りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 母の病気~悪性リンパ腫


昨日の母の電話は声に張りがあった。

十二指腸のリンパ腫なので
腫瘍が大きくなり閉塞してくると
急変もあり得ると言われている、

少しづつ、異常を訴え始めた。
痛くなるのがいつも夜。

2時間ごとにお腹の張りと痛みで
目が覚めるらしい。
トイレに言っても苦しいだけで気分も悪くなるらしい。

毎回、こんな思いをして死を待つだけなら
いっそ今、命を絶ってしまいたい。

そう思うとのこと。


未来があって、いつか回復するという希望があれば
苦しさも耐える気力はでるだろう。

もうどうしようもないことを知っている人間に
これからいつまで続くかわからない苦しみを
息が絶えるまで味わっていくという拷問のようなことを
見ていく家族にとっても辛いものはない。


本人の辛さは、どんなにか。


いっそ、認知症になって
何もわからなくなってくれた方が本人の為じゃないかと
思ってしまう。

 今朝の電話は「昨日は調子良かったけどしんどい。
夜、痛みで眠れないのがきつい。強い睡眠薬を貰って飲んだのに。」
と、声が枯れていた。
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聞いていると、十二指腸の腫瘍の閉塞が悪さしているなと
わかる。
お腹と胃が苦しくて、気分が悪くなると言う。
これから強い痛み止め、薬物を使われることだろう。

だんだん、意識朦朧としてくるのかな。
母が、苦しみから解放されるならそれでいい。

再発してすぐに、腫瘍を切り取った方が良かったんじゃないかと
思ってしまう。

高齢だし、薬でという医師の判断だったが
切りとった方が
食事もできて、こういう苦しさも無かったのではないかと
今更思ってしまう。

手術による危険性もあったのだろうが
母なら乗り越えたかも、なんて
もうどうしようもないのに、悔いてしまう。

「あなたたちと充分話せたからもう悔いはないよ」と言う母。

最近は、私によく電話してくる。
いつまでも、永遠と話したいのだろう。
私がきろうとしても、なかなか話をやめない。
弟とは違って
母とは、何十年間も電話で話してきた。

うんざりして、拒否した時もあったが
まさか、こうなるまで、
電話で話せると思っていなかったし
母の声を聞けることが
こんなに安心するなんて想像もしていなかった。

今日は、ゆっくり話そうと思っていたが
電話をする力もなかったと言っていた。

電話がこなくなると心配になる。

県外の人間の出入り禁止もあと少し。
来週には、面会できるかもしれない。

頑張ってと本人にはとても言えないが
心の中では、もう少し頑張ってと祈っている。

孤独だろう。夜、病室に泊まれるなら、そばにいてあげたい。






 前の病院にあのままいたら
母の寿命を縮められそうな気がしていた。
最初から違和感を感じていた。

一生懸命治療をして頂いたが
母をひとくくりに高齢者として
どこか見放すような雰囲気を感じた。

2度目の抗がん剤治療が始まると
母の精神状態がどんどん悪くなっていた。

自分で決めた治療だったので我慢してはいたが
泣きながら「家に帰りたい、ここにいたくない」
と訴える電話が続いた。
声も次第に弱々しくなり
呂律も回らなくなっていった。

携帯電話の扱いもわからなくなって
電話がうまくかけられないと言い出した。
看護師さんに頼む事が増えた。

その時も弟はそっけなく
ちゃんとボタンを押すように言うだけで
母を責めるような言い方をしていた。

あの時に比べて
今は嘘みたいに元気な頃の母の声になった。
転院したその日に
栄養点滴など、薬の量が多すぎる事に今の医師が驚いたそうだ。

直ぐに量を減らしてくれ、
それから母の声や話し方がみるみる良くなってきたのだ。
悪いものが抜けた感じだ。

本人は全く自覚が無い。

抗がん剤か他の点滴のせいかわからないが
今思えば、悪い薬物が脳に回り
ぼーっとした様な状況だったと思う。

私の嫌な予感=薬と事務的な扱いで、母が壊される。
は、外れてはいなかったんだなとぞっとした。
おまけに転倒をさせ、怪我をさせた。
看護師は医師に報告しておらず
何の対応もしていなかった。

たまたま2日後の医師との面談で
顔の内出血の痣をみた医師が驚き、初めて知ったという。

その後、病院は今度は母を動かさなくなった。

転倒されたら困るからという自分たちを守る事が優先で
母の運動機能の衰えを防ぐ努力はしなくなり
寝たきりにさせ、母はどんどん動けなくなって
もう私はダメだとどんどん追い込まれていた。

緩和ケア病棟に転院予定があったので
「あと少しの辛抱よ」と慰めることができたが、
そのままあの病院に居たらと思うと
ぞっとする。

私以外の誰もが、前の医師や看護師さんには感謝し
良くやって頂いたと思っている。
高齢者にも色々あって
人に応じた治療や対応が、まだまだ遅れているという事だろうか。
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ここまで書いたところで、母から電話。

昨夜、胸の痛みとお腹の張りが苦しくて
痛み止めを貰ったそうだ。

緩和ケアの看護師さんらしく
とても優しく、安心させてくださり
母も落ち着いている。


「こうやって、終わっていくんだね」
としっかりした声で言う母。

抗がん剤治療中の時と
出る言葉は同じでも、今は全く違う。
以前は、とても悔しそうで納得がいかないという感じだった。

今は、もう悔いはない、これでいいと本人が納得している感じだ。
それでも、「昨夜はこんな思いを毎日過ごしていくなら
さっさと楽になりたいと思った」と言う。

母の身体だけが知る母の寿命。
最初のサインがでたのだな。

痛み止めが効きますように。

苦しまず、安らかな日々を過ごせます様に。

そして祖母(母の母)が夢に頻繁に出てくるそうだ。

育った家ではなく、祖母が若い頃の姿だけが。

人は母親から生まれ、最期は母親の胎内にまた戻ろうとするのだな。

弟が母に面会した後「だんだん、子どもに戻っていく感じがする」と言っていたが
そういう事なんだろうな。


母の事ばかり考える日々。

たまには違う事も考えたいが
医師に言われた「いつ急変するかわからない」という言葉。

腫瘍が原因というより、脳出血や血管破裂、心筋梗塞、内臓破裂などの
予期せぬトラブルで、急変することはあっても
今の病気が原因による急変は想像ができない。

母の内臓、血管は年齢の割に丈夫だった。
長年異常なしで、持病も無かった。

血液の癌になっていなければ
いつまでも元気で長生きをし、
老衰で亡くなるというパターンだったと思う。

本人もそうなると信じていた。
祖母(母の母)がそうだったので。

まさかの病気だったのだ。

腫瘍は抗がん剤が効かず、縮小しなかった。
これから大きくなり、リンパ腫なのであちこちに広がり
母の身体を蝕んでいく事だろう。

お腹の調子がどんどん悪くなり
何だかの苦しさが出て来ると思う。
緩和ケアは、苦しさを和らげる処置をし
安らかに最期を迎えさせてくれる。

薬の量が増え、意識が朦朧とする日が続き
それから、意外に頑張るのではないかと思う。

そして、眠る様に、と言う事を私は予想している。

抗がん剤が抜けて来たら、
嘘の様に元気になって来たのを見て
いかに怖い薬かを知った。
脳の機能までおかしくなっていた。

 弟は、母の様子を良く観察したり、
自分なりの思いや予想、分析をしない。
医師に言われた言葉にとらわれすぎている。

いったい、これまで何度同じ事を言われてきた?
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最初は2年前、初めて病気がわかった時も
余命わずかと言われていたぞ。

2か月前、今回の再発がわかった時も
あと2週間もたないかも、抗がん剤治療も意味がないかもと
言われて落ち込んでいたぞ。
私は、母の声を聞いて
母の様子をみて、母の身体を信じると弟に言った。
医師の言葉が全てじゃないと。
まだしっかりしているぞ。

医師は、最初は最悪の最悪の場合を言っておくものだ。

最初に最悪の事を言っておけば、
少しでも長く生きれば
医師のお陰となるし、
急変しても、医師の予測が当たったとなる。
家族に心の準備をさせる為にも
そう言う言い方をする必要があるのだろう。

現実に、本人がまだいけそうだと言っている。

転院になった時の母の状態は最悪だった。
私ももうだめかなと一瞬感じた。

それは、抗がん剤と栄養点滴の量が異常に多かったせいだとわかった。

緩和ケアの担当医師が、適切な量に変えたところ
元気な母の声に戻ってきた。





今朝、母から着信があったが
バタバタしていて、出られず、
その後も何度かかかってきた。

弟にもかけて話をしていたようだった。

午後にやっと落ち着き、こちらから電話をした。

すると「ショックなことがあった」と言う。

看護師さんから「最期は自宅で迎えますか?どうされますか?」と聞かれたと言う。
弟に電話して相談したら、弟は「自分できめたらいい」と答えたらしく
「自分で決めろと言われても、自宅で最期をなんて、私はもうダメってことかね。」
と言うのだ。

弟は悲しい、辛いと言って顔面麻痺にまでなったが
態度はどこかずれており
母の不安を増やす様な対応をする。

この件に関しては、
「今すぐもうダメというのではなく、
高齢者だし重い病気持ちなのだし
いざと言う時にはどうしますか、と聞いているだけよ。
どこでも、そういう事はあらかじめ聞いておくものよ。」
と話したら、落ち着いていた。

そして、もしもの時は、こうしてほしいと
母は何度も希望を伝えて来た。

弟が自分の奥さんと面会するか?と聞いたらしい。

奥さんには入院して治療中だとは話しているが
どういう状況かまでは話していないから
今、説明して今のうちに会せようかと思って、とのことらしい。

例え、詳しい病状を知らなくても、
入院していることを知っているのに
いっさい顔もださず、何手伝いもする気の無い人、
それどころか、母に向かって何を言うかわからない。

また余計な事を言いそうだ。
弟はかばっているつもりなのだろうし
そういう面は気にしていない。

母は「会わない」ときっぱり、断ったという。

ホッとした。

今彼女に何か伝えれば、
また偉そうに母に言い、口だけだして
周りをいらつかせるだけだろう。
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母からお金だけはしっかり貰って
「遠慮なくこの人(弟)を使ってね」と言うだけ。

あなたの息子(弟)をお宅に貸してやっているのよ。
私が許可しているの、遠慮なく使って。
この人、本当に気が利かなくて。

と母に向かってこれまで、何度も言っている。

母は、もうあの人にストレス与えられたくないと
うんざりしていた。

その気持ちが弟に伝わっただろうか。

洗脳されているのと、似た者夫婦で母の気持ちを
理解していないかもしれない。

それで、悲しい、辛いと落ち込んでいる。

母が抗がん剤から解放され、少し体調が良くなり、
希望を持ち始めると
私は嬉しくなり、奇跡がおこるような気さえしてくる。

それを弟に話すと
「もう先が無いのに、何も知らずに可哀想に。辛い。」
と暗い事しか言わない。

母にも、無神経な言葉を吐く。
だから弟の反応で、母は不安になり私に聞いてくるというパターンが続く。

弟に注意した。
「勝手に母の寿命を決めないで。どうしてもうすぐいなくなると
決めてるの。本人が生きようとしているのに。
何も知らずに可哀想にだなんて、一番本人が嫌がる事よ。
自分に置き換えて考えてみて。
母の前で、暗い顔しないでよ。伝わるのよ。
母が希望を持てるほどの体調なんだから喜ぶところでしょ。
何故、そうやって悲しむのよ。まるでいなくなるのを待っているみたい」

こういうタイプの人っているいる。

悲劇のヒロイン、ヒーローになる人。

自分の為に悲しむ。相手の為でなく。

でも、性質だし、おじさんだし変わらない。

私だけでは、コロナもあり、県外だし、限界があるので
弟がいたのは助かるのだが。

最後の最後まで、母は同じストレスを抱えたまま
過ごさないといけない様だ。


 


母から頻繁に電話がくる。

私が父と一緒にいるからだ。
私のそばに父がいると思うだけで
様子を聞くだけで、安心するのだろう。
相変わらず、父の愚痴を言っているが
それはもっと仲良くしたいという気持ちの表れ。

「ご飯は何食べたの?」
「どんな話をしているの?」
と聞いてくる。本来そこに一緒に自分もいるはずなのにと
本当に悔しそうだ。

昨年コロナもあって、実家に帰っていない1年の間、
実は病気が少しづつ進行していて
母は体調不良を訴えていた。

定期的な検査では異常なしだったせいか
誰も家事を助けない。
父も、弟夫婦も。
母が家では冷たくされていたのが今よくわかる。

台所にいると、母が何とか自分で家事をやろうとして
うまくできなかったんだなというのがわかる。

弟は顔面麻痺になるほど
母との別れがつらいなら
もっと大事にしたらよかったじゃないかと思う。

花に水をかけるだけでもいい。
母が大事にしていた花は全て枯れていた。

先日一時帰宅した時、荒れ果てた庭をみて
母はがっかりしていた。

母が大事にしていたから、せめて水やりだけでも
という気持ちは無かったのか。
帰宅した時、がっかりすると思わなかった?
それとも、もう帰ってこないからいいやとでも?

花が枯れた事より、誰も思いやってくれないという現実を
つきつけられた事が母は失望したのだ。
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私以外、全員何かずれている。

母は、「まさかここまでと思っていなかった。最期まで失望だわ」
と弱い声で話す。

夜眠れなくなったようで
色々悪く考え込んでしまい、
昨日の朝には、弟に電話をかけて
泣きながら色々訴えたらしい。

その後、私に電話で自分の様子を話してきた。

暫く話しているうちに
母の声がしっかりしてきて明るくなってきた。

まるで入院する前の元気な母と話しているようだった。

母にそう言うと
自覚は無く、体調は何も変わってないと言う。

先日まで、別人のように
細い弱い声で、ろれつも回らず
急に衰えを感じた。

その声と同一人物とは思えない。

昨日から、点滴の量が減ったという。
前の病院の量は多すぎると言い、今度の医師が減らした様だ。
そう言う事もあるのだろうか。
負担がかかり過ぎて、
だるさが強かったという事もあったかも。

少しでも、母にとって良いことであれば嬉しい。

夜眠れないのは精神的にかなり負担になる。
誘眠剤を貰っているはずだが
それも減らされたせいなのか。

毎日面会ができるなら
母も気分が晴れるのだろうが
コロナ禍の間、入院している方は皆こんな感じだろう。

食事ができないことが
一番辛いはず。

楽しみが何もない、一日が長く
回復する見込みもなく
何を目標に過ごせばいいのか
先がわからないというのはどんなにか辛い事だろう。



弟には、長く元気でいてもらわないと困るのだが
母がこうなってから、かなりやつれている。
1年以上会っていなかったが
びっくりするほど老けていた。

顔がやつれたなあと思ったら、少し歪んでいる。
まさかの顔面麻痺。
ストレスが原因であろうことは間違いない。

マスク生活なので、目立たないのが幸い。
両親は気が付いていない。

もし、気が付いたら心配させてしまう。

弟は以前も鬱病で入院したことがあった。
原因は家庭にあると思う。
こういう時に、奥さんがあの人でなければ。と思ってしまう。
でも、弟は全くそんな風には思っていない様に見せている。
だからこっちも何も言えない。
奥さんは、今もいっさい、実家にも顔も出さない、全て弟が1人でやっている。

母の病気の事が決定的なのだろうが
父の頑固さにイラつくこともあり、
それを一緒に支えてくれる家庭であれば
少しは違っただろう。
奥さんの事は、弟は見て見ぬふりで逃げている。
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母が言うには、何もしない奥さんに
母から貰った小遣いをあげたりしているという。
は?逆では?
と呆れてしまうが、受け取るのも驚く。
弟は、奥さんの顔色を伺っているのだろう。

気が付かないうちにストレスが蓄積されて
心が休まる場所が無いのかもしれない。

早く治ると良いが。
私が、近所に住んでいないので
弟に倒れられたら困る。
これから治療に入る様だが
両親にばれないよう、通院しながら母の事も心配するのは
大変だろう。
あの奥さんが弟の看病をするイメージも浮かばない。

結婚の相手によって、寿命も短くなるかもしれない。
甘やかされ自立しない1人娘の事も心配の種だろう。
それこそ、この娘も幼児的万能感の持ち主だと思う。

自業自得なのだが、弟のストレスはあれこれ多い。
本来、弟の心配は奥さんの仕事だ。
私がする事では無い。

私も、不安な事が増えてきて
こうなったら、しばらくは実家に生活の拠点を移した方がいいのかなと
思い始めた。

そうなると、コロナが落ち着いた後、
私のいない間に、こっそり自宅に帰宅した夫に何かされそうで、
それも心配になる。
次々と悩みはつきない。




母は、新しい病室に移り
自由に動けず、個室で時間を過ごすだけ。
このままでは認知症になり、益々足腰も弱くなる。

本人がその恐怖を持っており
身体も思いのまま動かせないので
リハビリをもっと増やしてほしい様だ。


まだ、入院したてなので
これからプランを作ってもらい、
散歩などしてもらえることと思う。

「自宅にもたまには帰宅してもいいし
口の中に少し、ゼリーの様なものを入れることも
楽しみとしてやってあげます」と弟は病院から聞いている。

それは、あくまでも「もう治る見込みがない」事が前提だが。

どうせ先がないのなら
せめて本人の喜ぶことを、という配慮だ。

それが緩和ケア。

母が、不安になり電話をしてくると
「また家に帰ってもいいらしいよ」
「何か口に入れることもできるかも」
と話すと、一気に声が明るくなる。
母にすれば、回復の見込みがまだ自分に残っていると思うのだろう。

先日自宅に少し立ち寄った時、
介助はあったが、自分でトイレまで歩けたりしたので
自信がつき、またああやって家で過ごせるならと
期待が出来た様だ。

そういう目標があるだけで少しは気持ちを明るく持てればいいが。

段々、子どもに戻っていく母。

父の事をいつも思っている事が言葉の端々に感じとれる。

何かにつけ、父の様子を聞いてくる。
「話をしたいけど何も話題がないし、そっけなくされるし」
と言いながら、私が電話を父に渡し、
母と会話させると、母が喜んでいるのがわかる。

父も、これまで1人で過ごしていたので
私が一緒にいることで、
色々話しかけて来る。
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母に対して、最近吐いた暴言やDV的な事は許せないが
父も母と同様、自分の若い時の事を良く思い出すようで
母とのなれそめや、結婚までのことを
まるで恋愛中の若い人みたいに嬉しそうに話す。

母がこうなって、お互い自分の人生を振り返り
2人共、夫婦の思い出を辿り始めているのだなあ。

羨ましいなあ、私にはありえないことだ。

アレクサを持参し、父の為に昭和の古い演歌を流している。

とても喜び、こんな凄い便利な物が世の中にあるなんて
知らなかった。と感動していた。

それにしても、実家にいても空しい。
ここに母がいない事、母の世話を何もできないどころか
病院にすら入れない事がもどかしい。

病院で1人、寂しく、死の恐怖と戦っている母。
きっと家で前のように過ごしたい、
今も「私の作ったご飯を3人で一緒に食べたい」と思っている事だろう。
最初の手術後は、回復し、
帰宅し、元の生活に戻れた。
あの時も、私が退院後、母に食事を作って
3人で食べた。今度もあんな風になれると母は思っていた。

料理をしていると、あの時を思い出し、
(もう母は食べられない身体になり、
家にも帰れないんだ。2度と母に私の料理を食べさせられないんだ)
という現実が襲い、胸が苦しくなる。


昨年のコロナの1年間が全ての人の色んな事を狂わせた事だろう。
コロナが無ければ、
母のSOSを聞いたら、助けられたはずだ。
本当は、再発していて
具合悪かったはずだ。
1人、黙って耐えて家事をやっていた。
できなくなっても、弟夫婦も父もろくに協力せず
母のストレスが病気を悪化させたんじゃないかと想像すると
コロナが憎くなる。

去年は、私ともあまり電話をしなくなり
1人であれこれ我慢していたと母から聞いた。

病院で泣きながら話す母の気持ちは痛いほどわかる。

最近は、親としての強い言い方もしなくなり、子どもみたいになった。

もう、私が嫌いだった母はいない。

今の私の心境は、我が子を病院に1人置いている親の立場に近いかもしれない。

 




弟のやつれはストレスが原因だろう。

表面的には強く見えるが、実はとても弱い。
私よりずっと母をあてにしてきたし、
病気になってから、ずっと通院、買い物に付き添って来た。

病院での対応も全てやってきて、
医師から母の余命宣告なども一人で聞き、
ショックで眠れない日もあっただろう。

今弟が倒れて入院にでもなれば
誰が母の洗濯物を運び、面会に行き、責任者になるのだろう。

誰もいない。父には無理だ。

弟の奥さんは全く存在感が無い。
顔も一度もださない。家にいるのだろうか。

もっと弟を支えてくれたら、弟の負担も軽くなるだろうに。


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それで、母の転院する日が急遽決まり
バタバタと退院準備をした。


私は、PCR検査も抗原検査も大丈夫とは言え
病院には入れないので
外で、母の乗った車を待った。

退院した母が、他の病院の緩和ケア病棟に入るまでに2時間あった。

両病院から、自宅に寄ってきてもいいですよと言われ、
やっと母を自宅に連れていく事ができた。

母は、数日の間に一気に衰弱していた。

顔は痩せ、顔色は悪く、手は冷たい。
3日前まで、自分で歩いていたらしいが
支えなしには立ち上がる事も、歩くこともできない。

私が、実家で母の介助をやり、手を握ったり
身体を支えたり、触れることができたことが
嬉しかった。コロナ禍出の今、奇跡的にできた。

目つき、顔付きは表情が無く、
話すときも苦しそうで、声も低く弱い。

別人に見えて、辛かった。

新しい病院は、個室で気に入った様だったという。

電話の声が明るく、少し元気になっていたので救われた。

苦しいはずなのに、苦しいともだるいとも一切言わない。
ただ「私はこんなに動けなくなった。食事ができない身体になった。
情けない。もうだめかもしれない」
と戸惑っている感じだ。

苦しみが無いだけでも良かったが
「何故、自分はこんな目にあうのか?」と
母が、毎日泣いている事を思うと、夜あまり眠れない。


こういう最期の迎え方は、
本人も家族にも残酷なものだ。

これが、高齢者ではなく
私の親友の様な若い人だったら
想像を絶する辛さだ。





昨日は、無事到着し
病院のすぐ近くのホテルにチェックイン後
すぐ歩いて母のいるであろう部屋の下の道路の向こうから電話をかけ
「外を見て!」とお願いし手を振った。

ふらついて、危ないかなと思ったが
母の手を振る姿が遠くの高いビルの窓に見えた。

手を振りながら電話で何を話したか、覚えていないが
こみあげる涙を抑えるのが大変だった。
横で我が子は泣いていた。
これが最後の別れになりませんようにと願いながら。

コロナさえなければ
こんな苦労はしないのに。こんな形でしか会えないなんて。

帰省している間、毎日母に触れてあげたい。手や足をさすってあげられたら
どんなにか良いだろう。コロナが無ければそれができたのだ。

母の孤独感は、死への不安を更に強くしているに違いない。

もう一緒にお茶もお土産のお菓子も食べられない。

一番母が悔しいのだ。
「こんな姿になった私の事は誰にも言わないで」と何度も繰り返す。

私は、転院の時にほんの少しの時間、外でこっそり会えると思うが、
県外の人間なので接触は気をつけないといけない。
病院には県外の人間は立ち入り禁止だ。

抗原検査は陰性。それでも気をつける。
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マスクを実家にいてもずっとしたまま。
父とはソーシャルデイスタンスを保つ。

我が子は帰った。車をだしてくれて助かった。

しばらくは、実家で私と父だけの生活。
父は嬉しそうで、色々話しかけてくる。
まだ、しっかりしているし、前より元気になっている位だ。

父の世話ができるのは良かったが
本来、ここにいて一緒にご飯をたべたりお茶を飲んだりしているはずの母が
もういない。
母は、2度と実家でこんな風には過ごせないんだと思ったら、
1人病院で毎日泣いている母が
寂しくて辛いだろうなと胸が苦しくなった。

実家は、母の残像がありすぎる。
本当に、すぐ帰るつもりで
ちょっと病院行ってくると軽い気持ちで行ったままなのが
家の状態に表れていた。

母のお茶碗。ベッド、服、そのままだった。
またすぐ帰宅して、元の生活に戻りそうな気がして来る。
以前も母の入院中、こうやって帰省して
父と二人で過ごした。

あの時は、母が退院して帰宅してきた。
母が帰ったら、これを話そう、こうしようと
思いながら過ごした。

今もふと、そんな事を思っている。

母が帰宅したら、と。
もう帰れないんだ。
帰っても、何もできない。
お茶もできない、会話もできなくなっているかも。

そこまでもつかどうか。
実家にいるのが苦しくなる。
父も弟も毎日そんな心境なのだったのだろうか。

「帰ってから、自分で片付けるからそのままにしといてね」
「お箸とスプーン持ってきて」
なんて、ついこの前まで元気に言っていた。

あの時、本当にそうなる気がした。

今は、声に力が無く、言葉もおぼつかずまるで別人だ。

人間はこんなにあっという間に弱っていくものなのか。

弟が異常にやつれていたのも気になった。
お願いだ。今、倒れないでくれ。



子どもが、土日を使って
車で送ってやるから帰ったら。と言ってきて
急遽、今日送ってもらうことになった。
慌てて準備をしている。

高速を往復長時間運転させるのは
心配だが、新幹線よりは感染を防げるかもしれない。

到着したら一緒にホテルに泊まり、
子は帰宅し、私は実家かホテルに泊まり続けるか。

実家でも、父とはマスクで会話し、
ソーシャルデイスタンスで過ごす。
食事も離れるか、時間をずらすつもりだ。

県外の人間と濃厚接触すると
弟も父も色々制約が出てくる可能性もあるので
なるべく接触を避ける。
2週間以上滞在すればそれ以降は大丈夫だが。
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行く前にPCR検査キットを使う。

抗原検査キットも沢山持参し、
定期的に検査する

転院する時しか母に会えるチャンスは無い。
最期まで、会えない可能性が強いのだ。

2~3日中に、転院する予定なので、今帰省するのがいい。

明日が転院だったら、我が子も外で会えたのだが無理かなあ。

着いたら、病院の窓の外から、手を振ってみよう。
 
母に電話をして、外にいるよと驚かせてみよう。
高層階にいるので、小さくて見えないかもしれないが、
孫と娘の姿が見えたら、少しは喜ぶかな。

もうすぐだ。


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