りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 母の病気~悪性リンパ腫



母を看取る前後の様子を観察していたら
癌で亡くなる前の人によく見られる現象がいくつかあった。

脳の機能の衰えによるものと言われているが
実際、自分が見て来た母の様子から、
個人的にはそれだけでは無い様な気がしてならない。

光を嫌がったり、昼夜の区別がつかなくなるのは
そうかもしれない。

でも、一つだけ今でも気になる現象がある。
それは「お迎え現象」。

数割の人が、亡くなる前にこの体験をしているらしい。

亡くなった親や親族が、目の前に表れるという現象。

幻覚だと言われているが、
だったら、亡くなった人でなくて、今生きている身近な人が
見えても良さそうなものだ。

”亡くなっている人”が見えるというのは何故?

母の場合は、夢に出て来ると言っていた。
5分うつらうつらしては、目が覚めるという日が続いた時、
「すぐに夢を見る、とても鮮明で
いつも亡き母と姉がでてくる、何故だろう」と言っていた。

それを話す母の顔がいつもきょとんとしていた。

お迎え現象だとは内心思ったが、
そんなことは言えるはずもなく、「薬の影響かな」とか、
「会いたい人に会えて、夢でも嬉しいことじゃない?」としか言えなかった。

いつもの母なら、もっと何を感じたかを口にする。
夢を面白がる。

でも、この時の母は、夢について無表情で無感情だった。

そして母は「光の玉が飛んでいるのが見えているよ」と淡々と言った。
あの時の母は、幻覚?を自然に受け入れていた。

冷静に、動揺もせず、きょとんとした表情だったことが
母らしくなく、不思議な感じがした。

魂が少しづつ、肉体から離れつつある時期だったのだろうか。
幼い純粋無垢な子どもみたいな表情に見えた。
人は、歳をとって亡くなる場合、次第に子どもに戻り、
最後は、胎児になって母のもとへ戻っていくんだなと感じた。

看取る事は、悲しく辛いことなのだが
あの空間は、厳粛で美しく、とても幸せな気持ちに包まれていた。
母の呼吸が止まる時、
神々しい光に自分も包まれた様な、あんな清らかな瞬間は体験した事が無い。

これは、母だったからなのか、父ならまた違うのか、わからない。
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結局、お迎え現象は、夢なのか幻覚なのか
断定も証明もできない。

あの世はあるのだろうか。
誰にもわからない。

父に追い返されたあの日、
しかも、お骨になってやっと母が実家に帰った日に、
私が悲しい目にあったことを母は見ていて、嘆いたと思う。
落ち込んで帰宅した私についてきてくれたと感じた。

帰宅した夜、私の寝室でラップ音が酷かった。

いつもは、全く聞こえない音がした。

母がそばにいて、私を心配しているのを感じた。

それも、私の錯覚なのだろうか?

お迎え現象は、魂が少しづつあの世に行きつつある時、
先祖がお迎えに来ているのが見えるのかも?
なんて思ったりする。
そう思う方が、納得できる。

あの世の事は誰にもわからない。

あった方が良いのか、無い方が良いのか、
自分はあった方がいいなと思う。

全て薬のせいとか、
脳にインプットされていた「あの世へ旅立つ為のプログラム」が起動したとか、
色んな見方があるだろうけど。

今、一番自分がしたいこと。
亡くなった人に、その後、どうなったのかを聞きたい。

あの後、こっちはこうだったよ。そっちはどんな?
と話をしたい。

霊感のある人を通じてではなく(信じていないから?)
自分で直接話してみたい。





母の49日供養は、コロナ禍でもあり、
父と弟だけで簡単に行った。

私は呼ばれても行けなかったし
そんな気分では無かった。

これから、お盆、1周忌と、法事がある。
母は、まさか叔父と同日に亡くなるなんて
思ってもいなかったから、自分の葬儀や法事は
地味でいいと言ってはいたが、まさかここまで
小さく、形式的にやるなんて驚いているかもしれない。
残念な事だろう。

コロナ禍でなくても、今の父なら人を呼ばなかったかもしれない。

近くの父方の親族だけでも来て貰えばよいのにとは思うが、
やはり、家族会食クラスターなどが起きているので
今は仕方が無い。
コロナが完全に収まるまでは、寂しいままだ。

私が母に面会できて、看取り、葬儀にでられたのは
タイミングが良かった。
病院で面会する為の待機期間中に、父の「帰れ老害」があったが、
無視して粘って実家に居座ったお陰で、母に会え、看取れ、葬儀にでられた。
嫁さんがいっさい顔もださないので、
実家の家事、葬儀までの準備や
片付けなど、私一人でばたばたと徹夜でやったが
父は何もせず、座っていた。
なのに、全部自分がやったと思っている。

私がいなかったら、まともに食事もせず、
母の入院中の荷物、洗濯物もそのまま放置、
汚い部屋に祭壇を置き、来客を入れたことだろう。

弟夫婦はそれを何とも思わない。
絶対手伝わない。
実家の恥、母が一番心配していたのはそういうところだ。

父は、母がいたからこれまで楽にやってこれた。
稼ぐのは自分だから、と威張っているだけの父。
母の我慢の上に自分の今があることをわかっていない。

母に、労いや感謝の言葉もかけないままだった。
いくらでも、言えるチャンスはあったのに。

母がいなくても、私が手伝わなくても
困らない、今があるのは全て自分の力であると言い、
感謝なんかしない、と言った父。
母のことも、病気で動けないのは迷惑で、用なしだと
母に怒鳴ったほど。

最低だ。父は変わった。
弟もどこか、似たところがある。
父を嫌ってる風に言ってはいるが、実はそうでもないのでは。
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母が元気で父が先だったら、
弟を心配ばかりし、息子優先で甘やかし、
どっちみち、私は母を嫌ったかもしれないなあ。

残された時間が無いと気が付いたからこそ
母は、本質が見えて、聡明になったのだから。
そうでなければ、以前のままだったかもしれない。

でも、父よりは母の方がずっと話は通じたと思う。

母が入院するまで、父はぼーっとしていたし、
家の事には関心も無く、
母がいなくなったら、何もできなくなるのではと心配していた。

だが、違った。
色んな物に執着し始めた。お金、家の物全て。家にも。
台所のお皿一枚にしても、俺の物と言った感じで
勝手に触るなと、おかしくなった。

他の面では異常行動が無いので、
その変化は病気とまでは言えない。嫌な感じに老化したということ?

もう、昔の「娘が可愛い」と言っていた笑顔の父はいない。

あの人は父ではない、別人だと思っている。

このまま、会わなくてもいい。コロナだし。

お盆が近い。1周忌もくる。
検査キットを使って、ホテルに泊まれば、また参加できるだろう。
1周忌までには、ワクチンも打ち終わっている。

母の事を考えると、参加したい。

でも、父は私をよばないかもしれない。
物忘れが激しいのに、嫌な事は、覚えており、根に持っている。
と言っても私は父に
喜ばれる事はしても、恨まれる事はしていない。
父の我儘と妄想の犠牲になっただけ。
父は元来、DV体質で男尊女卑の人だから。

同じ女性でも、妻と娘は差別し
息子の嫁は、どんな人でも
文句ひとつ言わず大事にするという徹底ぶりだ。





先日亡くなった叔母の息子にあたる従妹から電話がきた。

久し振りに話したので、
お互い言葉がかぶさり、話が行ったり来たりになり
長くなった。

電話を切った後、自分の無神経さに後悔した。

電話そのものが苦手なので、久しぶりの相手だし
不幸があった後だし、
配慮して話すべきなのに、
子どもの時から親しかった存在でもあり、
つい心を許して、自分の事ばかり話してしまった。

母と伯父(この従兄の父親) が同じ日に亡くなった。
後を追うように、先日亡くなった叔母へのお悔やみの言葉をかけるべきところが
母の事ばかり話題にしてしまった。

虫の知らせだったのか、
彼は、母が入院する前に母に会いに行っていた。

コロナで、県外からということもあり、
車から降りず、外で、少し話しただけだったそうだ。
「あの時、おばさんは、散歩から帰ってきたところで、とても元気そうだった。
まさか、あの後入院して、そのまま亡くなるなんてびっくりしたよ」
と言われたので
自分の中に溜まっていたものが一気に出てしまい、
「そうなの、今でも信じられないの」と色々あの頃の事から今日までの
自分の気持ちを吐き出した。


同じ日に彼の父親も亡くなっていたのに、その事を話す余裕が自分には全く無くて
彼に申し訳なく、後悔している。
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従兄の方が、私より年上なのに、私の体調を心配してくれた。
自分が情けなかった。

「私の方が、慰めてもらってごめんなさい」
と謝ったが、後の祭りだ。
彼は、子どもの時から、優しいとても良い人柄で
理想的な旦那様だと思う。
奥さんも親しみやすくて、弟嫁とは正反対。

お互い結婚後は疎遠だったが「これを機会に仲良くしてね。うちにも遊びにきてね」
と何度も言ってくれた。

そんな人だから、つい甘えて無神経なことしてしまった。

最後まで、自分の事ばかり話して、叔父伯母の話ができなかった。
香典のお礼を言われた方が
慰められてどうするんだ。とずっと自分を責めている。

まあ、気にしても仕方がない。

親族間で、私が体調を崩しているのではと噂になっているようだ。

電話をかけても、なかなかでなかったり、
父とゴタゴタしたことや
母との別れで、寝込んでいると誰かが言っているらしい。

それならそれでいいけれど、
私が自分の気持ちばかりを吐き出したことで
「心配していたけど、元気だね、安心したよ」と言われてしまった。

それにしても、同じ日に母と伯父、その後に伯母が一度に亡くなるなんて
ありえないよね、まさかだよねという事は気持ちを共有できた。

電話を切ったあと、母がもういないのだという実感がした。





昨日フェイスブックの話題を書いたが
書いた後、久しぶりに他の人の投稿を見てみた。

1人で楽しむのが好きなので、FB友は有名人ばかり(笑)。
お互い顔を知っている人は2人だけ。
他の知り合いには内緒。

自分の好きな情報の保管庫としてFBを利用しているので、
たまにしか更新しない自分の投稿は、
誰も興味持たないだろうし、反応もほとんどない。

なのに、いつも私の投稿を見てくださっていて
イイネをつけてくれる貴重な方がいる。

お会いした事もなく、
離れた土地で音楽関係の仕事をされている人。

男性で年齢はおそらく50代。

数年前、FBを始めた時に
この方は、高齢のお母様と二人暮らしで、
毎日、素晴らしい料理をお母様に作っておられた。

本当に料理が上手で
手抜きをしないし、仕事も熱心で、
人脈も広くファンが多い方だった。

お母様が亡くなられた後、
郊外に家を買って引っ越しをされた。

DIYも得意、庭作りも、何でも起用にこなす人だった。

引っ越し先でもすぐに仲間を作られ、
あっという間に友人を増やしておられた。

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久し振りに、どうされているかなと覗いて見た。

すると、亡くなっておられたのだ。

まだ若いのに。何故?

多くのファンの方が悲しみのコメントを寄せていた。

詳しくはわからないが、今年の2月に亡くなった様だ。

以前、軽い脳梗塞を発症されたが、
早期発見で、後遺症も何もなく
元気で通院はされていたのは知っていた。
その後、次第に体調を崩されていた様だ。

入院することもなく、
自宅で1人暮らしをしておられた様子。

昨年末、食欲が無い、食べられない、
体重が10キロ以上減ったという投稿があった。

母もそうだったが、
重大な病が身体を蝕み始めると、
食欲が無くなる、食べられなくなる、脳が食べる事を拒否し始める様だ。

母は、腫瘍が十二指腸を塞ぎ、
入院した日から、食べ物を口にすることはできなくなった。

最後は、水も通らなくなった。

食欲が消えていたとはいえ、
そういう状況になったことは辛かったと思う。

点滴ではなく、何か食べ物を身体に入れていれば内臓が動くので、
ひどい便秘とお腹の張りによる強い痛みに苦しむことは少ない。

癌末期になると、便秘に苦しむケースが多い様だ。

母は、夜になるとお腹が張り、唸るほど苦しんでいた。
全く胃腸を使わないのが原因だという。

お腹の痛みが始まってから、急に弱ったと思う。

人は、普段何気なく、食べているけれど
どれがどれだけ、大事な事か、
内臓が動くことがどんなに生きる事に必要か
当たり前の事だけど、ひしひしと感じている。

それにしても、昨年とそして今年も、
どうしてこんなに、悲しいお別れが続くのだろう。



 


断捨離しようと、以前から物を処分しているが
なかなか進まない。

物置は、自分の物は殆どなく、
子ども達の物ばかり。

自分達で、整理してと前から言っているが
なかなか進まない。

以前、何度か整理したが、
どこまでやったか、忘れてしまった。

自分のいらない物は残っていないか
早起きして、物置をチェックしてみた。

捨てるつもりだった古いビデオテープがまだ残っていた。

DVDに移して、処分したはずだったが
あれから時間が経っているので忘れていた。

その中に、祖母の米寿の祝いの動画があった。

DVDに移しながら見ていると
今の自分の年齢に近い、両親の姿、親族が大勢いる。

皆若い。そして、ほとんどの人がもういない。

宴会は盛り上がり、皆笑顔で楽しそう。

両親の楽しそうな姿を見つけた。

母は自分の親族なので、久しぶりに会えてはしゃいでいる。
皆とても幸せそうだ。
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母が笑顔で嬉しそうにしている姿を見て
いつもの悲しさは消えた。

そうだ、こんな幸せな時間もあったんだ。
やっぱり、私よりずっと母は家族に恵まれていた。
私にはこんな場所は無い。
夫婦であんな風に親族の宴会に笑顔で参加なんて
私にはありえない。

子どもたちと賑やかにすごす時だけかな。

今頃、母はあの世で、動画の中の人たちと
一緒にこうやって楽しく宴会をしている事だろう。 

亡くなる1週間前、祖母が夢に出てくると言っていた。
お迎え現象と言われているが
どうして、亡くなる前の人に、共通してそういう事がおきるのだろう。

脳の働きが弱って、幻覚が見えるなどと言われているが
そうなのだろうか。

あの世があって、お迎えにくるのではないの?
心の準備をさせる為に。と思いたい。

うつらうつらすると、すぐに祖母が鮮明に出て来ると言っていた。
夢と言ったが、実は幻覚だったのか?
それとも?
人間には、説明のできない不思議なことが起こるものだ。

さて、ビデオを処分したら、次は服の断捨離をしようかなあ。




母が一番仲良くしていた伯母が亡くなったと
弟から連絡がきた。
長い間、施設で寝たきり状態だった。
母はいつも気にかけて、お見舞いに行っていたし、
まさか、叔母より自分が先に逝くなんて、全く想像もしていなかった。
誰もが、まさかと思える結果になった。

実は、母が危篤の時に、叔母が緊急搬送されたと電話が入った。
姉妹仲良く天国に逝くのかなと思っていたら、
伯母は頑張り、なんと叔母の夫の方が、翌日に亡くなったのである。

だから、母と伯父の不幸が重なった。
親族はショックが大きかった事だろう。

これで、母方の親族が、今年前半だけで3人旅立った事になる。

今頃、あの世で皆で再会し、賑やかな事だろう。

母の事を思うと、あの世の方が楽しいに違いない。
父の顔色を伺わず、自由でのびのびと
先に逝っていた親兄弟達と、素の自分のままで
天真爛漫に過ごしている事だろう。

母の為に、あの世があってほしいと強く思う。
あの世があれば、また自分も会える。
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若い頃、伯母と母は良く一緒に外出していた。
姉のいない自分には、何人も姉がいる母が羨ましかった。

伯母と母が楽しそうに過ごしていた姿を
思い出すとほっとする。
忘れかけていた子どもの頃の記憶。

気が付くと、涙が出ている。

母の人生は幸せだったのだろうかと
つい考えてしまう。
私に比べて、母は幸せな奥さんだと思っていた。
夫に比べて、頼りがいのある父。
安心して暮せる事が、一番の幸せだと思った。

事実そうだったに違いない。
が、亡くなる前までの、父の冷酷さが
母の幸せな過去の記憶を消してしまった。

父は、施設にいたこの伯母に対しても、
非人間的な酷い事を言っていた。

私のこれまでの父の良い印象は壊れてしまった。
人生の終わりに父は、大事に築き上げた自分の人生をぶち壊した。

最後が大事なのだなとつくづく思う。


母を見送って、人生観がかわったかもしれない。

人は何のために生きているのだろうか、と考える様になった。
自分が少しでも世の中の役に立っていればよいけれど、
いずれは、時間が経てば忘れられ、自分の存在感は消えていく。

いつか消えるのなら、生まれて来る意味があるのかなと思ってしまう。

人類の為に功績を残すような人と違って、
自分がいなくなっても誰も困らない。
子ども達が悲しむのは辛いけど。

夫の害から子どもたちを守る為に
夫より先には逝けないというのが今の使命?かな。

母も、私程では無いだろうが、
似た様な気持ちを持っていたかもしれない。

父より自分が残って、父がやっている事を修正したい、
子ども達に迷惑をかけたくない。
まだ、やりたい事がある、と母は思っていたに違いない。
口では「思い残す事は無い」と言っていた。
苦しさのあまり「もういい。今すぐ楽になりたい」と言っていた。

本音は違ったと思う。

誰よりも、母本人が、自分は父より先には逝かないと信じていた。

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今でも、何故?そんなはずがないと
母がいないことが、どうしても納得できない時がある。

年齢的にも、寿命を全うしたと思うのだが、
母の悔しさが染み込んでいる。
何かの間違いでは?と思ってしまう。

「自分の人生は、何だったのか」と
母は入院中、ずっと考えて過ごしていた。
電話で色々、呟いていた。

この結婚で良かったのか。と。
「あの時、プロポーズを断っていたら~、でもそんな状況じゃなかった、
努力すれば、報われると信じていた」と話していた。

亡くなる前に、そんな事を考えるなんて。
母が病気になっても繰り返す父のモラハラが原因だった。

母は弟と私を育てた思い出が一番幸せだったと言った。
「人生の最期に、子ども2人と沢山話もできたし、悔いは無いよ。」
と泣きながら言っていた。
配偶者は憎くても、子どもと出会えた事は幸せだったと思う気持ち。
私自身がそうだから(誰でも同じだろうが)良く理解できる。

自分は、結婚を軽く考えていた。
若い時は、誰でもそうかもしれない。
体験しないとわからない。

母は、父のモラハラに苦労しても、
いつかは報われる、と信じていた。
父の態度がいつか自分への感謝にかわると信じていた。

信じた人から簡単に裏切られることがあるなんて、
結婚する時には、考えられるはずが無いから、仕方がない。

夢がないと生きる気力もわかない。
でも、人に対して、いつかは…と期待する様な我慢は止めた方がいい。

父には、残された人にかける迷惑は頭に無い。
好き勝手に動いている。
母の遺志も聞くはずもない。

弟から、「父と会うと気が滅入る」とラインがきていた。



家事をしていて、ふとした瞬間に
3年前に亡くなった伯母を思い出す。

特に、食器を洗う時に
伯母の家の台所と伯母の声を思い出すのだ。

子どもの時、流し台の中の洗っていないお茶碗や 
洗ったばかりのかごに並べた食器を見るのが好きだった。

好きだったのは、実家では無く、この伯母の家の台所だけ。

小さな古い家の、小さな流し台だった。
遊びに行くと、まず流しを見に行く。

流しに洗ってない食器があると嬉しかった。

伯母が、かちゃかちゃと食器を洗う音や流れる水の音がまた気持ち良かった。
流しの前には窓があり、いつも青空で風が気持ちよく入ってくるのだ。
夏休みには、セミの鳴き声も聞こえた。

実家には、そういう気持ちの良い場所は無かった。
母が食器を洗う音は、逆に苦痛だった。
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母の姉にあたる伯母なので、
母が連れて行き、伯母と母がお喋りしている間、
私は家の中をウロウロして、1人で遊んでいた。

その伯母は、1人暮らし。
3年前トイレで倒れ、意識不明のままドクターヘリで
私の実家近くの病院に運ばれた。
たまたま、母の足の手術後の手伝いで帰省していた私は
すぐに駆けつけ、母と一緒に伯母を看取った。

県外のひとり息子は、間に合わず、
代わりに伯母を看取れた事を母も喜び、
私も凄い偶然に、伯母に呼ばれた気がした。

脳出血だったので、
苦しむことなく、意識も無く、
眠る様に、息を引き取った。

こんな風に、伯母みたいに逝きたいと言っていた母。

そうならなくて、可哀想だった。

子どもの頃、母と伯母の家に行ったあの頃。
ついこの前の様な気がする。

そして、永遠にその世界が続く様な気がしていた。





今日は、母の49日。

ゴタゴタしていて母に申し訳ない。
ゴタゴタと言っても、父はマイペース。弟が1人でおろおろしている。 

私に言われてから、慌てて父に確認している状態。
実家に親族から直接問い合わせが無いから良いけれど
私あてに、問合せの手紙がくる。

普通なら、高齢の父親が残れば
娘、息子が助けて、一緒にやるか、決めてあげて父を楽にする。
そのつもりだったが、父が滅茶苦茶に。

父がきちんとやれるかと言えば、
自分勝手にさっさと決めて、
心の無い、誰にも教えない事務的な法事。

母の遺影に、毎日父も弟も嫁さんは手を合わせているのだろうか。
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近くに住んでいなくて良かった。
住んでいて、こんな状態だったら
我慢できなかったと思う。

それで、自宅で子ども達と一緒に、心だけの49日を行うことにした。

母は賑やかな事が好きだったので
きっと喜んでくれると思う。

実家は、昨日お寺にいって終わりだったそうで
さぞ、ぴりぴりした寂しい時間だったろう。

父も、無口、弟夫婦も無愛想だし。

反面、我が家の子供達はお喋りで、おふざけ好き。

集まると、必ず、笑いが起こり、元気になる。
最後に母がきた時の母の笑顔を思い出しながら
どうか成仏できますように。
天国に行っても、いつでも遊びに来てね、
ずっと私たちを見ていてね。と祈った。





もう父と弟には、メンタルやられそうだ。

父からは何の連絡もない。
49日はどうするのか。
弟が連絡をまめにしてくれるが曖昧。

口では、私のことを理解している、味方だ、父が悪いと
いつも言うのだが、近くにいればそうもいかないのだろう。

ちょっとした手伝いはしていると思う。

事なかれ主義の弟なので、うまくやっている様子。

おそらく内緒でお金も。

コロナだし、どっちみち私も親族も参加できないが
何も教えないのはおかしいだろう。

意地が悪い、これでも父親だろうか。
弟がやっと、直前になって教えてくれた。

勝手に2人だけでやるのだろう、嫁さんも来ないだろう。
近所に親族もいるのに、声もかけていないようだ。

父は、がっくりくるかと心配していたが、とんでもなかった。
むしろ、楽しそうだ。
母がいなくなるのを待っていたとさえ思えて来る。

普通じゃないから、娘に意地悪をするのだ。

冷酷な人には気を使い、心配している人には意地悪をする。
どういうことだろう。

これ以上傷つきたくないので、考えないことにした。

自分でも、家で49日をやろうと思う。
母は実家にはいないと思う、居心地悪くて。

我が家にいるよね。と毎日写真に話しかける。
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そんな時、弟が、無神経な電話をよこし、
私をずたずたにし、余計なお節介はやめろと怒ってやった。

例えるなら、虐めで、不登校になった子(私)に
教師(弟)が、しつこく加害者と仲良くするように不登校の子にばかり
言ってくるようなもの。
そして「加害者も、可哀想な子なんだよ。わかってあげて。
君の思い過ごしだから、学校にきて、仲直りしよう」
と説得するようなもの。

この自己満足なお節介のせいで
この子は二度と学校へはいけなくなりました。
それどころか、更に不安定になってしまった。
みたいな話だ。

何でも、弱い方に、言いやすい相手に、我慢させれば解決すると
思いこみ、自分で解決してやろうという自惚れ、
自己満足の為に、問題を悪化させる。

弟は軽率にすぐにこういう行動をとる。
2人の為と言いながら、自分の為にしている。

その辺を、指摘し、怒った。自惚れるなと。

この件で、しばらくはまた嫌な気分になりそうだ。

だいたい、そんな事より、自分の奥さんに言うべきことがあるんじゃないのと
言いたかった。
仮に言ったとしても、弟は都合の悪いことには無反応だ。
要領がいい。

母はこういう事は大嫌いだ。

きっと悲しんでいる。
49日がくる。成仏できますように。

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