りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: つぶやき




弟のやつれはストレスが原因だろう。

表面的には強く見えるが、実はとても弱い。
私よりずっと母をあてにしてきたし、
病気になってから、ずっと通院、買い物に付き添って来た。

病院での対応も全てやってきて、
医師から母の余命宣告なども一人で聞き、
ショックで眠れない日もあっただろう。

今弟が倒れて入院にでもなれば
誰が母の洗濯物を運び、面会に行き、責任者になるのだろう。

誰もいない。父には無理だ。

弟の奥さんは全く存在感が無い。
顔も一度もださない。家にいるのだろうか。

もっと弟を支えてくれたら、弟の負担も軽くなるだろうに。


elly063B001_TP_V

それで、母の転院する日が急遽決まり
バタバタと退院準備をした。


私は、PCR検査も抗原検査も大丈夫とは言え
病院には入れないので
外で、母の乗った車を待った。

退院した母が、他の病院の緩和ケア病棟に入るまでに2時間あった。

両病院から、自宅に寄ってきてもいいですよと言われ、
やっと母を自宅に連れていく事ができた。

母は、数日の間に一気に衰弱していた。

顔は痩せ、顔色は悪く、手は冷たい。
3日前まで、自分で歩いていたらしいが
支えなしには立ち上がる事も、歩くこともできない。

私が、実家で母の介助をやり、手を握ったり
身体を支えたり、触れることができたことが
嬉しかった。コロナ禍出の今、奇跡的にできた。

目つき、顔付きは表情が無く、
話すときも苦しそうで、声も低く弱い。

別人に見えて、辛かった。

新しい病院は、個室で気に入った様だったという。

電話の声が明るく、少し元気になっていたので救われた。

苦しいはずなのに、苦しいともだるいとも一切言わない。
ただ「私はこんなに動けなくなった。食事ができない身体になった。
情けない。もうだめかもしれない」
と戸惑っている感じだ。

苦しみが無いだけでも良かったが
「何故、自分はこんな目にあうのか?」と
母が、毎日泣いている事を思うと、夜あまり眠れない。


こういう最期の迎え方は、
本人も家族にも残酷なものだ。

これが、高齢者ではなく
私の親友の様な若い人だったら
想像を絶する辛さだ。





昨日は、無事到着し
病院のすぐ近くのホテルにチェックイン後
すぐ歩いて母のいるであろう部屋の下の道路の向こうから電話をかけ
「外を見て!」とお願いし手を振った。

ふらついて、危ないかなと思ったが
母の手を振る姿が遠くの高いビルの窓に見えた。

手を振りながら電話で何を話したか、覚えていないが
こみあげる涙を抑えるのが大変だった。
横で我が子は泣いていた。
これが最後の別れになりませんようにと願いながら。

コロナさえなければ
こんな苦労はしないのに。こんな形でしか会えないなんて。

帰省している間、毎日母に触れてあげたい。手や足をさすってあげられたら
どんなにか良いだろう。コロナが無ければそれができたのだ。

母の孤独感は、死への不安を更に強くしているに違いない。

もう一緒にお茶もお土産のお菓子も食べられない。

一番母が悔しいのだ。
「こんな姿になった私の事は誰にも言わないで」と何度も繰り返す。

私は、転院の時にほんの少しの時間、外でこっそり会えると思うが、
県外の人間なので接触は気をつけないといけない。
病院には県外の人間は立ち入り禁止だ。

抗原検査は陰性。それでも気をつける。
010KAZUKIHIRO414A_TP_V

マスクを実家にいてもずっとしたまま。
父とはソーシャルデイスタンスを保つ。

我が子は帰った。車をだしてくれて助かった。

しばらくは、実家で私と父だけの生活。
父は嬉しそうで、色々話しかけてくる。
まだ、しっかりしているし、前より元気になっている位だ。

父の世話ができるのは良かったが
本来、ここにいて一緒にご飯をたべたりお茶を飲んだりしているはずの母が
もういない。
母は、2度と実家でこんな風には過ごせないんだと思ったら、
1人病院で毎日泣いている母が
寂しくて辛いだろうなと胸が苦しくなった。

実家は、母の残像がありすぎる。
本当に、すぐ帰るつもりで
ちょっと病院行ってくると軽い気持ちで行ったままなのが
家の状態に表れていた。

母のお茶碗。ベッド、服、そのままだった。
またすぐ帰宅して、元の生活に戻りそうな気がして来る。
以前も母の入院中、こうやって帰省して
父と二人で過ごした。

あの時は、母が退院して帰宅してきた。
母が帰ったら、これを話そう、こうしようと
思いながら過ごした。

今もふと、そんな事を思っている。

母が帰宅したら、と。
もう帰れないんだ。
帰っても、何もできない。
お茶もできない、会話もできなくなっているかも。

そこまでもつかどうか。
実家にいるのが苦しくなる。
父も弟も毎日そんな心境なのだったのだろうか。

「帰ってから、自分で片付けるからそのままにしといてね」
「お箸とスプーン持ってきて」
なんて、ついこの前まで元気に言っていた。

あの時、本当にそうなる気がした。

今は、声に力が無く、言葉もおぼつかずまるで別人だ。

人間はこんなにあっという間に弱っていくものなのか。

弟が異常にやつれていたのも気になった。
お願いだ。今、倒れないでくれ。



子どもが、土日を使って
車で送ってやるから帰ったら。と言ってきて
急遽、今日送ってもらうことになった。
慌てて準備をしている。

高速を往復長時間運転させるのは
心配だが、新幹線よりは感染を防げるかもしれない。

到着したら一緒にホテルに泊まり、
子は帰宅し、私は実家かホテルに泊まり続けるか。

実家でも、父とはマスクで会話し、
ソーシャルデイスタンスで過ごす。
食事も離れるか、時間をずらすつもりだ。

県外の人間と濃厚接触すると
弟も父も色々制約が出てくる可能性もあるので
なるべく接触を避ける。
2週間以上滞在すればそれ以降は大丈夫だが。
MAR86_suisenn20140225_TP_V

行く前にPCR検査キットを使う。

抗原検査キットも沢山持参し、
定期的に検査する

転院する時しか母に会えるチャンスは無い。
最期まで、会えない可能性が強いのだ。

2~3日中に、転院する予定なので、今帰省するのがいい。

明日が転院だったら、我が子も外で会えたのだが無理かなあ。

着いたら、病院の窓の外から、手を振ってみよう。
 
母に電話をして、外にいるよと驚かせてみよう。
高層階にいるので、小さくて見えないかもしれないが、
孫と娘の姿が見えたら、少しは喜ぶかな。

もうすぐだ。






今のうちに、母と少しでも話をしておきたい、と思う気持ちが強くなった。

県外の人間は、帰省後、2週間病院内に入れない。

このまま会えない可能性がある。

ずっと持っていたわだかまりは、
母に自分で伝えた。
わかった。と答えた母に、もうこれ以上何も言えない。
先の短い弱っている人、逝く恐怖に涙している人に
もう強い事は言えない。

父も、持病で母と同じ病院にかかっている。
昨日は通院日だった。

母はせっかく父が病院に来るなら顔をみたいと思ったようだ。

先日、弟が面会した時、
母は父を探したと言う。

あんなに憎い、と嫌っていたのに
今は会いたがっている。

看護師さんに、母は今日は父の通院日だと話しながら
泣いたらしい。

看護師さんが、面会をさせてやろうと
父に声をかけてくださったが
「ガラス越しだし、話もできないから」と言って断ったという。

え?顔を見るだけでもいいのに。
原則面会禁止なのに、姿を見たくないの?
冷たいなあと呆れた。
母も、がっくりしたようだった。

が、その後、母の気持ちを大事にしてくださった婦長さんが
ガラス越しでなく、
直接会える様に、医師に掛け合ってくれ
同じ部屋で、ゆっくり話せる状況を作ってくださった。

弟も一緒で、その時の動画や写真を送ってくれた。

いざ対面すると
母は強気で話しているし、父も気楽な雰囲気で
「大丈夫だから」と繰り返している。

「ご飯ちゃんと食べてね。」とか
「回覧板はどうしてる?」とか
「誰にも私の話をしないで」とか
心配事ばかりを話す母。

父と元々会話も無かったし、喧嘩ばかりの日々だったから
今更、つのる話もなかったようで、
弟も無口な方なので
短時間で終わった様だ。


病院からは「ゆっくりお話ししてくださいね」と
言ってくださったのに、母には物足りなかった様だ。

コロナが無ければ、
毎日の様に会えて、母の辛さも随分和らいだはず。

コロナ禍で、どれだけの入院患者と家族が
こういう思いをしている事だろう。

ましてや、コロナで入院している人は
1人で病気と闘っている。
家族とお別れもできず、悲しい帰宅をする人もおられる。
どんなにか辛いことか。

mitte2039ADSCN8632_TP_V

面談が終わってから、母から電話で
上に書いた様な心情を聞いた。

母と父は二人三脚で
いつも一緒で、責任感の強い父を母は頼り切っていて
安心して暮してきた。


歳をとり、認知症のせいか暴言が酷くなった父を
恨む言葉ばかりの母で、
確かに酷い父だが、母の本音は今もまだ父を頼っている。

何かあると
「お父さん、助けて」と泣きつき
父が全て後の処理をして解決してきた。
具合が悪くなっても、まずは父に頼り
父から弟へ相談という動きだった。

父が具合悪くなると
母が頑張って支えていた。

最近は、父もおかしくなって
母は弟に直接電話をかけて、SOSを伝えていた。

昔の父に戻ってほしくて
余計に歯がゆいのだろう。
それが恨みの言葉になっている。

ここで、1人ぼっちのまま、この世を去るのは嫌だ
という恐怖と戦っている母。

昔のように「お父さん、助けて」と言いたいのだと思う。

その父が、そっけなく、何もしてくれない様に見えるのだ。

私の場合は、夫にそんな感情は全く持った事も無いし
夫に頼るなんてありえない。

母が、「昨日は、お父さんにもっと話しておけば良かった。
(栄養点滴を指さして)これが私のご飯よ。私はこんな事になってしまったの。
こんな自分を誰にも見られたくない。誰にも言わないでねと、念を押せば良かった」
と、泣きながら話していた。

食べることができない=もうだめだ
という恐怖、ショックが次第に母を弱らせている。

1人で、毎日泣いていることだろう。








弟からの連絡。

予定より早く検査が終わり
弟が医師に呼び出された。

今回は、母は一緒ではなく
まずは医師と弟だけの面談。

弟の報告の内容はこうだった。
結果は、予想通りというか、もっと悪かった。

かなり強い抗がん剤を使ったが
進行を抑える事はできなかった。
もういつどうなるか、わからない状況。

緩和ケア病棟のある病院に移ることになった。
母が以前入院したことのある病院を希望していたが
満室で、別の病院に申し込む事になった。

弟が面談に行き、その後入院となる。
早ければ面談の翌日、2~3日後には 移れそうだ。

移動時、家族が連れて行く事になるとの事。

弟が「その時、会えるよ。チャンスだよ。」と連絡をくれた。
AME20181123C010_TP_V

PCR検査キット、抗原検査キットを購入していたので、
それをうまく使い、
どうにか無事に帰省しようと思う。

とにかく感染は絶対させられない。

自分もしたくない。

コロナは以前より少しは落ち着いてきたものの
変異株も増えてきており、
ワクチンもまだこれから。

でも、今しかチャンスは無い。

弟が、いつものガラス越しの面会をし、
母の姿を動画に撮り、送ってくれた。

母の動きはそこまで鈍くは見えなかったが
顔色が悪く、転倒で、口の上に大きな内出血のあざが見えた。

出血なんてこんな時に…と
母の姿が痛々しく、悲しくて、
動画を見ながら泣いてしまった。






母は耳も遠くなっており、声も弱々しい。

何度も聞き直すと
「輸血をすると言われた」と言っている。

おそらく、輸血の為の同意書だろう。
説明をされたと思うが
聞こえていないし、理解もしてないまま
母は、ハイハイと頷いているのだろう。

何かわからないけど、お医者さんのする事に従えばいいと
思っているから。

父も弟も同意書については聞いていなかった。

そう言えば、数日前に
「何かの数値が下がっているとかいわれた。」と母が言ったが
何のことやらわからず、だった。

白血球が減っているのは知っているから
その他に何が?と思っていた。

輸血するほどの酷い数値だったのか。

全く家族にはわからない。


母が電話していなければ
さっぱり様子がわからない。


一旦電話を切り、
数時間後にまた電話がきた。
penPAR50529_TP_V

電話の後に輸血はしたようだ。

一時的な効果はあるだろうが
この話を聞いて
一機に悪化してきたなあと
いつまでもつのだろうか、と不安になった。

検査が予定より早くなっている。
それも、母から聞いたこと。

検査結果次第で、どうなるかだ。
今の感じでは回復は難しそうだ。

覚悟をして緩和ケア病棟にうつることを頭に入れ、
転院の時に、病院の外で母の顔を見れないか、チャンスを待とう。
県外の人の面会お断りのままなら
緩和ケア病棟に移動しても、
このまま、お互いに顔を見れずにお別れになるかもしれない。

コロナで、昨年何もできなかった。
母も通院してはいたが
密かにじわじわと再発し始めていたのだろう。

「だるい、食欲が無くなった、と
来年まで生きている気がしない」と何度か言っていた。

弟はそれを聞き流し、相変わらず家事をいっさい手伝わずにいる。(今でも)
それに加え、暴言を吐く父に耐えていた母。

気分の落ち込みやだるさは
コロナの影響かと、本人も周りも誤魔化していた。

弟夫婦に、複雑な思いを持っていた母。

ただの胃もたれだろうと思い、
すぐに帰宅できると思って病院に行ったまま、帰れなくなった。

最後に家にいた日は、元日。
その前日まで、母は父、弟夫婦に家政婦みたいに
扱われていた。

そういう事なら、コロナが無ければ
両親と私と3人で静かに年末年始を過ごしたかった。

コロナが落ち着いたら、次の年末はそうしようなんて言っていた。

もう、できなくなりそうだ。
母は、二度と食事ができないのだ。



昨日、母から電話があり
「昨日、トイレで思いっきり倒れてしまった。」という。

話をきくと
病院側の不注意のようだ。

まだ歩けるのに、転倒が怖いからと
看護師が車椅子で移動させる様になった。

本人は、寝込みたくないから
少しでも歩こうとしているのに
車椅子にされたことで、もう私はだめなんだと落ち込んでいた。

看護師は車椅子をトイレに置くと、さっと離れるらしい。
母は抗がん剤で力が弱くなっている。

車椅子から立ち上がる時にバランスをくずし
バターンと倒れたと言う。
誰も横にいないから支える人もいなかった。

何の為の車椅子?
ただ、看護師が楽をしたかっただけ?
付き添って歩くのが面倒?

車椅子を使う人なら
足腰の弱い不安定な人だろう。
なら、立ち上がり、便座に座るまで
せめて横についているべくではないか?
介助しても良いのではないか?

susipaku211-app94760_TP_V
抗がん剤による副作用で、白血球数と血小板が異常に低下している母を
絶対に怪我をさせてはいけない状況だったそうだ。

だから車椅子にしたのだろうが、もしかすると命取りになる状況だった。

本当に母の為のケアをするなら
ゆっくりでも歩かせるだろう。
介助されながら歩いてトイレに行けば
そのままゆっくり、便座に座るだけだった。

この話を弟は知らなかった。
面会ができないので
密室のケアになる。

母の電話だけが頼りで、様子を病院からは教えてもらえない。
そして、転倒した事で、もう私はダメだ、何もできなくなったと
パニックになっている母。

看護師さんの態度に、この人はもうダメだと思わせる何かが
あるのかもしれない。

母は、それを敏感に感じている。

高齢者の末期に慣れているから?

でも、1人1人違うんだよ。これが最初から気になっていた事だ。

運よく、口を切っただけで大きな怪我が無かったから良かったが
口を切った事も、今の母には危険な話だ。

何のための車椅子か。と
そして、何故、家族に報告しないのか
腹が立ち、弟に病院に問い合わせて見る様に言った。

すると、父が、家に連絡がきたという。
連絡先は弟になっているのに
この件だけ、何故父に?
耳も遠く、話をよく理解していない父。

それに加えて、
母が「何か意味のわからない同意書にサインした」と言っている。

やけになっていて、
字も小さいし、説明も聞こえないし、
どうでもいいと思ってサインしたと言っている。




 


再びの地震。

過去に自分も転居先での大きな地震、水害の経験がある。

恐がりなので普段から地震対策をしており
一部の食器が割れて、押し入れの中の物が飛び出した程度ですんだ。
今は、食器棚や本棚、押し入れなどの扉に
ストッパーをつけている。

災害はいつでも、どこにでも起きるのだ。

若い頃、関西に住む友人に会いに行った時、
エレベーターに乗っていて
「ここで今、地震が来たらどうしようと怖くなる。
対策を考えておかないと」
と呟いた事があった。
「地震なんて来る訳ないじゃない。馬鹿みたい」
と友人に笑われた。

当時、関東の方は小さな地震が多く、敏感になっていたが
関西はあまり起きていなかったと思う。

ところが、その会話のすぐ後に阪神大震災が起きた。
当時大きな地震がくるぞくるぞと言われていた関東では無く、
関西だったことに驚いた。

最近では、被害にあって混乱している知人に、迷惑なのに
夫は何度も電話をかけて
停電している相手の電池を消耗させ、
大丈夫か、と心配するふりをし、
上から目線でこうしろああしろと言ってやったと自慢していた。

迷惑でしかなかったと思う。

そのうち、相手の方は夫から着信あってもでなくなった。

すると、夫は「知人が電話にでなくなった。何かあったに違いない、
命が心配だ。」と世間に騒いで見せた。


091RED20404_TP_V

あのR子さんと同じパターン。

人を心配するふりをして
実は、不幸を期待しているような。
無神経で相手の気持ちが想像できず、
自分の気持ち中心に考える。

夫は、被害に遭った人と話す時も
その人の話を聞くふりをしながら
途中で「僕も体験がある」「僕の時はもっと酷かった」
「僕は、こう立派に対策をした」などなど
自分のことしか話さず、相手の話を打ち消す。
共感もしない、結果は、いつも「自分が一番」と言う話になる。


それで「あなたを心配し、指導する僕は人徳にあふれている」
と自己満足をする。


人が弱っている時、追い詰められている時に
人の本質が見えてしまう。

そんな人は相手にせず、
自分を守る事を最優先するしかない。


ここんとこ、急激に母の声が弱々しくなってきた。

昨日から何度か電話がきて
泣き声で「もうここにいたくない。家に帰りたい」と言う。


まるで小さい子供が「お母さんに会いたい。お家に帰りたい」
と言っている様に聞こえる。


ちょっと前まで、あんなに元気だったのに。
みるみるうちに精神状態が弱っている。

これを放置すると認知症になるんじゃないか。

元気で、回復する事を信じ、
しっかり話していたのに、あっけなくこんなに弱気になるなんて。

最初に心配していた通りになってきた。

元気でまだまだ生きていけるのに
年齢だけで判断し、
どうせ高齢だから、どうせ先がないのだからと
母にはまだ早い?合わないケアをされているのだろう。

歩けるし、寝込むのが怖いから
何とか、トイレまで歩いたり、努力していた母だが
危ないからと車椅子に乗せられたり、

まだ熟睡している朝6時半に
トイレに起こされるのも苦痛のようだ。
自分でトイレにいけるし
行きたい時にいかせてもらえない。

この事務的なルーティンが、重病で余命短い人のように扱われている様な気になるらしい。

確かに重病で、もう回復の見込みは無いと言われたが
無理やり、そうなる様に仕向けている気もしてくる。

母自身は、身体に不調を感じていないし
頭もしっかりしている。
リンパ腫以外に持病は無い。

先が無いなんてとても感じられない。

elly20160628431021_TP_V

「高齢だから」と何かにつけて看護師さんから
言われるらしい。
「高齢だから仕方ない、もう終わりだ」と
周りが自分を見放している、
自分だけが何も知らされていない。

などと不安が強くなっている。

面会もなく2か月近く
食事もせず、点滴だけの生活。

牢獄に入っている様なものだろう。
誰だっておかしくなってくる。

携帯電話で話せることが救いだ。

これが、電話もできなかったらと思うと怖くなる。

色々話を聞いて、受け止めて
あと少しの辛抱だと、
転院すればいいとそこは今よりずっと居心地がいいはずと
いつも同じ事を繰り返すしかない。

自分が、いつかこんな風になった時
母の気持ちが良くわかるだろうか、
今の自分の対応で良いのだろうか、
もし、我が子に自分と同じ対応をされた時、

あの時、もっとこう言えば良かった
こんなに辛いものか、母はどう思ったのかなと後悔するだろうか。


色々考えてしまう。


コロナが大きな悪影響を与えている。

面会が出来ない事、
いつでも帰省できない事。
家に居た時から、コロナで制限され
高齢者の認知症や体力の衰えが心配されていた。

自分も活動量が減り、良くないと思っている。

ましてや、だ。

もう少ししたら、検査キットを使って
空いてる車両を選んで、新幹線で帰省しよう。








私が母に頼まれて、R子さんに手紙をだしたのは数日前。

いつもなら、すぐにまた返事をくれるほどの手紙好き。


さて、返事が来るかな?
うちの電話番号は知らないだろうから
電話は来ないだろう。

ほとんど会った事も無い関係だし
私とは手紙だけの付き合い。

口止めしたのに、すぐ言いふらしていた訳だから
私の手紙についても
詮索して誰かに話す事だろう。
R子さんは、自分からは何も聞けなくなった。
だから、誰かを使って聞きだそうとするかもしれない。
いや、するはず。

弟にそう話して置いた。

すると、予想通りのことが。
zubotty2045DSC_4598_TP_V

遠くにいる叔父から、弟へメールがきた。
それこそ、全く付き合いのない、電話も手紙もやりとりしない相手。

母の事を聞いて来た。

うんざりする私と弟。
しつこい。ストーカーみたいだ。

私の手紙が、私が勝手に書いた嘘だとでも思ったのか。

内容を確かめだようだ。

弟は、私の手紙の内容を知っていたので、
同じ事をさらりと返信したらしい。

次は、誰を使ってくるかな?
と弟と笑うしかなかった。



↑このページのトップヘ