りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 母の病気~悪性リンパ腫


まだ友人誰にも連絡取る気がしない。

電話をすれば、永遠と話し続けるだろう。 
これまでのお互いの事を。

だから連絡しない。

今は、話す気力も聞く気力も無い。

コロナ禍が始まってからずっとこんなだ。

帰省している間は、声を良く出し、
父や弟に色々話かけ、母とも電話で元気よく接していた。
とても元気で活力のあった自分。

自宅に帰って来てから
どっと疲れがでたのだろうか。

今年に入り、元日からずっと母の事が気がかりで
入院中も母と毎日電話していた3か月半。

長年、母からの長電話に参っていた時期もあったが
それが亡くなる3日前を最後にぷっつりと切れた。

思えば、結婚したばかりの頃、
子どもを産んだ時、母が更年期で鬱になった時、
よく長電話をしていた。

母の冷たさに怒り、縁をきりたくなった時もあった。

皮肉なものだ。
やっと自分の一番の理解者になってくれたと思ったら
いなくなってしまった。

過去の元気な時の母の写真を見ると
亡くなる前の母とは違う。
別人だ。
いてほしいのは、この人じゃない。
亡くなる前の母に会いたい。
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自分は、どんな終わり方をするのだろう。
独身時代はいつ終わってもいいと思っていた。

母は、人生を終わる瞬間、1人では無かった。
私がいた。手を取り声をかけた。
奇跡だったと思う。

どんなに家族が交代でついていても
たまたま、家に帰った時だったとか
席を外した時に、1人で息を引き取り、
タイミングが合わないケースが多い気がする。

産まれてくる時は、母親と一緒なのに
終わる時に1人ぽっちというのは寂しいなあ。
どうしようもないことだけど。

母を1人ぼっちで逝かせなかったという事で、私は救われた。
幸せな気持ちになれた。

まだ、母が生きている感覚がする。

親は先に逝くのだし、
長生きしたと思うし、我々が子育てが終わる年齢まで
長生きしてくれたから助かった。
子孝行な両親に感謝したい。
私も、子ども達には迷惑をかけないようにしたい。
(問題は夫)

別れの辛さは
思い出の数だけあるのだろう。

それを思うと、
夫とは、何の思い出も無いから
別れがきても何も感じない気がする。

自分の目先の自由と欲を優先し、
大きな幸せと宝物と思い出を自ら捨ててきた人。
うんと後悔してほしい。

そして私は、夫より絶対長生きしなくては。







緩和ケア病棟へ転院してから
暫くは、声に張りが出てきて
頭がしっかりしてきたし、このまま長く頑張れるのではないかと
期待も出て来た。
が、1週間過ぎたあたりから、夜になるとお腹の張りで苦しみだした。
それ以降、毎晩の様に便秘で苦しみ
痛み止めが増え、強くなっていき、母も弱音を吐く事が増えた。

転院後15日目(再発入院後68日)亡くなる9日前の3月9日、
コロナ禍で県外から来た私にやっと面会許可がおりた。

その日、部屋に入った時に感じた。

●部屋には独特の臭いがしていた。
おそらく弟は気が付いていない。
これは、ある医師の方がネットで書いておられたが
亡くなる前になると、独特の臭いがするらしい。
不快なものでは無く、薬物の臭いの様な感じがした。

以下、亡くなる2週間ほど前から母が話していたことの記憶~~~

●テレビなど、外の情報に全く興味が無くなる。
日記を書く気力も無くなる

●強いだるさがでてくる。

医師からせん妄の話を聞いた後、
●自分には、光の玉が幾つか飛んでいるのが見える。と言った。

●夜は痛みが出てきて苦しむ日が多い。

●ひどい寝汗をかく。

●昼は、寝ては置きの繰り返しで、
沢山寝たかと思うと、まだ10分しか経っていないという事の繰り返し、

●光が眩しく
、部屋を暗くしたがる。

朝の5時かと思って、夕方の5時に私に電話をしてきたことがあった。
「あら、起きていたのね」と言ったり
朝の9時を夜の9時と間違ったり、
●朝晩の区別がつかなくなる時期があった。
(しかし亡くなる前には、区別はついていた。)

●目が覚めると、ここはどこ?と思う時がある。

●ウトウトする事が増え、鮮明な夢ばかり見る。

●夢によく亡くなった母と姉がでてくる。(お迎え現象

●眼鏡も頭に巻いたスカーフも邪魔に感じ、身に着ける物が煩わしくなる


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●身の置きどころのない強いだるさは、肝臓の悪化
●むくみ腎臓の悪化によるものだった。

それが急激に進行し、一晩のたうち回り、
翌日夕方私に電話をした後に、医療用麻薬を点滴で処方された様だ。
亡くなる2日前が最期の会話になった。

その時の顔つき、黄疸などを見れば
もう諦めるしかなかったし、苦しそうな母を見ていて
早く楽にしてあげたいと
父も弟も私も見ているのが辛かった。

緩和ケア病棟とは言っても
苦しみからは逃れられなかった。
精神的な救いも無かった。
コロナ禍だったことも良くなかった。

何より可哀想だったのは、すぐに帰れると思って入院した母が
自分の病状に気が付いて行き、絶望していき、
何より孤独な目に合せた事だった。

元日に入院して、77日。
まさかこんなに早くいなくなるなんて
想像もしていなかった。

最初、医師に余命2週間と言われたことを思えば、
長く頑張ったけれど
私は奇跡を信じていた。

短い77日だったが、母の辛い気持ちを思えば、
長い77日間でもあった。

ある知り合いの方も同じ頃に
施設に入居されていたお父様が亡くなられた。

親族は皆県外に居たため
誰も、施設に入れず、看取れず、
斎場で初めて会えたらしい。

母も私も、電話で沢山話す時間があり、
心の準備が(辛かったが)できて
きちんと看取れ、別れができただけでも
このコロナ禍にあり、幸せな方だったと言えるだろう。

今日も、居間にいる母の写真に向かって
話しかけている。



混乱しており、もしかしたら
以前書いた内容と時系列にずれがあるかもしれませんが、ご了承下さい。








いつまでも、人の最期について考えて居る。
おそらく葬儀の直後に、
納得いかない、追い返され方をしたためだと思う。

病気で亡くなる人の顔色や表情、
これまで、少しは見て知っていたので
医師にあと2週間とか、いつ急変するかもわからないと
言われた時、母の様子をみていて
どこか破裂するとかしない限り
病気による余命はまだ先だと抵抗していた。

亡くなる5日前に面会した時も
まだ顔色も顔付きも大丈夫と思った。

でも、亡くなる前の独特の臭いは感じた。
身体は看護師さんがいつも清潔にして下さっていたので
不潔な臭いでは無く、独特のものとしか言えない。

会話はしっかりしていたのだが
色々、錯覚が増えていた。が、本人がそれを自覚して
「おかしいね、何で間違ったのかな」
と認めていたので、せん妄とまではいかず、
脳はしっかりしていたと思う。
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まだ大丈夫だと感じた2日後に、がらっと変化した。
急激に悪化した。
顔色も表情も、身体機能も。

その理由は医師に聞いて納得した。

つくづく、手術をしていたらどうだったかと
色々考える。
苦しませたくなかった。

でも、色々調べると
癌で亡くなる人はほとんどが似た様な経緯をたどる様だ。

今思えば、母も、電話では、だんだん頭が冴えてきて
聡明になっていた時期、
それとは相反して、身体はどんどん終わりに向かっていた。 

母のさまざまな混乱や錯覚は、
強い痛み止めの副作用かもしれないと言って
私は慰めていた。
薬が効いているということだから、仕方ないことだねと
言うしかなかった。

まさか、病気が悪化して旅立つ準備だなんて
言える訳が無いし、自分も思ってもいなかった。

                       続く


今頃になって
自分の記憶がおかしくなっていることに気が付く。

母が危篤と言われた頃から
最近まで、心がどこかに行っていた。

元日に、弟からの連絡で
母が入院したこと、その後の医師の話を聞いて
愕然としたこと。
でも、元気な母の声をきくと
とても信じられず、奇跡が起こると信じていた事。

あの頃から、ずーっと心の中に、
重い、悲しい引っかかるものがいつもあった。

今はポンとそれが無くなり、軽くなっている。

でも、まだ何かひっかかっている。

母が近くに居る気がする。

そんな事を考えて居ると
危篤と言われたあの頃から
自分の行動の時系列、記憶が曖昧になっている。

いったいいつから病室に泊まっていたのか、
あの時から自分はどこで何をしていたのか。

当時、自分がうった家族へのラインや
ブログなどを見て
ああ、そうだったのか、と思い出す。

母と二人きりで薄暗い部屋にいて
最期を自分1人が看取ったシーンが強烈で
霊的に凄く美しく、幸せに満ち溢れていた。
何だろう、母から私への最高の贈り物だったと思う。

その体験が強烈で、
その前後の記憶を上書きした様だ。

それと、父への怒りが強すぎた事も原因だろう。

実家にいた時の方がストレスの連続で
熟睡もできていなかったのに
健康そのもの、徹夜でも全く疲労を感じなかった。
気を張っていたのだろう。
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帰宅したら、毎日爆睡。
でも、体調は肩こりや頭痛や気分の悪さが襲う。

しばらくは、こんな調子だろうなあ。

荷を降ろした後の方が
危ないから気をつけないといけないみたいだ。

父がいる時に実家に帰る気にはなれない。

1人でやっていけるなら
私がいても、自分でやったらいいのに
弟も同じだが
私が帰ると
母の代理と決めつけている。
母と同じことをやるだろうと
全てを押し付けて来る。

やらせといて、最後は迷惑だの邪魔だのと言う。

もう2度と父の顔は見たくない。

49日も初盆も行かないつもり。
自分の家でやる。

母もわかってくれるだろう。
コロナ禍だしね。


 


母の葬儀の後、父のせいでバタバタと帰宅した為、
実家に忘れ物をしたり、
色々とやりかけのままの片づけが気になっている。

冷蔵庫の中には、料理予定の食材を入れたまま。
父がそれを使って料理をするはずがない。
弟夫婦もいっさい手伝わず、冷蔵庫すら開けない。

冷凍庫の物は、しばらくはそのままでも大丈夫だが
野菜やその他の食材は傷んでいるかもしれない。

他にも、洗濯しようと置いていたシーツ類や
母の衣類、父の服など
本来、母がいたら張り切ってやっていたであろう家事が
そのままで気になっている。
父が長く留守する様な時に
こっそり帰省し、やろうかと思う。
というより、父も高齢で、
そう長くは無いと思う。

いつ入院するか、倒れるかわからない。
いつか近いうちに
また実家の片づけを本格的にやる日が来るだろう。
次は、もう誰もいない実家になっているかもしれないと
覚悟をしている。
このまま喧嘩別れでもいい、仕方ない。

父が1人暮らし生活をする機会は
これまで、母が入院する度、何度かあったが、
私が世話をしたり、いずれも母が元気になり、退院して
再び家で家事をやっていた。 
だから、適当に1人生活していても
すぐに母が戻ったから父は困らなかったのだ。
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父は勘違いしていると思う。

「これからは、1人でやっていける、気楽になった。
だから娘の協力はいらない。邪魔だ。」
そう思っていることだろうし
色んな書類の手続きに追われているので
今は、気は紛れていることだろう。

でも、もう母は2度と戻らない。
これまでの様に、そのうち
母が帰宅し、家事を始めて楽になる日が来るわけでは無い。

亡くなる前に母が言っていた。
「あの人は、私がいなくても平気だと思っているのだろう。
でも、あなた(私)が家に帰り、
ふと家に1人になった時、(父は)孤独感に襲われるわよ。
食べ物も適当で、栄養状態も悪くなるはず。
その時に初めて私がいなくなった事を実感する事でしょうね。」

私もそう思うし、父に早く気が付いてほしい。



母の葬儀の動画を撮っていたので
それをパソコンのアプリで編集。

ついでに思い出の写真もスライドショーにして編集。

それを並べてDVD作成し、弟と父に送る予定。

母の写真は私の関係のものしかなく、
実家にもっといれば、若い時からの多くの母の写真を使えた。

父にさっさと実家から追い出されて、何もできないまま。
母はまさかここまで父がやるとは想像していなかったはず。

後のことは、子ども達2人でやってねと
父は2人に任せるだろうと思っていた。

もし、母が生きていたら大ショックだったろうな。

私や子供達と写った写真をメインに作成した。
スライドショーの音楽は、
ビートルズのザ、ロング アンド  ワィンディングロード の
ピアノカバー版を探して使うことに。

なかなか良い物ができた。

何度も修正したりして、見直すのだが
何度見ても、泣いてしまう。
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亡くなるまでの過程があまりにも残酷すぎた。

苦しませずにどうにかならなかったのだろうか。

脳がしっかりしているのに
体がだめになっていくショック、恐怖はどんなにか
辛かった事だろう。

癌で亡くなる方は、似た様な過程をたどるらしい。

「死んだ方がまし」と思えるほどの苦しみを味あわないと
モルヒネや沈静は打ってもらえないし、簡単にあの世にいけないのか。

まるで罰じゃないか。拷問だ。
そんな目に会う理由がわからない。

罰が当たるべき人は他に沢山いるだろう。
この世のことが良くわからなくなってきた。

父の反応が気になる。




今こそ母に居てほしい時は無い。

生きていれば、今こそ母だけが私の味方だった。
母と私の立場が一致し、弟の本性もわかってしまった。

弟は、何かにつけて私さえ我慢すればいいみたいな事を言ってくる。

口では、父が嫌いだの、どうのと言ってくる。
実際、食事の世話や家事もいっさいしてこなかったが
それをしなくていい理由もできたし
私と同じ気持ちだの、文句言ってやるだの言いながら
現実は、そうではなく
今、何かと父に媚びている様だ。
私に言う事とは正反対の事をしている。

奥さんにも媚び、父にも媚び、
母の年金は自分の生活費にあてただけでなく
多額の貯金まで盗ろうとした。

たまに、おかずを一品、差し入れするたびに
母から1万円、取っていたと母から聞いた。

「金もらえないなら、おかず作ってやらない」と言った。それが弟の本質。

嫁さんと同類だった。
母はそれを知り、自分の育て方が間違っていた、
信じていたのに裏切られたと悲しみ、
そんな風に自分がさせてしまったと後悔し、
私だけに電話で本心を語るようになっていた。

お弟には叱ったようだが、本人には通じていない。
へらへらしていた。
そんな弟が、未だに母が亡くなって悲しいとか
写真も見れないとか、ぐずぐず言いながら
父に媚びをうっているのが納得できない。


母の遺言も、父に言うなと言う。
結局、母が可哀想といいながら
母の希望は無視している。

何が悲しいのか、母のお金を使えなくなったからか。
ずっと母を利用しようとしていたからか。

私が父に差別された事も
同意しているふりして
結局は色々、理由を探し、そういうことだからと私に我慢させようとする。
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いじめやDVの被害者に
他人事で「あなたの考え過ぎじゃないの」とか
「理由があるから仕方がない」とか、「あなたさえ我慢すればうまくいく」とか
「そんな風にいつまでも抵抗していたら、周りが迷惑する」とか
被害者を黙らせ、加害者を増長させ、
益々、被害を広げる。

弟も加害者のようなものだ。

何かあると
「仲良くしないと母が悲しむよ」
と母をだす。

そんな事は無い。
母は、私に言った。

父と弟と戦ってねと。

あの2人は似ている。良くないと。

弟はいざ、自分がやりたくないことがあったら
その時だけ、私に味方のふりをし
利用したいのだろう。

父が残り、母が先に逝くなんて最悪だ。

世の中、理不尽だ。

自己中心で我儘な奴が良い思いをし、真面目に必死で生きている人が我慢ばかりさせられ
病気になり、寿命が縮まるなんておかしいだろう。

コロナ禍において、一部の政治家や官僚のやることをみていると
同じことを思う。


コロナ禍、そして母が入院してから
家族以外とは全く連絡をとっていない。
友人から連絡が来ても
何だかんだで会わずじまい。

このままだと友人がいなくなる。
遠方にはいるけれど、今住んでいる土地には
ほとんどいない。

貴重な友人にもご無沙汰したまま。
付き合いの悪い人だと思われていることだろう。

それとも、母の病気を知っているので
遠慮してくれているのかもしれない。

そろそろ、近況を伝えないとと思いながら
まだ無理かなあ。

昨日は、夢に母がでてきた。
母の日記や、葬儀の動画の編集などをしたからだろう。

特に母がメッセージを送ってきたとは思っていない。

ただ、夢の中の母が綺麗で若返っていたのは救われた。

「どうして私はこんなことになったのかなあ」
と言っていた。

電話で何度もそういう会話はしたので
同じ様に答えたが、夢の中の母は
淡々としていた。

今回、母の事については
誰もが意外でまさかという感覚を持った。

私もそうだ。

年齢的には、長寿で仕方がないと言えるのだが
実質の母は、2年前までは健康で、体力作りに努力し
膝の手術も乗り越え、
若返っていた。

不老不死のイメージがあった。

おそらく100才まで生きて、老衰で天寿を全うするだろうと
思われるようなイメージがあった。

本人が一番そう思っていた。
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父の方が、元気そうに見えて
案外急に逝きそうだと思っていた。

母が最期まで悔しがったのは、それが覆されたからだろう。

長く寝たきりの伯母の心配をしていた母の方が先にいったので
しかも元旦に入院してから2か月半であっという間に。

親族も、信じられない風で、茫然としている。

運命に逆らった様な、何かイレギュラーなすっきりしない感じだ。

年齢だけで、手術は無理と判断されたが
母だったら、乗り越えたかもしれない。
と今更ながら思ったりする。

本当はまだ生きられたかもしれないし
あんなに苦しませなくても
他に方法があったのではとか
色々考えてしまう。

そう言っていつまでも、こだわるのは良くないと聞く。

父が仏壇を買ったらしい。
私と弟に選ぶように母から頼まれていて
素敵な家具調のものを選んでいたが
私を排除した父は、独断で古臭いいかにもという感じの
物を買ったそうだ。

物覚えも悪くなり、性格も悪いところが強くでてきて
何もかも自分が好きな様にしてやると
やたら動き回っているそうだ。

母が一番心配していた流れになっているのが気になる。

娘を排除し、結局息子さえいればいいというのがあからさまだ。
息子は便利屋なのだ。そして男だから。

父の今の顔は見たくない。
もう別人だ。


 


母が再入院してから
亡くなる3日前まで、母から電話がきていた。

ずーっと母の精神と肉体の変化を聞きながら
なるべく心に添う様に、受け止める様にしてきた。

かと言って、弟の様に
「もうどうせ先はないんだから」という意識をあからさまに出すようなことはしない。

医師の話より、母の自覚する事だけを信じ、
母が「まだまだ生きるかも」と言うと
きっとそうなるよと心から思うようにした。


だから弟と話すと母は不安になる事が多く
後から私に「こんな事を言われたけど、どういう事だろうか?」
「私はもう長くないの?あの子が何か隠している?」
と私に聞いて来た。

弟は、医師のいう事しか信じず、
母自身は生きようと頑張っている時に
「何も知らずに、可哀想に」と言うことばかり言っていた。

しかも、悲しいと言いながら
お金を使い込んでいた。どうせもういなくなるのだからと。

お前のその、可哀想、悲しいという気持ちは何なのだ?
と今でも思う。

母の気持ちより自分の気持ちが全てで
常に自分が可哀想なのだろう。

母は自分の心の内側を私に話し、
書いた日記を私に託した。

人に読まれる事を意識しているので
気を使って書いている。

本音、愚痴は書いていない。
私にだけ「ノートには書いていないけど」と
言いながら電話で愚痴っていた。

自分の結婚は失敗だったかも、とか
苦労は報われなかったとか
大事にした息子に最後に裏切られたとか
そういう悪い話はいっさい書いていない。

というより、そういう事を考え始めた頃には
かなり弱っていて、文を書く気力が無くなっていた。
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どうしても訴えたいことは
2度、大きな字で書いてあった。
自分のお骨のこと。
昨日書いたこと。


日記は、2度の抗がん剤治療が終わるまで、書いてあった。

次第に字が乱れ、読むのも苦労する。
最後の方は、日付も間違っており
書くのがやっとなのがわかる。

日記と電話の違いに驚く。

電話では、緩和ケアにうつってから
母は急に頭がしっかりしてきて、聡明になっていった、

身体は死に近づいていったのに
魂は毒がとれ、洗練されて健康になっていったのだろうか。
声がどんどん若く元気になっていった。

本人は「そんな事は無いよ。だるくてだるくて」と自覚はなさそうだった。

母は、弟とも毎日電話していたが、弟はそういうことは
全く無関心というか、鈍感だった。

母の最後の言葉すら聞いていなかったのだから。

いったいどこを見て来たのか。母の何を聞いて来たのか。

母の日記をパソコンで書き起こし、わかりやすくした。

それを弟に送信すると
「読みたくない。辛すぎて」と言う。

母が父と弟に是非、伝えたいと書いたんだから
読んでほしいと伝えたが、
母の遺志は、弟も父も知りたくないという。

何かずれている。

ずれている2人が、仕切っている。
私は、父に排除された。
母が一番嫌っていたことをさっそくしている父。

私だけが母と一体化して
男2人と戦うなんて。

我慢する人が寿命が短く、苦労し、
我儘で自己中心な人が生き残り
成功する様な世の中は…理不尽なものだ。
この世は修行の為にあるから?

弟は話せば何とかなるかもしれないが
母が可哀想だとか、辛いというのは
それは、自分のことしか考えてないからだよと言いたくなる。

毎日電話で話した訳だから
それに沿った内容の日記であり、
私は、その場で母に寄り添い、気持ちを受け止め
母が落ち着いていたのを記憶している。
だから辛いどころか、物足りないほど。

日記を読んで、唯一泣いたのは
私の子ども達に対して
「幸せな思い出をありがとう」とお礼が書いてあったところだった。


母が元気だったころから旅立つまで

人はこうやって最期を迎えるのだなと
いつか自分にも必ず訪れる最後について
母に学ばせて貰った気がする。




コロナ禍でもあり、家族葬にしたのだが
会員で積み立て金があったにもかかわらず、
金額の設定が異常に高くなっており
詐欺だと思った。
価格設定が明らかにおかしかった。
会員だから絶対にそこを使わないといけないという
弱味に付け込んでいる気がした。

普段から、葬儀屋の比較はしておいた方がいいと思う。

会員になった時の説明は大嘘だった。

亡くなったら、時間がなくバタバタするので
普段からどこの葬儀屋で、どんな内容にするかを
だいたい決めて、金額を調べておくといいと思う。

元気な時に。
入院中は、そういうことは考えたくないもので
なかなか準備ができないものだ。

お布施も必要で、次々と追加のお金が必要となる。

私は、夫と私の時は
無宗教で、お経もいらない、直葬でいいと
子ども達に言っている。

夫と縁を切っても、
葬儀は子どもたちがやらざるをえないのだろうか。

本当に迷惑な事で、遠方にいるから
そこでの滞在費や、部屋の片づけ、お世話になった人への挨拶や
もしかしたら借金があったり、仕事のことも全くわからない、
子どもたちも仕事があるし、そんな後始末をする時間も無いだろう。
交通費、ホテル代などお金もかかる。

家族への責任は何も追わなかった男に
そこまでしてやらないといけないのか?と正直思う。
妻子に迷惑をかけるのも夫の楽しみなのだろう。

そんな事を考えて居ると
そろそろ縁を切った方がいいのかなと考えて居る。
やり方を間違えると、相手は何をするかわからないので、
タイミングが大事だ。
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母の事は一切、話していない。

話したとしても、悲し気に演技をするだろうが、内心夫がにやっとするのがわかる。
自分の弱味を握る存在がいなくなるから。

母も自分の事は夫に連絡してほしくないと言っていた。

母が亡くなる時、手をにぎりながら
「ごめんね、ごめんね」と、ろくでもない夫と結婚したことを
激しく後悔し、母に謝った。
何故かあの時、その思いが急に強くでてきたのだった。

それにしても、帰宅してから、毎日異常な睡魔が襲う。
いかに実家でのストレスが溜まっていたのか、
母が楽になってくれて、安堵したこともある。

身体の奥から、疲労感がどっと出ている。

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