道端やブロックの下に生える雑草の中に
気になるものがあると、根っこから掘り出して
鉢植えにしている。
調べると、雑草とは言えず、お店で売られている立派な?植物だったりする。
昨年、ブロック柄の下にはえていた葉が気になり、
植木鉢に植えていた。
ずっと枯れた様な状態だったけど、水だけはやり続けていた。
嬉しい事に、春になると元気に育ってきた。
その姿は期待通りに美しく、ツタが伸びて来た。
アジアンタムの仲間の様だ。
アジアンタムはかなり前に鉢植えを貰い、
その葉の美しさにほれぼれしたが、枯らしてしまった。
それ以来、扱いが難しいイメージと枯れるショックを味わいたくなくて
育てることはなかった。
まさか、道端で見つけるとは。
今のところ、元気に育っている。

今日、水をあげていたら、
アジアンタムの横から、別のツタが出ていた。
その葉の形も私が好きな種類だった。
一緒にくっついていたのだろう。
こんなラッキーな体験をすると、
道を歩いていても、端っこの草やブロックに生えた雑草を
ついジロジロ見てしまう。
今の所は、自分の家の敷地内で見つけた草しか育てて居ない。
鳥が木の種や実をよく落としてくれるのだ。
勝手に色んな植物が生えて来る。
流石に自宅以外の道路端の草は取る気がしない。
昨年秋、実家の庭に母が植えていた観葉になりそうな葉の苗を
持ち帰り、植えた。
里芋の葉かなと思って、観葉にするつもりで育てて居たが、
冬に葉が枯れ、元気がなくなっていた。
これも春になるとめきめきと元気になり、
花が咲いたのでびっくりした。
花を見て気が付いた。カラーだった。
そして、思い出した。私がかなり前に母にあげたものだった。
自分はすぐに枯らしてしまい、すっかり忘れていた。
母は大事に育て、株を増やしていたのだ。
このカラーは長い間母に大事にされ、株を増やし、
私から母へ、母から私へと命を受け継いできたわけだ。
もう少し遅ければ、父が枯らしていただろう。
忙しかった若い頃は、花を育てる余裕も無かった。
今、やっと暇になってきたということか。
歳をとったんだなと感じる。
昔は、早くそんな生活をしたいと思っていたのに、
いざそうなると、複雑な気持ちになる。