りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

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”怒り”はパワーになるのだが、いつまでも貯めていくと、自己嫌悪に陥ったり、周りに八つ当たりしてしまったり、自分の表情や言動が悪くなってしまったりして、後悔することになりかねない。


ある心理学者によると、「怒りの感情は、決して悪者ではない」という。


”怒り”は、本来人間という生き物が、心身を守る為に必要な機能 らしい。


でなければ、敵からやられっぱなしになり、生きて行けなくなるのだとか。


ただ、感情をコントロールしないと人を傷つけてしまうわけで、怒りに支配されないように対処の仕方を学ぶことが大事。

その対処方法とは、…「まず6秒、ゆっくり数えてみる。」だそうだ。
 

6秒待てば、怒りのピークが収まり、衝動的な行動は抑えられるという。


もし、モラハラされ、とっさに怒りがわき、言い返しても相手の思うつぼになる。
話が通じず、更に怒りやストレスを増大させるという悪循環になってしまう事を考えると、6秒待ってその場を流すというのは良いかもしれない。


しかし、その後、その抑えた怒りの感情は長く続くわけだ。

それを開放する方法はないのだろうか。


それもある学者の勧めでは「文字にして書く」ことが効果的らしい。

まず日数をかけて冷静になる。落ち着いたら「起きた事実」「どう怒りを感じたか」を書き出す。
これを繰り返す事で、自分の感情が客観視でき、怒りの整理ができるとの事。

先日、あるテレビ番組で見たのだが、眠れない時は、ノートや紙に愚痴を書き出すといいらしい。
試しに、不眠気味の奥さんが実験していた。1週間、どんな些細な愚痴でも良いから、ノートに走り書きしてからベッドに入っていた。
すると、段々、朝まで熟睡できる様になっていた。

寝る前に愚痴を書くと、興奮して眠れなくなりそうな気もするが、不眠やイライラが続く時は試してみようと思う。

                     



友人に新年の挨拶メールをしたら、年末にお母さんがお風呂で亡くなっておられたと聞いて驚いた。


介護の必要な1人暮らしのお母さんを、友人は時々訪ねてはお世話していた。

年末に帰省して、風呂場で冷たくなったお母さんを発見したそうだ。


お風呂はデイサービスでしか入らない事にしていたはずなのに、なぜかお風呂に入ろうとしておられたそう。

裸のままで冷たくなっておられ、友人は可哀想だと毛布をかけてから救急車を呼んだ。

孤独死は必ず警察が調べに来る。

友人はただでさえショックな中、警察の対応が冷たくそれをきっかけに鬱状態になった。

毛布をかけた事をきつく叱責されたらしい。


警察よ!そんな事言ったって、それは仕方のない事だろう!私だってそうする。裸の母親を色んな人に見せたくないし、真冬の寒い場所で可哀想だと思うのは当然だし、そうしない方がむしろおかしい位だ。

毛布をかけただけで、身体をいじったわけではない。

なのに、「亡くなった時刻がわからなくなるのに余計な事を!」と言われたそうだ。

遺族にとっては初めての事。しかもショッキングな事。

そんな専門的な事わからないし、そんな冷静になれるわけがない。


最近、周りにこういう事が連続している。


私の伯母もトイレで倒れていた。

孤独死、突然死をよく耳にする。


私の親もいつどうなるか、いや私だっていつどうなるか。

普通に正月を迎えられるという事がどんなに幸せか、噛みしめた。


 
 憶えておきたい事☆高齢者のお風呂には気を配る。もし孤独死を発見したら、むやみにいじらず、毛布も掛けたりしない方がよいらしい。

米朝首脳会談、成果が何だかはっきりせず、もやもやする。


拉致問題についても、具体的な話の内容がわからずやきもきしている。


拉致と言えば、私の実家の近所のお宅のご長男、高校の先輩の親族の女性も拉致されたまま帰ってきておられない。


ご家族は長い間解決に向けて必死の活動をしておられる。
身近に2人も拉致された方がいると、当時の我が家だって被害にあっていたかもしれないと思えてくる。


思い出せば幼い頃、噂があった。

「新婚旅行中に花嫁さんが突然いなくなった。朝鮮に連れ去られたらしい。」
「海岸で遊んでいた人が、朝鮮に連れていかれたらしいよ。海に行くときは気を付けろ」

と言われた事を覚えている。


当時の自分は幼かったし、まさかそんな事あるわけない、ただの噂だろう、と聞き流していた。
でも、「さらわれる」という事そのものに、かなりの恐怖心を感じた。


今思えば、それは正しい情報だったわけで、子どもの私にさえ耳にする程、真実が知れ渡っていたという事になる。
拉致が行われていた最中のかなり前の情報なのに、当時の国は何をしていたんだろう。


当時、母親が毎朝見ていたワイドショーでは、「行方不明になった子どもを探すコーナー」みたいなのがあって 「 この人を探してください!」「○○ちゃん、帰って来て!  」と毎日次々と必死で訴える親族の姿を流していた。


こんなに家出人、行方不明の人が多いのかと、子どもなりに驚いていた。


その頃、テレビで訴えていた方の中に、後に拉致されていたとわかった親族が結構おられたように聞いた。


拉致されるなんてどれだけ恐怖だろう。絶望を味わった事だろう。
探された家族のお気持ちも想像を絶する。


それにしても、時間がかかりすぎる。ご家族も高齢になられ、本当に一日も早く解決してほしい。



父の実家の相続問題だが、今年の初めから始め、半年過ぎた今、何も進まないどころか、一からやり直しになった。

相続については、どこのお宅でも関わる話だと思うので、これまでの経過を整理してみたい。


●相続財産=古い空き家、田畑、山林、墓、金銭は無し。
●資産価値=ほとんど無し。管理費で赤字。
●相続人=10+△人(何人か亡くなって、子、孫に権利がうつっている家もあり)
●管理人=父が兄弟全員から依頼を受けて、一人で管理していた。
●固定資産税=父が全額負担
●管理費用=父が全額負担、一部叔父

僻地という事もあり、ほとんどの相続人は、遠方の為、めったに訪問することなく、父だけが長年管理してきた。
誰も相続について触れることが無く、だらだらと月日が過ぎた。

父は自分が高齢になり、通えなくなった後の事を気にしており、管理の大変さ、体力、費用の負担の限界を書いて、全相続人に連絡したのだ。
「誰も相続希望する人がいなければ、自分が相続する」旨も伝えた。

●最初にした手続きの流れ
行政書士に手続きを依頼⇒戸籍謄本の収集、相続人の確定⇒相続についての父の手紙、遺産分割協議書、印鑑証明書の送付願い、交通費として幾らかの金額(郵便為替)、返信用封筒を付けて全相続人に送付

1人を除いて、すぐにそれ以外の相続人から、父に相続させる旨の書類が返送されてきた。


ほとんどの相続人から、「これまで(父)だけに管理を任せっきりきりだった事の御詫び。」
「経済的負担も大変だったろうに、長い間きちんと管理して頂いたおかげで、いつでも自分達が訪ねる事ができる。心から感謝する。」
と、お礼の品まで添えて送ってくださったのだ。

これまで不満さえ抱いていた父だったが、この意外な嬉しい反応には感激して泣いていたと母から聞いた。

が、ある相続人の一人が問題だった。
遠方にいる叔父なのだが、手紙がきて、父に譲る、と書いてあった。だが、肝心の書類が送ってこない。気持ちだけなら、相続人全員が父に相続させる事に了承していたが、書類がそろわず、そこから話が進まなくなった。

印鑑証明書の有効期間が3か月の為、父は焦っていた。


あくまで、父の場合の話であり、伝聞でまとめましたので正確さに欠ける事があるかもしれません。あくまで1体験談として参考になればと思います。

大きな災害の時、私が一番気になるのが、病院の事。
地震が手術中に突然襲ったり、出産中だったら。恐い恐い。

過去、現実にそういう事は起こった訳だし、逃げたくても逃げられないという状況はどんなにか恐怖だろう。

そして患者さんをお世話する医療従事者の方々も自分の事、家族は後回しで必死で責任を全うされようと努力される姿に頭が下がる。


医療に近い介護の世界でも似たような一面がある。

介護施設や老人施設が建物ごと被害にあって多くの方が亡くなられたケースもあった。

 自分は、以前介護の仕事に従事していた時、仕事をしながらいつも考えて居たのは、「今ここで大地震が起きたらどうするか」という事だった。
会社から、緊急連絡網や、利用者の急変についてのマニュアルはあったものの、災害にあった時の対処については何もなかった。たまたまその会社がそうだったのだと思う。

☆建物が倒壊しそうな危機感を感じたら、自分はどうしたらよいのだろうといつも不安だった。


何が不安かというと、自分の身体で、寝たきりのお年寄りを抱えて、階段を下り、安全な場所まで逃げる事ができるだろうかという事だ。

たまにふらついたりする様な、老化の進んだ自分の身体。

かといって、自分だけさっさと逃げる事ができるのだろうか。

「何かあればこの人が助けてくれる」と信じている利用者さん達。

☆研修の時に、質問してみた。

 責任者から「自分の命が優先です。気にしないで自分だけ逃げてください。無理に利用者さんを連れ出そうとすると、もたもたしているうちに逃げ遅れて誰も助からなくなります。」
という答えがあった。

確かにそうだろう。自分もそう思うから悩んでいる。
実際、そんな事ができるだろうか。「助けて!」と叫ぶ利用者さんを見捨てて逃げる勇気があるだろうかと不安は消えなかった。

東北の震災時だったか、現実にそういう事例(利用者と一緒に亡くなった)はあった。マスコミは、「責任感の強さから身を捨ててまで職責を全うしたという美談」にしていた。が、そう簡単な話ではないだろう。

亡くなった職員さんにもお子さんがいて、避難所でお母さんを待っていたはずだ。亡くなった職員さんは、内心家族の事が心配で、一刻も家族の元へ行きたかったと思う。

当時、そんな辛いニュースを見ていて、自分もあんな風になってしまうかもしれないと思った。
そんな時、子どもが強い口調で私に言ってきた。

「お母さん、絶対自分だけ逃げてね!お年寄りには悪いけど、二人共亡くなったら意味ないじゃん。後から遺族の方から文句言われてもいいから、逃げて。仕事のせいで死んでほしくないよ!」と訴えてきた。

その言葉を聞いてから心が落ち着き、覚悟を決めて仕事をする事が出来た気がする。
(これは、その時の仕事の場での話であり、職場それぞれで、違ったもっと良いマニュアルがあると思う。全てがそうだと言う訳ではありません)


今は介護の仕事から離れたが、保育士や学校の先生も同じ、人の命を預かる仕事というのは必ず限界があって、仕方のない事だったとしても、1人でも命が失われると一生自分を責めてしまいそうな気がする。
東北の津波から必死で子どもを抱えて逃げた保育士さん、目の前で流されていく人を助けられずに見ているだけだったという話もあった。

災害のせいで人間の味わう地獄を思うと、改めて自然の残酷さ、怖さを感じる。


普段は見ていないのだが、たまたまテレビをつけていて、「徹子の部屋」をちょっと見た。
今日のゲストは安藤和津だった。

奥田瑛二がご主人なのは知られているが、結婚した時からこれまでの「夫に振り回されても妻として頑張って支えてきた苦労話(でも愛しているみたいな)」で有名な芯の強いイメージの人?

(奥田瑛二なら結果成功しているからいいじゃない。娘さん二人共、立派になっているし。)
と思って見ていたら、本当に今は幸せな生活を過ごしている様な話から始まった。

「あんなに外に外にと飲みや遊びに出たがり、引き留めても無視して、子どもの面倒なんか見もしない、家に居つく事のなかった旦那さんが、激変した。」のだそう。

お孫さんが生まれたのがきっかけで、外に出なくなり、お酒もほとんど家で飲むのだとか。

「一緒にスーパーに買い物に行くなんて絶対なかったのに、先日初めて夫婦で夕飯の買い物に行った。
ちゃんと一緒にメニューを考え、食材も選んでくれた。こんな事は今まで無かった。
絶対人は変わらないと思っていたのに、こんなに変わるとは思ってもみなかった。」と和津さんは言う。

しかも、奥田瑛二本人が
「”今までの俺の生き方間違っていた。ごめんなさい。”と言う気持ちになった。」と話したらしい。
お孫さんの純粋無垢な目を見ていたら、そんな気持ちになったそうだ。

正確な記憶では無いかもしれないが、概ね、そんな話だった。

若い時に苦労しても、結果が良ければまだ報われるよね。

話の途中でテレビを消したので、その後の安藤和津の話はどうなったのかはわからないが、そこまでの場面ではそういう内容だった。

確かに歳をとり、体力も衰えてきて、溢れていた自信も無くなって、見渡せば頼れるのは家族だけと気が付くものなのかもしれない。

「あまりに家にいられるものだから、皆で”お小遣いあげるから外で飲んできて”、と追い出してるの。今更家にいられても嫌なのよ。」

「”父帰る”の話って、本当にありますよ。」
と笑って話すところは、納得した。


 ※父帰る」菊池寛作 1917年発表 ●20年前に妻子を捨てて愛人と家出した父が、突然落ちぶれて帰ってくる。母と弟妹は喜ぶが、苦労し一家を支えてきた長男は許さない。家族の複雑な心情と憎しみを超えた愛情を描く。※


もし、我が家でもそんな事になったら、それこそ「父帰る」そのものだろう。
家族の気持ちなんぞ本人は理解できずに、何だかの抵抗をしてくるだろうが。

まず我が家と奥田瑛二の家庭では、比較するのが間違っている。

夫のやってきた実績がまるで違う。

ただ、人は本当に変わるものなのだろうか。という所がひっかかったのだ。

奥田瑛二の場合は本来の人間性に戻っただけなのだろう。本来家族思いの愛情あふれる人なのだろう。家族もそれを知っていたからこそついてきたのだろう。

カッコイイし?

芸能人と比べる事自体が間違ってる?(笑)。

私が聞いてて奥田瑛二を評価したのは「今までの俺の生き方間違っていた。ごめんなさい」のところだ。
私が夫から最も聞きたい言葉だった。これさえ聞いたら全てのストレスが消えてしまいそうな気がする(笑)。



大雨による大災害…自分も過去に似たような体験も何回かあり、避難して家に何日も帰れなかった体験が(勿論夫は不在、他人事)あるので、テレビのニュース画面を見るだけで苦しくなります。お見舞い申し上げます。


これから暑くなり、どんなにかご苦労な事だろう。

帰る家があっても、そこには住めず、途方にくれる上に避難所での過酷な生活が続く。

大きな災害が、最近は多くの土地で起こっている。

救助活動、復興は、地方だけではどうにもならない。一刻も早く最大限の事をして国は助けてほしい。

今回初動が遅れていて、政府ののんびりしている感がイラついた。

水はあっという間に襲ってくる。地震も突然やってくる。

迷走神経反射の事をもっと詳しく書こうと思っていたが、もし、自分がまた倒れそうな時に地震がきたら、水害に襲われたら、と思うと、自分が助かる為にどうするかよりも、誰かに迷惑をかけてしまう事が心配でならない。迷惑をかけるどころか、人を助ける事をしたいのに。


一昨日、テレビのニュースで、記者がいまにも氾濫しそうな川の横で中継をしていた時の事だ。
警察が、立ち入り禁止のテープをはっており、その内側に入ると、今にも濁流に流されそうな恐怖を感じた。
すると、そこに若い男が二人侵入してきた。テレビカメラを意識しているのか、態度がヘラヘラしている。

そして、足を川の中につっこんで、ふざけだした。ちょっとふらつけば、間違いなくあっと言う間に流される。そんな状況の中で。

テレビを観ている人にウケるとでも思っているのか。その二人は、調子にのってきてやめようとしない。うろうろ川と道の境目を歩き周り、足をつっこんではまたうろつく。カメラに映るようにして。

記者は中継中で気がついていないが、カメラマンは見えていたはずだ。

「生中継で、人が川に流されていくのを見せるつもりなのか、そんな場面を観たくない、中継よりも、すぐに注意する方が先だろう」と思ってハラハラしていた。おそらくあの連中は、そういう人の動揺を予想して楽しんでいるのだろう。
こんな信じられない人がいる。その二人の他にも次々と入ってくる人が増えていた。
「考えが甘いよ。何かあったら、誰かに迷惑がかかるって事、思わないの?」と私は腹がたち、一人テレビの前で呟いた。

流石にアナウンサーの顔色が変わり、中継の終わりの方で「後ろの人たちに、声をかけて注意してください」と言っていた。

こういう自然を舐めた行動をする人もいるのだという事と、命がけで首までつかって老人を助ける一般人もいるという事、テレビで見ているしかない自分の無力さに悲しくなった。

東京では晴れていて暑くて、西日本でこんな災害が起こっているという事がピンときてない感じです。」と夜のニュース番組で言っていた。そうなのかと驚いた。

全ての人がそんな訳ではないはずだし、一般の人はそれでも仕方ないとしても、その陰で救援に向かう消防関係、自衛隊、などさまざまな動きがある事は確かだ。それでもまだ足りない状況。

国は、武器やお古の馬鹿高い戦闘機を買うより先に、災害対策にお金を回す方が先ではないか。

日本にいる限り、いつ自分の身に起こるかわからないのだ。地球がそういう時期に来ている。

どこかで災害が起きた時、自分の事として想像し、どう防ぐのか、対処の仕方や心構えを教訓にするだけでも違うと思う。という私も偉そうに言えない。これは自分に向けて書いた。



自分は、独身の時、生きる事に執着していなかったと思う。

「いつ事故や病気で命が無くなっても、運命だし、別に思い残す事はない」と思っていた。

自分の未来が想像できず、もしかしたら自分は長生きできないのかもと薄っすらと思っていた。

それは健康だったからだろう。
健康を失って初めてわかる有り難さと言われる様に、軽いいい加減な気持ちで生きていた。

子どもができたら、責任感が重くのしかかった
「これからは、長生きしないといけない。私の身体は私だけのものじゃないんだ。子どもの為にしっかり生きなければ!」と思ったのを覚えている。


叔母のトキ子さんが言っていた。
「この世は修行よ。人は修行をする為に生まれてくるのよ。楽しいだけの人生なんてない嫌な事だらけで当たり前なのよ。」

結婚する時、お祝いの言葉として誰もが言う「幸せになってね」の言葉。

結婚相手から言われる言葉「幸せにするよ」「幸せになろう」「君となら幸せな人生が送れると思った」などなど…

「幸せに」という言葉を簡単に口にする。結婚したら毎日バラ色の生活が待っていると錯覚してしまう。

幸せって何だろう。人それぞれにハードルの高さも価値観も違うから、色んなイメージがあるだろう。
形があるものでは無い。心で感じるもの。

失った時、初めて強烈に気が付くもの。心安らかに生きられること。かなと思う。

大きな災害にあったら、それまでの価値観が変わる。

私も少しだが変わった。

今日こんなに幸せでも、不幸でも、明日はどうなるかわからない。どんなに満ち足りていても、明日は全部無くなってしまうかもしれない。
逆にどんなに未来を悲観しても、いつラッキーな事が舞い込んでくるかもしれない。


10年前の自分を振り返ると、今の自分はもっと不幸になっていると思い込んでいた。あの頃はそう思っていた。

振り返ると何とかなっている。幸せとは言わないが、想像していたよりはずっと自分の心は平穏だった。

こんな事ならもっと気楽に楽観的に過ごしていたらよかったと思う。

慎重に計画的に生活していくのは良い事だが、心配しても今どうしようもないなら、考えない方が良い。もったいない。

結果が同じなら今を楽しく生きた方が良さそうだ

山口、周防大島の2歳児が行方不明だった件、無事見つかって良かった。

速報を聞いた時は、涙がでるほど嬉しかった。

恐かっただろうに、山の中で3日間過ごした男の子はよく頑張ったねと抱きしめたくなった。

それにしても、発見した78歳の尾畠さんには感動した。


今朝からテレビに引っ張りだこで、年齢を感じさせない体力、気力、ジョークで人に笑顔をさせる力に、益々驚いた。声が若くて張りがある。

ボランティアを始められた理由、信念、感謝の気持ち、恩返しという言葉。


一見小柄で、心配になりそうな感じに見えるのに、凄い行動力。

こういう人がお父さんだったら、どんだけ安心感の持てる生活ができた事だろう。


「色んな人に助けてもらって、働いてこれた。恩返しをしたい。」と思う事を即、行動に出す強さ。


欲が無く、見返りも求めず、自分がやりたいからやる。人に迷惑をかけない完璧な自己完結。

夫とは真逆な人だ。少しはこの人の爪の垢を飲んでほしい。


尾畠さんを見て、世の中にまだこんな立派な方がおられたんだと、嬉しくなった。


 


これも古い話だが、私が中古車を探していた時、弟が知り合いの店まで連れて行ってくれた事があった。

弟はいつも外出する時は、子どもを連れていた。


普段から奥さんよりも弟の方が家事も子どもの世話も負担は大きかった。

それを母が不憫に思い、助けようとするから益々、奥さんは子育てをしなくなっていた。


なので、まだ手のかかる幼児だった姪っ子を弟は連れてきて、車屋さんに一緒に行った。


そこで車を買ったのだが、説明や書類を書いたりしている間、普段から甘やかされている姪っ子は幼児らしく動き回った。


私は車屋さんと打ち合わせ中、姪っ子がうるさく、弟に注意するかどこかに連れ出すかしてほしかった。

が、弟は放置したままで、注意しない。

親が黙っているのに私が怒るのも変だったが、仕方なく私が注意した。

しかし姪っ子は、大人を舐めていて全く聞かない。お店の中で暴れ回る。

ついには車屋さんが、嫌味を言いだした。

「あらあら。元気な子どもさんですね」と、何か店内の物をいじられないか、怪我をされないかとと気にされ、姪っ子を目で追っていた。


それでも、弟は知らん顔をしてタバコを吸っていた。

私は腹がたち、「ちょっと、ちゃんと子どもを見ときなさいよ!」と弟に怒った。


そもそも、弟嫁は家でゆっくりしてるなら、たまには家で子どもと遊んでやれよ!と腹がたった。
私への嫌がらせかと感じるほどだ。
こうなるのは予想できたはずだ。


その時だ。お店の人が私にこう言ったのだ。


「ええ?弟さんに子どもさんを見させるのですか?お母さんなのに。はあ。最近のお母さんは強いですね~」

「さっきから、子どもが騒いでるのに、見向きもしないからすごいお母さんだなあと思ってました。弟さんに押し付けないで、自分で子どもを捕まえておかなきゃだめでしょう」


私は姪っ子の母親だと誤解されていたのだ。

「私の子どもじゃないですよ。弟が連れてきたんです。」と言い返した。

弟は、罰が悪そうに笑うだけ。謝りもせず、やっと子どもを捕まえ、抱っこした。

お店の人は年配だったので、最近の若い母親は!と思ってそういう態度をとったのだろうが

「まさか、男親が子どもさんを連れてくるなんて思いもしないもので。普通、お母さんの方が子どもを連れているものですからね」

と言い訳していた。その言い方も腹がたった。


こういう事は日常茶飯事で、仕事の用事でも、職場関係の集まりでも、弟は奥さんから子どもを連れていくよう強制されていた。

どうしても無理な時は、弟は実家に子どもを置いて行った。

母は気前よく預かっていた。

もし私が近くにいたら、こんなに協力してくれなかったはずだ。弟に頼まれたら何でも言いなりになっていた。


弟嫁は、買い物やランチ、家で昼寝をする時も、子どもがうるさいからと弟に押し付けていた。
文句も嫁の愚痴も言わず、黙っている弟は、ストレスで入院したこともあった。

誰も嫁のせいだとは思っていなかった。弟嫁が、周りに仕事が原因だと言いふらしたから。

弟は、私だけにメールで本音を言った。遠まわしに。家にいるより病院が天国だと言っていた。


弟嫁と同じ事を私がしていたら、周りの全ての人から怒鳴られ、協力してもらえず、母親失格だとレッテルを張られるはずだ。

なぜ、弟たちを誰もが甘やかすのか、それが通用するのか、不思議だ。


母は、「いつか葬式をだしてもらわないけないし、世話になるから、何も言えない」と言い訳する。

弟夫婦は親が寝込んだ時、世話をする気はなさそうな事を言っている。


親が入院したらそれに合わせて、長期旅行に行くだろうというか、弟夫婦はすでにそうしている。

なのに、まだ息子に期待しているのか、馬鹿だなあ。


娘を利用するのは当たり前で、娘はストレスのはけ口。いざとなれば命令してやらせる。

男である息子には嫌われたくないから大事にすると言う。


世間体が一番。息子に世話になるのを自慢する。娘が助けても隠している。
息子の立場が悪くなるからと、私の行動は余計なお世話らしい。

だが、下の世話などは娘がやって当然だと。息子夫婦に悪いという。

男女差別はまだまだ根深い。


弟の家だけは女尊男卑。極端だろう(笑) 



 

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