りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: 人生色々~小説みたいな本当の話

友人H子の話だが、県外の故郷に帰って以来、お互いなかなか会えずにいる。
一人暮らしで働きながら、次の人生を楽しみ、頑張っている様だ。


彼女が離婚するまでには、壮絶な戦いがあった。



彼女は、結婚するまでは、「こんなに幸せでいいのかな」と思える人生だったそうだ。

彼女のプラス思考と明るさ、さっぱりした性格に加えて愛情深いご両親という素敵な 環境で育ったからだろう。


大企業に勤めるエリートのご主人と結婚し、バブル期にはご主人は単身赴任になり、子供と二人で気楽で楽しいセレブな生活を過ごしていた。



彼女が幸せと思っていたのはそこまでだったそうだ。



このご主人も豹変したらしい。典型的なDV夫だったという。 高給で、単身赴任だったから我慢できたと言っていた。

バブル期に、ご主人が会社を辞め、赴任先で起業したが失敗、バブルははじけ、赴任先から借金まみれで帰ってきたという。
義両親との2世帯住宅を建てたばかりだった。



それからは、地獄の日々。

プライドの高いご主人は、仕事もせず、家でゲームをして引きこもった。友人は、朝から晩まで働いて生活費を稼いだ。

子供さんは大学に入ったばかりだった。


ご主人に働いてほしいと訴えても、「子供は退学させればいい」と言われる。

パチンコ代など小遣いを親に貰い、たまにアルバイトをして、辞めてを繰り返し、ほとんど家にこもっていたとか。


あまりに情けない息子の姿に、義両親は嫁と孫の為に協力してくれた。


彼女は義両親に大切にされていたのが救いだった。



ご主人の借金がかなりの額あり、家のローンも負担だったため、役所に相談にいき、そこで彼女は、「ご主人にDVされているんですね」と言われたそうだ。


その時初めて自分がDV被害者なのだと気が付くことになる。

H子宅は、税金も払えなくなっていた。

ご主人は借金を申し込もうとして、それが原因で断られた。帰宅して「お前が税金払っていないから金借りられなかったじゃないか!」とどなられたらしい。ご主人は、彼女が何か言おうものならどなりちらし、暴言を吐くので、彼女は何も言い返せない。


その時から、彼女は幻覚が見え始め、体調が悪くなっていた。

妻が仕事しているのに、夕方洗濯物を取り入れていないのが気に入らないと、庭に洗濯物を投げていたりする旦那さんだった。


ついに、役所が動いてくれ、ご主人に説教してくれたらしい。「あなたは人間のクズですよ」と反省のない態度を見て、言ってくれたそうだ。


医師にも、すぐに別居するように言われ、彼女は実家に逃げ帰った。




参考☆医師や、役所に全てを話し、相談した事が良かった。客観的に相談者の立場を自覚させてくれ、解決の為のアドバイスをくれる。傷が深くならないように考えてくれる。

子供さんが就職するのを待って、H子は離婚を言い出した。


別居している間、ご主人から電話で「お前のせいで、自分の生活費が無くなり、お袋の年金の世話になってるんだぞ。お袋に謝れ!」と言われたそうだ。


それまでの彼女なら、言い返さず、黙って耐えたのだが、別居して目が覚めていた。


「何いってんの!お金が無いのはあなたのせいでしょ!いい加減にして!」

と、結婚以来初めて言い返したんだそうだ。


それが、かなりDV旦那さんにはこたえたらしい。抵抗していた離婚話はとんとんと進んだ。


セレブな生活をしていたご婦人だったのが、突然ドン底に落ちて、最初は世間体を気にして、何とか繕っていたようだが、次第にそんな余裕もなくなっていつしか、心と体を病む入り口で何とか踏みとどまれたのだ。


不幸な現実から抜け出せたきっかけは、彼女が役所に相談に行ったことだろう。


鬱になって、病院で別居を勧められたことも良かった。彼女が行動的で、社交的で素直に相談できたのも救いだった。


自分がDVにどっぷりはまっていて、一人で苦しんでいた事に気が付くことができた。
DVをする人間は、「お前が悪い」と責める為、被害者は洗脳され、逃げだす力も奪われる。



当時私は、彼女の話を聞くのが精一杯で、自分の事など話せる状態ではなかった。


この友人から、色々学ぶ事は多い。

 
参考☆どんな事でも、心配事があったらまずお役所に行ってみよう。相談に乗ってもらえる。解決のヒントを貰える事もある。

子どもは、「別れた夫の相続人」であることから逃げられないという現実にぶちあたった友人がいる。

どこのお宅でも一見順調そうに見えても、何かしら悩みはあるもので。

友人Bさんは、息子さんが小学生の時に離婚した。

旦那さんの浮気と暴力に悩んだBさん。


浮気相手の女性が家に押しかけ、包丁を振り回された事もあり、着の身着のままで子どもと一緒に車で遠くに逃げ、そのまま離婚した。

ホッとしたのもつかの間、今度は別れた旦那さんが事件を起こして逮捕されたのだ。

身元引受人として、警察からBさん宅に電話がきたそうだ。

それも息子さんあてに。

別れた旦那さんの一番近い親族は、別れたBさんではなく、息子さんになる。

離婚してから時が過ぎ、子どもさんも成長し、やっと平穏に暮らしを始めたところだった。

Bさんは、せっかく縁が切れて忘れる事ができると思っていたし、トラブルから子どもを守りたい一心だったのに、別れてもこんな形でまた関わるなんて…とショックだったそう。

”夫と自分は他人になったけど、子どもは死ぬまで親から逃れられないのだ”と思い知らされたという。

財産相続など良い事で縁があるなら良いが、借金、賠償金、犯罪、孤独死など悪い事の始末が相続人であるが為に逃れられないのはつらい。

相続は放棄できるが、忘れた頃に連絡がきて、子どもが嫌な思いをするのも困る。

Bさんの場合、相続ではなく、親の犯罪に巻き込ませてしまった。
犯罪者の子どもになってしまった。自分の意志ではどうすることもできない。

母親なのに、守れない辛さ。

彼女は、息子さんの負担を少しでも軽くしようと、自分が率先して警察に行き、動いた。
こんな男と結婚した自分の責任だし、子どもに申し訳ないと。

旦那さんはその後も犯罪を繰り返した。
その都度、Bさんが警察に出向いた。

片親の生活の場合、ぶつける相手のいない子どものストレスもすべて親一人で受け止めなければならない。例え、もう一人の親が原因であっても。

親の責任であるのだから、しっかり受け止めないといけないのだが、私も同様で時には心が折れそうになる。



学生時代に知り合ったT美は、裏表のないしっかりした人だった。

お互いのアパートを行き来したり、徹夜で話し込んだり、何か通じるものがある親友だった。

卒業後、T美は、私とは離れた土地で暮らしていたので、当時は手紙のやりとりでお互いの近況を報告しあっていた。
と言っても、頻繁ではなく、年賀状や何かお祝い事などがあった時位だ。

何も語らずとも、いつも私の幸せを祈ってくれているのが伝わる…そんな大事な友人だった。

活発で元気なイメージの彼女が、流産をして、鬱になっていたと手紙がきたことがあった。
その頃私も夫の事で悩んでいた。でも、何も言わず、お互いに励まし合った。

その後、彼女は3人の子どもに恵まれて、幸せな生活を過ごしている様だった。

私が一番下の子を出産した直後、彼女から手紙がきた。

「乳がんになってしまい、手術の後のリハビリで長い入院生活を過ごしている」との事だった。

生まれたばかりの子に母乳を与えている時だった私は、T美には出産の事は言えなかった。

T美は、末っ子がまだ3歳で、上の子どもさんも母親に甘えたい盛りなのに、「家族から離れて遠い町の癌センターに2か月ほどいなくちゃいけない」のが辛そうだった。

T美はまめに手紙を送ってくれた。けっして愚痴らず、前向きで、病院生活を楽しんでいると書いてあった。
どれだけ辛いか、不安か、想像もできないほどだったが、T美は立派だった。

もし自分が同じ立場になったらと考えてみると、恐怖だった。
まず、子どもを夫に任せられるのか?そこからして無理な話だった。

その点、T美は実家も近く、ご主人も誠実で安心して任せていたようで、安心だった。

しばらくして、退院したと連絡がきて、ホッとした。

「無理はしないでのんびりしている。勉強したい事が見つかり、好きな事をぼちぼちやってるよ」といつものT美に戻っていた。

そこで初めて私は出産した事を話した。高齢出産だったが無事生まれて良かったねと素直に喜んでくれた。心から喜んでくれたT美の人間性に感動した。

翌年、彼女のお父さんが亡くなったと、喪中の葉書が届いた。

彼女の病気に加え、お父さんもご病気だったのか、それなのに何も言わず、明るくふるまっていたT美の事がふと心配になった。

T美のお父さんの喪中葉書が届いた頃、我が家は、自己愛君に振り回され余裕のない不安な生活をしていた。

私は自分の家庭の事で精一杯で、T美とはなかなか連絡を取れなかった。
おそらく、のんびりマイペースで元気にやっているだろう、ご主人も優しいし、と心配はしていなかった。


その1年後、今度はT美のご主人から喪中葉書が届いた。

「えっ?なぜご主人から?」

嫌な予感がして、ドキドキしながら葉書を覗き込んだ。

そこには、「春にT美が亡くなった」と書いてあった。


  

T美が亡くなったという文章を見た時のショックは今でも忘れない。

どうして?なんで?そう言えば筆まめなT美から、最近は連絡が来てなかったなあ、具合が悪かったのだろうか。でも、急過ぎるよ…と納得いかない気持ちが込み上げた。

すぐにご主人に電話をした。

話した事もないご主人だ。自宅に電話するのも初めてだったが、何のためらいもなく、気がついたら電話していた。

自己紹介をしてから、葉書を見て驚いた事を伝えた。

ご主人の知らないT美の友人からの電話が初めてだったようで、少し戸惑っておられた。

話を始めていくと涙がこぼれ落ちてきて止まらなくなり、声も震えてまともに喋れなくなってしまった。

号泣とはこういう状態を言うんだろうなと思ったが、止められず、ご主人を更に困らせてしまった


泣き出したまま止まらない私に戸惑いながら、T美のご主人はゆっくり話してくれた。

「乳がん治療後は、元気で過ごしていたんですよ。それが、昨年の3月に朝突然おかしな事を口走って、視線も合わず、あ、これはおかしいとすぐに病院に連れて行ったんです。」

「癌の再発で…脳腫瘍でした」

神様はどうしてこんな意地悪をするんだろう。

T美ほど良い妻、母、自己磨きも頑張ってて、心の綺麗な友人はいなかった。見習いたいといつも思っていた。

子どもさんもまだこれからなのに、これからもっと幸せな人生が待っていたはずなのに。

誠実な良いご主人にも恵まれていたのに、どうしてこんな良い人達が苦しまないといけないんだろう、と悔しくて仕方がなかった。


自己愛君を思うと余計に理不尽さを感じた。
あんな自分優先な人が、気楽に我儘に暮らしていて、真面目に誠実に頑張っている人がこんな辛い目にあうなんておかしいよ。

手術はせず、自宅療養をしていたそうだ。もう手遅れだったのか。

ご主人が言うには、「様子がおかしくなったあの日から、もう彼女は別人になっていました。」との事だった。

それが、最後まで家族の心残りになったという。


        

それからしばらくは、私は泣いてばかりいた。

朝通勤する途中、買い物に行く途中、運転する車の中でふと思い出しては涙がこぼれてきて、止まらなかった。

子どもを3人抱えて大変だろうなと思いながら、そんな時にお邪魔したら迷惑をかけると感じ、しばらくは手紙などをやり取りしていた。

ご主人からの手紙の内容は…

残された者の自責の念と優しさ故の後悔とで混乱されている様だった。

「僕は妻の事をわかっているつもりになっていて、実は何も知らなかった事を思い知らされました。」

「妻との別れがまさかあんな形になるなんて思ってもいなかった。」

「ある日突然妻が妻でなくなったんです。まともな会話もできない、別人になってしまい、それから2か月後に別れがきてしまった。」

「最後に妻と色々話したかった。これからと思っていたのに」

「僕は何をしていたんだろう。もっと沢山話をして妻の事を知っておけばよかった。後悔ばかりしています。」

ご主人が、自分を責める必要はないしT美も不満なんて無かっただろうし、感謝していると思う。

愛する人との別れ、それも納得のいかない予想もしなかった別れ方をすれば、誰でも後悔をし、自分を責める気持ちになるのは仕方がないのかもしれない。

それは自然な事だと思う。周りがいくら慰めたって、否定したって、無理な話だ。


落ち込むご主人に、”T美が乳癌で入院している間、送ってくれた数通の手紙がある”話をした。

「T美さんは、ご主人と結婚して良かったといつも手紙に書いていました。ご主人の協力があったから安心して治療に専念できたと感謝していました。今のご主人を彼女が見たら、そんな事ないよ!自分を責めないでって言ってると思います。」と伝えた。


すると「僕は妻が当時何を考えて居たかなんて全くわかっていませんでした。妻があの頃、何を思っていたかを知りたいです。もしよければ、手紙を見せて頂けないでしょうか」

とお願いされ、T美が見せてもいいよと言ってくれそうな手紙を選んでご主人に送った。

それが少しでもご主人の救いになるならと思った。

T美に頼まれてやった気がした。
T美の書いた手紙だけがご主人を救えそうな気がした。



 

T美とのお別れから1年以上の月日が過ぎ、日常の忙しさに紛れて少しずつ悲しみは薄れていった。

残されたご家族も、少しは落ち着かれただろうか。子どもさん達は、そうはいかないだろうな。と遠い土地から祈るしかできない私だった。

その頃、T美の夢を見る日が何度かあった。

夢に出てきても私と会う訳ではない。亡くなった人として夢の中に登場するのだ。

あっ、T美だ。霊になって会いにきたのかなと思う瞬間に目が覚める。
不思議なのは、目が覚めた時、強い恐怖心が襲うのだ。なぜだろう、夢でも会えて嬉しいのになぜ怖いのだろう、と自分の感覚が嫌だった。


それが解決されないまま、ある日、またT美が夢にでてきた。

その夢はそれまでの様に一瞬ではなく、綺麗な映像を私が遠くから観ている様な美しい不思議な夢だった。
途中でまた目が覚めたのだが、この時は恐怖心は無かった。

美しい映像のその夢は、見たことの無い小学校の門が舞台だった。

下校の時間で、子ども達が次々と校門から出ていく、それだけのシーン。

それを私は道路を隔てた向かいの塀から見ているだけ。

すると、そこにT美が現れる。ニコニコ笑顔で、門に向かって歩いている。
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夢の中の私は、その映像は自分のいる世界と次元が違うとわかっていて、話しかける事も動くこともできず、ただ、その場面をじっと見るだけなのだ。

「あっ、T美だ。子どもさんを迎えに来たのかな。嬉しそう。」と思ったところで目が覚めた。

T美が夢にでてくると即、目が覚める。

この時は、ほっとしたような不思議な感覚だった。

彼女からのメッセージかもと思い、考えてみた。

乳がんで入院した時、3歳だった下の子供さんは、ちょうど小学校に入学した時にお母さんを亡くしたのだ。

入学式の1か月前に、人格が変化し、いつものお母さんではなくなった。

病気が治って、お母さんが帰ってきた、これからはずっとお母さんがうちにいる、と信じてきて3年、すっかり安心した矢先だっただろう。

ある日突然様子が変わった時がお母さんとの心のお別れになってしまった事になる。
幼い子ども達にその現実を受け止めさせるなんて、どれだけ残酷だったか。想像しても辛すぎる。

T美は、入学式を楽しみにしていた事だろう。一番心配して、構ってあげないとと思っていた子どもさんだっただろう。

さぞ、心残りだったことだろう。

それで、私の夢を借りて子供さんに会いにきたのかな…と思い、また涙がでてきた。

           


         
 

余計なお節介もご迷惑だろうと思い、しばらくご主人とは疎遠になっていた。

でも、なぜかこの夢が気になり、久し振りにご主人に手紙を書いた。



貸したままのT美の手紙も気になっていて、その話題のついでに、こんな夢を見ましたよと書き足した。

貸したままだったT美の手紙と一緒に、音沙汰なかった事の御詫びから始まる手紙が届いた。

驚く事が書いてあった。

「実は、先日その夢と同じ事があったのです。先日、子どもが帰宅してこう言ったのです。

『今日、学校を出る時、校門にママが立っていたよ!』と。妻は子どもの事が心残りだっただろうな、

まだ成仏できないのだろうかと思っていたところに、お手紙が届き、夢の話に驚いてしまいました。」

私も驚いた。
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私は現実の場面を夢で見ていたのか。

夢の中のT美は笑顔だった。子どもさんの姿を見て安心したように見えた。
いつもの私の恐怖心も無かった。

その後、T美は夢に出てこなくなった。

きっと安心して天国に行って、ご家族を見守っているのだと思うし、そう信じている。

その後、ご主人と連絡を取り合う事も無くなったままでいる。あえてそうしている。


 

気分は何となくまだすっきりしない毎日だが、気候が良い今のうちに片づけをしておこうと思っている。

夏は暑くて汗だくだし、冬は寒くて押し入れなどの整理なんてやってられない。

家の大掃除や片付けは、年末ではなく、気候の良い時にするのがベターと思う。

昨日から、少しづつ引き出しから整理している。

年賀状も古い物から現在まで大量にファイルが積もっている。

私みたいなおばさん年代でも、”年賀状を書かない事にします主義”の人が増えてきた。

親しい人ならメールやラインでやりとりするし。

私もできれば年賀状のやりとりはやめたいと思っている。

ただ、友人が北海道から沖縄まであちこちにいる為、疎遠だけど気になる人?は、年賀状は私にとって大事な連絡手段となる。

それ以外の義理だけのやりとりの人とは、お互いに辞めた方がよいかもと思っている。

やりとりを続けたい友人の中に、中学の同級生S子がいる。

最近の年賀状では、子どもさんも大きくなり、平穏な生活を過ごしている様な感じだ。

彼女も色々あったのだが、無事乗り切れた様だと安心した。


S子の結婚する時の様子を思い出す。

S子とは、高校から別々の道を歩んだが、縁はずっと続いている。

人生の大きな転機の度に会って、お互いの近況報告をする仲だった。

私は親友の一人と思っていたが、向こうはそう思っていないだろう。

私は自分の無神経な性格に気が付かず、これまで彼女に迷惑をかけてきたかもしれないなと今頃になって思う。

特に何があった訳でもないが、何となく…

よく、歳をとって性格が丸くなるとか言われるが、こういう事なのかな?

最近、これまでの自分の言動を思い起こすと恥ずかしくなる。

何て我儘だったのか。失礼だったのか、無神経だったのか、頑固だったのかときりがない。

若かったから~と言えば言い訳になる。


だから、今でも付き合ってくれる遠くにいる古い友人達は、よくこんな私と長い間仲良くしてくれたなあと感謝するこの頃。

話を戻そう。

大学時代は2人とも東京にいて、よく会っていたが、私はそのまま東京で就職し、彼女は実家に帰されてしまった。

まだ子どもが幼かった頃だ。

お盆休みに実家に帰省した時、S子に連絡した時の事を思い出す。

彼女に電話をしてみた。すると

「私、結婚するかもしれないんだ。気が乗らないんだけどね~」と憂鬱そうにS子が言った。



反省!☆若い時は気が付かなかった自分のいたらなさ、歳をとってから恥かしくなる。   

   ☆友人S子の結婚までのいきさつを思い出しながら、自分への教訓としたい。      

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