りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:実家のこと > いろいろ

久し振りに友人と会った。


10年前から乳癌、子宮摘出と病気をしてきた友人。それでもいつも笑顔で元気な顔を見せる。
おひとりさまで、いつも頑張って働き、人の為に尽くす人。


最近、十二指腸に潰瘍が見つかり、悪性か良性かを調べる手術を受けるという。

全てを1人で抱え、病気を乗り越え、頑張る友人を見ていると、自分が情けなくなる。


歳をとるとなかなか心通じる友人ができにくい。

今の土地に来てから、仲良くなった人は何人もいたが、遠くに引っ越してしまったり、いつしか疎遠になってしまった。

私自身引っ越しの連続で、日本全国、あちこちに友人が散らばってしまい、会いたい時に簡単に会える事ができない。(老後は友人との再会ツアーを楽しもうかな)

いつまでも心の通じ合う友人は県外ばかりだ。

だから、昨日会った友人は、今の土地で何年たっても仲良くしてくれる貴重な友人なのだ。


お互いあまりべったりしない。住所も知らない関係だから続くのだと思う。
入院する病院も教えない人だ。


煩わしい関係に成らないように、さりげなく一線を置いている。


でも心配だから、付き添いの人はいるのか聞いたら、地元なので親族の人がいてくれるそうで安心した。

うちの事は、夫との関係だけはさらっと話している。


昨日、別れ際に「ご主人はいずれ帰ってきて同居するんでしょう?」と聞かれた。


「さあ、どうかなあ。一生働いてねと言ってあるからねっ!?帰ってこないかも?」

と言って一緒に爆笑。笑って別れた。


次は、手術の後に会えるだろう。どうか、明るい再会になりますように。どうか、良性でありますように。



母は、退屈になったり愚痴を言いたくなると電話をしてくる。

ばたばたと家事をしていたり、やっとじっくり観れると思ってDVDをセットした時に限って電話がくる。
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今から仕事に出ようと準備中でもかかってくる。

高齢なので、また父に何かあったかと思い、その都度慌ててでるのだが、「暇なんでしょ」「何していたの」「昨日は出なかったけど、どうして?」など勝手気ままだ。


「今から仕事だから時間無い!」と言っても延々とお喋りを止めない。


一度電話をとると、1~2時間は同じ話を繰り返し聞かされる。


大事な時間が束縛されるのは困る。「どうせ暇なんでしょ」「ろくなご飯作ってないんでしょ」と言われ、否定しても聞いていない。仕事に行く時間になったり、切りたくなったら強引に切ることにしている。

母は「私は毎日忙しいんだから」「この歳になったらいつ何があるかわからないからね」と自分の事ばかり言う。

これが高齢になったから仕方ないと思えるならいいが、実は若い時からずっと続いてきた。


私の家庭の事情も、暇ではない事もわかっているはずなのに、自分のいる世界以外の状況を想像できないようだ。そして自分のいる世界が一番正しいと信じている。

こちらの都合はお構いなしにふるまうのに、母自身はいきなりガチャッと電話をきる事が多い。

父が帰って来たとか、2階から降りて来た時に、いきなりきる。まるで私と電話をしている事が悪い事をしていると思っているみたいだ。父は娘と話す事を喜ぶ。怒るはずがない。

だが、母は勝手に切ってしまう。とても失礼なことだ。私の方が来客があろうが、電話は切ろうとしない。


最近の電話の内容は、「自分に何かあったら~○○を△△してほしい」という話が多い。

存続人は私だけでは無いし、大事な事なので、「私だけに言わずに弟や父にも話して」とか「紙に書いて残して」と頼むのだが、「面倒臭い」と言って聞かない。

「なら私には何もできない」と答える様にしている。何もかも私にやらせようとしているからだ。しかも内緒で。

弟にも父にも言えない様な内容を私にこっそり押し付ける。

もし私が「母がこれを望んでいた」と弟や父にいったところで、証拠もなく、聞き入れてもらえないかもしれないのに、なぜ私がそこまでやる必要があるのか、しかも相続権も私は冷遇されそうな感じだ。

裕福な弟にプラスの資産を全てを渡し、私は負の資産や嫌な仕事をこそこそ押し付けられる。そこまで娘を馬鹿にするものか。

「息子に迷惑かけたくないから言えない。あんたは娘だから何でも言える」と言う。

父や弟には嫌われたくない様だ。「娘にはどう思われてもいい。利用する為に娘は存在する」のだからと。

私は「親が先に逝くとは限らないよ。私たちだって毎日車を運転していればいつ事故にあうかわからないし、私の方が先にいなくなるかもしれない」といつも言い返す。

母が望む事も父がしている事も、残された子ども達の負担を増やしているだけで、世間一般の「終活」とは真逆の事をしている。

片付けるどころか物を増やし続け、管理にお金も労力もかかる負の資産を放置しているというか増やしている。
老後の貯金もその為に使っている。子ども達に負担を書けない様にしたいとは思わず、負担を頑張って引き継ぐのが当たり前だと思っている。
子どもには子どもの生活があるという事が頭に無い。特に娘に対して。

私は、ただでさえ生活が不安定、いつ夫が何かしでかすかもわからず、老後破産がありえる事を母は知っているのに、「そんなお金はどこにあるの」と言いたくなる様な事ばかりをやらせようとしているのだ。


両親には「自分達は貧乏で苦労した」と自慢気に聞かされてきたし、事実自分も貧しい暮らしで育ったが、それでも両親より私の方が悲惨な生活をしているのは確かだ。だから「私を頼らないで」と話している。

母の性格から考えて、知りたくない事は聞かなかったことにしているのだろう。

幸せな人だ。

私に比べれば、幸せな楽な結婚生活だったはずだ。
私は幼い頃は、「どこかに本当の母親がいるんじゃないか」と思っていた。

母に違和感を感じていた。今も子どもから「お母さんとおばあちゃんは親子とは思えない」と言われる。
顔は似ているが、全く母のDNAが入っているとは思えないほど、タイプが違うのだ。雰囲気が違うと言うのか。

以前、ご近所さんからも言われた事がある。「あの方がお母さんなの?想像と全然タイプが違ったわ」と。悪い意味でそう言われる。だから友人に母を見られるのがいつも嫌だった。


今お互い、親子で元気でいるからこんな事を言えるのだろうが、いざ電話で話す事も会う事も無くなったら寂しくなるのだろうか。

親の愚痴を言えるというのは、贅沢な事なのだろう。



母から何回か着信履歴があった。

留守電のメッセージには「用事は無いの。ただかけただけだから。」と声が入っていた。

でられない状況はあるのに、いつも私が暇だと思っているのか。

暇潰しに長電話をしようと思ってかけているのだ。

一度電話をとると、1時間は同じ話を聞かされる。「時間が無い」「仕事中」と言っても話をやめないので、でないことにしている。

昨日は、母の相手なぞできる状態ではなく、緊急の用事では無いのだし、無視していた。

両親が高齢だし、いつ何があるかわからないのでなるべく電話にはでたいのだが、それをいいことに私はいつも暇だと思われては困る。


たまには(私より大好きな)弟と話せばいいと言うと、「迷惑だろうし、邪魔になるといけないから」と弟には気を使うのだ。私は娘だから何をしてもよいと思い込んでいる。

なので、なおさら電話にはでたくない。


昨夜は疲れていていつもより早く布団に入った。

眠気が襲いウトウトした時、携帯ではなくて固定電話が鳴った。

母はいつも携帯にかけてくるので、出たくない時は、マナーモードにしている。


母は、私が携帯に何回もかけてもでないから、固定電話からかけ直した様だ。

夜中に呼び出し音がしつこく鳴り、目が覚めてしまった。

留守電に切り替わり、母が大声でメッセージを入れている。

「なんで電話に出ないの~っ!どうなってるのよ!」と腹をたてて叫んでいる。安眠妨害な声はストーカー気質の母の性格をよく表している。
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いつも私は伝えている。

「いつも電話にでるとは限らない。でない時もあるしでられない時も多い。
緊急な時は、弟からも連絡させられるし、私の子どもたちに電話もできるし、どうにでもなるのだから、ただのお喋りなら、私が電話にでないからといっていちいち文句言わないで。」
と、何回も言っている。


母は、都合の悪い事は聞かないふりをする。若い時からそうなのだ。

弟にこの話をすれば「年とっていて話し相手が欲しいのだから相手してやれば」と他人事。

いやいや、若い時からこれが続いてきたのだ。弟は面倒な事から逃げる。

私から母に相談事を話しても母は話を聞きたがらないし、すぐに切られてしまう。
まあ、ほとんど私の夫の事だから聞きたくない気持ちはわかるが。母から聞かされる愚痴に比べると、私の愚痴は深刻すぎるから。そうでなくても、私の話は聞かない。理不尽すぎる。

夜に、電話器から聞こえる母の声。


ストーカーにあっている様な気分の私は、受話器を取り、叫んだ。
「いい加減にしてよ!」



いきなり私に怒鳴られた母は、予想外の反応に驚いていた。

「電話にでないから何かあったかと思って」と口調が弱くなった。
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いつもの様に、「電話にでられない事情もあるし、用事は無いと留守電に入っていればかけ直さないし、運転中や仕事中にでろと言うのはダメだし、どうしても急用なら弟にメールさせるとか、留守電に入れたら良い」と説明した。

認知が進んでいるのではない、昔からこんな人なのだ。


「疲れて寝ている時もあるのよ。今も電話でこうやって起こされて、用もないのに夜中にお喋りを聞けというのは無理!」といつもより強い口調で言った。

すると話題をそらされ、「そっちに遊びに行こうかと思っていたけど、迷惑そうね。やめるわ」と言いだした。「忙しくて迷惑なんでしょ。」と言う。


遊びに来る話なんて、聞いてないし私は何も言っていない。

母の嫌味が始まった。きっと父や弟には「遊びに行っていいかと電話したら、迷惑だと言われた」と言うのだろう。


そういう嘘を昔からつく人だった。

弟に頼みにくい時は、「あの子(私)がこうしろと言っていてうるさいから聞いてあげて」と嘘をつき、弟にやらせる。

自分が悪者にならない様に、人のせいにして自分の願望を果たそうとする。

子どもの時は、父に自分が怒られない様に子どもを犠牲にしていた面もある。
今ならモラハラを受けている共依存の妻が、自分を守るために子どもを利用したり、子どもが犠牲になっても守らず見て見ぬふりをする例があるが、そんな母だった。


父は実は子煩悩で、優しい人だった。母が「父に何も言うな、怖い人だ。」といつも脅し、父と話をさせなかった。

家庭団欒はなく、家庭内はいつもシーンとしていた。

元気の無い子ども(私たち)、、近所では「お宅に子どもさんがいたなんて知らなかった。あまりに声が聞こえなくて。」と驚かれた。

それを母は、自慢していた。「私のしつけがよくて、子どもが静かだと言われた」と。
そうじゃない。「あの家はおかしい」と思われていたという事だ。

小さい子どもがいるのに、気配が無いなんて今では虐待を疑われたかもしれない。


もし、私が、障害をもって生まれたら、父は守ってくれ大事に育ててくれただろう。と思う。

母は、世間体を気にして私はずっと存在を隠されていたと想像する。

恥かしいから堂々と生きるな、隠れて生きろ、うちの娘ではないふりをしろと言われただろう。

今でも、私の夫がダメ人間であるので世間体が悪いと気にしているのがわかる。
「離れて歩いて。娘とわからないように。」と言われたり、ばったり知り合いに会ったら「嫁です」と嘘をつかれた事もある。


戦争を経験し、苦労したはずなのに、お金に困って必死で子育てしてきた人なのに、その差別意識はどこからくるのだろう。
当たり前じゃない事を当たり前と思っている母。生きているだけで幸せを感じないのだろうか。お腹を痛めて産んだ我が子に何を望んでいるのだろうか。


「これじゃやっていけない。年金が少ない」と文句を言ってくるが、その金額は恵まれている。父の年金だけでやっていける。専業主婦で働いた事もなく、面倒な事は全て父任せで依存して生きて来た人。その上、まだ贅沢を望むのか。


これからの若い人の将来を心配なんてしない。
それどころか、「私たちが一番儲けた世代でラッキーだったわ」とまで言う。「若い人は年金減らされて運が悪かったわね。ああよかった、自分はしっかりもらえて。」と言う。
孫の事なんてどうでもよいと言う。


私の年金いくらだと思う?と教えると、話題をそらす。

「どうせ私はあなたや孫が年金貰う頃は死んでるからどうでもいい」と言う。


「もう私に愚痴の電話はやめて弟に全部吐き出してよ」と言っている。

弟の前ではいつもにこにこして、良い母だと思われたい様だ。最近は私が全て弟に話しているから、弟は母の裏も知っているのに。

私はいまだに本当の母は他に居る様な気がする。絶対ありえないとわかっていても。

母にしたら、”一生懸命育てて、助けてきた娘に、こんな風に思われるなんてやりきれない”と思うだろう。私が子どものままなのかもしれない。

親の気持ちは子にはわからないと言うが、確かに自分も我が子にそれを感じる時もある。

親としての自分、子としての自分、両方の立場も気持ちもわかるので、複雑なのだ。

私はいわゆる男尊女卑の家庭で育った。


父親がワンマンで、母は言いなり。おかしな事も、子どもがどんなに困る事でも。

自分の考え、文句を一切言うなと言われて育った。母に。

今思えば子どもの人権なんて無かった。

弟は男だから自転車を買ってもらえる。私は女だから必要ないと言われた。
いつの時代の話か。当時から我が家だけ戦時中に生きている様だった。

経済的な理由なのかと思っていたが、弟はすぐに物を無くす性格で、自転車もすぐに盗難にあったり、壊したりして、何台か買い直してもらっていた。だからお金の問題では無い事はわかった。弟は怒られている事もなく、叱られるのはいつも私だった。

自転車がないと不便だった。
友達は当たり前に乗っている時代に、女だからいらないとか意味がわからなかった。

学校に通学するにもバスで乗り換えて遠回りした。
友達と自転車で遊びに行こうと誘われても断るしかなかった。
周りから自転車に乗れない事を馬鹿にされてきた。

初めて自転車に乗ったのは、家を出て大学に入った後だ。

大人になってから練習したので、今でも下手だ。

自分が親になった時、子どもにはそんな事は絶対しない、ありえないと思った。

せめて母が父を説得すればよいのに、我が身可愛さで、とばっちりが自分にこないように知らん顔だった。

父親の虐待を母親が止めない、見て見ぬふりをする事が問題になるが、わかる気がする。

もし、私が父親に虐待を受けていたら、母は自分を守る事が最優先で、子どもを犠牲にしただろう。

父と直接話せば簡単に許可してくれた事も、母は「私にとばっちりがくるから絶対お父さんと話すな」と父と子の会話を遮断していた。

父は単純で気が小さい。話せばわかる人だったかもしれない。

父は母に良く怒っていた。でもそれは正しいことだった。
母は、マナーが悪くて下品なところがあったから、私も嫌でたまらなかった。友達にも「あなたのお母さん言葉が汚いし、変ね。」とよく馬鹿にされていた。

だから父が母に注意する事は嬉しかった。

だが、母は黙ってきいているふりで、そのストレスを子どもに向けていた。
「お父さんはおかしい、怖い。だからあなたたちも口を聞いてはいけない。」と洗脳していた。

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もしかしたら、自転車も直接ほしいと言えば買ってくれたのではないかと思う。すべて母が止めていたのだ。
高校3年になると、父の方から、「好きな進路に行っていいんだよ」と声をかけてきた。
父は、私を自由にしてくれた。
母の話と父の考えは違っていた。

母は自分の思い通りに娘を利用するしか頭になかった。近くにおいて、自分のストレス発散に使うつもりが、計算が狂った。


不満そうな母。私は父に救われたと今も思っている。(差別された環境で育ったことは確かだが。)

もしかすると差別していたのは母の方だったのかもしれない。


今でも母は、「男の子が一番。長男さえいればいい」みたいな事を言うし、「娘は自分の都合良く使う為に産んだ」と口にする。
介護状態になったら娘にさせ、弟には遠慮するだろう。弟自身もそのつもりだろう。


実際私がやった事でも、世間には「息子がやってくれたのよ」と自慢し、「娘は何もしなかった事にしよう」と言っていた。もちろん私は抗議し、いつも母に怒っている。

男尊女卑の扱いを私にしながら、弟夫婦に対しては、女尊男卑だ。弟嫁がどんなに非常識でも、冷たくても何も言わず、弟と一緒にご機嫌うかがいをしている。


弟夫婦に多額のお小遣いをわたし、ペコペコする母。
弟嫁は、母の前で弟を罵倒し、私の方が上よと、なめんなよと強い態度で好きな事をしている。
父が救急車で運ばれても、遊びに行って帰らない。
我が子が入院しても、母に付き添いをさせ、自分は世話をしない。頭をさげたくないからと母に会わない。そんなお嫁さん。親を大事にしてくれるはずがない。それをわかっていても、ご機嫌をとり続けている両親。

私と弟では、両親の気の使い方が違い過ぎるのだ。


こんなとんちんかんな親だから、私も弟も親も配偶者に馬鹿にされるのだ。と私は勝手に思っている。母にも話した。母は、何も言えず黙っていた。




来週、旅行先から帰宅する予定だった(2か月間の留守)弟嫁が、急遽帰宅すると言う。

おそらく、私が帰省したから慌てたのだろう。

それと、嫁さんの親族から注意されたと思われる。
母が余命宣告されたと知っているのに、帰らず遊び続けているのは、普通に考えてもまずいと誰でも思うはずだ。

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弟夫婦は実家のすぐ近所に家を建て、子どもはうちの両親にほとんど預けっぱなしだった。

意志の強い嫁さん中心に皆が気を使い、もめる事も無く、母はお嫁さんのご飯を作り、世話をし、小遣いをあげて、「いざとなったら世話になるのだから」と大事にしてきた。

そこまでする必要はないのにと思うほど。それを当然の様に甘える弟夫婦にも驚いた。


母が普段私に言っている事と、お嫁さんにしている事は正反対だ。

もし私が同じ事をしていたら、どれだけ怒鳴りつけられ、縁を切るとまで言われた事だろう。
それがお嫁さんには何も言えず、いつも優しくしている。

世間に対しても非常識な態度をとる時も、黙っている。
愚痴は私に吐き出し本人にはペコペコしている。よいお姑さんと思われたくて努力している。

それを知っているお嫁さんの親族は、常に頭を下げ、申し訳ないと謝ってくれる。それでもお嫁さんを誰も責めないし、悪く言わない。

お嫁さんを大事にするのはとても良いが、大事にするのとご機嫌うかがうのとは違うでしょうと私は思っていた。

以前の入院の時も、退院まで旅行に行ったまま全く顔を見せず、親族が謝ってきて本人は全く普通。

お嫁さんの親族はまたか、と嘆いている事だろう。お見舞いにいきたいが、嫁さんがいないのにバツが悪いのだと思う。

何やってんだ。早く帰ってこいと言われた事だろう。

おそらく、帰ってきたら、不機嫌で「全くお義母さんのせいで旅行の邪魔されたわ」と文句を弟に言う事だろう。


母が話しかけて場を明るくしようとしたら、後から「お義母さんは全くお喋りなんだから」と私と弟に向かって言ったあと、私に「あなたからお義母さんに注意しといてよ」とも言われた事がある。
母は、彼女のそういう面は良くわかっている。

足の手術の副作用で、一時期神経がマヒした時も、「仮病でしょ。」と決めつけられた。弟はそれをそのまま母に伝え、母は悔しがっていた。
それでも私に愚痴るだけで、弟夫婦には文句言わず黙っていた。

最近は、流石に母は「お願いしますね」とお嫁さんにはっきり言ってはいるが、効果は無い。

そんな時の弟は、黙って耐えている。何を言っても無駄で、彼女が不機嫌になるのが嫌なのだ。
それがモラハラと同じ構造に思える。


普通は奥さんが帰れば楽になりそうだが、弟の場合、精神的に縛りつけられて自由に動けなくなるのではないかと心配になる。

プライドがあるので、いっさい家庭の愚痴は言わない弟。
だから私も母もいっさいお嫁さんの話題はしない。

どういう人であろうと、弟がそれで良ければ良いのだ。幸せなら。

そう思って我慢してきたが、やはり自分の親の大事な時にこういう態度をとられるなんて予想していなかったのではないか。

長い間、結婚生活をしてきて、似た者夫婦だったし、弟も奥さんの考えに染まっている面もある。
共依存の状態に似ている。

羨ましい人だ。こんな好きに生きていけて、周りが言いなりになってくれるなんて。
自分がどう思われても気にならない、自分は正しいのだからという自信があるのだろう。

世の中不公平だなと彼女を見ていて、妬ましくなる。

でも、考える。彼女の幸せの裏には誰かの我慢があるのだ。

弟は、プライドなんかいいから、私だけでも本音をこぼせばいいのに。どうせ私の方がひどい生活しているのだから。
人の悪口を言わない性格で大人しいので、嫁さんはそこが気に入ったのだろう。

以前、鬱病になり入院したこともある弟。「病院は天国。家にいたくない」とその時、私だけに言っていた。

嫁さんは、「仕事のストレスが原因」と言っていた。
病院でもそういう事になっていた。それもあったのだろうが、本人もわかっていなかったのではないか。本当のストレスの原因を。


口で愚痴を吐きだすのは、大事だと思う。
自分だけで心の奥にしまい込むといつか病んでしまう。

昨日は、「今私たちが倒れるわけにはいかないから、気を付けようね」とだけ弟にはメールしておいた。

この文章を書いた後、母は手術することになったと連絡があった。


昨日、お見舞いについて改めて考えた。

知り合いや友人が入院すると、
「お見舞いにいかないと失礼じゃないか」「来てくれなかったと言われないかな」と思う事が先になって、本当は行かない方が良いのでは(相手の負担になるかもと)と思っても義理で見舞う人が多いと思う。

今一番親しい友人は、「近いうちに入院する」と話してはくれたが、病院も期日も教えようとしなかった。

だからこっちもあえて聞かなかった。退院してから一緒に楽しく食事をした。

母と同じで、女性は特に病気の姿を見られたくない。それに具合が悪いのだから静かにベッドで休んでいたいと思うのが本音ではないか。

頻繁に来客が来て、その度説明して会話をして、頭下げて、疲れることだろう。

軽い怪我の入院位ならまだ良いかもしれない。人によって、場合によって一概に言えないかもしれないが。

内臓の病気の時、苦しい時は、お見舞い客の相手は煩わしいだろう。

そう思って、私は家族、親族以外は、あまりむやみにお見舞いは行かない事にしている。退屈だから来てほしいと言われたら行く。
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数年前、納得のいかない事があった。

仕事関係のお客で、まだ若い独身女性の話だ。
脳内出血で右半身麻痺が残ったが、仕事も運転もできるまで回復した。

私とは仕事で何回か会うだけの関係だった。

ある日、社長から電話があり、彼女が再び脳内出血を再発して入院したと聞いた。

場所が悪く、反対側も麻痺してしまい、両麻痺になった様だ、彼女はかなり落ち込んでいるとのこと。

聞いただけで、胸が苦しくなった。やっと復帰して頑張っていたのに。恋人もできたのに。

まだ若い、これからという人がそんな事になるなんて、彼女の気持ちは想像もできないほどで、言葉がでなかった。

きっと今は、落ち込んで生きる気力も失っているかもしれない。
でもそっとしてあげるしかできないし、親しくもない私にはどうしようもなく、医師に任せて遠くから回復を祈るしかできなかった。

すると社長から言われた。
「彼女はかなり落ち込んでいるようだから、お見舞いに行って励ましてきて。」と命令された。

どう考えても、私がお見舞いに行くことは不自然だった。ただの数回しか会っていない仕事だけの関係。

それに、病気の事は個人情報だ。そんな情報を私が知っている事自体おかしいし、歓迎されるわけがない。ましてや偉そうに「励ます」なんてとんでもないこと。

どう考えても、社長は仕事がらみで、社員をお見舞いにいかせてイメージアップを狙おうとでも思ったか。愚かな考えだと思った。
すぐに抵抗したが、聞き入れてくれず、とにかく行けと言う。

どんなに失礼で無神経な事か、仮に命令で行って、もし相手が怒ったら社長は責任を取らないで、私が勝手に行ったと、誤魔化すだろうと思った。

だから絶対行かなかった。首になってもいいと思った。

父が怪我をして1カ月入院した時、母はお見舞いが煩わしいからと、誰にも連絡しなかった。

今回、母が内臓の病気で入院して、やっぱりお見舞い客を気にしている。

「入院を知ったからには、むこうも来ない訳にはいかないよね。」と相手の気持ちもわかっている。

親族や家族なら別だが、他人となると難しい。

お見舞いに行って、退院した後にお見舞いの品を突き返してきた人もいたそうだ。
「こういうのお返しとか煩わしいし、お互いやめましょう」と言われたという。

気にせず、お見舞いにきてほしいという人もいるかもしれないし、難しい。

不安なのか、母から毎日電話がかかってくる。

弟からも母の様子は聞いているが、本人の声を聞くと安心できる。

昨夜は、少し元気が無かった。近所の例の人がお見舞いに来て、根掘り葉掘り病状を聞いてきて、参ったとのこと。
「まだ検査が色々あってわからないけど、大丈夫よ、あと10日ほどで帰れると思う」と話した様だが、納得していない様子だったという。

この人は、悪い結果を聞かないと納得できないのだろうか。
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それともう一つ、予想した事が起きていた。

弟嫁だ。空港からまっすぐ見舞いに来たという。
こんな時でも遊んでいたのはばれているので、ばつの悪そうな様子かと思ったら、とんでもない、そういう人だったらとっくに帰ってきている。

嫁さんが母を見て真っ先に言ったことは
「なあんだ、お母さん、元気じゃないですか~。私は忙しかったのに。」だったそうだ。予想通り。

その日、流動食を食べて再び腸閉塞を起こし、苦しんでいる時だった。「痛い、痛い」と言う母を見ながら、はらはらしている弟の前でそう言ったのだ。

手術が決まり、母が弟にタオルや不足している物を家から持ってくる様に頼んだらしい。
弟が家のどこにあるのか詳しく聞いていると、横から弟嫁さんが「全く何やってんのよ。ちゃんと探せばいいでしょ」と母の前で弟を怒ったという。


そこ、怒るところじゃないでしょ。何を他人事のように言っている?「私が探しますから大丈夫ですよ」とか「うちにあるのを持ってきますから大丈夫」とか言うならまだしも。

自分は何もすることなく、弟にちゃんとしろと怒るのは、母にとって気分の良いものではない。

でも、お嫁さんはそこがわからない。彼女の心理は、弟をけなせば自分の株が上がると思っている。

こういう事は私の前でも、父の前でも良くあるからわかる。

自分の評価を上げる為に、弟をけなす。この人は私よりだめです、だから私が何をしても正しいのですと言いたいらしい。
全くそんな事には騙されない。というか、そんな事をしたら逆に自分の人間性が下がるよと言ってあげたくなる。

最初から自分はそういう考えだと宣言してくれていたらまだしも、結婚する時、そうでは無かった。大人しい尽くすタイプに見えた。
それでも、何回も弟は彼女のアプローチを断っていた。

だが、「ご両親を大事にしたい、長男の嫁として近くにいてお世話もしたい」と熱心に訴えられ、熱意に押されて結婚したのを覚えている。

あれは何だったのか、別人じゃないか。夫と同じだ。姉弟そろって同じタイプの人と同じ様な結婚をし、情けないものだ。

そういう人を見抜けなかった我々にも責任がある。私と弟はターゲットになりやすいタイプなのだろう。

それにしても、今の母には余計なストレスは与えたくない。

手術は高齢の母にはいちかばちかなのだ。目が覚めない可能性も覚悟の上なのだ。


毎日電話をするたび、これが最後になったらどうしようと思っている自分がいる。

それも全て知った上で、思いやりのあるふりとか優しい演技すらできない人間が身内にいるとは悲しい。

いっそのこと、旅行にいっててもいい、バツが悪くて顔を見せられないと言う風にしていればまだ救いもあったが。

何故近くに家を建てたのか、と思ったが、親を利用する為で、親を助ける事は頭に無かったということに結果的になってしまった。


弟もできる限り動いてくれるが、限界がある。
私も近くにいたら毎日、何かできただろうが、遠くて自由に動けないのがはがゆい。こんな時、夫がまともだったらと恨めしくなる。


私はまず自分が生きて行かねばならない。今倒れることはできない。


実家を助けたい人が生活が苦しく、遠く、自由が無く、助けたくない人が近くにいて、裕福で時間もあって自由だなんて、皮肉な話だ。






手術の翌日、母から電話が来たのは驚いた。

回復の早さに驚く。医療の進歩は凄い。

腹腔鏡で、ロボット手術。「縫合もロボットがやりますから誰がやっても結果は同じなんですよ」と言われたらしい。

傷口も小さく、翌日には、院内を歩かせる。明日には食事、流動食からだろうがとれるそうだ。

ICUに寝ていた時は、大丈夫かと心配したが、とりあえず安心した。

母は、「切り取った部分を見たんでしょう?どうだった?」と聞いて来た。
「よくわからなかった。切り開いてあってぐちゃぐちゃで何が何だか。お医者さんの話も早口で事務的でわかりづらくて、とにかく悪い所は全部切ったからもう大丈夫だって。」

と答えた。リンパ腫だなんて言える訳が無い。母は悪性と言われる事を怖がっている。

誰でも、どんな腫瘍だったか、悪性なのか、腸がどうなっていたか知りたいのは当然だ。
もう少し、言える範囲で細かく教えれば良かったかな。また次の機会に話そう。

「腫瘍が大きかったって聞いたけど。」と更に聞かれた。

「大きくは無かったよ。どこにあるのかわからない位だったし。もしかしたら切り取ってあったのかもしれないけど。」と答えたが、この大きかったというのは、弟が言ったのだろう。

切除した部分が大きかったと言ったのか。不安にさせる様な言いかたをするのは弟の無神経なところ。

リンパ腫だと話してもいいのではないかと言っていたから、それは反対した。

どんなものなのか、きちんと調べてもいないし、まだ検査中でどの程度のものかもわからない。

弟は無神経なところがある。

母は、腹痛がでるまではピンピンしていた。まさかこんな大ごとになるとは思ってもいなかったはずだ。
すぐに退院して、元の生活に戻れると信じて不安を打ち消し、気力を保っている。

身だしなみも整え、いつも綺麗に元気に見られたいという気持ちも持っている。

それで私は救われる。だが、弟はそれを「つまらない事を考えて居る」とか「病人らしくしとけばいい」と言う。
これは、直接は言われなくても、態度で母も感じている。だから弟に頼めない事は遠くにいても私に頼んでくるのだ。

女性にしかわからない気持ちってある。本当は、すぐ近くにいる弟嫁さんが、せめて母の理解者であったらどんなにか救われていただろう。もう誰も彼女には期待していないが、中途半端に口をだされるのは参る。
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見舞に行った父が、弟のいない時に母にそっと愚痴ったらしい。

「どうやら我々は、施設に入らないといけなくなりそうだね。」

「息子夫婦はあてにならない。これまで何回か入院、手術したが、嫁さんがどんな人か良くわかった。我々が動けなくなっても、今の様子では、おそらく息子夫婦は今のままだろう。むなしい思いをこれ以上したくない。娘も遠くから何度も来させるのも申し訳ない。」

という事の様だ。何て言うのか、嫁さんから「まったくあなたたちのせいで、私の自由な生活がだいなしよ」みたいな圧を感じるのが辛い様だ。
いつも親の目の前で、全く動かず弟をあごで使うので尚更だ。

いつも座ったまま、「早くこれをあっちに運んでよ。ほら!」と自分の茶碗を運ばせる。
母の前で「全く、とろいんだから」と弟をけなす。
弟は、プライドで愚痴をこぼさないのだと思う。人生やり直す気力も無い。

おそらく、DVを受けているとしたら、ハネムーン期で完全に誤魔化されている。もうすっかりはまってしまっているかんじがする。
あまり深く考えるタイプではないので、どうにかしようとか考えない。面倒くさい、それでいいやというタイプだ。

父ももう我慢の限界なのかもしれない。

「いざそうなったら、私が定期的に世話にいくよ。」とは言ったが、母は「そんなこと気にしなくていい」と否定的だ。
近所や親せき、どうみてももうそれは知れ渡っている。大事な時にいつもお嫁さんはいないから。

完全に共依存化している弟は、感覚がマヒしている。
奥底にストレスを溜めているか、最初から似た者夫婦だったのかわからないが、共依存は確かだと思う。

さて、腫瘍の検査結果と共にこれからの治療がどうなるか、気になる。医師がその説明を母にどう伝えるのかも。

弟には私の気持ちは伝えた。

母から電話がきて、声を聞くと安心する。

元気な時は、あんなに嫌だったのに。いつも長電話で同じ話を聞かされ、こっちの話は聞いてもらえずイライラしていたのに。

人間ならこれが当たり前な事だよねと自分で身勝手さを誤魔化している。




朝早い新幹線で実家へ向かう。

行ったり来たりがこれから何回続くのだろう。


帰る実家がまだある事の大切さをしみじみと感じる。

玄関を開けた時の、両親の顔と声。いつまで見られるのだろう。


今日はまだ大丈夫。今まで通りの両親がいる。このままずっと消えないでほしいと願う。

何気ない日常の幸せ、学校帰りに家から漂う夕飯の臭い、犬の声、車の音、台所の家事の音。
永遠に続くと思っていた遠いあの日。
あれが幸せというものだった。

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自分の子ども達もいつか同じ気持ちになる日が来るのだろうな。なるべく長く変わらぬ平和な日常を守っていきたい。

平和は、突然無くなる。守っていく事は努力がいる。

私の実家の平和な情景が少しづつ、消えそうになっていく。
今のうちに両親とよく話をしておこう。

この続きはまた…




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