りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:実家のこと > いろいろ


先日、弟の奥さんの夢を見た話をしたが、
亡くなってしまった。

調子は良かったらしいが、鼻血からの誤嚥性肺炎で急変。
さきほど息をひきとった、と弟からラインがきた。

苦しまずに、そして夫(弟)と子に見守られて
やすらかだったそうで、それだけでも弟の気持ちは救われた様だ。

私は夫が身代わりになればいいと本気で思っていた。

あまりにあっけなくて、まだ信じられない。
あの夢は、挨拶だったのだろうか、
母の時も、似たようなことがあった。

弟が母の時よりも疲れ、弱っている気がする。
母の後、すぐに奥さんがいなくなるなんて、
ショックすぎる。
私と違い、仲が悪かった訳でもなく、ずっと一緒にいた訳だし、
これから老後を2人で、と思っていたのだろうし。

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母と奥さん、弟が甘えて支えていた2人がいなくなった。

可愛い1人っ子を支えに生きていくだろう。
大人になっても自立せず、頼りない子だけど
これからは、しっかり父親(弟)を支えて、安心させてほしい。
そうは言っても、母親を若くして失ったわけで(しかも何もかも甘えさせてくれた母親)
可哀想になってくる。
これから、何かにつけ、じわじわと寂しさ、悲しさが増してくるはずだ。
その点、自分は親が長生きだったので、
幸せだったと思う。まだ、父がいる。

むこうで、親子で簡単に葬儀をするそうだ。
自宅に帰ってから、何かのお別れ会をするのかもしれない。

今は、まだ、私の出番はない。
連絡がきたら、帰省して動くことになるだろう。

こちらの用事と重ならなければよいのだが。
父の世話もしなきゃいけないし、コロナもかかりたくない。

もう2度と弟の奥さんに会えないなんて、まだ信じられない。
私まで何もする気が出ない。気が重い。




最近、母がよく夢に出て来る。
初夢にも出て来た。

電話がかかってきて
「大丈夫?」と何度も聞く母。
「大丈夫だよ、元気だから気にしないで。」
と何度も答えるのだが、途中で電話が切れたり、
聞こえていない風で、なかなか母に私の声が届かない。

いつもそんなもどかしい夢ばかり。

母は、父とのこと、弟のこと、あの世から気にしているのだろう。 
何だか、本当にあの世があって、夢の中で通じている気がして来た。

お正月に、父がこれが欲しい、これができないと
色々、訴えていた事を思い出し、
昨日、父が欲しがっていた物を買って送った。

どこでも買える物なのに、
お店で探して買うことすらできなくなっている。
買ったとしても、それを忘れ、無くしたりダメにしてしまう。

それでも、どうにか1人で頑張っていて、
顔色も良くて、しっかりしている。

もし、私が父の世話を始めたら
父は気が抜けて、一気に弱りそうな気がする。
自分で頑張ろうとしているから今はしっかりしているのだろう。

どっちみち、今は、まだ最悪な感じではないし、
父の世話ができるかどうかわからない。

弟に連絡をとってみたが、
前から何か違和感を感じる。
まだ奥さんは普通に会話し、重病の自覚もなく
普通にしているそうだ。
なら、まだまだ大丈夫だと思うのだが。
私が弟なら、希望を持つ。
退院して、自宅療養しながら何年も生活している人もいる。

いくら医師が何と言おうと、
自分が諦めなければいいのだ。

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弟は、もうだめだ、どうせすぐいなくなるんだ、
ああ嫌だ、悲しいと毎日嘆くだけ。

今も同じだ。
回復してきたなら期待すればいいのだ。
でも、だめなんだ、どうせ短いんだと
必ず言う。他の人にも同じ様に暗く話しているのだろう。

確かに、余命宣告されてからの後、
別れを思うと辛いだろう。

弟を見ていると、イライラする。
母が亡くなる前もそうだった。

本人は自分の病気の重さを知らなくて、普通に明るいと
私に言ってくる。
だったら、まだ大丈夫と私なら退院できるかもと期待するし、
自宅に帰って、療養できるかもと思う。
本人はそのつもりなのだから、
一緒にそう信じていればいい。

もしかすると、弟の態度で奥さんが気が付くかもしれない。
母の時もそうだった。

弟は、奥さんの性質を知る人に対して、これまでの奥さんへの不満や批判を
この機会に全部消してしまおうとしているのを感じる。

いや、それとこれとは別。
何が起きても、彼女の印象はかわらない。

夫同様、生き様は自分は忘れても、関わった人に記憶されるから
恨まれる様なことはしてはいけないなと思う。




あれから弟からは何も言って来ない。
勝手な想像だけど、医師が大げさに?
念のために、最悪の時の話をしたのではと思いたい。

母の時もそうだった。
本人は苦しさも感じず、普通に毎日電話で話していた時、
医師からはすぐにでも亡くなる様な言い方をされたと弟が言った。

母は、それから3カ月近く頑張った。
最初は、本人があまりに元気に見えて、
医師の誤診じゃないかと思うほどで、
宣告されても、私は信じなかった。

弟は、ショックで落ち込んでいたが、
私は、最後まで母はもっと生きられるはずと信じて居た。
だから、ずっと希望をもち、悲しむことも落ち込むこともなかった。
その方が、母も安心するだろうし、
不安を感じさせたくなかった。

弟は、どこか感覚が私と違う。

奥さんは、きっと何とか薬が効いて、
退院して自宅療養になるかもしれない。
おそらく酸素をつけたままになり
弟が介護することになるのだろうか。
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父と奥さんのお世話、これからどうなるのだろう。
そもそも、弟夫婦は、親の世話、介護なんかしたくないと
言っていたし、求められても冷たく無視した。
重病の母に、入院前日まで接待をさせたほどの夫婦なのに、
何だか皮肉な話だ。
(それで、母の事を思って悲しいと泣いていた弟の感覚のずれ。)

私が近くに住んでいたら、何の問題も無かっただろう。
親と弟夫婦にとっては。
その代わり、私の方が理不尽さにおかしくなっていたかも?

どっちみち、父からはお世話はいらないと言われたし、
息子さえいればいいという男尊女卑の犠牲になってきた私。

もし、弟嫁に何かあったら、弟は疲れ果てて
また精神バランスを崩すかもしれない。

皆が元気で平和なうちはそれでよいけど
ひとつ何かが壊れると、
バランスが一機に崩れていく。
無防備に、無神経に生きて来たら特にそれが顕著な気がする。




色々先のことを心配しても、弟の奥さんの事
自分に置き換えると、無駄な心配だったとなるし、
今やりたいことをやるのが一番みたいだ。

明日はどうなるかわからない。
その日は、突然来るのだと再確認した。

母と同じで、家を出る時は、ばたばたしていて
「帰ってから片付けるから」と言い,
元気になったらやろう、帰るまでの辛抱、と思って
治療を頑張っても、そのまま帰れないなんて。
それがとても残酷で、本人も家族もとても辛い。

母の部屋は父が物置にしてしまい、
足の踏み場もない。
せっかく自分が休む部屋にしていたのに。
ゆっくり帰省して、せめて母の衣類だけでも
整理したいと思っていたのに。
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私だってどんどん老化していく。
いつまで元気に実家に帰れるかわからない。
父はそれをわかっていない。
余計な仕事をどんどん増やしている。
弟も黙っているだけなので、ひどくなるばかり。

弟は、これからは実家より自分の家の事が優先になる。
奥さんが何とか回復して、帰宅できても、
酸素をつけたままの寝たきりで介護状態になると思う。
父の世話どころではなくなる。

状況が変わり、これまでとは違ってくる事、父は理解しているのだろうか。
私が実家に長く滞在することに抵抗してる場合じゃなくなる。

これからの帰省は、父だけでなく、弟の為にも必要になる。
健康でいなくては。
コロナはいったいいつまでこんな調子なのか。
早く、薬の普及と医療が逼迫しないように、
状況を良くしてもらいたいものだ。


弟からショックなラインがきた。
秋から旅行に行って来年まで帰らない予定の奥さんのこと。
家事が嫌いで、自由にできるのは弟の理解あってのこと。
その分、弟が精神を病み、いつも疲れている。

去年1人になった父の世話を避けたいという意志も見えており
今年も放置?と親族はあきれていた。
が、もうそんな事は言えなくなった。

旅行先で入院し、危篤だと言うのだ。

風邪だろうと思って病院に行ったら
肺炎が悪化していたと言う。
本人には、重症の自覚は無く、呼吸は苦しそうだが
いずれ治って帰れると信じて居るらしい。

連絡を受けて、弟が入院先に向かい、そのまま滞在しているとのこと。
医師には、いつ急変するかわからない厳しい状況だと宣告されたそうだ。

いきなりの宣告に、母の時と似た状況で、
弟は母の時を思い出し、また同じ苦しい思いをしている様だ。

弟は私より弱い。
変なところは無神経なのに、弱い部分がちょっと違う。
この年齢なら、もっとどんと構えているはずが、
ストレスの多い生活を続けてきたせいか、
ちょっとしたことで、もろく心を病んでしまう。

母の時と同じで、この前まで元気だったのに、
ちょっと異常を感じて病院に行って、すぐ帰れると思ったら
そのまま入院、お骨になって帰ることになろうとは…という思いが尚更辛くする。

本人に悟られないよう、明るく接しているらしい。
それも、母の時を思い出すと言う。
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肺炎は怖い。
コロナではないそうだが、原因はわからない。
前からだるさを訴えて居たそうだが、
旅行に行った訳だから、
本人も弟も、まさかすでに病気だったとは思わなかったのだろう。

だるさだけだったから、病院に行かなかったのか。
もし、早めに病院に行っておけば、
旅行に無理していかなければ、と勝手に思ってしまう。

ちょっと動いただけで、息切れしたり疲れる時は、
心臓もだけど、肺にも異常があるかもしれない。
病院に行った方がいいと思う。

弟が言うには、本人は治ると信じていて
いつも通りに明るく話すらしい。
だから尚更辛くなるけど、救いにもなっているそうだ。
知らない土地で、入院するのも不安だろうし
早く家に帰りたいんじゃないかな。
家にいたくなくてしょっちゆう旅行に出ていたから、
皮肉な話だけど。

それにしても、こういう事があると
自分も益々、健康について敏感になってくる。
ただの風邪と思って放置すると
手遅れですと言われることもあるという恐怖。

コロナ禍、熱が無ければ、なかなか病院に足が進まない。
まだまだコロナが病人を増やし、悪化させている。

母の後に、父かと思っていたら、
こんなにすぐに弟の奥さんが倒れるなんて、誰が予想しただろう。

順番からいけば、彼女より夫が先だろう!と内心思ってしまう。
こういう試練はなぜか弟ばかりにいく。
弱い人にこれでもかと。
まだ、彼女は頑張っている。
私は遠くから奇跡を祈るしかない。

これから年末年始はどうなるのか、
不安な気持ちで過ごすことは間違いない。
弟よ、しっかり。「いつでも力になるから、甘えて」と返事した。



弟に実家を訪ねる時間を伝え、
実家で待ち合わせ的な感じになった。
父は突然現れた私を見て「誰?」と言う顔。
ここ数年、いつもそう。

「○○よ」と大きな声で言うと、段々わかってきて
その後は、まともな対応になる。

これが、名前を言っても誰かわからなかったり、
ぼーっとしていると、もう1人暮らしは無理で
即、手を打たないといけない。
今は顔色もよく、元気そうだ。

父なりに、迷惑をかけずに一人で頑張ろうと努力しているのだろう。
それでも、電気製品の扱いができなくなったと愚痴っていた。
かといって、何かアドバイスをしようとすると、不機嫌になる。

弟に、父の食事は大丈夫か聞くと、
大丈夫と軽い返事。
顔色が良いので大丈夫なのだろうと思うしかない。

家の中を見て回ると、掃除をしようとしているのは伝わる。
が、家の中は物が置いたまま、物置状態で、寝る場所も無い。

持って帰りたかった物だけを探し、カバンに入れた。

予想通り、父はそこが娘の実家であるという意識が無くなったのかもしれない。
そわそわし始め、何か接待をしないとと、台所をうろうろする。
弟は身内、娘は他人の意識だ。
だから私が以前の様に実家に泊まり、掃除したり、台所を使うのも嫌なのだろう。

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飲物を探して、出してくれたが、
その父の様子が可哀想になってきた。
「そろそろ行くね、また帰ってくるから 」
と声をかけ、弟と一緒に実家を出た。

結局、30分位しかいられなかった。
今までではありえなかったことだ。

これが母だったら、
好きにして、自由にしてて、と言って、
家事も何もかも、私に甘えただろう。
いつでも帰省してくる様にと
部屋も綺麗に掃除していただろう。

父ならもっと娘に甘えるのかと思っていたが真逆だった。

申し訳ないから、迷惑かけたくないからというよりも、
やはり、差別意識もあるのかもしれない。
世話になるのは息子、後継ぎは息子、息子がいるからいい。
(嫁には失望してても言わない)
娘は他人だから、でしゃばるな、
女にはこの家はやらない、自分の家だと思ってほしくない、
などと思っている気もする。

だから、短時間しか会えないけど
今後も、父がそれが良いならそうしようと思う。

実家を出た後、弟の家へ行った。
外見は立派な家なのに、中はいつもは酷い状態の家。
急いで掃除した様だ。

お客様用の布団もだしてあったことだし、泊まる事にした。

母がいなくなってから、
帰省の仕方が段々変になってきて
寂しいような悲しいような…。

何だかんだと言ってるけど、
弟がこうやって待っていてくれるからほっとする。
父しかいなかったら、
故郷に帰ってもどこか空しかっただろう。

居てくれるだけで、弟に感謝しなくてはいけないな。



急遽、1泊2日で帰省することになった。
いつにしようか迷っていたら、子どもがたまたま出張で行く事になり、
一緒にいかない?と誘われた。
体調に不安があったが、子どもが行き帰り一緒なら安心だ。
ぐずぐずしていたら、一生帰れない?

弟に連絡したら、ぜひ、うちに泊まってくれとのこと。
奥さんがまたまた長期旅行で留守だから、今のうちにと。

私の家には、何度も泊まりにきたことがある弟の奥さんは
自分の家には、両親も私も入れようとしなかった。
家の中が散らかっているのを見られたくない、
私たちの為に、掃除も世話もしたくないらしい。
これは、夫の母親と同じだ。
自分の娘の友人、自分の親族は大歓迎し、
いそいそと掃除をし、別人のように良い奥さんを演じるとか。

結婚する前は、(全く正反対の)良妻賢母になりたいと、
熱心に弟にアタックしていたらしく
弟はこんなはずじゃなかったと、不信感で性格が暗くなってしまった。

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弟は、自分だけが我慢させられ、馬鹿らしいと思ったのだろう。
留守中に人を入れるなと言うなら、父も放置して
遊びで長く留守するなと言いたいのだろう。

弟は私に対して、これまでずっと気が引けていたようだ、
熱心に、泊まってと言ってくる。
なので、弟の気が済むならと、1泊することにした。
家の中を見れば、どんな生活をしているのかもわかりそう。

あれこれ迷っているより、
動いた方が逆に元気になり、何とかなるものだなと感じる。
夫のこともそうなのかな。

今の実家には、泊まれるスペースも清潔さもないし
へたに掃除したりすると父が怒るし、
娘であっても、人が家に長くいるのがストレスになる様だ。
だから、「近くに用があって、ちょっと寄った」と言って
父の顔を見て、仏壇を拝むだけにし、
今回は、早めに弟の家に行こうと思う。




コロナ感染者数が減少気味になり、
気候も落ち着きつつあるので、
実家の片づけに行きたくなってきた。
県外の友人にも会いにいきたい。

どっちを優先しようかなと迷っているところ。
実家の方が、衝動的に行けるしホテルも予約しなくていい。

友人に会いに行くには、航空チケット、ホテル、
相手の都合もきいておかないといけないし。
まだ、県外の人に会うのは怖いと相手が思っている可能性もあるし。
もう少し、後がいいかな。
 
今朝、ふと思い出した。
私が小学生の頃、母が自分のタンスを整理してる時に
見せてくれた手紙のこと。
私がおなかにいる時、里帰り出産の為に
実家に帰っている母宛に、父が送った手紙。

”自分は1人で元気にやっている。
子どもの名前を考えたよ。男の子と女の子、両方考えたから、
生まれたら、この中から選びたいと思う。”みたいな内容だった。
手紙には、父になる喜びがあふれていて、
沢山の候補の名前が書いてあった。

まだ若かりし頃の両親の新婚時代。
母は、その手紙をずっと大事にタンスにしまっていた。

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あの頃の父は今よりずっと優しく、
素敵な旦那さんだったのだろう。

母が幸せを感じていたからこそ、
あの手紙を宝物にしていたのだと思う。

前回、母の部屋で、手紙や書類の入った袋はチェックしたが
その中には無かった。
タンスの中は、服がびっしりで、おそらく誰も触っていないと思う。
どうか、そのままにしていてほしい。

前と同じ場所にあるなら、そっとその手紙を出して
父に見せたい。どんな反応をするだろう。

実家でやりたいことは沢山ある。
父の老化による人格の変化、コロナ禍であることで
何もできない状態。

母の物は勝手にしていいとは言われたから
安心して整理できる。

ただ、何日も実家にいると怒り出すので、
ゆっくりできない。
父が入院でもしない限り、本格的な片付けはできそうにない。

母の幸せ探し。見つけるとホッとする。

自分の幸せ探しは、継続中。
夫のいない長い母子生活が、一番幸せだった。
今からも、その幸せは続いていくと思う。
このまま守っていかなくては、と思う。



アイフォンに好きな音楽を沢山入れて
時間があると音量を大きめにして聴いている。

何度か聴いていると飽きて来る曲もあり、
入れ替える作業も楽しい。

アレクサで聴きたい曲を聴くこともあるが
アマプラしか加入していないので、聞ける曲が限られる。

運転中に車のスピーカーに繋いで。
台所に立っている時も、
お風呂の中でも、
パソコンをいじっている時なども音楽を流す。
胸がきゅんとなってくる。

選ぶのは、懐かしさを感じる古い作品ばかり。

母が亡くなった途端に、そうなった。
母が好きだった音楽じゃないのに、
その曲を聴いていた時の実家の様子が思い出されるからだ。

そして、父にも感謝する。
きちんと働いて、私を育ててくれたことを。
毒親な部分もあったかもしれないが、
あの時代の人は、戦争の影響も大きく、仕方が無いのかもしれない。
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裕福ではなかったが、普通に楽しく学校生活が送れたことは
当たり前なことではなく、とても恵まれていたのだと感じる。

両親が、子どもをしっかり育てなくてはと
責任感を強く持っていたのは伝わっていた。
そのやり方が、おかしかったけど、
自分が子ども達に与えられなかった家庭像を
両親は私に与えてくれた。

私も夫も、ろくでもない親だ。

自分がまともな結婚生活を送っていたら
母が亡くなった後に、こんな風に自分の子ども時代を振り返る事も無かったかもしれない。

子ども時代に持つ安心感は、簡単に手に入るものでは無く、
両親、特に母の忍耐と努力の賜物だった事を知る。

私は、夫の最悪な行動に振り回され、
子ども達に安心感を与えられていなかったと思う。

おまけに自分まで体調を崩したり、
頼りない母親だったはずだ。

うんざりするまで音楽を聴き、あれこれと振り返り、
反省したり、郷愁に浸ったりしながら、
気分を切り替えられたらいいなと思う。




早いもので、母が亡くなってから2度目のお盆。
今年のお盆も実家には行けない。

先日のお墓参りで、父と弟に会えたからまあ良かった。
母もあれで満足してくれたかな。
家で母を迎えようと思う。
きっといつも近くにいる。

古いアルバムを見ると、
子ども達が小さい時、出産の時、
実家で過ごした時の写真には、若い時の両親がいる。

嫌な事も多かったけど、母が小さい身体で良く動いていた。
良い妻、良い母、良い祖母であろうと母なりに頑張っていたのだろう。

私は、母みたいにはできないと思う。
家庭の形、夫婦で暮らしていないし、生活形態が違うし。
あそこまで夫の奴隷みたくはなれない。
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母は、これまで何のために頑張ったのだろうか、
父の冷たさのせいで何も報われなかったんじゃないかと思えて来る。
私と弟が最後まで母と向かい合っていたことは
救いであってほしい。
でも、結果、いなくなったら意味が無いじゃないか、とつい思う自分がいる。

どんなに頑張っても、死んだら終わりだと。
今、私がいくら先の事を心配しても
いくら頑張っても、
明日はどうなるかわからない。
この世から消えたら自分にはもうどうにもできないし、
その後のことはわからないのだ。

でも、せめて残った子等が困る様な事にならないように、手は打っておきたい。

生きているうちの努力は無駄にならない、
後に生きる人を守れるのだと信じたい。

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