りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:実家のこと > 母の事~悪性リンパ腫


テレビで、食べ物紹介シーンを見ると
レポートする人が上手に表現するというのもあり
よだれがでそうになる。

食欲が増してきて、つい食べ過ぎる。

やっぱり、食べるという本能は生きる為に必要だし、
大事な楽しみの一つだなと再確認する。

介護状態になっても、
食べられるうちは、食事が楽しみとなり、
生きる力となるだろう。

ある日突然、物理的に口から食べ物を入れることができなくなったら?
点滴だけの栄養でしか生きる術がなくなったら?
味もわかるし、臭いもわかる、
歯もあるし、咀嚼できる、口ものども何も異常は無いのにそうなったら?

胃と腸の途中を塞ぐ腫瘍がある為に、飲食物がひっかかり、
飲み込んでも、吐いてしまうとしたら?

腫瘍を手術で摘出すればいい、
薬で小さくすればいいと思う。

それが両方共、無理だと言われたら?

ああ、自分はもうダメなんだな、と絶望するだろう。
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食べ物を見て「美味しそう!」と思う度に、
あの時の母を思い出す。

「私のご飯はこれよ」と
不機嫌な顔で、首に繋がれた点滴を指さしていた。
一時帰宅した時に、
テーブルにあった父の湯のみや御茶菓子を指さし、
母が「もう私は何も食べられないのよ」と怒っていた。

しまったと思ったが後の祭り。

そんな時も、父と弟は何も感じていない様で、
母を無視していた。
私は、すぐに目に突かない場所に片付けたが。

やっぱり手術をした方が良かったのではとか、
母の体力なら大丈夫だったのではないかと思ってしまう。

高齢だから危険、腫瘍の場所が悪いと言う理由で
薬だけの治療になった。
入院したその日から2度と口から食事はできないと言われた。

最初は、母には言わなかった。
2週間ほどで、回復して帰宅できると信じていた母。

「そのうち食事のリハビリがあるだろうから
お箸とスプーンを持ってきて」と言われた弟。

あの頃は、毎日悲しい気持ちを抑えて
母からの電話に明るく答えていた私と弟。

食べる事さえしなければ、何の苦痛も無かった母は
自分の回復を信じていたから
私も信じることにした。

でも、こんな残酷なことってあるだろうか。
もう少し、やり方があったのではないかと
今でも、後悔する。

医師は、年齢だけで判断し、最初から匙を投げている感じがした。

母なら、手術をすれば、
あと1年、あと半年は元の生活に戻れたのではないかと思った。

半年、元気でいられたら、
違っていたと思う。

今更、何を言っても仕方ないけど。

いつ、どんな理由で
食べたい物が食べられなくなるかもしれないという不安が
頭をよぎる様になった。

病気、災害、戦争など
いつどんなことで、今の幸せが奪われるかわからない。
そんな事を考えて居ると
人は、何の為に生まれてくるのだろうとか
哲学的に思い詰めてしまうので
そこで考えるのを止めて、気分転換するようにしている。

カルト宗教にだけは騙されない(笑)


最近、子どもの頃流行った音楽を
アレクサで聴いてみると
浮かぶのは、当時の母の姿。
母が「一番幸せだった子育て中の頃」の姿だ。
痩せた小さい身体で、よく動いていた。

これまでは、自分の思い出しか浮かばなかった。
親のことなんて、思い出したくなかったかも。

母がいなくなってからは、古い曲を聴くと
当時の母の姿が浮かんできて、
懐かしさよりも悔しさが溢れてどうしようもない。

今の私の中にいる母は、嫌いだった母ではなく
同年代の友人の様な存在に変わっている。
同じ女性として、父と父の実家に女、嫁というだけで、
差別的な扱いを受けて耐えて来た人生は何だったのかと
母に問いかけている。

自分の命は残り少ない…と悟った時の母の電話の声を思い出す。
病室で孤独に涙を流しながら、色んな事を思った事だろう。

私に一番訴えていたのは、
「自分の結婚はこの人で良かったのか、
こんなはずじゃなかった。
もっと報われると信じていたから
どんな苦労も我慢してきた。
せめて、夫より長生きしたかった。」
と言う事だ。

父がもっと母を労わってさえいれば
母は、自分の人生に満足していたはずだ。

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長く連れ添った妻が、重い病気と戦いながら家事をやり、
体調の悪さを訴えた時位は
父は夫として、人間として、労わる優しさやこれまでの感謝の気持ちが
態度にでそうなものだ。
父は、自分にとって役にたたなくなった人間は不要だと
言わんばかりの冷たさ、非人間的な態度をとった。

それが、母の後悔に繋がり、病気の悪化にも繋がった気がしてならない。

母の悔しさが私自身の心にも残っていて、
自分と重ねてしまい、どうもすっきりしない。

母は、あの世でもまだ、自分の運命に納得していないのでは?
亡くなった後も、次々と母の嫌がることをしている父に対して
腹をたてているのではないか。

と、私は感じるのだが、母の本心がわからない。
天国にいってもそんなの、可哀想すぎる。

母に会って、聞いてみたい。



昨年の今頃、何していたかなと、
ブログを振り返ってみた。
すると昨年の今日、
 

母の夢を見ていた様だ。

内容を見ると、何となく覚えている様な…。
とても悲しい、母に申し訳ないことをした、みたいな
わざわざ会いに来た母に冷たくして後悔した様な、そんな夢だった気がする。

あの頃は、まさかこんなに早い別れになるとは思ってもいなかった。
それにしても、昨年のこの夢を思い出すと、涙が出る。

母を看取る時、深夜の病室で2人きりだった。
私の希望通り、母と二人きりになれた。

最期は私が看取りたいと思っていた。
母は嫌だったかもしれないけど。
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母の呼吸が弱くなるのを見て、ああもう2度と母と話せないのだと
急に別れの実感が襲った。その時、冷たくなる母の手を握って、
「ごめんね、ごめんね」と謝っていた私。
そして「○○よ。ここにいるよ。」と声をかけた。
心の深いところから勝手に湧き出て来た言葉と感情だった。

親不孝な娘と二人きりで最期の夜を過ごした母は
どんな気持ちだったのだろうか。

私は自分の希望がかなえられた事を本当に感謝している。
神様がいるなら、最高のご褒美であり、
そして母から私への最高の贈り物だった。

その後、母と親しかった親族から手紙が来て
「あなたのお母さんは、あなたを親孝行な娘だと言っていましたよ。
あの子には何の心配もしていないと。いつも褒めていましたよ。」
と慰められた。

これは、亡くなる時に私が謝ったことへの母からの返事なのか?
そして、父の冷たい言葉に落ち込んでいた私への母の気配りだった気がして
あまりにもタイミングが良くて、大泣きしたのだった。

そして、1年後の今日は、私が父に送った「母から父へのメッセージ」が届く日。



昨夜は、オリンピックの開会式があった。
私にとっては、今までで一番印象に残ったのは
やはりロンドンだな。サイコーだった。

それに比べると…。

日本で行われるオリンピックをもう2度と体験する事は無いだろう。
だからしっかり見ておきたいと、発言する人がいる。
自分はそんな風に考えた事が無かった。

テレビが、一斉に競技の放送を始める。
オリンピック一色になる。
一生懸命頑張る選手たちに罪は無い。
頑張れと応援したくなる。

そして勝ってくれると、嬉しいし感動もするだろう。
そうやって、国民はすぐに忘れる。コロナがどうなろうが
オリンピックをやって良かった、感動した、となるんだろうなあ。

で、つい、母から電話がきて
「開会式見た?」とお互い感想を言いあう気がして
あ、もういないんだと我に返る朝。

母がいなくなり、次第にその生活に慣れて来ると、
心が前よりも穏やかでいる気がしてきた。

母が元気だった頃、長い間、母親に反発する気持ちが継続していた。
娘だからという理由で、母のストレス発散に利用され、
父や弟に言えないことを娘にぶつけ、娘を使って周りを動かそうとする。
そんな身勝手さに、いつもイライラしていた。

亡くなった時、
親族から「叱られたことある?いつも優しかったでしょう」
と聞かれた。お弟はそうだねと頷いていたが
私は、母が優しかったという印象は無かった。
常に、叱られているという感覚だった。

亡くなった後に、実は優しかったんだ、としみじみ感じた。
それは、父と比較したせいもあるが、
亡くなる前の別の母を思っていたから。
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私の中に、母が二人いる。

●長年ずっと娘をコントロールしようとしてきた母親。
●同じ女性、母親として、娘を理解し、味方についてくれた人。

亡くなる前から今まで、後者の理想の母しか記憶に無かった。

時間が経ち、過去の母の姿を思い出すと、
だんだん、前者の母が思い出されてきた。
前にも書いたが、母がまだ元気だったら
弟のことを見抜けず、
いい格好して弟夫婦を甘やかし、
私をイライラさせる母のままだったと思う。

だから、これで良かったのだと思ったりもする。

昔話を話した時の母は、
この世とあの世を行ったり来たりし始めていたのかもしれない。
(私が勝手にそう思っているだけ)

あの時の話し方は、高齢の母では無かった。
独身の頃の若い母に戻っていたと思う。
話す相手は私を選んでくれたが、娘だと思っていない様な
素を出せる友人に語っている風だった。

あの時の母の魂は、幼い子どもに戻っていく途中だった。

この世とあの世を行き来しながら。
母の胎内に戻るべく、魂がどんどん逆行していく様だった。

そんな映画があったなあ。ベンジャミンバトンかな。

魂が胎児にもどり、生まれる前の世界に戻る=この世との別れ

そう言う事なんだと感じた。
だから、母が聡明で理想の人みたいになったのは
素の、結婚する前の本来の母に戻ったからかもしれない。
結婚によって、辛い事が多く、理不尽な目にあい。
我慢してきた事で、母は変わっていったのかもしれないなと思った。






両親の関係を見ていると
どうみても父は母に対して
「世間知らずの無知なお前と結婚してやったんだ。だから感謝して言いなりになれ」
という態度だった。 

そうじゃなかったのか。

「私には恋人がいたの。その人が転勤で遠くに行ってしまって、その隙に父がアタックしてきたのよ。
恋人がいることは、皆が知っていた。父の親も、職場の人も。」

えーっ。そんな事、初めて聞いた。
どうみても、母は父としか付き合った事が無い、うぶな人?と思っていた。

恋人がいる母に、父は、自分と結婚してくれと熱心に言って来て、
周りもどうなるんだろうとハラハラしていたらしい。

今と違い、戦後また貧しい時代、母も家計を助ける為に働いていたし、
電話も無いし、どこでも自由に行き来出来る様なご時世では無かったから、
恋人と遠く離れるということは、別れを覚悟した時代だったのかもしれない。
まだ若くて、結婚するには早くて、一緒について行くという選択はできなかったのだろう。

そのうち、彼氏が迎えに来るのを待っていたのだと思う。
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父が熱心に母にアタックしてきて戸惑う母に、
母の親(祖母)も、兄弟も、友人も、父と結婚する方があなたの為になると
勧めてきたという。
詳しくは知らないが、恋人よりも、父の方がおそらく結婚するには
世間体や収入面で、良く見えたのだろう。

母親(祖母)から、
「あなたにはもったいない相手。あなたにあの人の奥さんが勤まるか心配な位よ。
それほど良い相手なんだから、断る理由はない。妻として、努力して頑張るのよ。それがあなたの為よ。」
と説得されて、自分に自信の無かった母は、結婚を決めたと言った。
「母親の言いつけを守り、旦那さんの足を引っ張らない様に、我慢して努力してきた。
でも、現実は違った。どうしてこんな奴隷みたいな扱いを受けるの?」
と、結婚前に皆が言っていた話と現実は違っていたと嘆いた母。

「結婚してやった、みたいな態度で、私の人格を否定したりするけど、実は結婚してやったのは私の方よ、父も、義父も父の家族もそれを知っていた。なのに、結婚した途端、態度が変わり、私は虐められ、馬鹿にされてきた」
と悔しそうに話す。

大恋愛だったとしか聞いていなかったので、
まさかそんな事があったなんて、初めて聞いた私は、何も言えず、ただ、母の話を聞いていた。

                    続く


母が緩和ケア病棟に移動した時、
ああ、もう自分はだめなんだ。
と覚悟を決めながらも、それでも、このまま長く生きていけるかもしれない、
父の方が、突然いなくなる事もあるかもしれないなどと
希望を持とうとしたりしていた。





その頃は、まだ「生きる方が辛い」と思うような
身体の辛さを感じていなかったからだろう。

毎日、ベッドであれこれ考えてしまう日々の連続。
頭が変になりそうになると
私や弟に電話をして落ち着くという日々だった。

母が「自分の結婚が間違っていたんじゃないか」と
思ったのは、病気と戦う母に対して
父が、全く優しさを見せないどころか、出ていけと
怒鳴った事が原因だろう。

最初の手術後、退院して、抗がん剤を飲みながら病と闘っている時、
本来なら、ヘルパーさんを頼んだり、
近くにいる家族が手伝ったりするのが当然だ。
私が何を言っても、誰も動かなかった。
できるんだからやらせればいいと言う父と弟。
私が帰省している間は、母は一切動かず、
私に全て家事を任せた。

私が、家に帰った後が心配になり
弟に話すと、「自分でやるでしょ。やらせればいい」
と冷たく返された。
母には、無理せず、皆を使う様に言ったが
母も、まさかここまで冷たくされるとは思っていなかった様だ。

だるい時は、無理せず、息子さんやご主人に甘えて下さいよと
医師かからも言われていたし、弟も医師から言われていた。

「きつい、だるいと言っても、誰も助けてくれなかった」
と、母が後から私に言った。
コロナでもあり、帰って助けられない私が、
無理して帰省することを拒否していた。

ある意味、母の自業自得な面もあるし、本人もそれに気が付き、
後悔していた。
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料理をしようにも、自分は食欲がなく
台所に長く立っていられないので、
味噌汁を作れない日があったそうだ。

でも、父に文句を言われたくないから
インスタントで誤魔化していたらしい。

私が作った味噌汁を飲んで父が言った。
「あいつは、手抜きして味噌汁も作らなくなった」
と、もう手遅れ状態になっていた当時の母のことを愚痴った。

普通なら、再発がわかり、入院した時点で、
「あの時は、実はきつかったんだな。
申し訳なかったな、」
と気が付きそうなものだ。
私は「あの時はすでに再発していて、どんなにきつかったか。
味噌汁なんて作れる状態じゃなかったのよ!」
と父に言い返した。
流石に、その時の父は黙ってしまった。

弟ならそんな事は言わない。
父の機嫌が悪くなると面倒だから、
ふーん、そうだね、ですませる。

弟夫婦も父も、結局最後まで母を助けず、自分等に食事を作らせ、
片付けも全部やらせた。
お客様で座っていた。
実は、あの時の母は、もうあと2週間持たないかもと言われる状態だった。
片付け後、具合が悪くなっても
しばらくは弟も父も知らん顔していた。
最初の腸閉塞の時と同じ。

深夜、2度目の電話で、母がどうしても具合が良くならないと
弟に病院行きを頼み込んで元日に入院。そのままになってしまった。

弟は、車を出し、付き添いをしているから
誰もいないよりは、長男として
かなり心強い存在であったと思う。
が、本当の優しさが無いので、拒否されるのが怖くて母は気を使っていたのだろう。

母は、結婚生活は、
我慢の連続で、新婚当時は父の実家に虐められたり、
きつい労働をさせられたりしたという。

でも、「それが妻の務め、夫がわかってくれる。いつか報われるはず」と信じて頑張ったと言う。
「母親から、そう言われていたのよ。妻とはこうあるべきと。
でも、今思えばそれは違ったわ。尽くす価値のある相手かどうかでかわるのよ」

「我慢すれば報われるなんて嘘よ。最後まで父にとって私は、ただの家政婦。病気で家事ができないなら用無しってこと。迷惑だから早くいなくなればいいと思っている。」
と、父の事を愚痴った。
「まさか、こんな人とは思わなかった」
「最期の最期まで、こんなに冷たくされるなんて」

私は、父は内心、しまった、酷い事を言ってしまった。
と後悔していると信じていた。母にもそう言って慰めた。
昔の頑固夫だから、素直に謝れないし、メンツにこだわるのよ。
本心は、お母さんの事を心配しているし、
存在価値を嫌と言うほど味わっているよ。
と、本当にそう思って母と話した。

母も、そうだねと落ち着いた。
が、その会話の間に
「お父さんと結婚したのは、私の希望じゃなかったのよ。お父さんがあまりに熱心に言いよってきて
その熱心さに負けたのと、周りの人が皆、勧めてくれたから決めたのよ」
と聞いて驚いた。

                    続く


母との別れがきっかけで、
昭和の、日本が元気だった頃?
今とは違って、夢が一杯だった頃の音楽をアレクサで聞くようになった。

母がまだ元気で、前のままの母だったら
今も私は母にイライラして、
酷い子ども時代だったと文句ばかり言っていただろう。

今の私の中の母は、亡くなる前の母だ。

母が病気もせず、まだ元気でいたら
(そうであってほしかったと思う反面)、
あの理想の母では無かった訳で、
逆に、弟を更に甘やかし、お金をこっそり渡し、
愚痴は私に言い、弟夫婦にはいつもご機嫌伺いを続けていた事だろう。

益々、母を嫌いになっていたかもしれないし
弟の親のお金への執着もわからず、
差別を感じていたかも。

そう思うと、最後に理想の母と会えて、
ほんの一瞬でも、心が通じたから良かったのかもしれない。
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話は戻り、
古い音楽を聴くと、当時の両親の若い頃の姿を思い出す。
今の自分より若く、夫婦で子育てを頑張っている姿だ。
あの頃の母は幸せだったのだろうか。

自分の寿命を知った母は、自分の人生を振り返り、
いろんな思い出に、思いを巡らせていたのだろう。
緩和ケア病棟に転院してすぐ、私にその心境を電話で話してくれた。

人生を振り返り、母はまず
「自分の結婚はこれで良かったのだろうか」
という事を考えた様だ。

私は、自分よりずっと母の方が現実的で、
結婚相手を選ぶ目はあったと思っていた。

が、母は「この人と結婚するはずじゃなかったのに」と、
父とは、何かの間違いで結婚した様に言ったのだ。

親族から
「あなたの両親は、大恋愛で反対を押し切って結婚したのよ」
と冷やかされた事があったから、その言葉には驚いた。
その話を聞いたのは、子どもの時だったが、
母が親族に口止めをしたのか、それ以降、誰もその話をしなくなった。

何か秘密めいた、触れてはいけない事があるのかなと
子ども心に気を使い、親に聞く事は無かった。

                続く


 


最近思い出した事。
どうでも良いと言えばどうでも良い事。
あまり深刻にならないように、
そうだといいな、位の気持ち。

亡くなる2週間ほど前、
母が「昨日、近所のお友達の夢を見た」
「あなた、どこに行っていたの?と夢の中で言われたわ」
と話していた。

このお友達の方とは、
今の実家に住み始めた頃からの長いお付き合い。

途中、何年か転勤で離れたりはしたが、
私が子どもの時からよく知っているご近所さん。

ご主人を早く亡くされ、長い間、1人暮らしをされている。
病気もされ、今も何かと不調を訴えておられる。
つい2年ほど前までは、母の方がピンピンしており、
その方を助ける事が多かった。
救急車を呼んで付き添ったり、
困ったと言われると、すぐに飛んで行っていた。

少し、ヒステリー症な人なので、
近所では、変人で有名。
母も、付き合い方には気を付けていた様だが、
長い間、その人と付き合ってこれたのは母だけだと思う。
母が、自分の人生を振り返る度、
この方に励まされた言葉を忘れないと呟いていた。
この人には、私の人生を理解してもらえていると。

だから、その人にとって、
母は唯一の頼りになる人だったが、
母にとっても、大事なお友達だった。

その母が、これまで入院しては復活してきたので、
今回も、またすぐに復活すると思っておられたと思う。

母は、入院した時、この人に電話している。
「検査入院だから大丈夫よ。また帰ったら連絡するね」
と話したと言っていた。

検査入院と嘘を言った母。
再発したという事を知り、
これから抗がん剤治療が始まるという時だった。

私たち家族には「もう手の打ちようが無い、
あとどれくらい生きられるか」と言われた時期。
母自身は苦しさも自覚症状も無く、
また、治療の効果がでて、すぐに退院できると思い込んでいた。

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その後、治療の効果が無く、もうだめかもしれないと
母が気が付き始めた頃から、
「誰とも、連絡とりたくない、
病気の事も、誰にも言わないで、元気だと言ってて」
と、家族以外には一切連絡をとらなくなった。

お友達とも、あの時が最後の電話になった。

父も、母から強く言われていた為、
近所の人から様子を聞かれても、誤魔化していた。

ご近所さんは、母がそろそろ退院する頃じゃないかと
気にして待っている様だった。
コロナ禍で、面会禁止だったのが、
誤魔化すには都合良かったとも言える。

私が「○○さんは、お母さんに会えなくて、寂しがっておられるだろうね。
早く会いたいなと待っているかも」
とご近所さんの話をしていたら、夢を見たと言って来た。

その時の母の様子が、以前(お迎え現象の話をした時)
と同じで、変だった。

「夢を見たのよ」
と言う時の、表情が変なのだ。
あれは、夢?現実?不思議な感じがする。
みたいな、普通の夢を見たという感覚では無かったと言うような。
そんな話し方をしていた。

母を看取り、病院から帰宅した時、
ちょうど、ご近所さんが立っておられた。

父が、駆け寄って、母の死を告げた。
その時、聞こえた。
「えーっ?この前、奥さんの声が聞こえたんですよ。○○さん!て、呼ばれたの。
だから、てっきり退院されたのかと思っていたんです。振り返っても誰もいないし、
お宅に行ったらお留守だったから、確かめようと思っていたところだったのよ」
と驚いた様子で、足が震えてきたわとショックで青ざめておられた。


今、思えば、母が見たこの人の夢というのは、
母が、お別れを言いに行ったのではないかと。

亡くなる前の患者さんを見ると
影が薄くなって見えるとか、
魂が身体から出掛かっている様な感じがするとか
数多くの体験から語るお医者さんもいる。

それは、当たっているかもしれないなあ。

母が「夢を見た」というのは、
あの世とこの世を行ったり来たりしていたのではないかと思えてしまう。

気にかけていたお友達に、
どうしても会いたかったのかも。

亡くなる2日前の母からの電話も
不思議な気がしたまま、まだ耳に残っている。

                      




来たるコロナワクチン接種に備えて
食料、解熱剤をチェック。

一回目は、それほど副反応は無いらしいし
自分は若くないので、おそらく大丈夫だろうとは思う。

が、やはり打つまでは不安になる。

仮に、副反応がでても、数日で完全に治まるならまあいいかと思う。

知りあいの医療従事者は、熱と倦怠感がでて、
熱は2日で下がったが、倦怠感が長かったとか。

若い人だからそうなのかもしれないが
二回目を打つ時は、怖いなあ。

かといって、緊張して迷走神経反射で倒れたらだめだし
 呼吸を整え、リラックス。

そして、接種の日まで体調管理も大事。
そっちも疲れる。
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すぐには何ともなくても
数日後に急変する人もいると聞くと
接種してから数日間は油断できない。

ワクチンをうつだけで、この恐怖。

インド株が蔓延する前に早く打ちたい気持ちと、
国内製のワクチンが接種できるまで待ちたい気持ちもあり、複雑。
結局さっさと打つことになると思う。

父の留守の時にあわせて、実家に早く行きたい。
少しでも、精神的に自由になりたい。
人に感染させない為にも。

親族の人から
「コロナでなければ、お母さんは亡くならなかったかも」
と言われた。

そうかもしれない。
コロナで無ければ、ストレスは少なく、
父から言葉の暴力を受けても、
どこかに出かけたり、私も実家に顔を出したりすれば、
母の気分が楽になり、免疫力もついたかもしれないと思う。

何より、面会で毎日会えたはずだから
精神的に随分違っていたことだろう。
不安と孤独感が母を弱らせたのは確かだ。

寿命だったのかもしれないが
今年では無かったかもしれない。

それに、もっと治療の仕方があったのではないかと
今でも思う。
最初から、打つ手は無い、どうせ高齢だしという
医師の態度が気になった。
今更だが、母自身も納得しないままだった気がして。

父は、周りの心配とは反対に
元気に1人暮らしを楽しんでいる様子。
色々、寂しかったり、失ってわかる事もあるだろうが
それを認めないのが父の性格。

ワクチンも2回打ち終わり、
全く何ともなかったそうだ。

父は、心配されるとその人を攻撃するから
もう心配はしないことにしている。

あちこちで、老害をまき散らす父は、
少し元気が無い位が安心なのだが(笑)





母を看取る前後の様子を観察していたら
癌で亡くなる前の人によく見られる現象がいくつかあった。

脳の機能の衰えによるものと言われているが
実際、自分が見て来た母の様子から、
個人的にはそれだけでは無い様な気がしてならない。

光を嫌がったり、昼夜の区別がつかなくなるのは
そうかもしれない。

でも、一つだけ今でも気になる現象がある。
それは「お迎え現象」。

数割の人が、亡くなる前にこの体験をしているらしい。

亡くなった親や親族が、目の前に表れるという現象。

幻覚だと言われているが、
だったら、亡くなった人でなくて、今生きている身近な人が
見えても良さそうなものだ。

”亡くなっている人”が見えるというのは何故?

母の場合は、夢に出て来ると言っていた。
5分うつらうつらしては、目が覚めるという日が続いた時、
「すぐに夢を見る、とても鮮明で
いつも亡き母と姉がでてくる、何故だろう」と言っていた。

それを話す母の顔がいつもきょとんとしていた。

お迎え現象だとは内心思ったが、
そんなことは言えるはずもなく、「薬の影響かな」とか、
「会いたい人に会えて、夢でも嬉しいことじゃない?」としか言えなかった。

いつもの母なら、もっと何を感じたかを口にする。
夢を面白がる。

でも、この時の母は、夢について無表情で無感情だった。

そして母は「光の玉が飛んでいるのが見えているよ」と淡々と言った。
あの時の母は、幻覚?を自然に受け入れていた。

冷静に、動揺もせず、きょとんとした表情だったことが
母らしくなく、不思議な感じがした。

魂が少しづつ、肉体から離れつつある時期だったのだろうか。
幼い純粋無垢な子どもみたいな表情に見えた。
人は、歳をとって亡くなる場合、次第に子どもに戻り、
最後は、胎児になって母のもとへ戻っていくんだなと感じた。

看取る事は、悲しく辛いことなのだが
あの空間は、厳粛で美しく、とても幸せな気持ちに包まれていた。
母の呼吸が止まる時、
神々しい光に自分も包まれた様な、あんな清らかな瞬間は体験した事が無い。

これは、母だったからなのか、父ならまた違うのか、わからない。
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結局、お迎え現象は、夢なのか幻覚なのか
断定も証明もできない。

あの世はあるのだろうか。
誰にもわからない。

父に追い返されたあの日、
しかも、お骨になってやっと母が実家に帰った日に、
私が悲しい目にあったことを母は見ていて、嘆いたと思う。
落ち込んで帰宅した私についてきてくれたと感じた。

帰宅した夜、私の寝室でラップ音が酷かった。

いつもは、全く聞こえない音がした。

母がそばにいて、私を心配しているのを感じた。

それも、私の錯覚なのだろうか?

お迎え現象は、魂が少しづつあの世に行きつつある時、
先祖がお迎えに来ているのが見えるのかも?
なんて思ったりする。
そう思う方が、納得できる。

あの世の事は誰にもわからない。

あった方が良いのか、無い方が良いのか、
自分はあった方がいいなと思う。

全て薬のせいとか、
脳にインプットされていた「あの世へ旅立つ為のプログラム」が起動したとか、
色んな見方があるだろうけど。

今、一番自分がしたいこと。
亡くなった人に、その後、どうなったのかを聞きたい。

あの後、こっちはこうだったよ。そっちはどんな?
と話をしたい。

霊感のある人を通じてではなく(信じていないから?)
自分で直接話してみたい。



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