お天気が良い日には、母がいつも電話で
「今日は布団カバーやマットなど
いっぱい洗濯したよ。パーッと窓を開けて、布団も干して本当に気持ちいい!」
と言っていた。
「パーッと窓を解放」するのが好きだった母。
(今の実家はその反対の状態

二階に上がって、活動的にそんな作業を亡くなる1年前までやっていた。
最後の入院後、あっという間に足が弱り、
「この前まで階段を上って、二階で布団干していたのに!悔しい」
と辛そうに話していた。
当時の母よりまだまだ若く、健康な自分なのに、
最近は、布団を干すことを面倒臭く思う。
重い物を持つのは平気!と言って、ちゃきちゃき動いていた自分はいずこへ?
実家の様に、ベランダに干せるような広い場所もなく、
狭い所に、場所を作って干すので
気分的なものもあるのかもしれないが、
それでも、今までは苦に思わなかった。
確実に筋力が落ちている。
かといってジムに行く気は全くない。
なので自分でどうにか頑張るしかない。
母は、長年膝が悪かったので、最後まで歩けるよう努力していた。
プール内で歩行したり、病院内のジムに通っていた。
肉体、精神共、衰えないよう、常に気を付けていた。
今の私は何もしていない。

父は冷たい人で、きつい作業も母にやらせて重い物も持たせて
自分は手ぶらで歩くような人間だった。
病気になっても冷たかったことを母に聞いていた。
不調で助けを求めた時も、父も弟も冷たかったと、
すぐには言わず、後になってから母は私に愚痴った。
内心「娘が近くにいてくれていたら」と思っていた事だろう。
でも、その言葉を絶対に両親は口にしない。
男尊女卑で、弟夫婦にいつも気を使っていた。
本音は「まさか息子夫婦がこんなに冷たいとは思っていなかった」だったろう。
そのお嫁さんが母の後をすぐ追うなんて。
まさかの連続で、明日は我が身みたいに思えて来る。
両親の世代は、私達が体験していない大変な苦労をした。
特に母は結婚してからも。
あんな小さな身体でどれだけ父と父の実家に尽くしただろう。
母のくしゃくしゃの小さい手を、
亡くなる直前に強く握りしめ写真に残した。
布団干し位で、だるいだの言ってる自分は
どんどん生ぬるい人間になってる。
いつかくる夫との戦い?に備えて、準備を進め、
エネルギーを溜めているつもりが、
いつになるかわからないまま、
だらけていたらダメじゃないか、自分よ。