りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: つぶやき

先日、迷走神経反射の事を書いたが、私はこれまでに一度だけ気を失った事がある。


その時の事を思い出してみよう。


★第一子を出産して数か月過ぎた頃だった。

深夜熟睡していた時、突然激しい腹痛が襲って目が覚めた。

それまでに感じた事の無いほどの激痛。


腸がねじれた様な痛み。いつもならじっとすれば、次第に落ち着くのだが、どんどん痛みが強くなっていく。

とりあえずトイレに行った。お腹が張ってきて苦しい。

何もでない。苦しい!と思ったところまで覚えているが、その後の記憶が無い。

目が覚めたら、トイレの前の廊下で倒れていた。怪我もしていないから、おそらく無意識にトイレの外にでて、寝ころんだのだろうか。

失神していた間、夢を見ていた様な不思議な幻覚を見た。

ものすごい大衆が倒れている私を見てざわついているのだ。ざわざわと声がする。


意識が戻った時は、なぜここにいるのだろうと訳がわからなくなっていた。どの位、そこにいたのかも全くわからない。

寒気がしてきたので、布団に戻った。

すると再び腹痛が襲ってきた。前回ほど強くはなく、がたがた震えがきたので、おなかを温めてると収まった。

その後は何ともなかったが、痛みの原因がわからず、とりあえず近所の内科へ行った。

結果は異常なしだった。胃腸はどこも悪くないと。「腹痛がして失神したなら脳の異常ではないか」と言われ、脳外科を紹介された。

幼い子どもを夫に預け、1人で遠い脳外科まで行き、検査を受けた。

結果は異状なしだった。


ホッとはしたけれど、「あれは何だったのか、またあんな事があるなら不安で外出もできない。しかも小さい子どももいる。夫はあてにならない。どうしよう。」と不安で一杯になった。

夫はその頃から家にほとんどいなかった。私の事も他人事みたいだった。

親戚も親も誰もいない土地で、あの頃の私は孤独で、身も心もくたくただったと思う。


体重も今と比べると、10キロは少なかった。

★その前にも、疲労で寝込んだ時があった。

具合が悪かろうが、子どもの世話は私しかやる人がいないから、フラフラしながら家事と育児をしていたのだが、夜には倒れこむ状態。
帰宅した夫に「体調が悪いから協力してほしい」と頼んだ。


すると「甘えすぎだろ。毎日楽してるからだらけてるだけだ。」と言われた。


私は、翌日から食べ物を受け付けなくなり、胃腸も壊れた。

そんな時に、何も知らない私の親が、はるばる地方から遊びに来た。

私の様子を見て驚いて、夫に「どうしてここまで娘を放っといたのですか。子どももいるのに。」と聞いた。

それでも「何も言わないこいつが悪いんですよ。僕は何も知りませんでした。」と言い返し、更に私にむかって「あんたのせいで僕が誤解されるじゃないか。何でこうなるまで病院に行かなかったんだよ」と言った。

その頃の住居は、山の上のニュータウンにあり、病院に行くにも買い物に行くにも不便な土地に夫が新居を決めていたのだった。

車は無く、バスと電車を使わないとどこにも行けなかった。

「赤ちゃんを抱っこして病院に行く元気も無いのに。」と言いたかったがそんな気力も無かった。

後に、姑から手紙がきて「赤ん坊もいるのに、そんなに弱いと困ります。しっかりしなさい。息子が愚痴ってました。」と書いてあった。

失神したのは、それからしばらくしてからだった。
流石に、そこまでの事があると放っておけなかった夫は、子どもを見てくれて、やっと私は病院に行けた。


あの頃の私は、若さのせいと、家庭環境の影響もあったと思うが、我慢する方が楽で、面と向かって反論する力も自信も無かった様に思う。

当時予期不安が強くなり、外出が怖くなっていた。



大雨による大災害…自分も過去に似たような体験も何回かあり、避難して家に何日も帰れなかった体験が(勿論夫は不在、他人事)あるので、テレビのニュース画面を見るだけで苦しくなります。お見舞い申し上げます。


これから暑くなり、どんなにかご苦労な事だろう。

帰る家があっても、そこには住めず、途方にくれる上に避難所での過酷な生活が続く。

大きな災害が、最近は多くの土地で起こっている。

救助活動、復興は、地方だけではどうにもならない。一刻も早く最大限の事をして国は助けてほしい。

今回初動が遅れていて、政府ののんびりしている感がイラついた。

水はあっという間に襲ってくる。地震も突然やってくる。

迷走神経反射の事をもっと詳しく書こうと思っていたが、もし、自分がまた倒れそうな時に地震がきたら、水害に襲われたら、と思うと、自分が助かる為にどうするかよりも、誰かに迷惑をかけてしまう事が心配でならない。迷惑をかけるどころか、人を助ける事をしたいのに。


一昨日、テレビのニュースで、記者がいまにも氾濫しそうな川の横で中継をしていた時の事だ。
警察が、立ち入り禁止のテープをはっており、その内側に入ると、今にも濁流に流されそうな恐怖を感じた。
すると、そこに若い男が二人侵入してきた。テレビカメラを意識しているのか、態度がヘラヘラしている。

そして、足を川の中につっこんで、ふざけだした。ちょっとふらつけば、間違いなくあっと言う間に流される。そんな状況の中で。

テレビを観ている人にウケるとでも思っているのか。その二人は、調子にのってきてやめようとしない。うろうろ川と道の境目を歩き周り、足をつっこんではまたうろつく。カメラに映るようにして。

記者は中継中で気がついていないが、カメラマンは見えていたはずだ。

「生中継で、人が川に流されていくのを見せるつもりなのか、そんな場面を観たくない、中継よりも、すぐに注意する方が先だろう」と思ってハラハラしていた。おそらくあの連中は、そういう人の動揺を予想して楽しんでいるのだろう。
こんな信じられない人がいる。その二人の他にも次々と入ってくる人が増えていた。
「考えが甘いよ。何かあったら、誰かに迷惑がかかるって事、思わないの?」と私は腹がたち、一人テレビの前で呟いた。

流石にアナウンサーの顔色が変わり、中継の終わりの方で「後ろの人たちに、声をかけて注意してください」と言っていた。

こういう自然を舐めた行動をする人もいるのだという事と、命がけで首までつかって老人を助ける一般人もいるという事、テレビで見ているしかない自分の無力さに悲しくなった。

東京では晴れていて暑くて、西日本でこんな災害が起こっているという事がピンときてない感じです。」と夜のニュース番組で言っていた。そうなのかと驚いた。

全ての人がそんな訳ではないはずだし、一般の人はそれでも仕方ないとしても、その陰で救援に向かう消防関係、自衛隊、などさまざまな動きがある事は確かだ。それでもまだ足りない状況。

国は、武器やお古の馬鹿高い戦闘機を買うより先に、災害対策にお金を回す方が先ではないか。

日本にいる限り、いつ自分の身に起こるかわからないのだ。地球がそういう時期に来ている。

どこかで災害が起きた時、自分の事として想像し、どう防ぐのか、対処の仕方や心構えを教訓にするだけでも違うと思う。という私も偉そうに言えない。これは自分に向けて書いた。





急にお腹が痛くなって、トイレに行って座ったらお腹が張ってきて苦しくなり、あれよあれよと言う間に気分が悪くなった事ありませんか?


お酒や炭酸飲料を飲んだ後や、便秘や下痢の時などではなかったですか?


私は、先日、久し振りにトイレで倒れそうになった。

久し振りだった。十年位は無かった気がする。十年前は、ビールを飲んだ後に急に腹痛に襲われ、トイレで倒れそうになった。最初に倒れた時は、産後だった。

今回は、ビールではないが、炭酸飲料を飲んだ後だった。
スカートのベルトをきつめに締めていたのも影響していたかと思う。

お腹が急に張ってきて、トイレに行っても何も出ず、苦しくなり、吐き気がし、手足の力が抜けていき、冷や汗がだらだらでる。
耳鳴りと目の前が暗くなる。ああ、倒れるなと思う。

酸欠だと思って、出産時に習ったラマーズ法?を必死で行う。(傷みや酸欠の時、ラマーズ法を真似ると痛みは和らぎ、脳に酸素が行く気がする。)

鼻でゆっくり息を吸い、口でゆっくり吐く。「とにかく脳に酸素を送らねば!」とそれだけ考える。


それでも気分は悪い。諦めずに呼吸をする。そばで誰かが見ていたら、何をふうふう言ってるんだろうと思っただろう。

まるで出産シーンみたいだ。

トイレで気を失うのは嫌だったので、何とかはいつくばって和室に行き、そのまま横になった.


目を閉じた。開けたらきっともっと気分が悪くなると思った。頭の中がぐちゃぐちゃになっているのがわかる。
脳の血流がグルグル回る。脳がパニックになってる。呼吸は続ける。フーフーっ。

身体がふわふわ浮いてる感覚まで襲ってきた。耳も血流が悪いのか。過呼吸になってはいけないと思い、呼吸を普通に戻してみる。

首の後ろが温かくなっている。

冷や汗が凄い。服はぐっしょりだ。お腹は落ち着いている。目はまだ閉じたまま。

ふわふわ感がとれてきた。呼吸を落ち着かせ、目をそっと開ける。

すると再び軽い腹痛。今度は大丈夫かも、トイレにいってお腹を空にしたらいいかもと思い、ゆっくりトイレに戻る。

今度は嘘みたいに普通にトイレをすませた。お腹がすっきりして、さっきの現象は嘘みたいだ。

服を着替え、横になって休んだ。暫くうとうとした後は、すっきり目が覚めた。

脳の中を滅茶苦茶に血が流れ切った感覚。

言い換えると、運動不足だった脳を一気に全力疾走させて、脳のコリがとれたみたいな感じ?

最初にトイレで倒れた時は、産後の処置が悪かったとかで、その後遺症となる子宮の痛みが原因だった。

こういう倒れそうになったり、失神する症状は、「血管迷走神経反射」だという。


産後、初めて気を失った時は、悪い病気かと思い、色んな病院に行ったが、検査のたらい回しの上、異常なしだった。結局産婦人科に行きついた。

誰も「血管迷走神経反射」という言葉は使わなかった。

最近自分で調べて、これだ!と確信した。


普段は見ていないのだが、たまたまテレビをつけていて、「徹子の部屋」をちょっと見た。
今日のゲストは安藤和津だった。

奥田瑛二がご主人なのは知られているが、結婚した時からこれまでの「夫に振り回されても妻として頑張って支えてきた苦労話(でも愛しているみたいな)」で有名な芯の強いイメージの人?

(奥田瑛二なら結果成功しているからいいじゃない。娘さん二人共、立派になっているし。)
と思って見ていたら、本当に今は幸せな生活を過ごしている様な話から始まった。

「あんなに外に外にと飲みや遊びに出たがり、引き留めても無視して、子どもの面倒なんか見もしない、家に居つく事のなかった旦那さんが、激変した。」のだそう。

お孫さんが生まれたのがきっかけで、外に出なくなり、お酒もほとんど家で飲むのだとか。

「一緒にスーパーに買い物に行くなんて絶対なかったのに、先日初めて夫婦で夕飯の買い物に行った。
ちゃんと一緒にメニューを考え、食材も選んでくれた。こんな事は今まで無かった。
絶対人は変わらないと思っていたのに、こんなに変わるとは思ってもみなかった。」と和津さんは言う。

しかも、奥田瑛二本人が
「”今までの俺の生き方間違っていた。ごめんなさい。”と言う気持ちになった。」と話したらしい。
お孫さんの純粋無垢な目を見ていたら、そんな気持ちになったそうだ。

正確な記憶では無いかもしれないが、概ね、そんな話だった。

若い時に苦労しても、結果が良ければまだ報われるよね。

話の途中でテレビを消したので、その後の安藤和津の話はどうなったのかはわからないが、そこまでの場面ではそういう内容だった。

確かに歳をとり、体力も衰えてきて、溢れていた自信も無くなって、見渡せば頼れるのは家族だけと気が付くものなのかもしれない。

「あまりに家にいられるものだから、皆で”お小遣いあげるから外で飲んできて”、と追い出してるの。今更家にいられても嫌なのよ。」

「”父帰る”の話って、本当にありますよ。」
と笑って話すところは、納得した。


 ※父帰る」菊池寛作 1917年発表 ●20年前に妻子を捨てて愛人と家出した父が、突然落ちぶれて帰ってくる。母と弟妹は喜ぶが、苦労し一家を支えてきた長男は許さない。家族の複雑な心情と憎しみを超えた愛情を描く。※


もし、我が家でもそんな事になったら、それこそ「父帰る」そのものだろう。
家族の気持ちなんぞ本人は理解できずに、何だかの抵抗をしてくるだろうが。

まず我が家と奥田瑛二の家庭では、比較するのが間違っている。

夫のやってきた実績がまるで違う。

ただ、人は本当に変わるものなのだろうか。という所がひっかかったのだ。

奥田瑛二の場合は本来の人間性に戻っただけなのだろう。本来家族思いの愛情あふれる人なのだろう。家族もそれを知っていたからこそついてきたのだろう。

カッコイイし?

芸能人と比べる事自体が間違ってる?(笑)。

私が聞いてて奥田瑛二を評価したのは「今までの俺の生き方間違っていた。ごめんなさい」のところだ。
私が夫から最も聞きたい言葉だった。これさえ聞いたら全てのストレスが消えてしまいそうな気がする(笑)。

大きな災害の時、私が一番気になるのが、病院の事。
地震が手術中に突然襲ったり、出産中だったら。恐い恐い。

過去、現実にそういう事は起こった訳だし、逃げたくても逃げられないという状況はどんなにか恐怖だろう。

そして患者さんをお世話する医療従事者の方々も自分の事、家族は後回しで必死で責任を全うされようと努力される姿に頭が下がる。


医療に近い介護の世界でも似たような一面がある。

介護施設や老人施設が建物ごと被害にあって多くの方が亡くなられたケースもあった。

 自分は、以前介護の仕事に従事していた時、仕事をしながらいつも考えて居たのは、「今ここで大地震が起きたらどうするか」という事だった。
会社から、緊急連絡網や、利用者の急変についてのマニュアルはあったものの、災害にあった時の対処については何もなかった。たまたまその会社がそうだったのだと思う。

☆建物が倒壊しそうな危機感を感じたら、自分はどうしたらよいのだろうといつも不安だった。


何が不安かというと、自分の身体で、寝たきりのお年寄りを抱えて、階段を下り、安全な場所まで逃げる事ができるだろうかという事だ。

たまにふらついたりする様な、老化の進んだ自分の身体。

かといって、自分だけさっさと逃げる事ができるのだろうか。

「何かあればこの人が助けてくれる」と信じている利用者さん達。

☆研修の時に、質問してみた。

 責任者から「自分の命が優先です。気にしないで自分だけ逃げてください。無理に利用者さんを連れ出そうとすると、もたもたしているうちに逃げ遅れて誰も助からなくなります。」
という答えがあった。

確かにそうだろう。自分もそう思うから悩んでいる。
実際、そんな事ができるだろうか。「助けて!」と叫ぶ利用者さんを見捨てて逃げる勇気があるだろうかと不安は消えなかった。

東北の震災時だったか、現実にそういう事例(利用者と一緒に亡くなった)はあった。マスコミは、「責任感の強さから身を捨ててまで職責を全うしたという美談」にしていた。が、そう簡単な話ではないだろう。

亡くなった職員さんにもお子さんがいて、避難所でお母さんを待っていたはずだ。亡くなった職員さんは、内心家族の事が心配で、一刻も家族の元へ行きたかったと思う。

当時、そんな辛いニュースを見ていて、自分もあんな風になってしまうかもしれないと思った。
そんな時、子どもが強い口調で私に言ってきた。

「お母さん、絶対自分だけ逃げてね!お年寄りには悪いけど、二人共亡くなったら意味ないじゃん。後から遺族の方から文句言われてもいいから、逃げて。仕事のせいで死んでほしくないよ!」と訴えてきた。

その言葉を聞いてから心が落ち着き、覚悟を決めて仕事をする事が出来た気がする。
(これは、その時の仕事の場での話であり、職場それぞれで、違ったもっと良いマニュアルがあると思う。全てがそうだと言う訳ではありません)


今は介護の仕事から離れたが、保育士や学校の先生も同じ、人の命を預かる仕事というのは必ず限界があって、仕方のない事だったとしても、1人でも命が失われると一生自分を責めてしまいそうな気がする。
東北の津波から必死で子どもを抱えて逃げた保育士さん、目の前で流されていく人を助けられずに見ているだけだったという話もあった。

災害のせいで人間の味わう地獄を思うと、改めて自然の残酷さ、怖さを感じる。


大阪の地震で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。


昨日、体調が急におかしくなり、一日休息して過ごした。
平衡感覚が狂っていたのだが、身体全体の状態も普通では無かった。

体温が低いまま、身体が冷たい。くびがぐらぐらする感覚と足に力が入らない感覚。

薬を飲んだら、一日中眠くてたまらず、逆にそれで休めたので今朝は嘘みたいに元に戻った。

1年に1度はこういう日がある。耳や目の疲労だとは思うが、以前からいろんな不定愁訴があって、病院にもあちこち行って、異常なし。

更年期障害もあると思うが、元々体質的に自律神経が弱いのだと思う。
それに夫へのストレスで悪化しやすい。

気圧の影響も受けやすく、昨日も気候のせいかなと思っていた。
それで今朝の地震。

私も昔、大きな地震を体験した事がある。その時も昨日と似たようなふらつきがあった。あのいやーな感覚、似ている。

動物だから危険を察知しての事?まさかね。
ただの不摂生と老化現象だと思っているけど、一応言ってみた(笑)。

以前メニエール病もした事がある、あれは二度と体験したくない苦しさだった。
それ以来生活習慣を改めて発作が起きないよう、気を付けている。

☆メニエール病時の状態
●耳が塞がった感じが続いていた。
●考え事をしていたら、突然頭の中でプツッと何かが切れた感覚がし、目の前がぼやけて耳が遠くなった感覚。動悸がし、激しいめまいが起きた。
●睡眠不足が続いていた。
●心配事があった。
●パソコンで目を酷使していた。

バスの中で一回と、3年後に職場で再び一回発作がおきた。病院に駆け込んで、おさまったのは6~7時間後だった。全く歩けず、吐き気がひどかった。
頭の重さ、眼精疲労がおさまらず、目を動かすと気分が悪くなるので、運転も控えた。
しばらくは、足元がふらつき、力の入らない状態。不安感が残り、外出が怖くなる。

不安感をなんとかする為に心療系のクリニックにいき、軽い薬を少しだけ飲んでいたら回復。薬は持っているだけで安心。

完全に不安感がとれるまでには、年数がかかった。

その後は、頭位性めまい症はおきる事はあったが、メニエールに比べると軽く、回復は早い。

頭位性めまい症
●朝起きた時、頭を動かすとめまいが起きる。
●吐き気はなく、しばらくすると落ち着いてくる。
●内耳の中の耳石がはがれて三半規管に入り込んでしまう事による。
●ホルモンバランスの乱れ、運動不足などが原因、首を動かしたり、寝返り体操をしてはがれた石を流すとよい。

メニエール病も自律神経の異常が原因だが、交感神経が強くなっている時だそう。呼吸も浅くなっているとか。普段から心や体を落ち着かせるにも、腹式呼吸が良さそうだ。

私は最初、恐怖心とショックで過呼吸になっていると医師から言われた。過呼吸というより、自律神経が狂って、手足の冷え、動悸、血圧の上下が同時に起きたような感覚だった。


何回体験しても、嫌なものは嫌だ。めまいは恐怖心との戦いだ。体験した人でないとわからないだろう。


父の実家の相続問題だが、今年の初めから始め、半年過ぎた今、何も進まないどころか、一からやり直しになった。

相続については、どこのお宅でも関わる話だと思うので、これまでの経過を整理してみたい。


●相続財産=古い空き家、田畑、山林、墓、金銭は無し。
●資産価値=ほとんど無し。管理費で赤字。
●相続人=10+△人(何人か亡くなって、子、孫に権利がうつっている家もあり)
●管理人=父が兄弟全員から依頼を受けて、一人で管理していた。
●固定資産税=父が全額負担
●管理費用=父が全額負担、一部叔父

僻地という事もあり、ほとんどの相続人は、遠方の為、めったに訪問することなく、父だけが長年管理してきた。
誰も相続について触れることが無く、だらだらと月日が過ぎた。

父は自分が高齢になり、通えなくなった後の事を気にしており、管理の大変さ、体力、費用の負担の限界を書いて、全相続人に連絡したのだ。
「誰も相続希望する人がいなければ、自分が相続する」旨も伝えた。

●最初にした手続きの流れ
行政書士に手続きを依頼⇒戸籍謄本の収集、相続人の確定⇒相続についての父の手紙、遺産分割協議書、印鑑証明書の送付願い、交通費として幾らかの金額(郵便為替)、返信用封筒を付けて全相続人に送付

1人を除いて、すぐにそれ以外の相続人から、父に相続させる旨の書類が返送されてきた。


ほとんどの相続人から、「これまで(父)だけに管理を任せっきりきりだった事の御詫び。」
「経済的負担も大変だったろうに、長い間きちんと管理して頂いたおかげで、いつでも自分達が訪ねる事ができる。心から感謝する。」
と、お礼の品まで添えて送ってくださったのだ。

これまで不満さえ抱いていた父だったが、この意外な嬉しい反応には感激して泣いていたと母から聞いた。

が、ある相続人の一人が問題だった。
遠方にいる叔父なのだが、手紙がきて、父に譲る、と書いてあった。だが、肝心の書類が送ってこない。気持ちだけなら、相続人全員が父に相続させる事に了承していたが、書類がそろわず、そこから話が進まなくなった。

印鑑証明書の有効期間が3か月の為、父は焦っていた。


あくまで、父の場合の話であり、伝聞でまとめましたので正確さに欠ける事があるかもしれません。あくまで1体験談として参考になればと思います。

米朝首脳会談、成果が何だかはっきりせず、もやもやする。


拉致問題についても、具体的な話の内容がわからずやきもきしている。


拉致と言えば、私の実家の近所のお宅のご長男、高校の先輩の親族の女性も拉致されたまま帰ってきておられない。


ご家族は長い間解決に向けて必死の活動をしておられる。
身近に2人も拉致された方がいると、当時の我が家だって被害にあっていたかもしれないと思えてくる。


思い出せば幼い頃、噂があった。

「新婚旅行中に花嫁さんが突然いなくなった。朝鮮に連れ去られたらしい。」
「海岸で遊んでいた人が、朝鮮に連れていかれたらしいよ。海に行くときは気を付けろ」

と言われた事を覚えている。


当時の自分は幼かったし、まさかそんな事あるわけない、ただの噂だろう、と聞き流していた。
でも、「さらわれる」という事そのものに、かなりの恐怖心を感じた。


今思えば、それは正しい情報だったわけで、子どもの私にさえ耳にする程、真実が知れ渡っていたという事になる。
拉致が行われていた最中のかなり前の情報なのに、当時の国は何をしていたんだろう。


当時、母親が毎朝見ていたワイドショーでは、「行方不明になった子どもを探すコーナー」みたいなのがあって 「 この人を探してください!」「○○ちゃん、帰って来て!  」と毎日次々と必死で訴える親族の姿を流していた。


こんなに家出人、行方不明の人が多いのかと、子どもなりに驚いていた。


その頃、テレビで訴えていた方の中に、後に拉致されていたとわかった親族が結構おられたように聞いた。


拉致されるなんてどれだけ恐怖だろう。絶望を味わった事だろう。
探された家族のお気持ちも想像を絶する。


それにしても、時間がかかりすぎる。ご家族も高齢になられ、本当に一日も早く解決してほしい。





友人に新年の挨拶メールをしたら、年末にお母さんがお風呂で亡くなっておられたと聞いて驚いた。


介護の必要な1人暮らしのお母さんを、友人は時々訪ねてはお世話していた。

年末に帰省して、風呂場で冷たくなったお母さんを発見したそうだ。


お風呂はデイサービスでしか入らない事にしていたはずなのに、なぜかお風呂に入ろうとしておられたそう。

裸のままで冷たくなっておられ、友人は可哀想だと毛布をかけてから救急車を呼んだ。

孤独死は必ず警察が調べに来る。

友人はただでさえショックな中、警察の対応が冷たくそれをきっかけに鬱状態になった。

毛布をかけた事をきつく叱責されたらしい。


警察よ!そんな事言ったって、それは仕方のない事だろう!私だってそうする。裸の母親を色んな人に見せたくないし、真冬の寒い場所で可哀想だと思うのは当然だし、そうしない方がむしろおかしい位だ。

毛布をかけただけで、身体をいじったわけではない。

なのに、「亡くなった時刻がわからなくなるのに余計な事を!」と言われたそうだ。

遺族にとっては初めての事。しかもショッキングな事。

そんな専門的な事わからないし、そんな冷静になれるわけがない。


最近、周りにこういう事が連続している。


私の伯母もトイレで倒れていた。

孤独死、突然死をよく耳にする。


私の親もいつどうなるか、いや私だっていつどうなるか。

普通に正月を迎えられるという事がどんなに幸せか、噛みしめた。


 
 憶えておきたい事☆高齢者のお風呂には気を配る。もし孤独死を発見したら、むやみにいじらず、毛布も掛けたりしない方がよいらしい。

”怒り”はパワーになるのだが、いつまでも貯めていくと、自己嫌悪に陥ったり、周りに八つ当たりしてしまったり、自分の表情や言動が悪くなってしまったりして、後悔することになりかねない。


ある心理学者によると、「怒りの感情は、決して悪者ではない」という。


”怒り”は、本来人間という生き物が、心身を守る為に必要な機能 らしい。


でなければ、敵からやられっぱなしになり、生きて行けなくなるのだとか。


ただ、感情をコントロールしないと人を傷つけてしまうわけで、怒りに支配されないように対処の仕方を学ぶことが大事。

その対処方法とは、…「まず6秒、ゆっくり数えてみる。」だそうだ。
 

6秒待てば、怒りのピークが収まり、衝動的な行動は抑えられるという。


もし、モラハラされ、とっさに怒りがわき、言い返しても相手の思うつぼになる。
話が通じず、更に怒りやストレスを増大させるという悪循環になってしまう事を考えると、6秒待ってその場を流すというのは良いかもしれない。


しかし、その後、その抑えた怒りの感情は長く続くわけだ。

それを開放する方法はないのだろうか。


それもある学者の勧めでは「文字にして書く」ことが効果的らしい。

まず日数をかけて冷静になる。落ち着いたら「起きた事実」「どう怒りを感じたか」を書き出す。
これを繰り返す事で、自分の感情が客観視でき、怒りの整理ができるとの事。

先日、あるテレビ番組で見たのだが、眠れない時は、ノートや紙に愚痴を書き出すといいらしい。
試しに、不眠気味の奥さんが実験していた。1週間、どんな些細な愚痴でも良いから、ノートに走り書きしてからベッドに入っていた。
すると、段々、朝まで熟睡できる様になっていた。

寝る前に愚痴を書くと、興奮して眠れなくなりそうな気もするが、不眠やイライラが続く時は試してみようと思う。

                     

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