使う人なら
足腰の弱い不安定な人だろう。
なら、立ち上がり、便座に座るまで
せめて横についているべくではないか?
介助しても良いのではないか?

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抗がん剤による副作用で、白血球数と血小板が異常に低下している母を
絶対に怪我をさせてはいけない状況だったそうだ。

だから車椅子にしたのだろうが、もしかすると命取りになる状況だった。

本当に母の為のケアをするなら
ゆっくりでも歩かせるだろう。
介助されながら歩いてトイレに行けば
そのままゆっくり、便座に座るだけだった。

この話を弟は知らなかった。
面会ができないので
密室のケアになる。

母の電話だけが頼りで、様子を病院からは教えてもらえない。
そして、転倒した事で、もう私はダメだ、何もできなくなったと
パニックになっている母。

看護師さんの態度に、この人はもうダメだと思わせる何かが
あるのかもしれない。

母は、それを敏感に感じている。

高齢者の末期に慣れているから?

でも、1人1人違うんだよ。これが最初から気になっていた事だ。

運よく、口を切っただけで大きな怪我が無かったから良かったが
口を切った事も、今の母には危険な話だ。

何のための車椅子か。と
そして、何故、家族に報告しないのか
腹が立ち、弟に病院に問い合わせて見る様に言った。

すると、父が、家に連絡がきたという。
連絡先は弟になっているのに
この件だけ、何故父に?
耳も遠く、話をよく理解していない父。

それに加えて、
母が「何か意味のわからない同意書にサインした」と言っている。

やけになっていて、
字も小さいし、説明も聞こえないし、
どうでもいいと思ってサインしたと言っている。




 


ここんとこ、急激に母の声が弱々しくなってきた。

昨日から何度か電話がきて
泣き声で「もうここにいたくない。家に帰りたい」と言う。


まるで小さい子供が「お母さんに会いたい。お家に帰りたい」
と言っている様に聞こえる。


ちょっと前まで、あんなに元気だったのに。
みるみるうちに精神状態が弱っている。

これを放置すると認知症になるんじゃないか。

元気で、回復する事を信じ、
しっかり話していたのに、あっけなくこんなに弱気になるなんて。

最初に心配していた通りになってきた。

元気でまだまだ生きていけるのに
年齢だけで判断し、
どうせ高齢だから、どうせ先がないのだからと
母にはまだ早い?合わないケアをされているのだろう。

歩けるし、寝込むのが怖いから
何とか、トイレまで歩いたり、努力していた母だが
危ないからと車椅子に乗せられたり、

まだ熟睡している朝6時半に
トイレに起こされるのも苦痛のようだ。
自分でトイレにいけるし
行きたい時にいかせてもらえない。

この事務的なルーティンが、重病で余命短い人のように扱われている様な気になるらしい。

確かに重病で、もう回復の見込みは無いと言われたが
無理やり、そうなる様に仕向けている気もしてくる。

母自身は、身体に不調を感じていないし
頭もしっかりしている。
リンパ腫以外に持病は無い。

先が無いなんてとても感じられない。

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「高齢だから」と何かにつけて看護師さんから
言われるらしい。
「高齢だから仕方ない、もう終わりだ」と
周りが自分を見放している、
自分だけが何も知らされていない。

などと不安が強くなっている。

面会もなく2か月近く
食事もせず、点滴だけの生活。

牢獄に入っている様なものだろう。
誰だっておかしくなってくる。

携帯電話で話せることが救いだ。

これが、電話もできなかったらと思うと怖くなる。

色々話を聞いて、受け止めて
あと少しの辛抱だと、
転院すればいいとそこは今よりずっと居心地がいいはずと
いつも同じ事を繰り返すしかない。

自分が、いつかこんな風になった時
母の気持ちが良くわかるだろうか、
今の自分の対応で良いのだろうか、
もし、我が子に自分と同じ対応をされた時、

あの時、もっとこう言えば良かった
こんなに辛いものか、母はどう思ったのかなと後悔するだろうか。


色々考えてしまう。


コロナが大きな悪影響を与えている。

面会が出来ない事、
いつでも帰省できない事。
家に居た時から、コロナで制限され
高齢者の認知症や体力の衰えが心配されていた。

自分も活動量が減り、良くないと思っている。

ましてや、だ。

もう少ししたら、検査キットを使って
空いてる車両を選んで、新幹線で帰省しよう。








私が母に頼まれて、R子さんに手紙をだしたのは数日前。

いつもなら、すぐにまた返事をくれるほどの手紙好き。


さて、返事が来るかな?
うちの電話番号は知らないだろうから
電話は来ないだろう。

ほとんど会った事も無い関係だし
私とは手紙だけの付き合い。

口止めしたのに、すぐ言いふらしていた訳だから
私の手紙についても
詮索して誰かに話す事だろう。
R子さんは、自分からは何も聞けなくなった。
だから、誰かを使って聞きだそうとするかもしれない。
いや、するはず。

弟にそう話して置いた。

すると、予想通りのことが。
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遠くにいる叔父から、弟へメールがきた。
それこそ、全く付き合いのない、電話も手紙もやりとりしない相手。

母の事を聞いて来た。

うんざりする私と弟。
しつこい。ストーカーみたいだ。

私の手紙が、私が勝手に書いた嘘だとでも思ったのか。

内容を確かめだようだ。

弟は、私の手紙の内容を知っていたので、
同じ事をさらりと返信したらしい。

次は、誰を使ってくるかな?
と弟と笑うしかなかった。






母に頼まれてR子さんに手紙を書いた。

むこうは、親切のつもりで手紙をくれたのだろうからと
思う事にして
失礼の無いように言葉を選んで
母の意志である、病状については誰にも教えない、ということを頭に入れ、

今は元気で何も苦しくない。
あなた以外の人には入院の事は話していない。
誰にも言わないでほしい。
退院したらこちらから電話をするからそれまでそっとしていてほしい。

みたいな内容の手紙を書いた。
電話で母に読んで聞かせ、了解を得てから投函した。

すでにR子さんは、親族に言いふらしているし
母が怒っているなんて予想もしていないことだろう。

投函したその日に、
R子さんから、母にまた手紙が届いたと言う、入れ違いだ。
しつこさが怖い。

「元気だから安心して」という返答が気に入らないのか。
「重病で、先が無い」と言わせたくて仕方がない様だ。

何か隠しているんだろう、全て話せ、心配してあげているんだ。
みたいな本心が読み取れる。
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本当に迷惑だ。

一番怒っているのは母だ、

「R子とはもう縁を切る、手紙がきても持って来ないで、
読まずに捨てて、電話もいっさい無視して」と言う。

私もこんな人だったのか、とがっかりした。
R子さんも、結構重い病気をして
最近完治したばかりだという。
それも、誰にも言わず、隠していて
完治してから色んな人に病気だったと連絡している。


自分も、誰にも知られたくないと思っていたなら
母の気持ちや自分のしている事が理解できそうなものだ。

私が手紙を出したあと、まだ返信は来ない。

さて、どうでるか。だいたい予想はついている。




 


トラブル?が起きてしまった。
先日手紙をくれたR子さんのこと。 



いつもまめに手紙をくれると、両親は喜んでいた。

が、母の入院をきっかけに、
R子さんがどういう目的で手紙を書いてくるのか、
どういう人だったのかを知る事になった。

母は「今は誰にも入院を知られたくない。
誰にも知らせないで」と私たちにも口止めしている。

近所の友人1人とR子さんだけに
母は自分で電話を入れて、
「あなただけには話して置くから他の人には言わないで。
退院してから自分で連絡するつもりだから」と話している。

R子さんを信用していたのだが
すぐに他の親族から実家に電話が入り、
たまたまいた弟がでた。
「R子さんから聞いた。病気は何だ、どうなのか」と質問され、
弟は、大丈夫とだけ言い、適当に答えた様だ。

曖昧に答えたからか、その後、R子さんは私、父、母、弟に
手紙を送って来た。
母の具合をしつこく聞いてくる。
弟に電話もかけてきて「本当の事を教えて」と言うが
弟は適当に答える。

私も弟も、何も母の病状については深刻だとは話していない。
「検査中、治療中、元気で歩き周っている」と
そのまま伝えた。
いちいち人に病気の事を伝える理由は無いし、
何より、母が言わないでと希望している。
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R子さんが言い触らした親族の人から
母に長い手紙がきた。
母は、R子さんに裏切られたと知り、しかも

「もう先が無い、重病で苦しみ辛い状況であるに違いない」と
R子さんが想像した噂を流した事も知ってしまった。

そのショックで、母は鬱っぽくなり、
「信用して話したのに。あなたにだけ言う。
誰にも言わないでとくぎをさしたのに。
R子さんと親族の反応のせいで病気が悪化する気がする
夜も眠れない。胃が痛い」と言い出した。

R子さんから様子を探る様な手紙が再び母に届き、
母はそれを弟に渡し、捨ててと言い、
もう手紙は来ても見ないで捨てると言っている。

家族の我々が、毎日母に神経を使って
少しでも明るく生きていける様に接しているのに
何も知らないR子や親族が
母本人に直接、深刻な状況だろう、苦しんでいるだろう、と
言ってくるという無神経さは、許せない。

怒りで眠れないという母から
代わりにR子さんに手紙を書いてほしいと頼まれた。




何もすることの無い母は
毎日弟と私に電話をしてきて気晴らしをしている。

母の言葉にいらつく事も多いが
これが最後の会話になるかも?と思うと
ぐっと我慢。

抗がん剤の副作用なのだろうか
鬱っぽくなったり、不眠になったり
その時は、もうだめだ、このまま終わりだとか
投げやりになっている。

が、翌日はけろっとして
つい先日、効果なしだったのに
今度は効果がでるかもしれない。
そうなったら帰宅して
デイサービスに通って、と明るく話す。

緩和ケアのことなんて
頭に無さそう。

それだけ体調が良いのだろう。
抗がん剤の副作用は、精神面にはでているが
肉体には出てこない、
前回の小腸の時も、身体的な辛さは無かったと言っていた。
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今回、脱毛が早い。
せっかく生えてきて喜んでいたのに
ごっそり抜けた髪をガムテープで掃除している話をきくと
辛くなってくる。

本人は治るかも、帰宅できるかもと希望を持っている。

鬱の時は、弱音を吐くが
そうで無い時は、まるで自宅にいた時の母の声とかわらない。

暗い話より、明るい方が良い。

次も結果が悪くでた場合
全く苦しんでいないのに、再び余命宣告されるのか?

再発がわかった時、
あと2週間もつかなどと言われた。
もう1カ月以上が過ぎた。
体重は減ったが、母は悪化している感じは無い。
母の声や体調の良さを聞くと
再び誤診じゃないかと思ってしまう。
でも、そうではないのだ。


最初に医師の言うまま、諦めて治療をせずに緩和ケアを選んでいたら
腫瘍が大きくなり、寿命が縮まっていたかも?

これまで、本人の強い希望で治療をして2か月、
腫瘍はそのままだが、悪化はしていない。

これで良かったと思う。

高齢者でも、個人差がある。
一辺倒に、もうダメ、どうせ高齢だからというような
投げやりな医療はダメだと思う。


弟から連絡があり
医師から、抗がん剤治療の結果とこれからの事について
説明があったとのこと。

母も同じ部屋に入ってきて、
一緒に説明をきく事になっていた事に驚いたらしい。
コロナもあり、面会もなかなか許されず、
会うにしてもガラス越しで会話もできなかった。

狭い部屋に一緒に居られるなら
あれは何だったんだろう。
もし、弟がコロナを持ち込んだら
医師も母も危険じゃないか。
院内感染の恐怖があるのに、
何だか抜けてるなあと思ったが、
母も弟も会えたのは嬉しかっただろう。

一緒に説明をするということは
本人に全てを告知するのが前提ということだ。

弟は、絶望的な事を言われた時、
自分から母に緩和ケアに移る事を話すのが負担だったようで
直接医師から話してもらえることに
ほっとしたらしい。

緩和ケア病棟に移るには
本人、家族が全てを納得しておかないと入れない。

今の母に「もう手のつけようがない。
治療はせず、緩和ケア病棟で最期を待とう」
とは、言えない。

なので、話す時は、同じ内容でも
言葉を選んで話してほしいと
弟には言っておいた。

1月の治療の成果は認められず、
進行を抑えた程度だという。
母がまだ、不調を訴えず、抗がん剤による気分の悪さも
全く感じないこと、治したいという気力があることを見て、
医師がもう一度、抗がん剤治療をすると
決めてくれた。

 次回の投薬でも腫瘍に変化がなかったら
その時は、抗がん剤を止め、
緩和ケア病棟に移りましょうという事になった。

話の中心が治療についてだったので
緩和ケアについては詳しく説明は無かったそうだ。
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ただ、どの病院に移るかについては
以前入院したことがあり、街中の便利な場所、
母の気に入っている病院だったので
そこに転院するならいいな、と気に入っていた。

そう言った話は、私が何度も母に話していたので
思い出し、素直に受け入れた様だ。

ただ、母は、転院すると
今より自由になり、自宅にも帰れて
元気に過ごせるというイメージを持っている様だ。

そうなるかもしれないし、
そういう奇跡が起きてほしいが
二度と食事ができず、やせ細ってきたことを思うと
そこまで、もつかどうかもわからない。

私が会えるとしたら、転院する時がチャンスかもしれないが
移動をどうするかによるだろう。

とりあえず、また1カ月の治療が続く。

栄養点滴が鎖骨あたりの血管から入れる様変更された。
今までよりは、栄養がより多く摂取されるのだろうが
それでも、口から食べる事に比べたら
どんどん痩せて来るし、体力も落ちて来る。

治療を今やめて
緩和ケアに移る方が良かったのでは、でも、そうすると
腫瘍が大きくなったり、転移するかもしれないし
進行を抑える意味では良かったかも。
何より、母がまだ、治ると希望を持っている。


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