りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 実家のこと





弟たちに裏切られた感覚なのは、父もわかっているはずだと母は言っていたが
今の父は以前と違うので弟を信頼していると思う。
息子さえいれば娘はどうでもよいと。

とりあえず弟には
「私と母との思い出の品が沢山あるから勝手に持って行かないで」
と言っておいた。
弟が突然「父が勝手に処分するかも」と不安を煽りだしたのが気にかかる。
無視して勝手に持ち出すかもしれない。

要するに父を口実に、高価な物を探して持って行きたいのかなと
疑ってしまう。
そんなに母の思い出が欲しいなら、手作りのセーターを捨てなきゃいい。

よく考えてみた。
父は物を捨てられない性格で、ゴミ屋敷になる傾向があるのに
簡単に物を捨てるとは思えない。

口では、邪魔だというのはいつもの事だし、
弟が、心配だから家に持って行くと言い出した事に
違和感を感じる。
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普段から、無神経だったり、価値感がずれている。

弟は、母が余命宣告された時、毎晩泣いていたと言った。
なのに、母には「自分がいなくなった後の事考えても意味ないよ」
と言い、母の遺言?を聞かず、母はまた私に電話をかけてきて「酷い事を言われた」
と愚痴った。亡くなる数日前だ。

母が亡くなった時、「楽になった~」と言った弟のホッとした顔が印象的だった。

まだ、父がいるのに「実家はいくらで売れるかな」と計算していた。
これ以上、お金欲しいの?もう充分持っているでしょう。
私は貧乏だけど、そこまでガツガツしていないよ。
私が帰省した時、どこに行けば?と言う気力も無かった。

母がいなくなった後、
嫌な気持ちになる事が増えた。





実は、こういう事を母は予測していた。

亡くなる前に「(弟が)勝手に持ち出す前にあなたが全部持って行って。
いずれ娘に渡すつもりで買ったのだから」
と母に言われ、以前から少しづつ、形見分けとして母が私宛に送ってきていた。
亡くなる前にも、「今のうちに○○にあるアクセサリーは全部取っておきなさい。」
と母から言われていた。

我が子も、遊びに行った時に形見分けを貰ったと言っている。
「大事にしてくれる人にしか、あげたくないの。」と言っていた。

母が、弟に形見分けをしたくないと言ったのには理由がある。

弟は、母の手編みのセーターを全て捨てた。

母は若い時、編み物のプロ?だった。
働く事を許さないDV気質の父には
趣味でやっていると嘘をいい、こっそり稼いでいたらしい。

と言っても、あまり沢山はできず、
家計の足し、自分の物を買う時のへそくりにしかならなかったと言っていた。
編み物教室もできるほどの実力で、教師免許も持っていたのに
父は母を家に縛りつけた。

「女は男より劣っているんだから、夫の奴隷になるべき」と言った父。
(本当は母の有能ぶりが怖いだけ、威張りたいだけだろうが)
母の編んだ物は、良質なウールで、デザインも出来上がりも良かった。

母に頼むと、自分のデザインした通りに編んでくれるので
学生時代から喜んで着ていた。
ジャケットからスカート、ズボンまで編んでいた。
デパートから注文を受け、結構高値で受けていた。

なかなか服を買って貰えなかった私は、夏はサマーヤーンで、
冬もウールのニットスーツを編んでもらった。

学生時代も、服を買うお金が無く貧乏だったのだが、
何も知らない友人からは「凄い、オーダーメイドのニット着てる!」と
褒められ、それを母に言うと、とても喜んで、どんどん編んでくれた。
なので母の編み物にはかなり救われた。
着なくなっても、絶対捨てられない。

で、弟は、「飽きた。もう着ない」と言い、母の目の前で捨てたらしい。

母はショックを受け、
「着なくてもいいから、形見として持っていてほしかった」
「私にわからない様に処分すればいいのに、無神経すぎる」
「お嫁さんに気を使ったのかも。もう絶対あの子には自分の形見はあげられない。
簡単に人の心の入った物を捨てる神経がわからない」
と私に泣きそうな声で言った。
他にも、色々弟の家に買ってあげた物を奥さんに捨てられた事があったらしい。
(そうやって甘やかすからだと注意しても聞かない母)

母の悪いところは、弟にはご機嫌伺い、いいよいいよと良い格好をするところ。

裏で私に愚痴るだけ。本人には伝わらないし、価値もわからないダメ男になる。
親として、息子に言えることは言うべきだった。
私にはずけずけと罵るのに。息子と娘への態度が全く違う親だった。

その差別が、結果自分に正反対の結果をもたらした。

無神経な、親のお金をあてにするような人間に弟を成り下げたのは母自身だ。

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弟も、セーターは捨てたのに、貴重品は欲しがるなんてなあ。

お金になりそうな物だけを形見と言うのか。

私はお古でも、母の物を使いたいと思う。
弟は女物を使う訳ないし、おそらく、売ってお金にしたり、
嫁や娘にあげればいい格好できると思っているのかも。

それは間違いだと気が付いていない。
贅沢に慣れた嫁と娘が喜ぶ様な、高価な物は何もない。
それに…弟の家は豪邸だが、掃除もせず、汚い。
物を大事にするイメージが無い。
持ち帰っても、ポイと置きっぱなしにしそうだ。
そしていつしか、奥さんに捨てられる、でも気が付かない。そんな気がする。

母の私物は、私がお土産にあげたり、記念に贈った物ばかり。
母が父に遠慮して何も買わなかったから
私が独身の時から、プレゼントしてきたものを母は大事に使っていた。
服、バッグ、下着から帽子、財布、ネックレス、腕時計もそうだ。
弟は親にお金は使わないし、むしろ貰うのが当然と思っていた様だ。
弟夫婦の方が、親より何倍も裕福なのにだ。

お金の使い方が普通と違うのだろう。
そうさせたのは親にも原因がある。

母が私に形見を全部あげたいというのは
思い出を渡すと言う気持ちもあるだろう。

「嫁や弟孫にあげたって、捨てられる気がする」と言っていた。

これまで、長い間、孫の世話から何までしてあげて尽くしてきたけど
心の通い合いが何も無く、思い出も残っていない、
嫌な思いしかない、との事だった。
弟は心の持ち方が、私とはどこかずれている。


                               続く


父が、母の形見分けもせず、
母の物を全て勝手に捨てようとしていると
弟が心配していた。
母の物だけでなく、皆の物も。
自分が必要としない物は全て邪魔だと。

母は、自分の大事な思い出の品、着物や貴重品は
全て私に残すつもりだと言っていた。
だから、片付けは私にやってほしいと言っていた。

弟に絶対持って行かれたくないという気持ちもあってだ。

私は、近いうち、と言っても来月以降になるだろうが、
父の留守の時に、母の形見を探しに行こうと思っている。
それが母の遺言でもある。
忘れ物もあるので取りに行きたい。

父に、母の希望だから私に任せてと言ったところで無視されるのはわかっている。

まだこれから孫たちが泊まる事もあるのに
いずれ父がいなくなったら(私や?)誰かが住むかもしれないのに。

自分が使う布団以外、全部邪魔だ、何のためにこんな布団があるのかと
言っているそうだ。

もう誰も泊まらせないつもりか?
この前の感じだとそんな気がする。
そんな嫌な爺さんには、誰も寄り付かなくなるし
自分が孤独になっていくだけなのに、
こんな寂しい老後は嫌だなあ。
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母が生前、父に片付けを頼んでも無視され、
父は、家の中の事に関心を示さなかった。
父は倒壊寸前の祖父の空き家に執着していた。

1人になった途端、無関心だった自分の家にも執着し始めた。
勝手なものだ。
こんな風に突然何もかも自分の物だ、触るなと執着が強くなるなんて
母も予想もしていなかったと思う。

弟は、待ってくれ、自分達で形見分けをしたいから、とか
布団は、まだ皆が使うよとか、
何も父に言えない。情けない。
父に言い返されるのが怖いのだ。

弟の異常な弱さ。中年のおじさんになってもこれ。
だから嫁さんにも何も言えず、言いなりなのだろう。

人から怒鳴られる、反対意見を言われるのが怖い様だ。

で、心配になったのが
母の着物、貴重品だけを、弟が自分の家に持って行こうかと言い出した。

急に「宝石とかどこにあったっけ?」と聞いてきた。
                        続く





弟から何回か着信がきていた。

父に何かあった?と思ったが違った。

たいした用事では無かったが、久しぶりに長電話になった。
弟はそもそも長電話をする方では無かった。
母と私に長電話をするなと注意していたほどだ。
(奥さんには何も言わず(′∀`))

最近は、電話で私と色々話す様になってきた。
私も、母からぱたっと電話が来なくなった後で、
身内から電話がくると嬉しいものがある。

母がいなくなり、父がおかしくなってきて、
弟のストレスも益々溜まり続けている様だ。

父の様子は、こちらから聞かないと話して来ない。
まめに世話をしないことを批判されるとでも思っているのか。
今更だろう。
最近、更に父を避けて、数日置きにしか顔を見に行かないそうだ。

以前の父のままなら、心配で手伝いに帰りたかったが
もうここまできたら、放っておくしかない。
父の希望なんだし、後は自業自得だろう。

どんなに心配して大事にしても、全部悪意にとられる。
母から聞いていた父の話が、今更だが、これだったのかとしみじみわかる。
娘であっても、実家の事を「俺の家だ、勝手に触るな、泊まるな」と言い出した。
認知症も当然あるが、日常生活を1人で何とかやっていけているので逆に困る。
もっとおかしな言動があれば
病院で診察受けて、それなりに対応できるのに。
認知症というより、元来の本質が露わになっただけと思う。

脳の老化で、理性が無くなって来たのだろう。
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昨日、古い手紙を処分していて、母の手紙を見つけた。
それを読んで、そのことを確信した。
手紙には

「外に激しい運動をしに行く父を心配して、気を付けて、無理しないでと声をかけただけで、
うるさい、俺の楽しみを邪魔する気か、お前は俺を不快にする事ばかり言う、
文句があるなら出ていけ、と異常に悪意にとられ、暴言を吐かれた。いつもこんなで困っている」

と愚痴が書いてあった。これは、だいぶ前の話だから認知症は関係ない。

「黙って言いなりになれ」「ハイ以外は言うな。」と常に母に言っていたという。
母の人権は無視だった。

母は、私に長年父の裏の顔を愚痴り、
私も聞いてあげてはいたが、
父親としては、夫に比べると強い責任感があり、
給料は全て母に渡し、贅沢もせず、育ててくれたという面だけでも
私は感謝していた。
母に対してのみ見せる裏の顔、
自分は父と接触する機会もないし、
夫婦間の事で、私には関係ないと思っていた。

自分が結婚してからも、夫と父とのDVパターンが違ったので、
父の方が全然ましだと思った。
経済的には母は安心して生活していた。

そこが、私には贅沢に思えた。

以前の父は、表の顔がほとんどで、裏の顔は母の前だけ。
だから、母の訴えは弟は信じていなかった。
今でも、どこか父の表の面を信じている。

今、老化のせいもあり、裏の顔が一気に噴き出し、
表の顔がほとんど無くなり、
どう接してよいのか戸惑っている風だ。

男尊女卑もあり、私は父の裏を長い間知っていたし
父に言いたい事を言えるが
ずっと大事にされ、母も綺麗事しか弟には見せて来なかったので
ある意味、弟は「親は立派である。反抗するな。」と
洗脳されたままなのだ。

父に意見を言えないのだ。
闘うことが嫌い、意見の言い合いが嫌いなのだ。


こんな家庭環境だったから
私は自己愛のターゲットにされる人間になったと思う。
弟も同じ?

父の黙っていう事を聞け、という母へのDVを
母を通じて子どもの時から圧力を受けて育ったから
自分を抑えることが美徳のような間違った洗脳をされた。

今更遅い。
親の育て方、人格というのは子の人生まで影響する。

それを思うと夫が出て行ったことは許せないが、
子にとってはとても良かったとつくづく思う。

我が家の夫が不在である事で、子ども達に悪影響は何も無かったと思う。
むしろ、夫が不在だった事で、子供たちの精神は守られたと思う。

両親が揃っていれば良いと言うものでは無い。

子どもにとって、害になる親ならいない方がましだ。
だから、もっと社会は、皆で子ども達を守ってあげなきゃいけないと思う。







先日亡くなった叔母の息子にあたる従妹から電話がきた。

久し振りに話したので、
お互い言葉がかぶさり、話が行ったり来たりになり
長くなった。

電話を切った後、自分の無神経さに後悔した。

電話そのものが苦手なので、久しぶりの相手だし
不幸があった後だし、
配慮して話すべきなのに、
子どもの時から親しかった存在でもあり、
つい心を許して、自分の事ばかり話してしまった。

母と伯父(この従兄の父親) が同じ日に亡くなった。
後を追うように、先日亡くなった叔母へのお悔やみの言葉をかけるべきところが
母の事ばかり話題にしてしまった。

虫の知らせだったのか、
彼は、母が入院する前に母に会いに行っていた。

コロナで、県外からということもあり、
車から降りず、外で、少し話しただけだったそうだ。
「あの時、おばさんは、散歩から帰ってきたところで、とても元気そうだった。
まさか、あの後入院して、そのまま亡くなるなんてびっくりしたよ」
と言われたので
自分の中に溜まっていたものが一気に出てしまい、
「そうなの、今でも信じられないの」と色々あの頃の事から今日までの
自分の気持ちを吐き出した。


同じ日に彼の父親も亡くなっていたのに、その事を話す余裕が自分には全く無くて
彼に申し訳なく、後悔している。
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従兄の方が、私より年上なのに、私の体調を心配してくれた。
自分が情けなかった。

「私の方が、慰めてもらってごめんなさい」
と謝ったが、後の祭りだ。
彼は、子どもの時から、優しいとても良い人柄で
理想的な旦那様だと思う。
奥さんも親しみやすくて、弟嫁とは正反対。

お互い結婚後は疎遠だったが「これを機会に仲良くしてね。うちにも遊びにきてね」
と何度も言ってくれた。

そんな人だから、つい甘えて無神経なことしてしまった。

最後まで、自分の事ばかり話して、叔父伯母の話ができなかった。
香典のお礼を言われた方が
慰められてどうするんだ。とずっと自分を責めている。

まあ、気にしても仕方がない。

親族間で、私が体調を崩しているのではと噂になっているようだ。

電話をかけても、なかなかでなかったり、
父とゴタゴタしたことや
母との別れで、寝込んでいると誰かが言っているらしい。

それならそれでいいけれど、
私が自分の気持ちばかりを吐き出したことで
「心配していたけど、元気だね、安心したよ」と言われてしまった。

それにしても、同じ日に母と伯父、その後に伯母が一度に亡くなるなんて
ありえないよね、まさかだよねという事は気持ちを共有できた。

電話を切ったあと、母がもういないのだという実感がした。




世の中には、DV被害者や虐めの被害者に対して

「気にし過ぎでは」「加害者にも事情があるから許してあげて」、
「あなたが我慢すればうまくいく」「仲良くしないといけない」
「いつまでも、怒らないで」「もう忘れなさい」「黙っておきなさい」

などなど、被害者の心に二次被害を与える人は多くいる。
根本に差別意識がある。
性被害者に対するセカンドレイプもまだまだ多い。

私が両親の毒親的部分について弟に話すと、
弟は(大事にされ、今日まで甘やかされて来たから)
他人事に感じるようで、
わかったふりはするが、無神経な言葉で
更に人を傷つけ、2次被害を与えてくる。

弟も奥さんからDV被害に遭っていると思っていたが、
違ったのか?自覚が無く、共依存になっているのか。
よくわからない。
でも、長く家庭のストレスで心を病んだ事があるし、
最近も顔面麻痺になった。

原因は、意地でも家庭だと認めないというか
家庭の話題をしたがらない。

我慢して現実逃避するから病むのではないか。
これからの弟の健康が心配になる。

弟と話していると
問題のとらえ方が私とは違う。

人格障害についても、DVやモラハラについても無知。
話題にしても、自分には関係ない、興味ないと言う態度。

母が父にモラハラされていたこと
私の差別的扱いも全く知らないと言い続ける。
母がずっと訴えてきたことだから
知っているはずだが、
おそらく、母の我儘、思い過ごし、母に原因があると
母の訴えを信じていなかったのだと思う。
私の話も、信じていないなと
母へと同じ様に軽くあしらってるなと感じる。
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自分が無知な事は、無いものとするわけだ。
だから、丁寧に、資料を見せて、
DVとは、モラハラとは、人格障害とは、
と、まず、そういう事が存在することから知ってもらわないと
話ができない。
弟自身の事も考えると、自分の事に置き換えて
知ってもらいたい。

事なかれ主義の教師みたいに、
被害者が我慢して、気にしない様にして
仲直りするのが、解決法だと信じている。

「逃げる」
「離れる」
「毒親には心で復讐する」
「無理して付き合わない」
ことは、悪いことだと思っている。

まさか、そんな解決法があるなんて知らないだろう。

虐待されている子どもや
虐待されて育ち、PTSDで大人になっても苦しみから逃れられない人にとって、
「許してあげては」「親孝行すべき」「子は親を扶養する義務がある」
という古い価値観の押し付けが
どれだけ残酷なことか。

弟は父は嫌いだ、とか仕方なく付き合っているとか
私の味方だと言う。
が、いざとなると違う。

視点が加害者側なのだ。
本人はそれがわからない。

でも、そうだからあの奥さんと暮らしていけるのだろう。

「あなたの気持ちはわかるよ、でも」
と「でも」がついて
加害者の言い分だけを信じ、弱い方、言いやすい方に圧力をかけてくる。


同じ親で育ちながら、こうも性質が違うものかと
親の子への接し方は「わけへだてなく」「差別しないで」
育てないと、こうなるという例かもしれない。
なかなか、それも難しいとは思うが、子はちゃんと見ているから
親の心に、全ての子どもに無償の愛があれば伝わると信じたい。



母自身、元日に入院した時、
3か月後に亡くなるなんて思ってもいなかった。
直ぐに帰れると思っていた。
服も着替えしたまま、ぽんと置いてあり
「退院したら自分で片付けるからそのままにしといて」
と言っていた。

だるさは、コロナ禍で運動不足になったせいと
思っていた様だ。

入院前は、
「来年のお正月を迎える事ができるだろうか。
今年が最後かもしれない。そんな気がする。
コロナのせいで、急に体力が落ちた」
と言っていた。

予感はしていたのだろうか。
断捨離をしたいとずっと言っていて、
弟には頼まず、私に作業をさせると言っていた。

コロナで帰れないし、何できつい仕事だけいつも私にさせるのか、
という不満もあって、私から弟に手伝う様に頼んだ。

一度だけ、弟に頼んで物置を整理したらしい。

結局、母の衣類や愛用品は片付けないまま、
この世を去ってしまった。

面会する為に、実家に帰った約1カ月の間、
母の許可を得て、母の服や私物を一部だけ片付けた。
「貴重品や欲しい物は持って帰って」と言われていた。

「絶対に他の人に触らせたくない」と言っていた。

自分のお気に入りの物、大事にしていた物は娘に渡したいと。

弟夫婦や父は、価値が分からず捨ててしまうと。

母の好きな着物は、以前から私に渡されていた。

母の衣類はとても多く、
私が着れそうな物があればと思ったが、
サイズが違うのと、やはり高齢者の服は
自分が同じ歳になるまでは、着れないのでそのままにした。

靴も、サイズが同じなら
新品で歩きやすそうな履きたい物があったが、残念だ。
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父は、母の残した物を「邪魔だ。物が多すぎる」と言い出している。

まだ、母の臭いがして、母の存在した証がそこにあるのに
それを見て「こんな沢山の物を買いやがって」
「捨てないと邪魔でしかたがない」
と文句を言っていた。

母の生前には、全く関心も持たず、
何も見ていなかったのに、今更何を言うのか。
信じられない。

もしかしたら、さっさと全て捨てられてしまうのではないかと思い、
葬儀の後、父から追い出された時に、とり急ぎ、形見に欲しい物、
母の愛用品などをまとめて持ち帰った。
私や私の子が、プレゼントしたものを
「勿体なくて使えない」と大事に保管してあったのも見つけ、
涙が出た。

父に追い出された時、母の形見と一緒に、私の事を心配して
母もついて来た気がした。

他にも沢山置いて来た母の物…気になっている。

父がいない時に、ゆっくり片付けをやりたいが、
どう考えても、今は無理だ。
父が捨ててしまわなければ急がないのだが。
弟は、口では私に話を合わせているが
父の言いなりだ。

もう、温厚だった昔の父はいない。
私にとっては、両親を一度に失ったような気持ちになっている。

 


四九日も終わり、
やっと涙もでなくなったところに
親族二人から、手紙が届いた。

香典返しのお礼も兼ねての内容だったが、
コロナで面会もできず、葬儀にも来れなかったので、
遠くから心配してくれていた。

私が母を1人で看取ったことや、
父との確執も、もしかすると噂が流れているかもしれない。

手紙を読んで、また色々思い出してしまった。

車で外出する時も、母が後ろに乗っている気がして、
買物中も、母が横にいて、
お喋りしている声が聞こえてくる様だ。

良く考えると、
今私が思う母は、現実の母の姿と違う。
 亡くなる直前の理想の母だ。

あの時の理想の母が一緒に居る気がする。
心配して時々私の様子を見に来ている気がする。

成仏してくれていると思いたいし、
心配をかけたくない。

子どもの時に、お母さんが亡くなった友人もいるというのに、
自分はいい歳して、いつまでもこんな風で良いのかと思う。

コロナの影響が大きかったのかなあ。

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母がくれた昨年末の手紙には
「この1年で、すっかり歳をとりました。コロナのせいかもしれません」
とあった。字もいつもと違い、乱れていた。

この直後に入院し、今思えば、
その手紙を書いた約3カ月後に亡くなるなんて
誰も予想していなかった。

おそらく、母の病気はこの時すでに再発し、
進行していたのだろう。
「だるい、きつい」「食欲が無くなった」と電話で言っていた。

そんな母を父は怒鳴りつけ、家から追い出そうとした。
弟夫婦も何も手伝わず、
母は、最期までかなり無理して動いていたと思う。
父へのストレスとコロナがなければ、
母は再発しなかったかもしれないと思ってしまう。

入院前日の大晦日まで、お客様状態で、母に接待させた弟夫婦。

コロナで無ければ、大晦日の家事を私が手伝い、
年末年始を実家で過ごしたかった。

母が何もしなくていいように
私が全てやってあげたかった。
当時、その話は母にした。
コロナのせいで、手伝いに行けないのが残念だと。

その気持ちを話せただけでも良かったと思っている。

父が1人ならそうはいかない。
私の気持ちは通じない。

いなくなった後の父との問題があるから
悲しいのだと思う。

今年の大晦日はどうするつもりだろう。

弟夫婦は、これまで一度も実家の家事を手伝った事は無い。
嫌な事は絶対しないという夫婦。
さて、父の為に何をするだろうか。

そんな娘の心配も、父には通じない。
心配するだけ無駄だ。お節介と言われるだけ。

今の父と弟嫁を思い浮かべるだけで、不愉快になってくる。

母がいたから幸せだったということ、
全てを支えて貰っていたということ、
ぎりぎりまで、弱った母を助けず、
苦しめた事をうんと思い知ってほしい。



母親は家庭の中では太陽みたいな存在と良く言われる。

母になると、自然にそうなってしまうのかなと感じる。

その逆もあるだろうし、
夫婦共、太陽みたいならさぞ楽しい家庭だろう。

家庭内で、一番声が良く聞こえる、
家族間のつなぎ役になる。
もめ事の仲裁役になる。
家族の為に動く。

普段は当たり前な日常になっていて、
目立たない存在なのだが、
いざ存在が無くなると、途端に家族内がギクシャクしてくる。

家庭の顔になり、人が来れば笑顔で歓迎し
沈黙が続けば、話題をふり、場を盛り上げる。

奥さんというのはそういう役目になっていくのでは。

いなくなって初めて、
あの人は太陽だった、大事な存在だったと思い知る。
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実家から自宅に帰宅してしばらくは
毎日爆睡していた私。
意識してなかったけど、疲れていた様だ。

母を看取った徹夜明けの後も
全く動かない父に食事を作ったり、家事をしながら
葬儀などの準備や、来客の準備に追われた。
(それをやらせた後、邪魔だ、余計なことをしたと追い出した鬼父(笑))

疲れも感じず、ハイだったのだろう。

しっかりやってね、後はよろしくと母に頼まれていたと言う事もあった。

今思えば、老害父、無口な弟と嫁、私が揃った時、
気まずい雰囲気が流れ、誰も気を使う事も無くしーんとなった。

葬儀だからでなく、お祝いの時もいつもそう。

これまでは、母が1人動いて、場を盛り上げていた。

いつも岩の様に座ったら動かない嫁さんは、ぶすっとしているだけ。
母が、雰囲気を良くしようと、
色々お喋りをすると、
後から「全くお喋りなんだから」と言うお嫁さん。
あなたが、ぶすっとしているからよと誰も言い返さない。

で、今回は、私がいつのまにか母の役目をやらざるを得ない状況に。

シーンと気まずい、いつもの雰囲気。
いつのまにか、私が色々話題をふり、場を持たせていた。
それが、一番の疲労の原因かもしれない。

何故か、父は弟に直接聞かず、いつも私に間接的に聞いて来た。
私が、父と弟との懸け橋?だった。
(今思えば馬鹿らしい)

人がいる時は無口な父は、
私といる時だけは、お喋りを始めると止まらない。

私と二人でいる間は、良く話しかけられた。
寂しいのだろう、話し相手がほしいのだろうと、
どれだけ、父の話相手になってきたかな。
その分、暴言も私だけが被害にあっている。
今頃、私を追い出したことを後悔すればいいと思う。

DV人間だから、後悔なんてしないだろうけど。

私のことより、母が太陽だったことを
父にはうんと思い知ってほしい。



最近、運動不足のせいか、
夜中に何度か目が覚める。
朝かと思ったら、まだ2時間しか寝ていなかったりする。

え~まだ寝ないといけないの?と
がっかりする。

で、その時に耳鳴りがする。
耳鳴りは、肩こりや睡眠不足になるといつもするのだが
最近のは、ひゅーっと言う気味の悪い音。

昨夜も2時間で目が覚め、
耳鳴りと頭痛で気分も悪く、
なかなか寝付けないので、
そのまま朝まで起きていた。

お茶を飲み、音楽をききながら
ネットを見たりして時間を潰した。

ついでにラジオ体操第一、第二もやった。

実家から帰宅してしばらくは
毎日ぐっすり寝ていた。気持ち良く。
いかに疲れていたか、動いていたかだなと。
またあの熟睡感を味わいたい。

耳鳴りが不快なことと
そのせいで、夜に目が覚めると怖い。
どうして夜は怖いのだろう。
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こんな時も、母の気持ちを想像してしまう。
夜に眠れないのが苦痛だと言っていた。

このまま自分は治らないのか
もう先は無いのか、色々、考えていた事だろう。

最初に、痛みも苦しみもほとんどなく
すぐに帰れると思っていたことが
残酷で辛かった。本人も家族も。

亡くなる3日前、自分の命がもうもたないと母はわかっていた。
どんな気持ちだったか
想像もできないし、可哀想で仕方が無い。

夜に目が覚めると
すぐに母の事を想ってしまい、また泣いてしまう。

これは、父との関係がこじれたせいだと思う。
つくづく、母が今いてくれたらなあと思う事が多いからだ。

店にいくと「母の日セール」のポップが目に付く。

もう自分には母がいないのだ。と実感する。
親がいなくても当然の年齢になった。
自分が母になり、親に甘える歳ではないが
それでも、父や弟への愚痴などを
話せる人はもういない。




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