先日、迷走神経反射の事を書いたが、私はこれまでに一度だけ気を失った事がある。
その時の事を思い出してみよう。
★第一子を出産して数か月過ぎた頃だった。
深夜熟睡していた時、突然激しい腹痛が襲って目が覚めた。
それまでに感じた事の無いほどの激痛。
腸がねじれた様な痛み。いつもならじっとすれば、次第に落ち着くのだが、どんどん痛みが強くなっていく。
とりあえずトイレに行った。お腹が張ってきて苦しい。
何もでない。苦しい!と思ったところまで覚えているが、その後の記憶が無い。
目が覚めたら、トイレの前の廊下で倒れていた。怪我もしていないから、おそらく無意識にトイレの外にでて、寝ころんだのだろうか。
失神していた間、夢を見ていた様な不思議な幻覚を見た。
ものすごい大衆が倒れている私を見てざわついているのだ。ざわざわと声がする。
意識が戻った時は、なぜここにいるのだろうと訳がわからなくなっていた。どの位、そこにいたのかも全くわからない。
寒気がしてきたので、布団に戻った。
すると再び腹痛が襲ってきた。前回ほど強くはなく、がたがた震えがきたので、おなかを温めてると収まった。
その後は何ともなかったが、痛みの原因がわからず、とりあえず近所の内科へ行った。
結果は異常なしだった。胃腸はどこも悪くないと。「腹痛がして失神したなら脳の異常ではないか」と言われ、脳外科を紹介された。
幼い子どもを夫に預け、1人で遠い脳外科まで行き、検査を受けた。
結果は異状なしだった。
ホッとはしたけれど、「あれは何だったのか、またあんな事があるなら不安で外出もできない。しかも小さい子どももいる。夫はあてにならない。どうしよう。」と不安で一杯になった。
夫はその頃から家にほとんどいなかった。私の事も他人事みたいだった。
親戚も親も誰もいない土地で、あの頃の私は孤独で、身も心もくたくただったと思う。
体重も今と比べると、10キロは少なかった。
★その前にも、疲労で寝込んだ時があった。
具合が悪かろうが、子どもの世話は私しかやる人がいないから、フラフラしながら家事と育児をしていたのだが、夜には倒れこむ状態。
帰宅した夫に「体調が悪いから協力してほしい」と頼んだ。
すると「甘えすぎだろ。毎日楽してるからだらけてるだけだ。」と言われた。
私は、翌日から食べ物を受け付けなくなり、胃腸も壊れた。
そんな時に、何も知らない私の親が、はるばる地方から遊びに来た。
私の様子を見て驚いて、夫に「どうしてここまで娘を放っといたのですか。子どももいるのに。」と聞いた。
それでも「何も言わないこいつが悪いんですよ。僕は何も知りませんでした。」と言い返し、更に私にむかって「あんたのせいで僕が誤解されるじゃないか。何でこうなるまで病院に行かなかったんだよ」と言った。
その頃の住居は、山の上のニュータウンにあり、病院に行くにも買い物に行くにも不便な土地に夫が新居を決めていたのだった。
車は無く、バスと電車を使わないとどこにも行けなかった。
「赤ちゃんを抱っこして病院に行く元気も無いのに。」と言いたかったがそんな気力も無かった。
後に、姑から手紙がきて「赤ん坊もいるのに、そんなに弱いと困ります。しっかりしなさい。息子が愚痴ってました。」と書いてあった。
失神したのは、それからしばらくしてからだった。
流石に、そこまでの事があると放っておけなかった夫は、子どもを見てくれて、やっと私は病院に行けた。
あの頃の私は、若さのせいと、家庭環境の影響もあったと思うが、我慢する方が楽で、面と向かって反論する力も自信も無かった様に思う。
当時予期不安が強くなり、外出が怖くなっていた。
その時の事を思い出してみよう。
★第一子を出産して数か月過ぎた頃だった。
深夜熟睡していた時、突然激しい腹痛が襲って目が覚めた。
それまでに感じた事の無いほどの激痛。
腸がねじれた様な痛み。いつもならじっとすれば、次第に落ち着くのだが、どんどん痛みが強くなっていく。
とりあえずトイレに行った。お腹が張ってきて苦しい。
何もでない。苦しい!と思ったところまで覚えているが、その後の記憶が無い。
目が覚めたら、トイレの前の廊下で倒れていた。怪我もしていないから、おそらく無意識にトイレの外にでて、寝ころんだのだろうか。
失神していた間、夢を見ていた様な不思議な幻覚を見た。
ものすごい大衆が倒れている私を見てざわついているのだ。ざわざわと声がする。
意識が戻った時は、なぜここにいるのだろうと訳がわからなくなっていた。どの位、そこにいたのかも全くわからない。
寒気がしてきたので、布団に戻った。
すると再び腹痛が襲ってきた。前回ほど強くはなく、がたがた震えがきたので、おなかを温めてると収まった。
その後は何ともなかったが、痛みの原因がわからず、とりあえず近所の内科へ行った。
結果は異常なしだった。胃腸はどこも悪くないと。「腹痛がして失神したなら脳の異常ではないか」と言われ、脳外科を紹介された。
幼い子どもを夫に預け、1人で遠い脳外科まで行き、検査を受けた。
結果は異状なしだった。
ホッとはしたけれど、「あれは何だったのか、またあんな事があるなら不安で外出もできない。しかも小さい子どももいる。夫はあてにならない。どうしよう。」と不安で一杯になった。
夫はその頃から家にほとんどいなかった。私の事も他人事みたいだった。
親戚も親も誰もいない土地で、あの頃の私は孤独で、身も心もくたくただったと思う。
体重も今と比べると、10キロは少なかった。
★その前にも、疲労で寝込んだ時があった。
具合が悪かろうが、子どもの世話は私しかやる人がいないから、フラフラしながら家事と育児をしていたのだが、夜には倒れこむ状態。
帰宅した夫に「体調が悪いから協力してほしい」と頼んだ。
すると「甘えすぎだろ。毎日楽してるからだらけてるだけだ。」と言われた。
私は、翌日から食べ物を受け付けなくなり、胃腸も壊れた。
そんな時に、何も知らない私の親が、はるばる地方から遊びに来た。
私の様子を見て驚いて、夫に「どうしてここまで娘を放っといたのですか。子どももいるのに。」と聞いた。
それでも「何も言わないこいつが悪いんですよ。僕は何も知りませんでした。」と言い返し、更に私にむかって「あんたのせいで僕が誤解されるじゃないか。何でこうなるまで病院に行かなかったんだよ」と言った。
その頃の住居は、山の上のニュータウンにあり、病院に行くにも買い物に行くにも不便な土地に夫が新居を決めていたのだった。
車は無く、バスと電車を使わないとどこにも行けなかった。
「赤ちゃんを抱っこして病院に行く元気も無いのに。」と言いたかったがそんな気力も無かった。
後に、姑から手紙がきて「赤ん坊もいるのに、そんなに弱いと困ります。しっかりしなさい。息子が愚痴ってました。」と書いてあった。
失神したのは、それからしばらくしてからだった。
流石に、そこまでの事があると放っておけなかった夫は、子どもを見てくれて、やっと私は病院に行けた。
あの頃の私は、若さのせいと、家庭環境の影響もあったと思うが、我慢する方が楽で、面と向かって反論する力も自信も無かった様に思う。
当時予期不安が強くなり、外出が怖くなっていた。