りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 実家のこと

昨日は元気な声だった母が、今日は少し元気の無い声で電話をしてきた。


電話をする気力があるからまだ安心だが、何故元気が無かったかと言うと、医師の言葉の影響だ。


弟や父は、母を不安にさせない様に「大したことはない、すぐに帰れるよ」と話しているそうだ。

検査結果が悪いかもしれないと思っていても顔に出さず、不安にさせない様にしている。

だから昨日の母は、簡単な手術ですぐに元通りの生活に戻れると信じて、とても明るかった。


これから手術をするのだから気力が大事だ。希望をもって明るくしててほしい。


医師は、母に「あなたは危なかった。もしかすると大変な事になっていたかもしれない。手術してもしばらく退院できないかも」と話した様だ。

確かに痛くて辛かっただろうが、今は痛みもなく元気なので本人は1週間もすればすぐ帰れると信じている。


そこにそんな暗い話をしなくても良いと思うが。

これから検査結果がでるのに、変に不安にさせては困るのだ。

高齢なのだから、悪かろうが、良かろうが残された時間は短いだろう。病院に縛り付けて治療漬けにはしたくない。

今まで通り、普通の日常生活に戻してあげたい。本人はすぐにそうなると信じているのだから。
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弟と父も私と同じだろう。家族に相談なしに医師が勝手に本人に話す事もあるらしい。


それは止めてほしいと弟に連絡しといた。
小腸なので、患部が奥にあり、場所が特定できずに手術ができないでいるようだ。

救われたのは、医師が院内を動いていいと言ったこと。


母はそれを聞いて喜び、どんどん歩き回っているそうだ。それだけは救われた。食事ができない為、つまらないとも言っていた。


今のこの元気がずっと維持されますように。



母から電話がきた。


鼻にチューブをつけたまま、元気な声で少し安心した。
「盲腸みたいなものよ。」と明るかった。腸を空にしているので痛みもとれ、本人はもう治った気でいる。

まだ正確な検査をしていないので、小腸がどうなっているのかはわからないが、とりあえずはホッとした。

病気の重さではなく、本人が苦しむのが一番困る。
高齢なので、本人もある程度覚悟はしているだろうが、最後まで苦しむ事がなければいい。

今は、連休中に我慢していた痛みから解放されて、病院にいて、ホッとしているところだろう。

母から、下着を買って送ってほしいと頼まれ、すぐに買って送った。

普段からいつ入院になっても良いように、準備はしていたから心配はないそうだ。

ただ、下着類は、弟では探しきれない物があって、私に頼んだらしい。

やはり、母は「(弟が)良く動いてくれるので助かる。よく気の付く娘みたいだ」と喜んでいた。それは良かった。その裏には弟嫁への失望が感じられたが。仮に嫁さんがいたとしても、母のストレスになりそうだ。

以前母が入院した時の、彼女の冷たさと性格の強さは懲りている。

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とりあえず、声を聞いて、私は落ち着いた。弟が今のところは頼れる。母は私より弟がいてくれる方が良いのだし。
いざ、世話が大変となったら、あの夫婦は放り投げるかもしれない。弟は嫁さんに引きずられるから。

その時までは私は出しゃばらない。

手術後がどうなるか、原因は何か、悪性腫瘍なら治療が長引き、そのまま弱るのではないかとか色々考えてしまう。


悪性であっても、高齢だからあれこれいじらずに、家に帰っていつも通りに生活させてあげたいと思う。そうなる事を祈るしかない。




昨日、弟から連絡があり、母が緊急入院したという。


そう言えば、連休前に母から電話があり

「昨夜突然強い腹痛が来て、吐いてしまったから病院に行ってきた。食中毒では無いからと言われて薬をもらった。今朝は治まってる。」と言っていた。

今年になってから
「最近全く食欲が無くて、ご飯を作るのも苦痛だわ。食べる量も減ってきて痩せたかも」
と言っていた。食欲はそれからずっとでないままで、年齢のせいかもねと話していた。


連休前に話した時、私はやりたい事があり、早く電話をきりたかったので、あまり真剣に聞いていなかった。今思えば、もっとじっくり聞くべきだったかなと思ったが、母は心配性でちょっとのことですぐに病院に行くので、またかと思っていた。

連休が終わっても何の連絡も無いので、おかしいなとは思った。いつもならあれからこうなったと報告してくるからだ。


「ほら大丈夫だったでしょ」と言って終わると思っていた。


今回は、私の予測は外れた。見抜けなかった自分が情けない。
父は全く母の事には無関心で、頼りにならない。
だから私に電話で話した後、おそらく1人で痛みに耐えていたのではないか。

あまりに長引く不調に、父ではなく弟に病院に連れて行ってくれと頼んだのだろう。
父は後から病院に呼び出されて、出て来たらしい。


手遅れにならずによかった。腸閉塞で手術になるそうだ。


今年の10連休は、自分的には全然よくなかった。

母はきっと痛みをこらえていたに違いない。病院にいって薬ももらっているし、病院は休みだしと。
とても危険な状態になっていたのではないか。


いつも母が心配していた。「私がお父さんより先に寝込むわけにはいかない。」と。そこは私と同じだ。昨日まで、母の方がしっかりしていて元気に見えていたのに、何があるかわからない。


高齢なので、手術の身体への負担は大きいだろう。退院してもこれまでの様にはいかないと思う。

すぐに行きたいところだが、「今すぐどうこういうことはないから、来なくていいよ」との事だった。

あまり騒ぐと母が逆に不安になるからと。
こちらも、今月一杯は動けない大事な用事が詰まっている。


どうかたいした事が無い事を祈る。

退院したら、いつもの感じで帰ったよとふらりと行く予定だ。


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父の事も心配だ。
いつも色々親の愚痴を言っているが、いざとなると心配になるものなんだな。やっぱり親子だ。

これまで両親が二人共、長生きで助かった。親は元気で長生きするのが子孝行だ。
でも、いつかは病に倒れるのは避けられない。


自分も、子ども達の為に元気でいなくては。

こんな時も、また弟嫁は長期旅行に行ったまま帰ってこない。以前の入院の時によくわかったので、何も期待はしない。



私はいわゆる男尊女卑の家庭で育った。


父親がワンマンで、母は言いなり。おかしな事も、子どもがどんなに困る事でも。

自分の考え、文句を一切言うなと言われて育った。母に。

今思えば子どもの人権なんて無かった。

弟は男だから自転車を買ってもらえる。私は女だから必要ないと言われた。
いつの時代の話か。当時から我が家だけ戦時中に生きている様だった。

経済的な理由なのかと思っていたが、弟はすぐに物を無くす性格で、自転車もすぐに盗難にあったり、壊したりして、何台か買い直してもらっていた。だからお金の問題では無い事はわかった。弟は怒られている事もなく、叱られるのはいつも私だった。

自転車がないと不便だった。
友達は当たり前に乗っている時代に、女だからいらないとか意味がわからなかった。

学校に通学するにもバスで乗り換えて遠回りした。
友達と自転車で遊びに行こうと誘われても断るしかなかった。
周りから自転車に乗れない事を馬鹿にされてきた。

初めて自転車に乗ったのは、家を出て大学に入った後だ。

大人になってから練習したので、今でも下手だ。

自分が親になった時、子どもにはそんな事は絶対しない、ありえないと思った。

せめて母が父を説得すればよいのに、我が身可愛さで、とばっちりが自分にこないように知らん顔だった。

父親の虐待を母親が止めない、見て見ぬふりをする事が問題になるが、わかる気がする。

もし、私が父親に虐待を受けていたら、母は自分を守る事が最優先で、子どもを犠牲にしただろう。

父と直接話せば簡単に許可してくれた事も、母は「私にとばっちりがくるから絶対お父さんと話すな」と父と子の会話を遮断していた。

父は単純で気が小さい。話せばわかる人だったかもしれない。

父は母に良く怒っていた。でもそれは正しいことだった。
母は、マナーが悪くて下品なところがあったから、私も嫌でたまらなかった。友達にも「あなたのお母さん言葉が汚いし、変ね。」とよく馬鹿にされていた。

だから父が母に注意する事は嬉しかった。

だが、母は黙ってきいているふりで、そのストレスを子どもに向けていた。
「お父さんはおかしい、怖い。だからあなたたちも口を聞いてはいけない。」と洗脳していた。

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もしかしたら、自転車も直接ほしいと言えば買ってくれたのではないかと思う。すべて母が止めていたのだ。
高校3年になると、父の方から、「好きな進路に行っていいんだよ」と声をかけてきた。
父は、私を自由にしてくれた。
母の話と父の考えは違っていた。

母は自分の思い通りに娘を利用するしか頭になかった。近くにおいて、自分のストレス発散に使うつもりが、計算が狂った。


不満そうな母。私は父に救われたと今も思っている。(差別された環境で育ったことは確かだが。)

もしかすると差別していたのは母の方だったのかもしれない。


今でも母は、「男の子が一番。長男さえいればいい」みたいな事を言うし、「娘は自分の都合良く使う為に産んだ」と口にする。
介護状態になったら娘にさせ、弟には遠慮するだろう。弟自身もそのつもりだろう。


実際私がやった事でも、世間には「息子がやってくれたのよ」と自慢し、「娘は何もしなかった事にしよう」と言っていた。もちろん私は抗議し、いつも母に怒っている。

男尊女卑の扱いを私にしながら、弟夫婦に対しては、女尊男卑だ。弟嫁がどんなに非常識でも、冷たくても何も言わず、弟と一緒にご機嫌うかがいをしている。


弟夫婦に多額のお小遣いをわたし、ペコペコする母。
弟嫁は、母の前で弟を罵倒し、私の方が上よと、なめんなよと強い態度で好きな事をしている。
父が救急車で運ばれても、遊びに行って帰らない。
我が子が入院しても、母に付き添いをさせ、自分は世話をしない。頭をさげたくないからと母に会わない。そんなお嫁さん。親を大事にしてくれるはずがない。それをわかっていても、ご機嫌をとり続けている両親。

私と弟では、両親の気の使い方が違い過ぎるのだ。


こんなとんちんかんな親だから、私も弟も親も配偶者に馬鹿にされるのだ。と私は勝手に思っている。母にも話した。母は、何も言えず黙っていた。




いきなり私に怒鳴られた母は、予想外の反応に驚いていた。

「電話にでないから何かあったかと思って」と口調が弱くなった。
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いつもの様に、「電話にでられない事情もあるし、用事は無いと留守電に入っていればかけ直さないし、運転中や仕事中にでろと言うのはダメだし、どうしても急用なら弟にメールさせるとか、留守電に入れたら良い」と説明した。

認知が進んでいるのではない、昔からこんな人なのだ。


「疲れて寝ている時もあるのよ。今も電話でこうやって起こされて、用もないのに夜中にお喋りを聞けというのは無理!」といつもより強い口調で言った。

すると話題をそらされ、「そっちに遊びに行こうかと思っていたけど、迷惑そうね。やめるわ」と言いだした。「忙しくて迷惑なんでしょ。」と言う。


遊びに来る話なんて、聞いてないし私は何も言っていない。

母の嫌味が始まった。きっと父や弟には「遊びに行っていいかと電話したら、迷惑だと言われた」と言うのだろう。


そういう嘘を昔からつく人だった。

弟に頼みにくい時は、「あの子(私)がこうしろと言っていてうるさいから聞いてあげて」と嘘をつき、弟にやらせる。

自分が悪者にならない様に、人のせいにして自分の願望を果たそうとする。

子どもの時は、父に自分が怒られない様に子どもを犠牲にしていた面もある。
今ならモラハラを受けている共依存の妻が、自分を守るために子どもを利用したり、子どもが犠牲になっても守らず見て見ぬふりをする例があるが、そんな母だった。


父は実は子煩悩で、優しい人だった。母が「父に何も言うな、怖い人だ。」といつも脅し、父と話をさせなかった。

家庭団欒はなく、家庭内はいつもシーンとしていた。

元気の無い子ども(私たち)、、近所では「お宅に子どもさんがいたなんて知らなかった。あまりに声が聞こえなくて。」と驚かれた。

それを母は、自慢していた。「私のしつけがよくて、子どもが静かだと言われた」と。
そうじゃない。「あの家はおかしい」と思われていたという事だ。

小さい子どもがいるのに、気配が無いなんて今では虐待を疑われたかもしれない。


もし、私が、障害をもって生まれたら、父は守ってくれ大事に育ててくれただろう。と思う。

母は、世間体を気にして私はずっと存在を隠されていたと想像する。

恥かしいから堂々と生きるな、隠れて生きろ、うちの娘ではないふりをしろと言われただろう。

今でも、私の夫がダメ人間であるので世間体が悪いと気にしているのがわかる。
「離れて歩いて。娘とわからないように。」と言われたり、ばったり知り合いに会ったら「嫁です」と嘘をつかれた事もある。


戦争を経験し、苦労したはずなのに、お金に困って必死で子育てしてきた人なのに、その差別意識はどこからくるのだろう。
当たり前じゃない事を当たり前と思っている母。生きているだけで幸せを感じないのだろうか。お腹を痛めて産んだ我が子に何を望んでいるのだろうか。


「これじゃやっていけない。年金が少ない」と文句を言ってくるが、その金額は恵まれている。父の年金だけでやっていける。専業主婦で働いた事もなく、面倒な事は全て父任せで依存して生きて来た人。その上、まだ贅沢を望むのか。


これからの若い人の将来を心配なんてしない。
それどころか、「私たちが一番儲けた世代でラッキーだったわ」とまで言う。「若い人は年金減らされて運が悪かったわね。ああよかった、自分はしっかりもらえて。」と言う。
孫の事なんてどうでもよいと言う。


私の年金いくらだと思う?と教えると、話題をそらす。

「どうせ私はあなたや孫が年金貰う頃は死んでるからどうでもいい」と言う。


「もう私に愚痴の電話はやめて弟に全部吐き出してよ」と言っている。

弟の前ではいつもにこにこして、良い母だと思われたい様だ。最近は私が全て弟に話しているから、弟は母の裏も知っているのに。

私はいまだに本当の母は他に居る様な気がする。絶対ありえないとわかっていても。

母にしたら、”一生懸命育てて、助けてきた娘に、こんな風に思われるなんてやりきれない”と思うだろう。私が子どものままなのかもしれない。

親の気持ちは子にはわからないと言うが、確かに自分も我が子にそれを感じる時もある。

親としての自分、子としての自分、両方の立場も気持ちもわかるので、複雑なのだ。

母から何回か着信履歴があった。

留守電のメッセージには「用事は無いの。ただかけただけだから。」と声が入っていた。

でられない状況はあるのに、いつも私が暇だと思っているのか。

暇潰しに長電話をしようと思ってかけているのだ。

一度電話をとると、1時間は同じ話を聞かされる。「時間が無い」「仕事中」と言っても話をやめないので、でないことにしている。

昨日は、母の相手なぞできる状態ではなく、緊急の用事では無いのだし、無視していた。

両親が高齢だし、いつ何があるかわからないのでなるべく電話にはでたいのだが、それをいいことに私はいつも暇だと思われては困る。


たまには(私より大好きな)弟と話せばいいと言うと、「迷惑だろうし、邪魔になるといけないから」と弟には気を使うのだ。私は娘だから何をしてもよいと思い込んでいる。

なので、なおさら電話にはでたくない。


昨夜は疲れていていつもより早く布団に入った。

眠気が襲いウトウトした時、携帯ではなくて固定電話が鳴った。

母はいつも携帯にかけてくるので、出たくない時は、マナーモードにしている。


母は、私が携帯に何回もかけてもでないから、固定電話からかけ直した様だ。

夜中に呼び出し音がしつこく鳴り、目が覚めてしまった。

留守電に切り替わり、母が大声でメッセージを入れている。

「なんで電話に出ないの~っ!どうなってるのよ!」と腹をたてて叫んでいる。安眠妨害な声はストーカー気質の母の性格をよく表している。
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いつも私は伝えている。

「いつも電話にでるとは限らない。でない時もあるしでられない時も多い。
緊急な時は、弟からも連絡させられるし、私の子どもたちに電話もできるし、どうにでもなるのだから、ただのお喋りなら、私が電話にでないからといっていちいち文句言わないで。」
と、何回も言っている。


母は、都合の悪い事は聞かないふりをする。若い時からそうなのだ。

弟にこの話をすれば「年とっていて話し相手が欲しいのだから相手してやれば」と他人事。

いやいや、若い時からこれが続いてきたのだ。弟は面倒な事から逃げる。

私から母に相談事を話しても母は話を聞きたがらないし、すぐに切られてしまう。
まあ、ほとんど私の夫の事だから聞きたくない気持ちはわかるが。母から聞かされる愚痴に比べると、私の愚痴は深刻すぎるから。そうでなくても、私の話は聞かない。理不尽すぎる。

夜に、電話器から聞こえる母の声。


ストーカーにあっている様な気分の私は、受話器を取り、叫んだ。
「いい加減にしてよ!」





母は、退屈になったり愚痴を言いたくなると電話をしてくる。

ばたばたと家事をしていたり、やっとじっくり観れると思ってDVDをセットした時に限って電話がくる。
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今から仕事に出ようと準備中でもかかってくる。

高齢なので、また父に何かあったかと思い、その都度慌ててでるのだが、「暇なんでしょ」「何していたの」「昨日は出なかったけど、どうして?」など勝手気ままだ。


「今から仕事だから時間無い!」と言っても延々とお喋りを止めない。


一度電話をとると、1~2時間は同じ話を繰り返し聞かされる。


大事な時間が束縛されるのは困る。「どうせ暇なんでしょ」「ろくなご飯作ってないんでしょ」と言われ、否定しても聞いていない。仕事に行く時間になったり、切りたくなったら強引に切ることにしている。

母は「私は毎日忙しいんだから」「この歳になったらいつ何があるかわからないからね」と自分の事ばかり言う。

これが高齢になったから仕方ないと思えるならいいが、実は若い時からずっと続いてきた。


私の家庭の事情も、暇ではない事もわかっているはずなのに、自分のいる世界以外の状況を想像できないようだ。そして自分のいる世界が一番正しいと信じている。

こちらの都合はお構いなしにふるまうのに、母自身はいきなりガチャッと電話をきる事が多い。

父が帰って来たとか、2階から降りて来た時に、いきなりきる。まるで私と電話をしている事が悪い事をしていると思っているみたいだ。父は娘と話す事を喜ぶ。怒るはずがない。

だが、母は勝手に切ってしまう。とても失礼なことだ。私の方が来客があろうが、電話は切ろうとしない。


最近の電話の内容は、「自分に何かあったら~○○を△△してほしい」という話が多い。

存続人は私だけでは無いし、大事な事なので、「私だけに言わずに弟や父にも話して」とか「紙に書いて残して」と頼むのだが、「面倒臭い」と言って聞かない。

「なら私には何もできない」と答える様にしている。何もかも私にやらせようとしているからだ。しかも内緒で。

弟にも父にも言えない様な内容を私にこっそり押し付ける。

もし私が「母がこれを望んでいた」と弟や父にいったところで、証拠もなく、聞き入れてもらえないかもしれないのに、なぜ私がそこまでやる必要があるのか、しかも相続権も私は冷遇されそうな感じだ。

裕福な弟にプラスの資産を全てを渡し、私は負の資産や嫌な仕事をこそこそ押し付けられる。そこまで娘を馬鹿にするものか。

「息子に迷惑かけたくないから言えない。あんたは娘だから何でも言える」と言う。

父や弟には嫌われたくない様だ。「娘にはどう思われてもいい。利用する為に娘は存在する」のだからと。

私は「親が先に逝くとは限らないよ。私たちだって毎日車を運転していればいつ事故にあうかわからないし、私の方が先にいなくなるかもしれない」といつも言い返す。

母が望む事も父がしている事も、残された子ども達の負担を増やしているだけで、世間一般の「終活」とは真逆の事をしている。

片付けるどころか物を増やし続け、管理にお金も労力もかかる負の資産を放置しているというか増やしている。
老後の貯金もその為に使っている。子ども達に負担を書けない様にしたいとは思わず、負担を頑張って引き継ぐのが当たり前だと思っている。
子どもには子どもの生活があるという事が頭に無い。特に娘に対して。

私は、ただでさえ生活が不安定、いつ夫が何かしでかすかもわからず、老後破産がありえる事を母は知っているのに、「そんなお金はどこにあるの」と言いたくなる様な事ばかりをやらせようとしているのだ。


両親には「自分達は貧乏で苦労した」と自慢気に聞かされてきたし、事実自分も貧しい暮らしで育ったが、それでも両親より私の方が悲惨な生活をしているのは確かだ。だから「私を頼らないで」と話している。

母の性格から考えて、知りたくない事は聞かなかったことにしているのだろう。

幸せな人だ。

私に比べれば、幸せな楽な結婚生活だったはずだ。
私は幼い頃は、「どこかに本当の母親がいるんじゃないか」と思っていた。

母に違和感を感じていた。今も子どもから「お母さんとおばあちゃんは親子とは思えない」と言われる。
顔は似ているが、全く母のDNAが入っているとは思えないほど、タイプが違うのだ。雰囲気が違うと言うのか。

以前、ご近所さんからも言われた事がある。「あの方がお母さんなの?想像と全然タイプが違ったわ」と。悪い意味でそう言われる。だから友人に母を見られるのがいつも嫌だった。


今お互い、親子で元気でいるからこんな事を言えるのだろうが、いざ電話で話す事も会う事も無くなったら寂しくなるのだろうか。

親の愚痴を言えるというのは、贅沢な事なのだろう。



久し振りに友人と会った。


10年前から乳癌、子宮摘出と病気をしてきた友人。それでもいつも笑顔で元気な顔を見せる。
おひとりさまで、いつも頑張って働き、人の為に尽くす人。


最近、十二指腸に潰瘍が見つかり、悪性か良性かを調べる手術を受けるという。

全てを1人で抱え、病気を乗り越え、頑張る友人を見ていると、自分が情けなくなる。


歳をとるとなかなか心通じる友人ができにくい。

今の土地に来てから、仲良くなった人は何人もいたが、遠くに引っ越してしまったり、いつしか疎遠になってしまった。

私自身引っ越しの連続で、日本全国、あちこちに友人が散らばってしまい、会いたい時に簡単に会える事ができない。(老後は友人との再会ツアーを楽しもうかな)

いつまでも心の通じ合う友人は県外ばかりだ。

だから、昨日会った友人は、今の土地で何年たっても仲良くしてくれる貴重な友人なのだ。


お互いあまりべったりしない。住所も知らない関係だから続くのだと思う。
入院する病院も教えない人だ。


煩わしい関係に成らないように、さりげなく一線を置いている。


でも心配だから、付き添いの人はいるのか聞いたら、地元なので親族の人がいてくれるそうで安心した。

うちの事は、夫との関係だけはさらっと話している。


昨日、別れ際に「ご主人はいずれ帰ってきて同居するんでしょう?」と聞かれた。


「さあ、どうかなあ。一生働いてねと言ってあるからねっ!?帰ってこないかも?」

と言って一緒に爆笑。笑って別れた。


次は、手術の後に会えるだろう。どうか、明るい再会になりますように。どうか、良性でありますように。

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