りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:実家のこと > いろいろ


飾ってあった沢山の奥さんの写真
家族仲良く笑顔の楽しそうな写真ばかり。

母が亡くなったばかりの1人ぽっちの父を置いて、
家族でお正月旅行に行った時の写真もあった。
この時の笑顔の裏で、私が父の所に急いでかけつけた事なんて
何も気にして無さそうな顔だった。(家は荒れ、食べ物も何もなかった)
一瞬暗い気持ちがよぎったが、打ち消した。

遺影について聞いてみた。
「これ、別人みたいに見える。亡くなる少し前、旅行に出る前の写真なら
この時すでに悪化していた訳だよね。写真にそれが出ているね」
と言っても、弟はピンときていない風。

その写真は、まるで老婆。実際の年齢より10歳は老けて見えた。
顔色は悪く、目に力はなく、丸かった顔はやつれ、背中も曲がっている。
あきらかに、どこか病気では?と疑う様な。

弟にこの頃の様子を聞いてみた。
「本人は、やせてきたのを喜んでいたよ」と笑った。
弟は当時の顔を見て、全く病気とは思ってもいなかったらしい。

弟嫁は、病院嫌いで、検診にも行っていなかった。
理由は、過去の検診で、色々異常値がでており、
かなり太っていたので、医師から運動や、痩せる事を指導されたそうだ。
それが嫌で、検診や内科的な病院に行くのをやめたそうだ。
人から指導されるの大嫌いな人だったから。
自分の為なのになあとは思うが、甘く考えたのだろう。そこが仇になった訳だ。
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ダイエットも何もしないで、急に顔が痩せて来たら、
病気では?と心配するものだと思うが。
実際、具合がどこか悪かったはず。
だるさを訴えていたというが、いつもだるいと言うのが口癖で
やりたくない事があると、だるいと言って逃げていたらしい。
なので、いつもの口癖だと弟は聞き流していた。

やつれても、本人が痩せたと喜んでいるし、
旅行にいくのをやめないから、元気だと信じていたのは仕方が無いこと。
旅行に頻繁に行き始めたのは、数年前の母の入院からだ。
お見舞いに行く事や世話をする事から逃げる為に。

その頃から発病していただろうと医師の予想。
ちょっと倦怠感があっても、自分を誤魔化し、
現実逃避で無理をしてきたのだろうか。

夫も似た様な面があるのだが、
自分の思いたい様に思い込み、頑固に我儘を通す。
それが周囲を巻き込み、迷惑をかけるが本人は逃避したまま。
自分に言い訳をつくり、信じ、正しいと思い込む。

それが他人でなくて自分を騙すとこういう悲劇になる。

あの写真を撮った頃、
一度、検診を受けて見たらと誰かが忠告していたらどうだったのだろうか。
後からこうすればと後悔しても仕方が無いが。

頑固に忠告を聞かず、結果は同じだったかもしれないが、
コロナ禍が一番酷かった時にも、
反対を無視して、旅行に出て行った人なので
私の方が、向こうで感染して何かあるかもと覚悟をしていたところはあった。

弟は、奥さんと似た面があり
大丈夫だよ、心配し過ぎと、甘く考える癖がある。
人の病気の訴えも、仮病扱いしたりするので、
想像力に欠けていると以前から思っていた。

そういうところ、母の時に後悔していたはずなのに、
何度も同じ失敗をして、結局人は変わらない。

写真は、もっと若い元気な時の物にすればよかったのに
と奥さんがあの世から文句言ってるのでは?なんて思いながら
「また来ますね」と仏壇に声をかけてきた。
人を家に入れたくない(掃除や接待が嫌いで)人だったから
嫌がっているかもねと思いながら。


無事帰宅した。
移動時間が長く、暑さで疲れた。でも、行ってよかった。
弟は忙しそうで、夜帰りを待って訪問した。
気になっていた弟嫁のお参りができてホッとした。

仏壇の周りには写真が沢山置いてあった。
弟と奥さんと二人、仲良さそうに並んだ写真もあった。
弟が沢山ある中から選んで印刷しているので、弟自身の中で
楽しかった時、奥さんが幸せそうにしているもの、
自分の好きな奥さんの表情の物なのだろう。
全て家族旅行した時の笑顔の写真ばかりだった。


私は、絶対夫の写真は飾らない。
というか、見たくなくて夫の写真は捨てたかも。
最初の頃しか写真も無いし、思い出はほとんどないし
そもそも夫との思い出なんて後悔の記憶しかない。

その点、弟は結婚には後悔してなかったのだなと感じた。

弟は、奥さんがいなくなって初めて、存在の大事さに気が付いたという印象。
ご主人を早くに亡くした友人は多いのだが、
「元気な時はこの野郎、と思っていつも文句ばかり言ってたけど、
いざいなくなると、大事な人だったと思い知らされた」
と語る人がいた。ほとんどの夫婦はそうなのだろう。


長年、別居して苦労させられた友人はそんな事は言っていないが。
私もそんな事は絶対思わないと思う。
同居と別居の違いもあるかもしれない。
一緒に暮らしてきたという日常を突然失う事のショックと空虚感が襲うのと、
長く離れて暮らして、二度と会いたくないと思いながら1人で暮らしてきた人とは
感じ方が違うのは当然だ。冷たい様だけど、そこまで追いつめた方の自業自得で仕方が無いかも。
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気になったのは、遺影の写真だ。
何でこれにしたのと言いたくなった。
「これが一番最後に写したやつだから」と言う。
弟は、写真はよく写すし、印刷して飾るのが好きなのだが
下手すぎるのだ。画質は悪く、表情も考えず無造作に撮る。
綺麗に構図を考えて写そうとか全く考えていない。

写ればいいんでしょというレベル。
だから、自分だったらこんなの人に見せないでと言いたくなる写真を
平然と壁に飾ったりする。

母も、弟に撮影を頼むとおかしな風に写され、
それを勝手に大きく引き伸ばして飾られるのが嫌だが、文句も言えないと愚痴っていた。
記念写真を撮っておきたいと、私に撮り直しを頼んできた。
結局私が撮り直した物が気に入り、遺影に使ってほしいと言われその通りになった。
抗がん剤で脱毛した頭では嫌だと言う母に、
弟夫婦は、そのままでいい、と母の相談事はいつも冷たく流していた。
そんな頭でやつれた顔の母の写真を撮り、
それを遺影にすればいいと弟は母に言い放ったのだ。

こんな姿の自分を人に見せたくないと私に愚痴った母。
私は、ウイッグを買って送り、母を我が家に呼びよせ、着物を着てもらい、
お化粧をしてあげ、母が一番綺麗に見える様に沢山写真を撮った。
これが母の最後の写真と旅行にもなり、あの時は本当に嬉しかったと最後に言ってくれた。
せめてもの親孝行になったかも。結婚では親不孝しかしてこなかったから。

弟が奥さんの遺影に選んだ写真にはびっくりした。
弟らしい鈍感さというか、何も変わってないなあと思った。
そういう点では、似た者夫婦だからうまくいっていたのだなとある意味良かったともいえるが。   続く

 


子どもから連絡が来て、急遽一緒に実家というか弟の家に泊まることになった。
偶然、出張が実家と同じ県で、1泊2日だけど、せっかくだから一緒に
弟嫁のお参りに行こうと話し合った。

弟から返事がまだ来ないから決定ではないが、留守なら行かないけれど、
もし在宅ならそうさせてもらうことに。

今から準備をして、明日朝早くに家を出る。
こういう事は勢いで急に決まる方が実行しやすい。
いつか、いつかと思っていてもなかなか決められない。

とりあえず、荷物はあまりいらないけど、準備をしよう。
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今回、何も無いから良いけれど、これが不幸や何か悪い事で急に行くとなると
もっと焦って、気分も落ち着かないだろう。
小さな旅行とは言え、家を留守する度、無事に帰宅できますようにと祈る。

毎日、驚く様な事件事故が起きるから、
一瞬不安になるけど、気にしていたら何もできない。

一度弟の家に顔を出しておきたかったので、良い機会だ。

明日朝私は車で子どものアパートまで行き、そこに車を置いて一緒に出る。
仕事の時間より、移動時間の方が長い様だが、
明後日、また子ども宅から車で1人運転して帰らないといけない。
くたくたになるかも?嫌な暑さもあるし。

どうぞ順調にいきますように。



 


2泊3日の予定で、弟が我が家に来た。

疲れさせてもいけないので、
家にいる時は気楽に好きに過ごしてもらうことに。
見るとすぐウトウト寝ているか、外に出てタバコを吸っている。

私に気を使っているようで、外に食べに行こうと誘ってくる。
準備しているよとか、作りたいものがあるからと言って(事実だし)
気を使わせないようにした。
実際、そう何度も外食ばかりしたくない。

普通にいつも作っている簡単な料理なのだが、
夕食時に出すと「わあ、家庭料理は久し振りだ。」
と嬉しそうだった。
ぺろっとたいらげ「ああ美味しかった」と満足そうだった。

奥さんが元気で、旅行に行かず家にいた時は弟も家事をやっていたが、
奥さんと一緒に手作りの料理を食べてるのが当然の生活だった訳で、
もう二度とそういう事が無いと思うと…さぞや寂しいと思う。

誰かと一緒に食事する為の料理と、
自分だけの料理では、全く違うのは当然だ。

独り暮らしを楽しめる余裕が出てくれば、
たまには自分の好きな物を贅沢に作ったりして楽しめるだろうが、
まだ、それどころじゃないだろう。
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孤独で落ち込む毎日を、どうにか紛らそうとうちに来たり、
用事を作って動いている様で、やつれてはいたが、
前に会った時よりは顔色が良くなっていた。

以前、母を連れて二人で来た時の弟は、
美味しいなんて言わず、もっと無愛想だった。

今、誰かと一緒に食べる幸せや、人にご飯を作ってもらう幸せを
嫌と言うほど感じているのだと思う。
弟は、そんな目に遭うようなことはしていないのに。
何故、弟なのだろうと悔しくなる。

何度も言うけど、今配偶者を失うのは弟ではなく
私だったら良かったのだ。

世の中どうしてこうなるのと恨めしくなる。


私は何でこんなに疲れているのだろう。
弟は今朝帰って行った。

昨夜、奥さんが亡くなる前後の様子を聞いた。
本人は本当に気の毒だったが、見守った家族も大変だったことはよく伝わった。
二年前に自分も体験したことだ。
弟の、頼りにしていた二人を連続して失った衝撃は半端ない。

だが、病気に対する誤解や思いこみの悪い癖は治っていない。
母の時もそれで失敗したはずだけど、反省したはずが変わらない。
なので、真実をどこまで聴けたかはわからないが、
どう弟が対処したか、過ごしたかはわかった。
よくぞ倒れなかったな、頑張ったなと思った。

他にも色々父のことも話したが、お互い歳をとり、思いこみも激しく
話が合わないこともあった。
今言いあっても仕方がないので、適当に聞き流して
とりあえず、今は弟が精神的におちついて暮せることを祈る。

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最近きちんと食べていないとかで、痩せていた。
歳をとってから痩せると老け込む。
昨日は、花見に行ったり、皆でお腹いっぱい食事を楽しんだので、
少しは良かったかなと思いたい。

弟は、ソファに座っていると思ったら、何度もウトウトしていた。
体力はある方だと思うし、健康には気を付けていると言うが、
これまでの疲れが出て来る頃だろう。
子ども達が来てくれたので、賑やかだったけど
少しは気分転換になっただろうか。

前回遊びに来た時は、奥さんが健在だった。
前提が全然違うとこうも違う物か。
今から、旅行から家に帰っても誰もいないわけだ。
まだまだ寂しさとの戦いだろう。
遠くに娘がいることが心の支えだろう。

弟がどう見ても憐れに見えてしまい、こちらまで悲しくなり、
それも疲労感の原因なのだろうか。
早く仏壇にお参りに行きたいと思う。
弟と一緒に帰省するつもりだったが、そんな雰囲気ではなく言い出せなかった。
今度こそ、近いうちに帰省したいと思う。

 


昨夜は賑やかだった。
子ども達が来てくれて、よくお喋りをし、
私も久し振りによく話した。

弟は私が1人で静かに暮らしているイメージでいたのだろうが、
いつもこんな風に誰かが来て、賑やかだと思ったかもしれない。
疲れなかったかなとちょっと心配。

と言いながら、今日もあちこち連れ回してしまった。
帰宅したらそのままバタンキューで、昼寝をしていた。

少しでも気が紛れてくれたらと思うが、
帰ったらまた落ち込むかな。
帰りは一緒に帰省しようかなと思っていたが
弟の態度からして、そのつもりが無さそうだし、
ついて行くと、疲れがとれないかもなと思い、やめた。
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亡くなるまでの奥さんのことや、その後の大変だったことを
聞きたかったけど、いざとなると聞けない。
本来は、私が弟宅に行って、お線香をあげるつもりだったのに。
それをしていないので、どこか落ち着かない。

また、そのうち、連休にでも帰省しよう。
父の様子を聞くと、衰えてはいるが
年齢の割にはまだしっかりしている様だ。

母がいたら、弟をみていて、可哀想と気にしていただろう。
中年の男性の妻を亡くした寂しさを感じてしまう。
ふと、可哀想に見えて来る。


弟が今日我が家に来ることになった。

もしかしたら、もっと早くに来たかったのかも。
私が誘うのを待っていた?
どこでもいいから旅行をして、移動中を楽しむと言うか、気分転換をしたかったのかも。
家にいるのが本当に辛そうだ。

夫がいない時ならいつでもどうぞと言ってある。
弟も、夫の存在を忘れている。
妻の親族も利用してポイ、不義理すぎる夫の自業自得。
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桜も咲き始め、母が亡くなった頃を思い出す。
葬儀の翌日、父に追い返されたあの日も今日みたいな天気だった。
母は、きっと我が家にいて一緒に笑顔で過ごすだろう。

子ども達も、弟に会いに来ると言う。
無理してこなくてもいいよと言ったけれど。
来たいらしい。どうやら賑やかになりそう。

私だったら、実家に親族がきても、会いにいくどころか避けていた。
自分の付き合いの悪いところが我が子に似なくて良かった。

 



近所のホームセンターの爆?バーゲンセールに行ったら
混雑していて、大盛況。
コロナ禍のこの3年も同じセールはあったけれど
売る商品、値段もいつもよりパッとせず、客もいまいちだった。

でも、今回は懐かしさを感じた。
これこれ、この雰囲気よ。
皆マスクはしているし、手の消毒をしてから入店している。
一見、これまでと変化無い様には見えるが、気分が違った。

このまま収束してほしい、(と何回言ってきた事か)

帰宅すると、弟からラインがきた。

当然なのだが、まだ奥さんの急な不幸に戸惑い、
強い孤独感、不安感に襲われている風。
先日、元気そうに感じたのは娘が帰省していたからだそう。

再び、広い家に1人になると
自分ではしっかりしよう、早くこの生活に慣れようと思っているが
なかなかそうはいかなくて、このまま自分がおかしくなりそうな恐怖に襲われている様だ。


過去に、鬱を患い入院したこともある弟なので
ちょっと心配になってきた。
父とは会話しているし、父を近くで見守る役目?があれば、少しは気が紛れるのかなと
思ったが、関係無さそう。

私が向こうに行く前に、何かあったら困る。

そんなにきついなら、いっそ、弟に我が家に来て貰おうかと思った。
2~3日でもいいし、帰る時に私が一緒についていくと一石二鳥。

旅行気分で、外に出ると気分転換できるかも、と提案した。
こういう時、夫がいないのは本当にラッキー。
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すると、ハッとした様子で、乗り気になった様子。
夫婦関係にもよるけれど、
配偶者を亡くした後、男性の方ががっくりするというのは確かだなと思った。

うちの夫のようなNPD、サイコは、がっくりする演技をして
周囲の同情を集め、内心にんまりするだろう。
そう言う点では、弟はまともだという事だ。

弟は私の環境を幸せそうで羨ましいと言う。
母からも言われていた。
そうだよ。幸せ。でもね、ここまでくるには苦しんできた。
弟や母の方がずっと安心して生活できて、幸せに見えていた。
やっとここまで来たんだよ。

毒夫に振り回され、ストレスまみれの生活。
常にどう生きていこうか、子ども達をどう守るかばかり考えてきた。
それが今は、夫と立場が逆転し、私には味方が沢山ついている。
弱い立場の家族を、脅迫や意地悪でコントロールしようとした人間を
今では誰も相手にしない。

まだまだこれから、夫がいる限り戦いは続くし、
そういう事を考えている点においては、自分は不幸だと思う。


弟と少し言い合いになった。
いい歳して、ガラスのハートかい?って感じだ。
ちょっと私が反対意見を言うと、焦って自己弁護したり
言い争いを避けようとする。

そして被害妄想が酷い。
よくこれで今まで世の中渡って、成功してきたものだ。
というより、トラブルからうまく目をそらして要領よく世の中渡って来たのだろう。

あまり深く考えず、したくないことは目をそらし、
争いを避けて、感情を出さずに生きるタイプ。

だから、ある時は無神経で鈍感、ルーズに見えたりする。
我儘に生きてきたようにも見える。
だからこそ、成功したのだろう。

私は、親から差別され、圧迫されて育ったせいなのか、
自分を大事にできず、夫の様な人間に騙され人生を狂わす素地がある。

弟の真似をして自分を守る事優先に、我儘に生きて来たら
別の人生があったかも。
まあ、そうしたとしても、両親に罵倒され阻止されたと思うが。
同じ事を弟がしても親の方が我慢し、全て認めて来た。
親のその姿も、夫の様な人間は見抜いてこいつなら何をしても大丈夫と
舐められた気がする。

娘のことを必死で守る親ではないのは確かだ。
他の父親なら、うちの大事な娘を泣かすなと怒るはずが、
うちの両親は、娘が悪いから仕方ない、世間体が悪い、
娘が我慢すればいいこと、で終わる。

そこに、夫は付け込んできた。
親も内心、夫の事を嫌っているが、
本人には何も言わない。弟の為にはすぐに動くのに。

いや、我儘に感じるのは私だけで、それが当たり前なのか。

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幸せは、比較できるものではないし、本人の主観で感じるもの。
勝手に弟の将来を決めつけるのもおかしいけど、
このままいくと、明らかに寂しい老後になる予感がする。
本人がその不安に、今から落ち込んでいる。

傍からみれば予想していたことも本人には見えていない。
結果は何でも自業自得。私もだ。
これまでは、弟の方が幸せに見えてきた事も
歳をとると、それまでの自分の生き方が結果として出て来る。

今、自分は、小さな幸せを感じる事が多い。
ちょっとした事に、心がほっこりする事が多いのだ。
何だかんだと誰かが私を必要としてくれるのも有難い、
親と夫のお陰で?幸せを感じるハードルが低すぎるのかも?
それが自分にとってはプラスになったと思う。

夫にも、後悔させるほどの結果がしっかり出てほしい。

人の不幸が好きな人は、自分の不幸も好きなんじゃないかと思う。

この日は、途中から野球を見ながらラインでやりとりしているうちに
弟の機嫌が良くなって終わった。
村上様がやっとヒットを打ち、ホッとした。


弟から電話がきた。 
いつもは、ラインばかりなので、
一瞬、父に何かあったのかとドキッとした。

声が元気で明るかったので、ああ、悪い知らせじゃないなと感じ、
安心して応対した。

携帯ショップに何かの手続きに行っていて、聞きたいことがあっての電話だった。

どうってことのない用事だったが、
先日のラインでは鬱っぽい印象があったので、
元気そうな声で安心した。

もういい歳のおじさんなのに、家族の事はいくつになっても気になるもの。
酷い鬱になって、以前の様に長く入院する位なら
そうなる前に、私の家の近くに引越して来たらと提案しようかと思っていた。
現実的には不可能だろうが、私も何かあった時に、近くに親族がいるのは心強い。
夫対策にも良さそうだ。


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父が1人になるし、生活基盤をしっかり築いている土地から動けないのはわかっている。
引越すとしたら、一人娘のいる所だろう。
親子共依存が悪化して逆にダメになりそうな気もするが、口は出せない。

弟は、我が家の携帯の契約について聞いて来た。
夫の電話の事も聞かれたので、参考に教えたが、
本当は話題にもしたくない。

夫が家族である限り、親戚や他人からも、色々聞かれることはある。
何も知らない人達は、良かれと思って話題にしてくる。
思い出したくも無いし、話題にもしたくない。

それにしても、以前はどの家も賑やかだったのに
皆、独り暮らしになってしまった。
父も弟も、配偶者を亡くした寂しいお1人様。

私も、子ども達の出入りはあるけれど、一応1人暮らし。
私も夫を亡くした人みたいな感覚で、家族は接してくる。(笑)
子ども達も、私の老後だけを気にかけている。
夫がいつか家に戻るなんて誰も思っていない。
私が永遠に一人親のままでいると信じきっている。
自分に父親がいることすら忘れて居る様な感じだ。

夫の行動がそう思わせて来たのだ。
真のお1人様になる日が今すぐ現実になりますように。と強く願う。

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