りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ:つぶやき > 実家のこと


母から1日に1度は電話がくる。

病室だし、様子がわからないので
こちらからかけるのは控えていたが
母は、かけてほしい様だ。

食事もしないしただすっと点滴しているだけの日々。

リハビリで、足のマッサージはして下さるそうだが
それ以外は、やることもなく
ただ、黙って寝ているだけ。

コロナもあるし、そうでなくても感染に注意する病気なのだから
面会は禁じられている。

その為、人と会う事も話す事も無く
壁を見ているだけ。

1日が長いのだろう。
それに、薬の効目があるかどうかもわからない。

以前の様に手術して、
抗がん剤の投与 が終われば、帰宅できるという確信も無い。

不安になるのは当然。

点滴生活のせいで、機能が衰える方が心配だ。

ただ、母は「何で自分だけが」とまるで病気にかかる事が
負けだと思っている。
以前から、病気や障がいに対して偏見のある人だった。

病気になるのは、ダメな人だ。
世間体が悪い。負けだ。
と思い込んでいる。

もし、私が障がいがあったり、
病気持ちだったら、母は私を恥ずかしい子として
見捨てただろうということ。

その間違った差別意識が自分を今、苦しめているのだ。
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「これが、1カ月続くと思うと
悪い事ばかり考えてしまう。
何で、自分ばかりこんな病気になったのか、
不思議で仕方がない、何で。」
と、弱音を吐き始めた。

母が落ち込んでいる理由が
「病気になってしまって、世間体が悪い。
誰よりも長生きするはずなのに。負けを認めたくない。」
という悔しさが原因であることも感じる。


「人は永遠には生きられないの。
いつかは、この世からいなくなるもの。
高齢になってからの病気はその為の準備なの。
自分がこんな病気になるのはおかしいと思うのは間違いよ。
人間は必ず老化するんだし、お母さんは、たまたま血液が老化しただけ。
誰でもが経験すること。悪いことじゃないよ。」

と、言ってしまった。

これまで元気な時は「私はこの先何があってもおかしくない」と
覚悟を決めたかのように言っていた母だが
実は、自分は特別で、
不老不死だと思っていたのか、
病気になるはずがない、なってもすぐ治ると思い込んでいた様だ。

世間体を気にしたり、
病気の人を馬鹿にしたりするのはもうやめてほしい。

隣のベッドの若い患者さんをそんな目で見ているし
自分はあの人とは違う、自分はたいした病気じゃないと
見栄を張っている。

内容はともかく、母がそこまで元気だということだから
安心はしているが
ここまできて、まだ差別意識を持つのは
やめてほしい。
自分が辛くなるだけだ。

私が、諭したら「そうね、フフッ」と笑って誤魔化していた。

不安になり、錯乱したりする人もいるだろうから
母の脳と足腰が弱らなければよいが。

「薬の効果が出る前に、環境が身体を蝕む気がするね」と
話し、母の不安に寄り添うつもりでいる。

私は、電話と手紙を。弟は、着替などの物のやり取りをする。
雑誌などを差し入れすると言っていた。

弟は、他の医師に色々相談してみて
薬が効かなかった場合、どんな事ができるか
可能性を見つけようとしている。



母の抗がん剤治療が始まった。
2週間の予定だという。
医師は、気休め❔的な処置で、効果は期待できないと弟には話したらしい。

2週間後には、緩和ケア病院に転院予定になっている。

母は、以前の小腸の手術後の時と同じだと思い込んでいる。
2週間の点滴が終われば、食事をとる練習が始まり、
1カ月後には、退院できて、元の生活に戻れると。

なので、電話がくると
相変わらず、帰宅した後の予定ばかり話してくる。
今回は、手術が出来ず、
腫瘍はそのままだから訳が違う。

声に力があり、具合も悪くないと言い
自分が重病だという自覚が無い。

むしろ、入院するまでの自宅で家事をしていた時の方が
だるい、もうだめかもと弱音を吐いていた。
きつくても家事をやらせ、暴言を吐く父へのストレス。
絶対に家事を手伝いに来ない息子夫婦への不満が
母の心を蝕んでいたのがわかる。

病院に居る方が、解放されている様に見える。

母にすれば、家に居る限り
どんなに具合悪くても父と弟夫婦は冷たい。
入院すると、態度がかわって優しくなる。

入院しないと、人の痛みがわからない人達。
嫁さんは、入院しようが寝込もうが、かわらない。

だから、本来、段々弱るはずが
元気になっていく様に感じる。

医師の1週間前の話では
今頃から、苦しみだして、急変したりもありえて
手のつけようがなくなるかもという事だった。

誤診じゃないかと思えてくる。

確かに検査では、どうしようもなく末期なのだろう。 
寿命でいつ亡くなってもおかしくない年齢だし。

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が、母は、同じ年齢の人に比べて
話し方もしっかりしており、
足の手術後は、しゃきしゃきと歩いていた。

10歳は若いというか、強い気がする。身体も精神も。
おそらく、母の歳での症例は少ないのではないか。

この歳で、こんなに頑張って長生きしたという貴重な例にならないかな。

この前までは、母が帰宅後の話をすると辛かったけど
今は、本当に母の思い通りになりそうに思えて来る。

母が自分でそう思うなら、そうなのだろうと。
自分の事は自分が一番わかると思うからだ。

隣のベッドに、若い人が入ってきたという。
おそらく、母と同じ病気か、血液の病気だろう。
「若いのに深刻そうで、可哀想に。」
と言う母。

自分の方が、もっと深刻なのに
まるで他人事。病気だということを忘れている。

そこまで、辛い思いをしていないということ。
苦しんでいないだけで救われる。

これから、少しづつ変化がでてくるのだろうか。

仮に、少し回復したとしても、
自宅には日帰りで戻らせ、
緩和ケア病院で過ごさせないと
家に戻ると、再びストレスで苦しむと思う。

自宅に戻したいと思っていたが
自宅に置いたらストレスで母が弱るだろう。

電話がかかってくる間は安心だ。

来なくなったらと思うと不安になる。

携帯電話の無い時代だったら
面会ができない時、どんなに気になっていた事だろう。

母は大丈夫だと、昨日は安心して
ぐっすり眠れた。




母は退屈なのもあるが、不安なのだろう。

弟と私に、毎日電話をかけてくる。

昨日の夜、電話がきていつもの雑談をした。

この前、下着を買って送ったのに、今度は
別のタイプの下着が欲しい、家にあるんだけど
弟には見つけられないだろう。

よって、私にまた送ってほしいと。

今度は一枚なので、封筒に入れて切手を貼り投函するだけ。

今日からの抗がん剤投与にむけて
検査が増えて来たらしく
下着のデザインが気になっているようだ。

そんな事を気にする余裕があるのならいいかと少し安心する。

だが「さっき先生から、膵臓が腫れてるから注射しますと言われた」
と不安そうに言っていた。

弟に聞くと
医師ではなく、母から聞いた話という前提で
「膵臓が腫れているというのは、転移してるのかな。
骨髄の検査もするみたいだ。
医師が忙しくて、予定が遅れているらしい。」

との返事だった。

骨髄の検査は、前回の手術後もやっていたが
その時は、転移なしだった。

再発率の高い、進行の早い悪いタイプのリンパ腫だから
あちこち転移していてもおかしくないのだろう。

前回から、約2年、何とか日常生活に戻れたことは
奇跡に近いのだ。
母は年齢よりも、強いというか身体が若いのだと思う。

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去年から、だるさや食欲不振が再びでていたという。
訴えても、近くにいる弟夫婦や父も
軽く聞き流していた。
定期的に検査をしていて異常が無かったからだろう。

家事ができなくなっていても、
父は甘く考え、手伝わず、暴言を吐いて
弟嫁はいっさい顔もださず、他人事で
母は無理して動き、ストレスは溜まる一方だった様だ。


本当に近くにいてもらって、
大事にするべきは娘だったと思っているのだろうか。

私の予想通りになっている。

「いざとなったら、ちゃんと息子夫婦が面倒見てくれるはず」
と信じて、奴隷のように弟夫婦に尽くした母。

「そんな風には思えないよ。あの人の行動を見ていると。
あてにしない方がいいよ。」
と注意しても、聞き入れず、私より嫁さんを大事にし
娘を差別してきた母だった。

コロナという予想外の災害も起こり、
私も動けなくなった。

人生の最期は思う通りにならないってことだな。
今の母の救いは
息子が近くにいてくれて動いてくれること、
娘が遠くからでも、頼んだ物を送ってくれること、
電話で話してくれること、らしい。

父と、それだけは恵まれて幸せだと電話で話したという。

母は、「もう我慢するのは馬鹿らしい。」と
私に、言いたい事を吐き出している。

お嫁さんが本当におかしな人だったのが
残念だ。息子はよりによって何であんな人と結婚したのか。

と、昨日も怒っていた。
父の事も、まだ根に持っている。
そんな元気があることがほっとする。

今のうちに、どんどんストレスを発散してもらいたい。





母から電話がこないと
心配になる。
かと言って、こちらからしつこくかけるのも
向こうの様子がわからないし、病院なので遠慮してしまう。

こうなる前は、母からの長電話をうっとおしく思っていたのに。
それは、いつでも会える、話せるのが前提だったからだと
今更感じる。
いつ、2度と声が聞けなくなるかわからない。
顔も見ないまま、お別れになるかわからない。

携帯でベッドにいて話ができるというのは
とても助かる。
携帯が無かった時代、使用できなかった時代、
(部屋によっては禁止なのは当然)
それに比べれば、全然違う。
声をきけるだけで安心する。

明日から、抗がん剤投与が始まる。
これから、急激に弱るのだろうか。

何もしない方が良いのでは、とも思えるし
回復するかもしれないと思えば必要だし、
母自身が、治療すればすぐ帰れると信じているので
治療した方が、希望を持てるだろう。

が、途中で苦しみだし、効果も見られないなら
緩和ケアに移行するしかない。

転院する時に、一時でも帰宅させたい。
その場にいたい。

コロナで、県外への移動は自粛要請がでているし
困った。検査キットはネットで注文したが
何度も自分で検査しながら
気を付けながら帰省するか、迷っている。
そのタイミングも。

今は病院にすら立ち入れないので
母に会えるチャンスの時に、とは思うが
それがいつになるのか、わからない。

昨日も母から電話がきて
「また持ってきてほしい物がある。(弟に)伝えて」
「お箸が入った箸箱とスプーンを持ってきてほしい。」
「そのうち食事をする練習が始るでしょ。まずは流動食からよね。いつでも食べられるように
用意しとかないと。」

食器棚の引き出しのどこどこにあるから、伝えてね、と
何度も言う。
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一瞬、胸がきゅっとなったが、
気持ちを切り替え、
「そうだね、わかった。伝えておくね。明日、帽子が届くだろうから
それと一緒に、持っていくと思うよ。」
といつも通りに明るく答えた。


二度と、食事はできないと医師に言われている。
食べると、十二指腸が破裂する可能性があるそうだ。

本人は知らない。

今は何ともない、痛みも苦しさもない、歳相応にだるいだけ。
と言う母。

これを、抗がん剤で、わざわざ副作用で弱らせるのが果たして良いのか。

何もしない事を選んでもいい、
でも、治療をしなければ、そのうち強い苦しみが襲います。
なので、苦しみを和らげながら看取るやり方を
今すぐ始めてもいいです。

と医師に言われたらしい。どっちにしろ、結果は同じだと。

母が、今苦しんでいるのなら、緩和ケアをすぐに選ぶのだが。

毎日、私の思いは、同じところをグルグルと回っている。

どこかで、医師の話が信用できない。

弟も同じ気持ちなので、色々相談すると言っていた。
弟の存在が助かる。
どんなに気がきかなくても、
奥さんが冷酷でも、
今ほど、いてくれて助かることはない。

私より、何倍も辛いと思う。

母と今日は絶対話して置こう。

明日からどうなるかわからないから。






夕飯を食べていると
実家の番号から着信があった。

一瞬母かなと思ってしまった。
入院しているのに、離れているからピンと来ない。

これまで父から電話が来るなんて、ほとんどなかった。

母に何かあった?と思い、
ドキドキしながら電話をとると
(母に渡す下着類の)宅配便が届いたよという連絡だった。

これまでは、そんな事で電話をしてくる事はなかったので
私と話したかったのかもしれない。

荷物は弟に渡して病院に預けるように頼んで
父とお喋りをした。
先日、話したいと思った気持ちが伝わったのかも。

その日、父はガラス越しに母と面会をしたのを弟から聞いていた。

それも私に伝えたかったのだろう。

弟は、父に全てを話し、今のうちにガラス越しでも
母との面会をさせた方が良いと思い、
病院にお願いし、許可を得て、父と面会させたのだった。

父は、ガラスのドアの前まで、歩いてきた母を見て
あんなに元気なのに、と、安心しながらも
複雑だったろう。

母とも電話で話をした様だ。

「自分の事は心配するな。大丈夫だよ。ちゃんとご飯も作れるから」
と何度も母に言った様だ。

私にも同じ事を言い、
コロナが怖いから、無理に帰って来なくていいと言っていた。

とてもしっかりと話していて
認知症がでているようには思えないが
ムラがあるのだろう。
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母からも、退屈してよく電話がくる。

いつ最後になるかわからないから
一杯話しておこう。
もうここまできたら、前とは違う。

病院で面会もなく、黙って寝ていたら
一機に衰えそうだし、母を元気つける為にも
今まで通り、軽口をたたいたり、愚痴を言ったり
つい長電話になっていく。

まるで、うるさいと思っていた、あの頃に戻ったみたいだ。

これのどこが末期なの?おかしいよ。

下着が届いたら、今度は、室内用の帽子がほしいとのこと。
脱毛が気になるし、寒いからと。

弟に持ってきてほしい物も、
私に連絡してきて私から弟へラインで伝える。

ガラス越しの面会も、許可がないとできない。

荷物は預けて、顔も見れずにそのまま帰るだけ。

それでも、家にいても気がめいるから
病院に持っていくだけでも気分転換になるらしい。

しばらくは、あれをこれをと言って来て
病院に運ぶ日が続くようだ。

私は、母は他の人より内臓は10歳若いと思う。

だから、とりあえず2週間の抗がん剤治療で、
(医師は、治療が始まると急変するかもと、見込みは無いと
匙を投げているが)
奇跡的に、一時的にでも回復する気がしてならないのだ。

本当に末期なら、母自身が自分の身体に胸騒ぎを感じる気がするからだ。

本人が、すぐ帰れる、治る、治す為なら、頑張ると思っているのに
勝手にもうダメだ、高齢だからと、周りが
諦めてはいけないんじゃないか。

母が今、苦しがってて意識朦朧なら
医師の話も、緩和ケアも納得するし、お願いする。

本人が苦しみもなく、希望をもっているから辛いのだ。

元気なのに、悪くなるのを見て行かないといけないのは
残酷なことをしている気がしてくる。

誰でも、いつかは寿命がくるし
元気で長生きしてきた母は、本人が口癖だったように
いつ何が起きてもおかしくない年齢だ。

母は幸せな人生だったと思うし、仕方の無い事なのだが。

親を看取った人は、似た様な体験を誰もがしている。

コロナのせいもあるかもしれない。
帰省も見舞いもできないことが
不完全燃焼な気持ちを増幅させている。

まさか、こんな事が世界中に起きるなんて。

いかにこれまでの日常が幸せだったかと思わざるを得ない。







弟の話では

母はあと2~3週間もつかどうか。だと。
いつ急変するかわからないと。

は?あんなに元気そうなのに?

自分でお風呂も入って
廊下を散歩して、携帯で電話もかけているのに?

寝込んで苦しんでいるならともかく
本人は、「あと1週間ほどで退院できるのかな、
帰宅したら、しんどいけど、片付けをして
あれをして、これもしなきゃ。」
と、電話が来る度、話している。


医師が言うには、
リンパ腫の再発で、できた場所が悪く
手術は危険すぎる。
 高齢であることと、リンパ腫の種類が良くないタイプで
これまで、回復していたのが奇跡の様なもの。
抗がん剤で治療すると少しは縮小するかもしれないが
その前に、合併症で急変する可能性が高い。

治療をせず、緩和ケア病院に転院するか、
抗がん剤治療を続けても、2週間で打ち切ります。
その後は、緩和ケア病院に転院する事になります。

どうしますか。と聞かれたという。

今の母が、瀕死の状態なら、
楽になる方を選んだかもしれないが
本人は、すぐ帰宅できると思うほど
しっかりしているし、苦しんでもいない。

母は、再び以前の様に手術すればまた帰宅できて
元の生活に戻れると思い込んでいる。
だから医師に「先生、さっさと切ってください」と頼んだと言う。

弟は、そんな母を見ていて、緩和ケア病院に入ろうなんて言えないと
どんなに失望するだろうと
戸惑っていた。

そして、更にショックなのは
「このまま、二度と食事をすることはできません、最期まで点滴です」
と言われたことだ。

十二指腸が薄く、いつ破裂するかわからないそうだ。

できた場所が悪すぎる。

今日、元気でも、いつ何が起こるかわからない、
だから、2~3週間の命だと。

母に買ったばかりの下着と退院時に着るセーターを買った直後に
聞いた、ショックな話。
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もう、二度と家に帰れない。
母は、家に帰ってあれをこれをとやる気で話してくる。

嘘でしょう、おかしいよ。
私は、母を信じる。本人が希望を持つ間は、
母の思う通りになると信じる。

だから、退院する時に
私の送った下着とセーターを着て
帰宅することを信じて、そのまま送った。

母には、手術はしないで、薬で治しましょうと伝えられた。

「いつまでですか?退院はいつ頃になりますか?」と
看護師さんに聞いたらしく
「2月頃まででしょうかね」と言われたそうだ。
それを私に「すぐに帰るつもりで来たのに
2月までかかるなんてね。近所の人には退院してから
こうだったのよと報告するわ。
帰ったら、介護サービスも頼むわよ。
そして、片付けもして…」
と毎回、帰ったらやりたいことが一杯あると話す。


もう帰れない、元の生活には戻れない、
このままお別れだなんて
あまりに残酷すぎる。

こんなに元気な母が
これから弱っていくのを見て行かないといけないなんて。

コロナで面会もできない、
私は、県外なので完全に出入り禁止。
帰る事もできない。

今は、母から電話がきて
普通に話しているから、現実味がなく
声をきくと安心する。

医師の判断は正しいのか。
セカンドオピニオンを聞いてみたいと弟に言ったら
弟も同じ気持ちだった。

当然、弟の方が、参っている様子。
奥さんは、相変わらずで、他人事。
少しでも、夫婦一緒にやってくれていたら
弟の気持ちも救われただろう。

奥さんにも話せず、隠れて泣いている様だ。

私に全部ぶつけなさいと言っておいた。

今は、母を信じる。
きっと帰れる。
そう思うと悲しくない。

母自身がそう思っているのだから。
本当に末期なら、本人が胸騒ぎを感じて
弱音を吐くだろう。

母が、希望を口にする間は同じ気持ちでいることに決めた。



母は、私が前の様に電話にでて
話をするようになったからか
退屈なこともあって、何度も電話をかけて来る。
こうなったら、少しでも何でも母と話しておこうと思う。

電話ができる、自分でお風呂に入れる、
今のところは、自分のことは普通にできている。

声は力が無いが、
話し方はテンポよく、とてもしっかりしており、
同じ年齢の人から受ける年寄りのイメージとは
かけ離れている。

それだけに、自分のこれからについて敏感になっている。
私が何か知っているのではないか、聞いてくる。
脳がしっかりしたまま重い病気になるというのは
不安や恐怖、苦しさも鮮明になるので残酷だ。
若い人の病気との戦いが壮絶になるのは
そう言う事なんだろう。

脳と身体の老化のバランスは大事だなあと思う。

父の脳と母の脳の状態が逆だったら良かったのかもしれない。

母が、実は…と色々吐き出した。

父の元来の性格に加え、認知症が入り、
母に対する暴言が最近酷くなっていたようだ。

認知症と言っても、ほとんどちゃんと生活はしていけるので
一緒にいると、わかりにくい。

病気だとわりきれるものでは無いだろう。
ストレスは相当なものだったと思う。

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たいしたことなく、すぐ帰宅できると思って
家の事を、そのままにしてきたのを気にしていた。

「入院に必要な荷物を弟が持ってきたが、
下着も父の物を持って来たり、
捨てようとおいて置いた古い物だったり
男だから、気が付かないのかなあ、こんな時に奥さんが
手伝ってくれたら、女性の衣類なら気が付くと思うけど
何も手伝う気はないみたいだし。
それにしても、下着が無くて困った。」

と言うので、
私が買って送る事にした。

すぐに、近所のお店に買いに行き、
上下の下着数枚づつと薄手のセーターを買って(退院の時に着る服を気にしていたので)
他にも、希望された物をまとめて送ることにした。

買物を終えた時は、外は暗く、冷え切っていた。
帰ろうとすると弟から電話がきた。

主治医から、母についての説明を聞いた報告だった。
店の駐車場で話を聞いた。



母から着信履歴があった。

疲れた声で「またこんな事になってしまって。 あ~あ」みたいな
ため息まじりのメッセージが入っていた。

お昼の時間なら、電話できるかなと思いかけてみた。

「お昼ご飯の時間は終わった?」と聞いてしまい、
アッと気が付き、「食べられないんだったね」とすぐ訂正した。

点滴だけの入院生活。面会も禁じられているので、
退屈らしい。
せっかく体重が戻って、髪もふさふさに戻ったのに。
また、一気に10キロ位落ちるのかなあ。
抗がん剤でまた髪が無くなるのか。

高齢だから
もう苦しむことなく
好きに過ごせるようにしてあげたい。

あれこれ弄り回して、管ばかりになって
寝込む生活にはしたくない。

弟が言うには
腫瘍がリンパ腫なら手術はできないから薬を使う。
ガンだったら、切除する。
と医師から言われたそうだが
その理由まではわからない。

医師の言い方では、以前もそうだったが
高齢だから、いつ何があってもおかしくないと。

前回、そう言われて、1年半が経ち、日常生活をどうにか
過ごせる様になっていた。

このまま再発もなく、どうにかいけるかなと思っていたところだった。
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母が言うには
「ここんところ、また食欲が失せて、だるくて
胃が張っていたけど
歳のせいなのか、病気のせいなのか
よくわからなくなってた。」と言う。

食欲が全くなくなる期間が長く続く時は
何か病気が隠れているかもしれないと
思った方がよさそうだ。

「もう、死にたいと思う、前から思っていたのよ。どうでもいいわ。」
と投げやりな事を言っていた。


母から聞いて呆れた事に、

年末年始は、接待できないから来ないでねと言ったのに、
大晦日の夜遅くに突然弟夫婦が来て、
ずっと座って動かず、母にお茶やお菓子をださせて
疲れて、眠たい母の気持ちも考えず、
夜があけるまでいたそうだ。

母が体調悪くなったのは、それから数時間後だったと聞いた。

「あの人(弟嫁)に会ったのは、1年間で2回目よ。助けてほしいと
頼んでも来ない。来ても、元気じゃないですか、と言うだけ。
来てほしい時に来ないで、こんな時だけお客様で来る。
本人は、来てあげたと良い嫁をしているつもりなんだろうね。
もう何もしなくていいから、黙っててほしいわ。」

と言うような事を、無気力な感じで言っていた。

そんな愚痴をこぼせるほどの会話ができているので、
母の状態が切迫している感じはせず、安心した。

それにしても、ストレスを与え、寿命を縮めてるのはいったい誰?






昨日は、父の激しい抵抗に不安になった弟は
結局、申請を取り消し、自分で何とかする決心をしたようだ。

その後、弟からラインが来ていた。

そこにはこんな事が書いてあった。

”実家に行ったら、居間でテレビもつけずに父がポツンと座っていた。

申請を取り消したよ、と言うと、父はわかったと答えた。
晩御飯はどうするの、と聞くと
自分でできるから大丈夫と言う。
台所を見ると、おかずを父が作っていた。
他にも、食材は色々あり、2~3日分は大丈夫そうだ。
明日にでも、うちからおかずを持っていこうと思う。
冷蔵庫を見ると、缶コーヒーが袋に入れて入っていた。
父に聞くと「介護の面談の人が来ると思って、お土産を用意してた」と
言う。
あんなに抵抗したのに、来客があるのは楽しみだったようだ。
面談はまだ先だったのに、今日はその気になって
楽しみにしていたのだろうか。”

という内容だった。
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父は、面談はまだ先だったのに昨日あるのかと思って
お土産を用意して、部屋でじっと待っていたのだろうか。

寂しいんだよね。
母には父がストレスかもしれないが
父にとっては、母は大事な存在なはず。

父が憐れに見えてきて、涙がでた。

今すぐ、父に会いに行きたくなった。





昨夜、弟から電話がきた。
「父の事で話したいことがある」と真剣な口調だったので
父に何かあったのかとドキッとした。

良く聴くと
父が、介護認定申請をされた事について
ごねたらしい。

”自分は健康で若い、介護認定される必要は無い。
家事をやらないのは、仕事が忙しいからであり
老化で出来ない訳ではない。
面談するなら、そうはっきり言って断る。”

と言ったそうだ。
仕事はしていないし、忙しくも無い。
だが、本人はそう言い張る。
こういう年寄りが多いと思う。

調査員は慣れているので心配はいらない、
家族が説明すれば大丈夫、むしろ認知症がわかるからいい
と弟に話したのだが

父の様子では、どんな失礼な言葉を言ったり、
調査をすっぽかしたり、怒りだしたりするかわからない。
どうしようと困りきっていた。

母が、これから家事ができなくなるし無理はさせられないよ。
お父さんがやれるの?と聞いたらしいのだが
それがまた、酷い言葉が返って来たそうだ。

全く母の事を心配するでもなく
女には死ぬまで、家事をやらせればいい。
できないなら、施設にいれたらいい。
病気であろうが、家事やらせた方があいつの為になる
など、典型的なDV発言。
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ちょっと前の父とは別人。

数年前の母の入院の時は、私には、母を褒め、
大丈夫だろうか、ととても心配していた。
母とのなれそめや、結婚する前のラブラブな話まで
私に聞かせてくれた。
もうあの時の優しい父は消えつつあるのか。

脳の老化、認知症は怖いし、悲しい。

弟は、現実を突きつけられ、ショックで
私に電話してきたのだ。

父の女性差別は、私の育て方を見ても
元々持っていた人だから、老化でそこだけ残ってしまったのか。

反対に差別意識が消えて、丸くなる人もいるのに。

その後、介護サービスについて調べて弟に教えたら、
面倒になったようで、父への不安が頭から離れないようで
申請を取り消すと言っていた。

サービスは週1~2回だし、
誰かがやってあげれば済む話だよと私が言うと

父の事で、悩む位なら
自分が週1回くらいは、掃除をすると言い出した。

ああ、やっとか。

ここまでこないとその気にならなかった訳だが
良かった。

遅すぎるよ。弟も父と同じ事をしていたってこと
わかっているのかな。

弟には「1人で抱え込まないで何でも相談できるという良さが
介護サービスを受ける利点でもあるよ。」とは言っておいたが。
私に色々、相談する回数が増えてきた事は
良い変化だと思う。

息子の方が、母親に対する思いは強いのかな、
お別れが近いのかもと実感すれば
このままではいけない、と目が覚めたのかもしれない。

調べたが、無症状で、安く、PCR検査を受けられるところが無い。
検査を気楽に受けられるなら帰省するのだが。
こっちで検査できても
向こうで検査できないと
帰る時が怖い。

検査を誰でもどこでもいつでも受けられる様にしていれば
安心して動けるので、経済も回ると思う。
不安だから、中途半端に自粛するわけで
前から言われているのに
何故、やらないのか。

このまま、両親と会えないまま突然の別れとなる気がして、
顔色の変わった弟1人がバタバタしている様子を
離れて見ているだけなのも
何だか、辛くなってきた。


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