りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:実家のこと > いろいろ


ドンドンと外から聞こえる花火の音。

花火の見える部屋はエアコンが無くて夜でも異常な暑さ。 
数年前までは窓から見ていたのに、ついに耐えられない暑さになってきた。

町内会の夏祭りも復活して、盆踊りの参加を募る回覧板も回っていた。
そうか、今年から色んな行事が復活している訳だ。

昨年、町内会の班長をしたが、何も仕事がなかったのはコロナで中止だったからか。
そういう意味では、楽で良かったな。
子ども会の役員だった時は、ラジオ体操、廃品回収、町内会の運動会、
夏祭りの準備、盆踊り参加、クリスマス会などなど、年間を通して色々やっていたなあ。
朝の交通安全活動もやった。子ども達のお陰で、懐かしい思い出が沢山ある。

季節ごとの行事は、やっぱり風情があるし
ほのぼのとして、子ども達にとって良い思い出になる。
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花火と言えば、ちょっと残念な悲しい気持ちにもなる。
また母の事で申し訳ないが、
母と実家で会った最後の夏、実家の二階から花火が見えた。
母は「来年は皆でここでバーベキューしながら見ようね」と笑顔で言った。
あの時、簡単に実現すると思っていたから、
帰宅してから子ども達に翌年は皆で帰省しようと話していた。

その後、実家に帰っても母は家にいなかった。
二度と母は二階から花火を見る事は無かった。
コロナ禍で行き来が出来ず、帰省しても面会が困難でなかなか会えなかった。

今、夏に実家に帰って花火を見ようという気分にもなれないし、
暑い中帰る気もせず、気楽に泊まれるような家ではなくなっている。
子ども達は誰も泊まりたがらない。ホテルに行く。

もっと早くに母の希望を叶えていたらなあと後悔する。
父が先で、母が残っていたら今年も花火を一緒に見ていたかもしれない。
後に残る親の性格によって、こんなに実家が遠くなってしまうなんて。

弟も何を考えているのやら。
初盆のはずなのに、何も言って来ない。
招待されないと行く事はできないし、こちらから催促したくない。
呼ばないなら早くそう言ってほしい。

都合の悪い、隠したい何か訳があるといつもこんな感じだ。
奥さんがいてもいなくても、こういう所は変化なしだ。
この件も常識ではありえない態度だけど
弟と父には、もっと驚く困ったことがある。この件はまた後日に。



これから夏の異常な猛暑はどんどん酷くなっていく事だろう。
そのうち40度なんていうのが普通になっていくのだろうか。
部活や体育の授業、各競技の試合も命がけになってくる。
根性論は辞めて命を守る事を第一に考えてほしい。

ほんの数分外に出ただけでも、やばいという感覚がする。
そうなると、父のことが心配になってくる。

もっと頻繁に帰省して面倒を見るつもりだったのに
実家は物があふれ、私の寝る場所も確保できない状態。
料理をしたくても、台所の掃除から始めないとできない。
それが一日かかる。
父のペースがあるので、それに合わせているとバタバタする。
台所だけではなく、お風呂、トイレもそう。
以前、あんなに綺麗に片付けたのに、
父がめちゃくちゃに変えてしまった。
結局、弟夫婦が見て見ぬふりをしてきたツケを私が払うことになる。

で、何も知らない世間や親族は、弟が小まめに良く世話をしているねと労う。

嫌なことから逃げて目をそらすのは弟夫婦の癖だった。
母も不満を抱え、弟嫁の病気も手遅れになってしまった。
その都度、弟は反省したと言うのだが、
そう簡単に人は変らない。
私は夫に変わるふりをされて何度も裏切られた。

トラブルを起こし、会社をくびになったり、
人から嫌われ孤独を感じると「これからは、家族の意見を聞いて家族のそばにいたい」
などと臭い台詞で騙していた。
家族からの批判をかわし、その時だけ家庭を逃げ場に使う。

でも、また次のターゲットが見つかるとすぐに元通り。
勝手な行動をし、また家族の意見は無視か脅しで黙らせる。
もううんざり、もう信じない。
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弟は夫とは全然違い、もっとまともだが、
嫌な事から目をそらす癖は、変わっていない。

とは言え、父のそばに誰もいないよりは安心なので、文句は言えない。
私がずっと両親の世話をしていれば、
もっと清潔で、きちんとした生活をさせられただろう。
母は最期まで父に苦しめられた。
弟夫婦がもっと母に優しくして家事を助けていたら。
と、いくら私が思っても今更仕方ない。

母亡き後、実家がこんなに居心地悪くなるとは思わなかった。
父に最後に会った時には、家の整理をよろしく頼むと言われたが、
いざ私が実家にいると、また機嫌が悪くなるかもしれない。
とは言え親は親。心配だ。
不衛生な家の中で、この猛暑の中大丈夫だろうか。

もっと頻繁に帰りたいが、こちらの仕事、用事もあり、
交通費や色んな経済的負担、この暑さ、
実家の居心地の悪さを想像すると行く気が失せる。
私の居場所、スペースすら無い。

母が残っていたら、全く違っていたはず。
父はどんどん負の遺産を増やしていく。
それが母の心残りだった。
自分の方が長生きすれば、父の残した負の遺産をさっさと処分し、
私達があとから困らない様に整理したいと言っていた。

もうすぐお盆なのに、父も弟も私の事は頭に無さそう。
こっちも、子ども達が帰省する実家と言う立場。
家にいた方が楽しいのは確か。

期待されていないのに、勝手に気にするのも無駄かも。
実家の事を考えるのが、何だか馬鹿らしくなってきた。





昨日外を歩いている時、急に母に会いたくなった。
時間が経つにつれて思い出す機会が減り、寂しさも薄れて来ていた。
長生きして寿命を全うした、最後のお別れができたという納得感があるからこそだろう。
若い人の急な別れならこうはいかない。

残された人を苦しめない為には、「寿命を全うした」的な終わり方ができればいい。
でも、自分がどんな風に人生を終えるのかはわからない。
母は「家族に見守られながら、病院のベッドの上で~」が理想だと言っていた。
私一人だったけど、ちゃんと見送ったから良かったかな。
ただ、母本人は、父よりも先に逝くのは嫌だったようで、
今はまだ早いという悔しさを抱えたまま、逝った。

悔しいと思いながらこの世を去ったのが本当に可哀想だった。
(自分も絶対そうなりたくない)
最後の会話では「後の事は何も心配していない」と思い残す事は無いと何度も言っていた。
が、それは本心ではなく、自分にそう思い込ませていたのだと思う。

そんなあれこれを久しぶりにふと思い出した。
母に「あの世はどんな?」
「こっちの様子を見てる?どう思う?」
などなど、以前の様にお喋りしたくなった。
何て答えるだろう。色々言葉が聞こえてくる気がするが、
それは私の脳内で作られた独りよがりな言葉だとわかっている。
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母が生きていたら、そしてあの世でも、きっと弟のことを心配しているだろう。
可哀想に可哀想に、と。
それを聞いた私は、娘は心配じゃないの?老後破産予備軍だけどねと言って見たり、
相変わらず、あの世にいっても娘はどうでもいいのねなどとすねてみたりと、
あれこれ想像していた。
そして、今はもうそういう母へのストレスから解放されたんだなと改めて感じた。

それでも、母と一緒に買い物したり、
お喋りしたくなったのだ。
考えてみれば、生きていたらかなりの高齢。
そんな事、もうできなくなっているかもしれない。
いつまでも若い時の親の姿のままで思い出す自分は、まだ子どものままなのかも。

父が長生きしてくれているのは嬉しい事だが、時間が経つほど実家は荒れ放題になり、
泊まる事もできなくなっている。
何となく、弟は私が実家を掃除したりすることを嫌がっている気がする。
どっちみち、もう手がつけられす、無理すると自分の体調まで悪くなりそう。

いくら父が1人で暮らせるとは言え、
食事、衛生面を考えると、介護サービスや施設などのお世話になる方が安心。
だが、弟が嫌がる。
面倒なのだそうだ。手続きや長男として連絡が来たり、自分がする仕事が増えるのが嫌だと。
こういうところが冷たい。
何かがずれている弟。

最初の予定はどんどん変わっていく。
そんな事もあって、母と一緒に愚痴りたくなったのかもしれない。




飾ってあった沢山の奥さんの写真
家族仲良く笑顔の楽しそうな写真ばかり。

母が亡くなったばかりの1人ぽっちの父を置いて、
家族でお正月旅行に行った時の写真もあった。
この時の笑顔の裏で、私が父の所に急いでかけつけた事なんて
何も気にして無さそうな顔だった。(家は荒れ、食べ物も何もなかった)
一瞬暗い気持ちがよぎったが、打ち消した。

遺影について聞いてみた。
「これ、別人みたいに見える。亡くなる少し前、旅行に出る前の写真なら
この時すでに悪化していた訳だよね。写真にそれが出ているね」
と言っても、弟はピンときていない風。

その写真は、まるで老婆。実際の年齢より10歳は老けて見えた。
顔色は悪く、目に力はなく、丸かった顔はやつれ、背中も曲がっている。
あきらかに、どこか病気では?と疑う様な。

弟にこの頃の様子を聞いてみた。
「本人は、やせてきたのを喜んでいたよ」と笑った。
弟は当時の顔を見て、全く病気とは思ってもいなかったらしい。

弟嫁は、病院嫌いで、検診にも行っていなかった。
理由は、過去の検診で、色々異常値がでており、
かなり太っていたので、医師から運動や、痩せる事を指導されたそうだ。
それが嫌で、検診や内科的な病院に行くのをやめたそうだ。
人から指導されるの大嫌いな人だったから。
自分の為なのになあとは思うが、甘く考えたのだろう。そこが仇になった訳だ。
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ダイエットも何もしないで、急に顔が痩せて来たら、
病気では?と心配するものだと思うが。
実際、具合がどこか悪かったはず。
だるさを訴えていたというが、いつもだるいと言うのが口癖で
やりたくない事があると、だるいと言って逃げていたらしい。
なので、いつもの口癖だと弟は聞き流していた。

やつれても、本人が痩せたと喜んでいるし、
旅行にいくのをやめないから、元気だと信じていたのは仕方が無いこと。
旅行に頻繁に行き始めたのは、数年前の母の入院からだ。
お見舞いに行く事や世話をする事から逃げる為に。

その頃から発病していただろうと医師の予想。
ちょっと倦怠感があっても、自分を誤魔化し、
現実逃避で無理をしてきたのだろうか。

夫も似た様な面があるのだが、
自分の思いたい様に思い込み、頑固に我儘を通す。
それが周囲を巻き込み、迷惑をかけるが本人は逃避したまま。
自分に言い訳をつくり、信じ、正しいと思い込む。

それが他人でなくて自分を騙すとこういう悲劇になる。

あの写真を撮った頃、
一度、検診を受けて見たらと誰かが忠告していたらどうだったのだろうか。
後からこうすればと後悔しても仕方が無いが。

頑固に忠告を聞かず、結果は同じだったかもしれないが、
コロナ禍が一番酷かった時にも、
反対を無視して、旅行に出て行った人なので
私の方が、向こうで感染して何かあるかもと覚悟をしていたところはあった。

弟は、奥さんと似た面があり
大丈夫だよ、心配し過ぎと、甘く考える癖がある。
人の病気の訴えも、仮病扱いしたりするので、
想像力に欠けていると以前から思っていた。

そういうところ、母の時に後悔していたはずなのに、
何度も同じ失敗をして、結局人は変わらない。

写真は、もっと若い元気な時の物にすればよかったのに
と奥さんがあの世から文句言ってるのでは?なんて思いながら
「また来ますね」と仏壇に声をかけてきた。
人を家に入れたくない(掃除や接待が嫌いで)人だったから
嫌がっているかもねと思いながら。


無事帰宅した。
移動時間が長く、暑さで疲れた。でも、行ってよかった。
弟は忙しそうで、夜帰りを待って訪問した。
気になっていた弟嫁のお参りができてホッとした。

仏壇の周りには写真が沢山置いてあった。
弟と奥さんと二人、仲良さそうに並んだ写真もあった。
弟が沢山ある中から選んで印刷しているので、弟自身の中で
楽しかった時、奥さんが幸せそうにしているもの、
自分の好きな奥さんの表情の物なのだろう。
全て家族旅行した時の笑顔の写真ばかりだった。


私は、絶対夫の写真は飾らない。
というか、見たくなくて夫の写真は捨てたかも。
最初の頃しか写真も無いし、思い出はほとんどないし
そもそも夫との思い出なんて後悔の記憶しかない。

その点、弟は結婚には後悔してなかったのだなと感じた。

弟は、奥さんがいなくなって初めて、存在の大事さに気が付いたという印象。
ご主人を早くに亡くした友人は多いのだが、
「元気な時はこの野郎、と思っていつも文句ばかり言ってたけど、
いざいなくなると、大事な人だったと思い知らされた」
と語る人がいた。ほとんどの夫婦はそうなのだろう。


長年、別居して苦労させられた友人はそんな事は言っていないが。
私もそんな事は絶対思わないと思う。
同居と別居の違いもあるかもしれない。
一緒に暮らしてきたという日常を突然失う事のショックと空虚感が襲うのと、
長く離れて暮らして、二度と会いたくないと思いながら1人で暮らしてきた人とは
感じ方が違うのは当然だ。冷たい様だけど、そこまで追いつめた方の自業自得で仕方が無いかも。
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気になったのは、遺影の写真だ。
何でこれにしたのと言いたくなった。
「これが一番最後に写したやつだから」と言う。
弟は、写真はよく写すし、印刷して飾るのが好きなのだが
下手すぎるのだ。画質は悪く、表情も考えず無造作に撮る。
綺麗に構図を考えて写そうとか全く考えていない。

写ればいいんでしょというレベル。
だから、自分だったらこんなの人に見せないでと言いたくなる写真を
平然と壁に飾ったりする。

母も、弟に撮影を頼むとおかしな風に写され、
それを勝手に大きく引き伸ばして飾られるのが嫌だが、文句も言えないと愚痴っていた。
記念写真を撮っておきたいと、私に撮り直しを頼んできた。
結局私が撮り直した物が気に入り、遺影に使ってほしいと言われその通りになった。
抗がん剤で脱毛した頭では嫌だと言う母に、
弟夫婦は、そのままでいい、と母の相談事はいつも冷たく流していた。
そんな頭でやつれた顔の母の写真を撮り、
それを遺影にすればいいと弟は母に言い放ったのだ。

こんな姿の自分を人に見せたくないと私に愚痴った母。
私は、ウイッグを買って送り、母を我が家に呼びよせ、着物を着てもらい、
お化粧をしてあげ、母が一番綺麗に見える様に沢山写真を撮った。
これが母の最後の写真と旅行にもなり、あの時は本当に嬉しかったと最後に言ってくれた。
せめてもの親孝行になったかも。結婚では親不孝しかしてこなかったから。

弟が奥さんの遺影に選んだ写真にはびっくりした。
弟らしい鈍感さというか、何も変わってないなあと思った。
そういう点では、似た者夫婦だからうまくいっていたのだなとある意味良かったともいえるが。   続く

 


子どもから連絡が来て、急遽一緒に実家というか弟の家に泊まることになった。
偶然、出張が実家と同じ県で、1泊2日だけど、せっかくだから一緒に
弟嫁のお参りに行こうと話し合った。

弟から返事がまだ来ないから決定ではないが、留守なら行かないけれど、
もし在宅ならそうさせてもらうことに。

今から準備をして、明日朝早くに家を出る。
こういう事は勢いで急に決まる方が実行しやすい。
いつか、いつかと思っていてもなかなか決められない。

とりあえず、荷物はあまりいらないけど、準備をしよう。
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今回、何も無いから良いけれど、これが不幸や何か悪い事で急に行くとなると
もっと焦って、気分も落ち着かないだろう。
小さな旅行とは言え、家を留守する度、無事に帰宅できますようにと祈る。

毎日、驚く様な事件事故が起きるから、
一瞬不安になるけど、気にしていたら何もできない。

一度弟の家に顔を出しておきたかったので、良い機会だ。

明日朝私は車で子どものアパートまで行き、そこに車を置いて一緒に出る。
仕事の時間より、移動時間の方が長い様だが、
明後日、また子ども宅から車で1人運転して帰らないといけない。
くたくたになるかも?嫌な暑さもあるし。

どうぞ順調にいきますように。



 


2泊3日の予定で、弟が我が家に来た。

疲れさせてもいけないので、
家にいる時は気楽に好きに過ごしてもらうことに。
見るとすぐウトウト寝ているか、外に出てタバコを吸っている。

私に気を使っているようで、外に食べに行こうと誘ってくる。
準備しているよとか、作りたいものがあるからと言って(事実だし)
気を使わせないようにした。
実際、そう何度も外食ばかりしたくない。

普通にいつも作っている簡単な料理なのだが、
夕食時に出すと「わあ、家庭料理は久し振りだ。」
と嬉しそうだった。
ぺろっとたいらげ「ああ美味しかった」と満足そうだった。

奥さんが元気で、旅行に行かず家にいた時は弟も家事をやっていたが、
奥さんと一緒に手作りの料理を食べてるのが当然の生活だった訳で、
もう二度とそういう事が無いと思うと…さぞや寂しいと思う。

誰かと一緒に食事する為の料理と、
自分だけの料理では、全く違うのは当然だ。

独り暮らしを楽しめる余裕が出てくれば、
たまには自分の好きな物を贅沢に作ったりして楽しめるだろうが、
まだ、それどころじゃないだろう。
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孤独で落ち込む毎日を、どうにか紛らそうとうちに来たり、
用事を作って動いている様で、やつれてはいたが、
前に会った時よりは顔色が良くなっていた。

以前、母を連れて二人で来た時の弟は、
美味しいなんて言わず、もっと無愛想だった。

今、誰かと一緒に食べる幸せや、人にご飯を作ってもらう幸せを
嫌と言うほど感じているのだと思う。
弟は、そんな目に遭うようなことはしていないのに。
何故、弟なのだろうと悔しくなる。

何度も言うけど、今配偶者を失うのは弟ではなく
私だったら良かったのだ。

世の中どうしてこうなるのと恨めしくなる。


私は何でこんなに疲れているのだろう。
弟は今朝帰って行った。

昨夜、奥さんが亡くなる前後の様子を聞いた。
本人は本当に気の毒だったが、見守った家族も大変だったことはよく伝わった。
二年前に自分も体験したことだ。
弟の、頼りにしていた二人を連続して失った衝撃は半端ない。

だが、病気に対する誤解や思いこみの悪い癖は治っていない。
母の時もそれで失敗したはずだけど、反省したはずが変わらない。
なので、真実をどこまで聴けたかはわからないが、
どう弟が対処したか、過ごしたかはわかった。
よくぞ倒れなかったな、頑張ったなと思った。

他にも色々父のことも話したが、お互い歳をとり、思いこみも激しく
話が合わないこともあった。
今言いあっても仕方がないので、適当に聞き流して
とりあえず、今は弟が精神的におちついて暮せることを祈る。

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最近きちんと食べていないとかで、痩せていた。
歳をとってから痩せると老け込む。
昨日は、花見に行ったり、皆でお腹いっぱい食事を楽しんだので、
少しは良かったかなと思いたい。

弟は、ソファに座っていると思ったら、何度もウトウトしていた。
体力はある方だと思うし、健康には気を付けていると言うが、
これまでの疲れが出て来る頃だろう。
子ども達が来てくれたので、賑やかだったけど
少しは気分転換になっただろうか。

前回遊びに来た時は、奥さんが健在だった。
前提が全然違うとこうも違う物か。
今から、旅行から家に帰っても誰もいないわけだ。
まだまだ寂しさとの戦いだろう。
遠くに娘がいることが心の支えだろう。

弟がどう見ても憐れに見えてしまい、こちらまで悲しくなり、
それも疲労感の原因なのだろうか。
早く仏壇にお参りに行きたいと思う。
弟と一緒に帰省するつもりだったが、そんな雰囲気ではなく言い出せなかった。
今度こそ、近いうちに帰省したいと思う。

 


昨夜は賑やかだった。
子ども達が来てくれて、よくお喋りをし、
私も久し振りによく話した。

弟は私が1人で静かに暮らしているイメージでいたのだろうが、
いつもこんな風に誰かが来て、賑やかだと思ったかもしれない。
疲れなかったかなとちょっと心配。

と言いながら、今日もあちこち連れ回してしまった。
帰宅したらそのままバタンキューで、昼寝をしていた。

少しでも気が紛れてくれたらと思うが、
帰ったらまた落ち込むかな。
帰りは一緒に帰省しようかなと思っていたが
弟の態度からして、そのつもりが無さそうだし、
ついて行くと、疲れがとれないかもなと思い、やめた。
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亡くなるまでの奥さんのことや、その後の大変だったことを
聞きたかったけど、いざとなると聞けない。
本来は、私が弟宅に行って、お線香をあげるつもりだったのに。
それをしていないので、どこか落ち着かない。

また、そのうち、連休にでも帰省しよう。
父の様子を聞くと、衰えてはいるが
年齢の割にはまだしっかりしている様だ。

母がいたら、弟をみていて、可哀想と気にしていただろう。
中年の男性の妻を亡くした寂しさを感じてしまう。
ふと、可哀想に見えて来る。


弟が今日我が家に来ることになった。

もしかしたら、もっと早くに来たかったのかも。
私が誘うのを待っていた?
どこでもいいから旅行をして、移動中を楽しむと言うか、気分転換をしたかったのかも。
家にいるのが本当に辛そうだ。

夫がいない時ならいつでもどうぞと言ってある。
弟も、夫の存在を忘れている。
妻の親族も利用してポイ、不義理すぎる夫の自業自得。
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桜も咲き始め、母が亡くなった頃を思い出す。
葬儀の翌日、父に追い返されたあの日も今日みたいな天気だった。
母は、きっと我が家にいて一緒に笑顔で過ごすだろう。

子ども達も、弟に会いに来ると言う。
無理してこなくてもいいよと言ったけれど。
来たいらしい。どうやら賑やかになりそう。

私だったら、実家に親族がきても、会いにいくどころか避けていた。
自分の付き合いの悪いところが我が子に似なくて良かった。

 

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