ふと思った。次の年末年始のこと。昨年はコロナでなければ私が帰省して母の代わりに家事を手伝いたいと思った。最後になる気がしていたから。現実になってしまったけど。年末には病気が悪化していたのだろう。「体調が悪いから、年末もお正月も食べに来ないでね、料理も作る
いろいろ
母の幸せ
父の若い頃を思い出すと流石に今ほどひどくは無かった。特に子ども、孫に対しては優しくて良いお爺ちゃんだった。以前は、いつもにこやかで穏やかな顔をしていた。今は、しかめ面で怖く、別人のよう。母の人生を思い出すと、常に父と一緒で、頼り切っていた。そうなる様に父
コロナのせい
知人から聞いた。県外のお友達がコロナに感染したそうだ。熱があり苦しいけど、保健所から家にいてといわれただけで、薬もなく、医師にも見て貰えず、自宅でただ苦しむだけだそうだ。家族感染も広がり、悲惨なケースが続いていて、もう嫌だ!と叫びたくなってくる。未だにこ
これで良かった?
やっと父に手紙を出した。どこか心に引っかかっていた物がスッキリした感覚。 弟には、投函した後で連絡した。黙っておこうかと思ったが、父が怒りそうな部分はカットした事を言っておかないと、弟がいつもの無神経さで余計な事を言いかねない。母の日記は、字が乱れており
父の話
父が母とのなれそめを長々と話した時を思い出す。嬉しそうに、にやけて?話す。弟には話さない。私だけに。母の醒めた話し方とは正反対。弱い立場に置かれてしまい、縛りつけられてしまった方は当然後悔する。亭主関白で、こういう父親は昔は多かったと思う。 母とやっと結
いつか整理する日が
今朝は、早く目が覚めてしまい、涼しいうちに何かしようと思って先日片付けた物置のチェックをした。物置というか、押し入れなので棚が無く、段ボール類を押し込んでいるだけ。棚を作り、綺麗に並べれば探し物をする時わかりやすいのだが今の自分にはその気力が無い。一度、
今年の夏は
蝉がすぐ近くの木にとまって鳴き出している。また夏が来たんだなあ。昨年の今頃もコロナ騒ぎで今よりも緊張感にあふれていた。母は、まだ元気で、定期健診でも異常は無く、このまま何とか年月が過ぎればいいがと弟と話していた。まさか、コロナ禍は、今年になってもまだ何も
いつも笑顔で
最近、長電話をする事、というか、電話で誰かとお喋りすることが無くなった。かければ、長くなるのは明らかな人には今は、かける気力が無い。子どもが小さい時は、ママ友と、たまに職場の友人と電話でお喋りをしていたが、何といっても一番よく電話がきていたのが母からだっ
母の訴え
あれから、試しに?弟に聞いてみた。 「実家の玄関に母が黙って立っていた夢を見たんだけど、何かあった?思い当たる事は無い?」と。 すると「昨日なら、父の髪を玄関で切ったよ。生前母の髪も玄関で切っていたなあ」とのこと。母は、抗がん剤で脱毛してから、うっすらと生
母の形見 (3)
弟たちに裏切られた感覚なのは、父もわかっているはずだと母は言っていたが今の父は以前と違うので弟を信頼していると思う。息子さえいれば娘はどうでもよいと。とりあえず弟には「私と母との思い出の品が沢山あるから勝手に持って行かないで」と言っておいた。弟が突然「父









