りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 思うこと


結婚直前は不安も多い。なのに
「もうあなたには帰る場所は無い、結婚したら何があっても耐えなさい」
なんて言われるのは酷だと思う。
出産したばかりの、疲労困憊で不安だらけの女性に
「もうお母さんなのだからしっかりしないと」と急に厳しい目を向ける酷さと同じ。

結婚相手がまともであれば、こんな心配を持つことも無いのだけど。
NPDが相手だったら、逃場の無い人は被害から抜け出せない。

世の中のDVへの無知が、これまでどれだけの被害者を増やし、
苦しめてきたのだろう。
私も、親に訴えても、世間体が悪い、我慢しろ、
結婚とはそんなものだ、そんな人を選んだお前が悪い、だのと責められた。
私さえ我慢すれば済むと言われた。
そこに夫がつけこんでいたのは感じた。

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自分なら、我が子が何かに苦しんでいたら、
辛さを想像して夜も眠れないと思う。
両親にはそれを感じられなかった。

母が夫の事を嫌っていたのは確かだ。
高齢になってから、私に縁を切って帰って来たらと言い始めた。
歳をとって自分の事が不安になったからだと思う。
弟夫婦があてにならず、計算が狂ったのが一番の理由かもしれない。
私を自分の為に使おうと思ったのか。
もう手遅れだったし、そう簡単にはいかなかった。
今では、父が帰る場所としての実家を無くしてしまった。

そんな両親を反面教師にしている。
自分の子ども達には「いつでも私は応援しているし、
何かあったら帰っておいで。全力で助ける」とまだ口にはしないけど、
そう感じさせるように振る舞っているつもり。
それが伝わっているかどうかはわからないけど。
実際、どこまでできるかどうかはわからないが、気持ちだけはある。

かといって、子ども達の生活には全く干渉はしない。
あくまでもいざという時の事。
という理想論は語るけど、現実はどうなんだろう?
唯一これを邪魔してくるのは夫しかいない。
それを考えると頭が痛くなる。



久し振りに韓国ドラマを観ている。
観始めると止まらない。
 
今観ているドラマのあるシーンが心に残る。
問題のある男と結婚したいと願う娘に反対する両親。
お金持ちで権力者の一人娘。
両親は娘が幸せなら、と最後は折れる。

問題のある男なので、結婚しても娘の悩みは尽きない。
それを心配しながらそっと見守る親。
父親は何かあるごとに、娘に語り掛ける。
「いつでも帰ってきていいんだよ。私達はお前の幸せの為なら何でもする」

この「いつでも帰ってきていい」と言う言葉。
私の世代では「結婚したら我慢するのは当然。簡単に別れるな、
帰ってくるな。」と言って送り出すのが当然の様な風潮だったと思う。
経済的にもう面倒は見れないという事情や、
出戻りと言う差別的な世間の目があって、
親としてもそんな目に遭わせたくない気持ちもあっての
色んな意味の言葉なのだとは思う。

私の思う「いつでも帰ってきていい」は
「嫌なことがあればすぐに別れていい」と言う訳ではなくて、
「どうしても無理、自分が壊れると感じたらいつでも両親の元へ逃げてこい」
という意味だと思う。

ドラマの中でも、そういう意味で父親は言っていた。
それに甘えず、娘はどんな困難でもふんばり、親に心配させまいと頑張っていた。
が、もう限界となった時、両親に助けを求めた。
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知人の中にこんな人がいた。
結婚式の日、娘に「すぐ別れて帰って来たらいいのよ」と言った母親がいた。
周囲の人は呆れていたが、母子家庭だったので、
娘を取られた気がして寂しかったのかなと聞き流していた。

その母親は、今思えば毒親みたいな人で、
娘をコントロールできなくなったのが嫌だった様だ。
娘の幸せよりも自分の為に生きてほしいと願う人に思えた。

案の定、娘の家庭をかき回し、お婿さんの実家にまで悪態をついたりして、
結果、娘は離婚するまでに追い詰められた。
母娘で再び暮らす事になったが、娘は以前とは違っていた。
母親の因果応報か、結果的には娘から虐待を受け続けた。
老後は、周囲との縁を全て断ち切られ、施設に入れられた。

そういう意味の「いつでも帰ってきていい」ではなく、
愛情のある「いつでもあなたの味方だよ、あなたを信じて居るよ」と言う意味だ。

いつでも逃げ込む場所があると思うと多少の困難も耐えられる。
子育てと同じだ。
安心できる家の存在が、子どもの成長には必要。
自分は夫の事があって、その点が常に気がかりだった。
居心地良い家にしようと気を気を付けたつもりだが、どうだったろうか、
親として申し訳ない気持ちだ。

全員が家を出て自立した今の方が、ここが逃場になれる様意識している。
そんな事が無いのが一番だけど。
連絡が無い方が寂しいけど安心ではある。
自分のいる場所が一番安心できるならそれが最高だ。



ああ疲れた。

最近、車のスマートキーの電池が切れかかっている気がして
電池をいつでも交換出来るように買っておいた。
今朝早く、車に乗ろうとしたらキーが反応しない。
ついに電池切れかと思い、交換は簡単なので
時間もまだあったし、やっておこうと家の中に戻った。

車を予備鍵で開けると、キーレスで閉めた後だから
けたたましい警報がなるのが嫌だった。
すぐにエンジンをかければ音は止まるけど
休日の早朝に、うるさい音を立てたくない。

まずはリモコンの蓋を開ける。
スライドできるはずが、固くて動かない。
煖房を切っていたので、家の中は寒い。
すぐ終わると思い、そのまま続けた。

一瞬で開くはずの外蓋に時間がかかった。
次は極小のネジ4個で止められた中蓋を外す。
精密ドライバーを出して、外す作業開始。
ネジ2個はすぐに取れたが、あと2個が固くて斜めにきつく締められている。
しかも金属が柔らかい。
固いなあと力をいれたら穴が潰れた。2個とも。

えーそんなー。これさえ外せば、電池入れ替えるだけなのに、
と焦りだす私。
身体が冷えて来た。

ネットで調べてみたら、同じ事で困っている人は結構いた。
色んなアドバイスがあったが、
道具をそろえてじっくり試さないといけない。
とりあえず、用をすませ帰宅してから試そうと決めた。

試しにスマートキーを使ったら、まだ使えた。ホッ。
電池がまだ少し残っていて、ムラがあるのだろう。
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用をすませて帰宅後、さあ挑戦。大げさだけど
ネジをはずせないと、お店に持って行くしかない。
もし、新品交換となったら高い。
壊れている訳でもないし、ネジ2個のせいでそんなお金使いたくない。

ネジがあまりにも小さく、
枠が邪魔してペンチではさめない。
でも、ペンチではさんで回すしか方法は無さそうだ。

ネジの周囲は柔らかいプラスティックなので、
マイナスドライバーで、がりがりと丸く削った。
中蓋だから、多少傷がついても見えないし、気にしない。
ラジオペンチはごつくて無理。
そこで、ミニ四駆に使う様な古い小さなペンチを見つけ、
それでどうにか挟んで回した。

2個ともそれでやっと外れた。
そのネジはもう使えないけど、
似た様なネジを見つけてつけるか
テープでとめれば大丈夫そう。
2個はちゃんと止められるし、中蓋は動かない。

困った時は諦めず色々やってみるのが実は好きだったりする。
解決した時の快感が最高だから(笑)

無事に電池は交換できて一安心。

朝、身体を冷やしたので、せっかく治まっていた腰痛が復活した。
冷えが大敵だと痛感した。
疲れたのは、腰痛のせいもある。
早速、ホッカイロを腰に貼った。


弟がうちに泊まった時、
部屋にかけていた時計のコチコチ音が気になったらしい。
安物の小さいものだから、ひょいとはずして
隣の部屋に置いてくれても良かったのだが、我慢させてしまった。
最初は気になったけど、よく眠れたよと気を使っていた。 

気になってなかなか寝付けなかったのかな、
疲れていたはずなのに、言ってくれればはずしたのになと
申し訳ない気持ち。

朝ご飯を食べた後、弟は1時間位うたた寝をしていたから、
眠れていなかったのかもしれない。

あのうたた寝ですっきりしてくれたなら良いのだが。
帰る時に話題にしたので、今更もう遅いけど、
今後の事も考えて時計は外した。
人を泊める部屋には音のしないものを置くことにしよう。

私は逆で、音がしている方が眠れる。
テレビをつけて、オフタイマー30分で賑やかな音を聴きながら横になると
あっという間に眠っている。
時計のコチコチ音も、あった方が安心する。
無音は聴力を失ったようで怖いし、寂しい。

子ども達も音は気にならないと言うので、
何も考えずにコチコチ時計を寝る部屋に使っていた。

若い人でも音が気になって眠れない人がいるし、
両親も我が家に泊まるたびに、うるさいから外してと言っていた。

そういう人がいることをすっかり忘れていた。
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自分が音があった方が安心して眠れる理由を分析してみた。
子ども達が小さい時、夫もおらず、家も狭くて、母子で川の字に寝ていた。
寝かしつけた後、自分も隣ですぐに眠りについていたが、
子ども達の寝息がとても耳に心地よく、子守歌のような効果があった。

成長し、別の部屋で寝る様になり、
寝息の代わりに時計の音が子守歌になった。
今ではテレビという、もっと大きな音を
子守歌にしている訳だ。

なかなか寝付けない日もたまにはある。
そんな時は、スマホで好きなジャーナリストのYouTubeをつけたままにする。
その人の声がとても癒される声で、聴きながら眠ってしまう。
癒しの音楽をかける時もある。
いつしか眠っているから効果はあるみたいだ。
好きな音楽は聴き入ってしまうから効果は薄い気がする。

不眠症になった時期もあった。
辛かったけど、今なら眠れない時は起きて動いている。
布団の中で悶々とするのは、良くないらしい。
条件反射で、布団=眠れない場所 と学習してしまうからだと。

眠れなければ、起きて眠くなるまで待つ。
昼は、外で太陽を浴びて、動いて身体を疲れさせると眠れるようになる。
寝ていない日の翌日は絶対眠れるから大丈夫と自分に言い聞かしている。

昨夜はすぐ近くで猫が喧嘩して、ギャーツと叫んでいた。
びっくりして目が覚めた。
深夜だったと思うが、いつのまにかすぐに眠っていた。
早朝目が覚め、睡眠時間は短かったけど、
頭はすっきりしていたから気にしない。
まずは睡眠が一番なので、7時間は眠りたいものだ。


最近の生活リズムが、早寝早起きになっている。
夕飯もお風呂も早くすませて、眠くなるまでの間、
パジャマでくつろいで過ごすと言う贅沢な1人暮らし。
子ども達が来ても、好きにさせてもらうし、
眠くなったら、お先に~と寝室に消えている。

弟に対してはそうはいかない。
昨夜は予定がずれこみ、夜遅くに到着した。
私はいつもとリズムがずれて、眠くてたまらない。

弟は、話したい事が溜まっていた様で、
ご飯を食べながら色々話してくる。
父の事も愚痴っていたが、たいした内容ではなく安心した。 
これまでは、奥さんに話したであろう事を
今は誰もいない家で1人だから、
ちょっとした愚痴でも、聞いてほしいのだろう。

何も言って来なかった初盆は、奥さんの親族の希望で、
簡単に身内だけで済ませようと決めたらしい。
料理も無しで、お茶を飲んで終わりにしましょうと言われたとか。
私に、遠くから交通費を使わせてまで来てもらう必要もないと気を使ったらしい。
奥さんの親族の希望なら、弟も同意し、気楽にできて良かったならいいと思う。
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でも、気をもんでいた私にすれば、
先にそう言ってくれたら良かったのにと内心思ったけど。
何を遠慮して今まで黙っていたのだろう。
呼ばれるつもりで、準備していたから。
むしろ行かなけりゃ、文句言われるかと思っていた。

先日お参りできたから良かったけど。

コロナのせいもあって、母の葬儀も小さく身内だけで済ませ、
(費用はぼったくられたけど)
弟の奥さんの葬儀も、旅行先だったので、直葬で
簡単に終わらせたそうで、まさかそんな風になるとは
かつては誰も予想していなかった事だ。
これからは、簡単な身内だけのお金をかけない葬儀の時代になるのかも。

身内に不幸があった時、家族、兄弟がいるといないとでは違うなあと感じる。
いたとしても、縁を切られていたり、誰も相手にしない場合もある。
孤独で寂しくこの世を去り、誰も引き取り手がいない人もいる。
その人の生き様が最後に出るものなのかもなと思う。

自業自得とはそう言う事か。
夫がいなくなっても、涙一粒流す人はどこにもいない気がする。
悲しんで、泣いてくれる人がいると言う事は
本当に幸せな事なのだ。


1人暮らしの食事は、簡単なもので済ませてしまいがち。
骨や筋肉の老化を気にして、肉、野菜の他に、納豆とか豆腐など も
なるべ毎日摂る様にはしている。

なにせお金が無いので、節約料理を意識せざるを得ない。
子ども達や来客があった時に、惜しまずきちんと料理できるように
普段は質素に。それが自分に合っている。
子育てがあったから、今も子ども達が来てくれるから、
嫌でも食事に気を使う事ができて
それが自分の栄養にもなっていて、良かったと思う。
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これも、夫がいないからこそだ。
いたら滅茶苦茶にされる。
(がつがつと人の分まで食べた後に
自分の方が上手く作れると嘘でマウント取る。
笑顔で言うのが気持ち悪い)

今夜は弟が来るので、手抜きじゃない夕飯のメニューを考えている。
食材を考え、料理をするのは脳トレにもなる。
弟も1人暮らしになって、食事は手抜きかもしれない。
なので、普通の地味な家庭料理だけど、高価なステーキも無いけど
心をこめて料理しようと思う。
父の話題もあるそうだから、楽しみだ。



夕方、玄関先の花の水やりをしていたら
散歩中の高齢女性に声をかけられた。
花の事を色々聞かれたりして会話が盛り上がった。

家が道路沿いにあるからだろう。
通りすがりの人によく声をかけられる。
子ども達は、知らないおばさんなのにきちんと挨拶してくれる。

散歩コースになる道だからか、高齢者によく声をかけられる。
高齢女性とは初対面なのに、長い時間立ち話をしてしまう事が多い。
自分の親と話している気になってくる。

今日の女性は、雰囲気が母と良く似た人だった。
毎日、近所を結構長い距離散歩しているそう。
歩かないとすぐ筋肉が落ちて、寝たきりになってしまうからと。
年齢は、亡くなった時の母と同じだった。

母も、足が悪かったが、痛いのを堪えて毎日歩いていた。
かなりの距離を買い物がてら近所の方と頑張っていたのに。
そんな事を思い出す。
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道は車が多いし、風も冷たくなって来て、
早く散歩を再開してほしかったが、
女性はなかなか歩き出さない。
母も知らない人でも話しかけ、永遠と喋ってたからわかる気もする。

歳をとると、人と話すことが楽しみになったり、
脳トレ的な効果もあるからか、
最近の父もその傾向が強くなっている。

いつも我が家の花や、玄関を色んな人が見て何か思っているのだろうか。
汚いな、古いな、花の育て方がへたくそだなとか色々思われているかもしれない。

たまたま私が外に出ていると、
あの人がここに住んでいるんだなとばれてしまう訳だ。
どこで誰が見ているかわからない。今更だけど。

この前のワンちゃんと言い、今日の女性と言い、
ロスの私に、懐かしさを感じさせる出会いが続く。
思い出して寂しくはなったけど、
ホンワカした気持ちにもなった。



ふとある事を思い出し確認したくなり、
関係書類を探すことはよくある。
ファイルに入れてここに置いたはずと
記憶した場所を探せばだいたい見つかる。

何年かに1度位、どこを探しても見つからない時がある。
それが大事な物ですぐに必要だった時は焦る。
ここに入れたはずと確信があるのに、何故か無い。
他の場所もあちこちとひっくり返して探すが無い。
頭はその事で一杯になる。

夢の中でも探していて、夢で見つけた場所に
実際あった事が多い。
寝ている間に、脳が確かな記憶を呼び起こすのだろうか。
その場所とは、ここに入れたはずと
最初に記憶していた場所が多い。

探し方が悪かったのか、たまたまそれが変な風に他の物に隠れていた。

で、今回も夢で見つけられないかなと期待するが
今のところ、まだ夢を見ない。

今回の探し物は、大事な物ではなく急ぐ物でもなく
もしかしたら、捨てた可能性もある。
でも、捨てた記憶よりも保管した記憶の方がほんのり強い。

どうでもいい物だから良いけれど、
何故、見つけられないのか、捨てたのだろうかと
自分のした事の記憶が曖昧な事にショックを受けている。
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その書類を処理したのは、数か月前だ。
忘れるには早すぎる。

データは一部PCに残っているし、必要なら印刷すればいい。
その他の部分は、データが無いから見る事はできない。
かと言って、何か困る事では無い。

これが、大事な物だったら?急ぎで必要になったら?と思うと
自分の行動にうんざりしてくる。
先日の1万円札の件もあったし。


間違って捨てたのか自分の意志で捨てたのか。
わかりさえすればすっきりするのに。
もしかしたら、棚の裏や他の物に挟まれたりして
見逃しているのかもしれない。

無い無いと探しまくる姿を誰かが見たら
認知症の始まりに見えるよねと思った。
まさか、私もう始まってるの?と一瞬不安になった。

まあでも、若い時でもこんな事は何度もあったし、
認知症の場合、いつもの場所にあるのに、
財布が無い、眼鏡が無いとあちこち探しまわったり、
盗まれたと妄想も出て来るし、それとは違うかな。

家の中に棚が多くて、あちこち書類を無造作に置くのも問題。
1か所にまとめたり、きちんとカテゴリー別に並べれば良い訳で、
やっている物もあるけれど、どうでもいいけど、一応とっておこうと
思う物は、とりあえずポイと置いてしまう。
その雑な性格がこういうことになる。

断捨離するのも良いけれど、
気を付けて整理していかなきゃと自分に言い聞かした。


この前の日曜の朝、6時位だったか。
車が通らないうちに、家の前の道路の掃除をしようと思い付き、
しゃがみこんで草を抜いていた。 

突然、背後から何物かが背中に覆いかぶさって来た。
びっくりして振り返ると、可愛いワンちゃんの顔が。
顔は以前飼っていた我が家のワンコにそっくり。
身体つきも同じ位。

くんくんと臭いを嗅いだ後、私にくっついてくる。
顔を顔に近づけて、両前足で抱き着いてくる。
甘えてきて、離れない。
散歩中の様で、飼い主の男性が困った様子。
「すみません。」と言うだけで、ワンちゃんを無理には引っ張らず、
あまりの甘える様子に唖然と立ちすくんでいる。

私は、我が家のワンコに再会した様な気持ちになり、
そのわんちゃんに話しかけた。
きちんとこちらを見て、まるで言葉が通じているかのよう。
益々、離れる様子は無くなり、そのままずっと私に甘えたそうな様子。

私自身は、少しでもこの可愛いワンちゃんと遊べるなら
ずっと触れ合いたかったけど、他人様のワンコ。
しゃがみこんでいたので、立ち上がるとワンちゃんが少し離れた。
その隙に飼い主さんがリードを引っ張り、私から離した。

思わず「すみません」と私の方から御詫び。
「いやいや、反対ですよ。こちらの方が申し訳ありませんでした。
こんな事、初めてでびっくりです。初対面の人にはいつも警戒するのに」
と向こうから言われた。
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おそらくすぐ近所のお宅だと思うけれど、
近くにあんな可愛いワンちゃんがいたんだな。
また会いたいなと思った。

”飼い犬が亡くなった後に何度も生まれ変わり、
やがて元の飼い主の所に再び戻るのだが、
姿が変わっているので「僕だよ!生まれ変わったんだよ!」
と飼い主にわかってもらおうとする。が、なかなか気が付いてもらえない。
犬と飼い主にしかわからない芸をやって、やっとわかってもらい、
お互い再会を喜ぶ” みたいな内容の映画があったなー。

あのワンちゃんは、7年前に亡くなったうちのワンコの生まれ変わり?
「あ、お母さんだ!くんくん、やっぱりそうだ。
お母さん、僕だよ!わかる?やっと会えたね!」

とワンコが訴えていたかの様だった。
そんな事を勝手に妄想して勝手に癒された。
永遠のペットロスの心には、久しぶりに犬と触れ合え嬉しかった。

とても綺麗に手入れされていたし、
飼い主さんも優しそうで、幸せそうだった。
私にとって、思いがけない幸せなハプニングだった。



髪を切った。
毎年夏は髪をくくる。首に髪の毛があたると暑いし、
汗が髪にべたつくのが気持ち悪い。
で、涼しくなると切っておろすと言う毎年同じ髪型の繰り返し。

パーマはかなり前からやめている。
毛染めをし続けていることもあって、
髪が細くなり、薄くなってきた。

髪と歯は額縁みたいな効果があって、
特に髪は、清潔感と艶は大切だと思う。
若い時には気楽に良く行った美容院、
色々髪型を変えて、楽しんでいた。

今では美容院で過ごすのが疲れる様になり、
季節の変わり目にカットするだけに。
カラーも、お店でやっていたが、一度最悪な目に遭って以来、
自分で染める事にしている。

美容にお金をかける人とそうでない私みたいな人は、
年をとればとるほど、見た目に差がでることだろう。
でも気にしない。
清潔感と自分に合う服を着ていればいい。
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朝早くから開店しているホームセンターにも
今朝起きてすぐに買い物に行ってきた。
年配の人が沢山買い物に来ていた。私もその一人。
花木、野菜の苗を買う人も多い。
ガーデニングの時期でもある。

昨日は、腰痛で落ち込んでいたのに、
今日は重い花の土を買った。
自分の好きな事をする為だし、自分しかいないから
重かろうが買う。
まだDIYの仕事も残っている。

お米10キロ買った時は、今よりずっと痩せていた身体で、
平気で抱えていた。
今では、5キロを持つのも、びくびくしながら持ち上げている。

毎日の室内体操、やらないよりはまし。
効果があると信じたい。
このまま、続けて頑張ろう。

 

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