りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: つぶやき


眞子さまとKKさんが26日、結婚されることが発表された。

眞子さまの幸せを、誰もが心から願っていたと思う。
他の皇室の方と同じ様に、お似合いの相手を選ばれ、
きちんと手順を踏み、国民からお祝いされて、コロナ禍であろうが
祝福ムードで盛り上がる事と、ずっと予想していた。 

まさか、こんな形の結婚をされるとは。

KKさんが母親に「眞子さまに迷惑がかかるから、早く解決してよ」とか、
「僕が解決する!」と言い、さっさとお金を返し、頭を下げ、
国民にも解決しました、と報告していさえすれば済んだこと。
最初の頃、誰もがそうするのでは、と予想したと思う。
結婚できるのであれば、それ位の事は、簡単な事だろう。
でも、意地でも、それをやらないまま。

お金を返すどころか、次々と人のお金を自分の為に使うだけだったのでは?

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KKさんが、自分の考えをしっかり持ち、
母親がやらないなら、自分で解決しようとする姿勢を見せていれば
その時、親の問題は息子とは別の話、と言えると思う。

母親といつも同じ意見で、母は正しいと信じる息子。
御世話になった相手に誠意も感謝の心も見られない。

眞子さまは、産まれながらにして、特別な立場にあり、自由も無く、
国民に観られ続ける窮屈さはあっただろうし、
皇室の方独自の悩みもストレスもあって、
そこから逃げだしたい気持ちもあっただろう。

それは、生活が保障され、警備に見守られ、周りから丁寧に扱わることが前提。
一般人の本当の生活の苦労がどういうものか、想像できないと思う。

これから、どんなご苦労があるかわからないが、
眞子さまの場合、ここまで強い意志を貫かれたのなら、
自己責任で、頑張って生きてみられたら良いと思う。
もし仮に辛くなった時、初めて「こういう事を皆さんが心配していたのね」
と実感されたら、その時、軌道修正されれば良いと思う。
おこがましい言い方ですが。

「親や周りが反対する相手と結婚するのは、辞めた方が良い」
と独身の時に言われた事があった。

今では、その意味がよくわかる。
自分が体験しないとわからないのだ。

眞子さまは、世間からの批判が原因で「複雑性PTSD」であると診断された。
そんな精神状態で、結婚して大丈夫なのだろうか。
何故批判されているのか、原因は何なのかを冷静に考えてみてほしい。
色んな角度からアドバイスしたり、相談に乗ってくれるご友人がおられないのだろうか。
KKさんは、自分が盾になり、眞子さまを必死で守ろうと努力しているように見えないのは、私だけ?

お金持ちを見つけると、ピンと反応し、
擦り寄って行き、利用しようとする我が夫が浮かんできた。
母親と同調する点も似ている。
まるで、我が子を心配する親の気分。
余計なお世話だけど。

2人で、26日に会見されるそうなので、
今のお気持ちを話されることだろう。
本来なら笑顔で、何の曇りもなく、堂々と結婚できたはずなのに
どうしてこうなったのかなと、お気の毒になる。

頑張って困難を乗り越えて欲しい。

どうか、お幸せに。





自分だけがだるさを感じているのかと思っていたら
周りの人もため息をついたり、お疲れ気味。

せっかく涼しくなってきたのに、コロナ疲れかな。
皆、ストレスが溜まっているんだよね。

最近、感染者が減っているのは、ワクチン効果もあるだろうけど、
ウイルスの自壊(コピーミスを起こし増殖をストップ)もあるそうだ。

このまま、自然消滅してくれないかなあ。
早く特効薬が出回り、
インフルエンザと同じレベルになってくれたらなあ。
自壊していても、そう甘くみない方が良いそうだ。
形を変えて生き残るだろうなあ。
第6波もまたすぐ?

来月こそは、実家に行きたい。
行けます様に。
父が留守するタイミングを狙うので、どうなることか。

秋は寂しくなる季節。父は寂しくないのだろうか。
以前の父のままだったら、何度も会いに行けたのに。

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昨夜、ネットフリックスで観た映画、
「黒い司法0%からの奇跡」は素晴らしい映画だった。
実話に基づいており、ラストに本人達の動画や実際のニュース画面もでた。

ラストには、涙が出て、スカッとした。
今の日本にも通じるところがある。
主人公の弁護士が、裁判所で訴える言葉は、どの国でも共通し、
他人事ではないから、胸をうつのだろう。

「もし罪なき貧者よりも やましき富者が遇されるなら
そんな社会は公正じゃない!」

やっぱり映画は、スカッとするのがいいな。




先日、魂について少し考えた。

色々、海外の死後の世界について研究した人の話などや
立花隆さんの解説などを読んだ感じでは、
やっぱりわからない、というのが結論。
死後の世界なんて、そう簡単にわかるはずがない。
でも、それでも信じたい、知りたいと思う人が多いはずだ。

人が亡くなる前、最後に脳が一瞬活発に動くので(動物実験で証明あり)
臨死体験は、その時の脳が見せた幻覚ではないかという説が強い。
 が、実際に臨死体験をした人の話を聞くと、
天井側から下を見下ろして、
そこに居た人が誰だったとか、何をしていたとか、
使った道具などはっきり言い当てている場合、
ただの幻覚とは言えない気もするし、
偶然なのか、その証言が本当なのかもわからず、もやもやする。

お迎え現象についても、調べた学者がいた。
国は違っても皆同じ体験をするのは、人間だから当たり前だけど面白い。
せん妄と言われてはいるが、意識もしっかりし、
せん妄状態とは言えない人が、亡き親がそこにいると話す動画も見た。

母は、
「そこに白い球が沢山見えるよ。ほらそこにも」と
冷静に指さしていた。

その話は、母と、いつかせん妄を見る時がくるのかなと言う話題をしていた時に
そう言えば、という感じで、言い出した。
母は、しっかりしていて、冷静。これは幻覚よねと話した。

元気な頃の母なら、
「変なものが見える、私、おかしくなったのかな」
と騒いだと思う。そう言う事にとても恐怖を感じる人だった。
とても冷静で、当然な事の様に話していたのは、
今思えば不思議だ。

お迎え現象で、亡き祖母や伯母が目をつぶるとすぐ目の前に表れる、
何で?とキョトンとした顔で話していた。
私は、もっと長く生きていたい、生きれるかもと言っていた頃だ。

元気な時の母とは違って、
表情は穏やかで、聡明な感じになっていた。
私には、二人の母の姿が残った。
好きなのは、この時の亡くなる前の母。

魂があの世を行ったり来たりしていた感じがした。
だから、俗っぽさが抜けて、清らかな魂になっていたのかも。
脳の機能が衰えていたとか、酸欠だったのかもしれないが、
そうは見えなかった。

身体はボロボロで今にも滅びる寸前なのに、
魂は、若返り綺麗になっていくような感じがした。

葬儀が済んだ後、父に帰宅させられた日の夜、
私の寝室はパチンパチンとラップ音がうるさかった。
子どもは「棚の上に」と言う声を聞いた。
心配してそばにいてくれるんだねと、母の存在を感じた。

偶然にしても、不思議なことがある。
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子どもさんを亡くし、悲しみで心が救われないままの人や
家族との突然のお別れに納得のいかない人など、
死後の世界があるなら、また会えるし、
魂はいつもそばにいてくれていると思いたいだろう。

魂の存在を信じたい、その思いは私も同じ。

それを利用して騙す人の多い事。
霊能者のほとんどは偽物。だから困る。

カルト宗教に勧誘されたり、詐欺商売に騙される被害もある。
(夫と姑は騙されて霊感商法に多額のお金を使っていた)

死後の世界があり、魂は永遠で、
幽体離脱とか、臨死体験が現実のものなら
何か、証拠を残せないものなのだろうか。

天井に浮いているなら
そこに細工するとか、何か動かすとか。
ライトが点滅とかはよくある現象だが、
その原因は証明されていない。

あの世の人は、この世では何もできないのだろうか。
声も出せない?触れることもできない?
霊媒者に乗り移って話すのは、私は信じていない。

学者たちが本気で研究をしても、結局は確実に証明する材料は見つからない様だ。
あの世はあってほしいと思いつつ、
でも、あの世でも嫌いな人にまた付きまとわれたら嫌だよなとも思ったりする(笑)

私自身は、この世に産まれてきたくなかったし、
2度と産まれかわりたくないとも思う。
子ども達と会えたのだけは良かったけど。

伊勢正三の曲「ささやかなこの人生」を思い出した。


「~誰でも心の扉を閉め忘れては
傷つき、そして傷つけて
引き返すことのできない人生に気が付く
優しかった恋人たちよ
振り返るのはやめよう
時の流れを背中で感じて
夕焼けに涙すればいい~」

アレクサで聴いてみようかな。


季節の変わり目だからか、眠い。
良い睡眠はとれているが、朝起きて、色々やった後、急に眠気が襲う。
起きたばかりじゃないか、一日はこれからだぞと自分に言い聞かす。

だるくて何もする気がしないが、さぼる訳にもいかない。
1日を終え、夕食を作る時には、アレクサで「昭和の歌謡曲」を聴いている。

これまでは、洋楽ばかり聴いていた。

歳のせいだろうなあ、最近、昭和の歌謡曲や当時のアイドルの曲を聴きたくなる。
中島みゆきとか、松田聖子など、今でも活躍している人もいるけど、
若い頃はいい曲が沢山あったと思う。
当時は聴いてなかったのに、今聴くとそう思う。

あの頃の楽器の音もなかなかいい。
サビのギターが効いていて、泣かせてくれる(TДT)
先日亡くなった知り合いのミュージシャンも、
日本の歌謡界に貢献した人だったので、
それも思うと胸がキューンとなる。追悼だ。

なにより、子どもの頃の映像がフワーッと浮かんでくる。
そこには、若い両親の姿もある。それでまたキューン。

これまで、子どもの頃を懐かしむなんてあったっけ?
懐かしむというより、恨み節ばかりだったような。
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あの頃は想像もしていなかった感染症、大きな災害の連続、政治の状況、
ここまできたかと時代の変化にしみじみしてしまう。

私も寿命がきているのかな。

自分の人生なんて振り返っても後悔ばかり。つまらない人生だ。

責任感を持って子どもを育てた両親に比べて、私は親失格。
お金の心配ばかりさせて、まともな家庭を作ってあげられなかった。

と、昭和の歌謡曲を聴きながら嘆いていた。

懐メロを聴くと、脳内だけでも過去に戻れるから、
また色々、聴いてみよう。
当時は、関心の無かった音楽なのに、結構、覚えているものなんだな。

音楽の力、芸術の力は凄い。






親しい友人は、今の土地にはあまりいない。
これまでで、一番長く住んでいるのに。
沢山の人と知りあって、その時々で仲良くしていたが
お互いの環境が変わる度に連絡をしなくなっていった。

電話が嫌いなので、連絡はメールやライン。
若い時は、全国あちこちにいる友人に手紙を良く書いていた。
今ではすっかりご無沙汰。

母とだけは、長い年月、途切れることなく電話で話してきた。
亡くなる二日前まで。
ストレスだった元気な頃の母の愚痴電話も
今では懐かしく、寂しくなると
時々、留守電に残った母の声を聴いてみたりする。

電話って、相手の状況がわからないから
他人の場合、迷惑じゃないかと気を使う。
人の家にずかずかと土足で踏み込むみたいで。
だから、好きじゃない。

既読がつくラインも他人とやるのはあまり好きでは無く、
社交的な人から見れば、信じられないことだろう。

ある人などは、毎日誰かと話さないと不安みたいで
あちこち電話しては長く話し込んで、気分を落ち着かせている様だ。
常に誰かと一緒に何かしないと落ち着かない、
誘って買い物に行ったり、遊びに行ったりしている。

私にはそれができない。疲れてしまう。
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私は、1人で過ごすのは苦痛では無い。

散歩はしたい時に1人でゆっくり楽しみたい。買い物も。
人と一緒だと楽しめない。

1人でカフェで過ごしたり、ランチを食べたりするのが楽しい。
その時間が精神安定剤だ。
だから、友人はできないのだろう。
拒否しているような雰囲気を出してるのかもしれない。

今更、友人は増えなくていいと思っている。
全国あちこちにいてくれる。
会えないだけで、心は通じている。(と勝手に思っている。)
何故、そう思えるのか?
以前、大きな災害に合った時、
あちこちの友人から、心配の手紙、メール、宅配便などが
届いて、びっくりしたと同時に、感謝の気持ちでいっぱいになった。
自分の事を気にしてくれる人がいてくれるというのが
とても嬉しかった。

離れていても、通じているんだと。

子ども達も近くにいてくれるし
まだまだ、自分の役割はありそうだ。



友人が沢山いて、賑やかで楽しそうな場面をSNSにアップして、
自己アピールする?のが、世の中の傾向だったらしいが、
最近は、1人でも楽しい、友人が少なくても充実しているよ、
という事をアピールする傾向に変化してきているらしい。
コロナ禍が拍車をかけたのかもしれない。

1人キャンプも流行ってるし、
1人で外食もいいし、
遊びに1人でいくのもいい、
それもまた楽しということ。

「ついに私の時代がキター!」と思った。(笑)

多くの人と接する仕事は、意外と自分に合っていた。
自分は人間好きだとわかった。

それが、私的な時間になると
1人でいる方が良いと感じる。

子どもの時から雨の日が好きだった。
「子どもは子どもらしく外で元気に遊べ」と強制されるのが苦痛で
雨なら、堂々と家で過ごせたから。

家族旅行にも行った事が無い家庭だったので
進学で実家を出てから、自分の視野の狭さ、経験不足を思い知った。

なにより、出会う友人達が、活動的で、やりたい事をすぐに実行していた。
活き活きしていて、細かい事は気にしない。
そういう性格の人達を見て憧れた。
田舎者の自分を変えたいと思った。

友人に刺激を受け、真似をして
なりたい自分になろうとした。

その時の経験が、自分を少し変えてくれたと思う。
心が歪んでいた自分に少し自信をつけさせてもらった。

もしかしたら、内向的だと思っていた自分は
本当は、違ったのではないか、親によって抑圧されていたのかなと思うほど、変わった。
親から離れた事も良かったし、出会った友人にも恵まれていた。

私の性格が急に変わった、と親が話していたらしい。

大人しく弱虫で、従順だったのが
活発で強くなり、口が悪くなったと感じた様で、
母から注意されたこともあった。

親に、押し付けられ、演じていた性格でもあったから
大人になったら、自分の性格は自分で作るぞと思った。
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それが、結婚したら、夫に抑圧される事になったわけで。

理不尽な怒りと不安を与えられる生活で
自分らしさは消えてしまった。というかそれがモラハラ人間の目的。

今では、やっと山を越え、振り切れた。
法的に縁を切るまでは、片隅に不安はある。
でも、負けない。これからは、自分らしく生きて行こうと思っている。

が、もう昔ほど力は無い。
長い間、神経を擦り減らしてきた。
ちょっとしたストレスで、すぐに体調や気分が悪くなる。

これも、DV被害の後遺症か。
弟みたいに、近くに親がいて、
何もかも甘えて利用しまくっていたら
全然違っていたと思う。
まあ。親が近くにいても、私のことは助けなかっただろうが。
息子だから大事にしてきたのだから。
(親は裏切られた訳だけど)     続く










あの世があるとか、テレパシーとか
夢枕に立つとか、霊感とか、幽体離脱とか、
不思議なことは人間にはわかり得ない現象なのだから
人それぞれの願望や信じるか信じないかの自由に任されることになる。
(それを人に押し付けたり、利用して騙したり、カルト宗教みたいになったり、
商売に使うのは問題外だし危険。)

私は、あくまでそうだったらいいのにな、みたいなレベルで
考えることにしている。

あの世があって、この世と行ったり来たりできればいいのになとか、
心の声が聞こえていたらいいなとか、
不思議な夢を見た時は
多分そうなのだろうと、都合よく思うようにしたりとか。

あの夢以来、親友は夢に出て来なくなった。

その代わり、母が出て来る。
何回も夢に出て来るものじゃないはずと思うのに出て来る。
父が原因なのかもしれない。
母の願いをきいてあげられなかったのが辛くて、
自分の中にすっきりしないものがあるせいか。

それとも、何か言いたくて出てきているのかな。

母に話しかけても、いつも無言。
葬儀の翌日に見た夢では、母から聞かれた。
「ねえ私はどうしてこうなったのかなあ」
と、納得のいかない様子だった。
「病気になったのよ」と私は答えた。
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それ以降、夢に出て来た母は、若くて綺麗な服をきており、無言。
先日の夢の中で、私は今の母の気持ちを聞きたかった。
でも、母は黙っていた。
「もっとこっちに来て。お話しよう」と私が呼んでも、
母は少し離れた所から動かずにいた。
「じゃあ、帰るね」
と言って、母は、父と私のいる実家からどこかへ帰って行った。

でも、すぐまた帰って来て、黙って横になっていた。
問いかけても返事は無かった。

私に何か訴えたいのか、私がいつまでもこだわっているから
そんな夢を見たのだろうか。
葬儀の後、父から暴言吐かれて、
追い返されなかったら、こんな中途半端な気持ちにはならなかったかも。

葬儀後の予定は、父の世話をしながら、
来客の接待や、母の形見を整理し、仏壇を一緒に買ったりして、
落ち着いてから帰宅するつもりだった。

あの時、母を看取ったばかりで、悲しみで心の整理もついてないまま帰された。
母に頼まれていた事を何もやれず、ばたばたと帰宅させられた。
ショックだったのは、私は娘と思われていなかったこと。
父にとって、息子が居れば良く、娘は邪魔な存在だったということ。

その後、父が独断で母の嫌がる事ばかりをやっていく。
おそらく、入院中の母のボストンバッグも
まだそのまま放置されているだろう。
洗濯物だけは、私が何とか洗ってきたが、
その他の荷物は置いたままだ。

そして、父はその母の残した荷物を見て、
懐かしむどころか、邪魔だとか、俺の金で贅沢しやがってと文句を言いだした。

これからも何をされるかわからない。
父への不信感がこんな夢を見せているのかも。

ただ、夢の中では今のところ、母からは何のメッセージも無い。

「じゃあ、帰るね」と言って帰ったのに
すぐまた戻って来たと言うのは、
父が気になって、安心して天国にいけないということだったのかな。
もし、あの世があるとしたら母が可哀想になる。





高校生の時、色んな夢を見ていた。
当時はしっかり内容を覚えていて(目覚める前に見ていたのだろう)
まるで映画を観た様な、面白いストーリーが多く、
学校で友人に話して笑い話にしていた。
時々、全く話もしたことの無い人が出て来たりして
何故、あんな夢を見たのかなあと不思議に思う事もあった。

あの頃から、夢とは何なのだろうと
ただの記憶の整理とか、深層心理から来るものだけではなく
誰かからのメッセージとか、
予知みたいなものも含まれているんじゃないかと
(軽い気持ちで)思う事もあった。

亡くなった親友の夢を見てからは、
ちょっと真面目に夢について考える事が増えた。
 

以前書いたかもしれないが、
どんなに探しても見つからない探し物を
夢の中で見つけることがある。
実際に夢で見つけた場所にあったりした。

脳の深いところに残った記憶が夢の中で整理されて
思い出すのかもしれない。

若い時、前日にやった仕事の夢を見た。
とてもリアルで、このページのここが間違っている!と気が付く内容だった。
翌朝、急いで会社に行き確認すると
その通りで、すぐに訂正をし、助かったという経験もした。

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結婚してから一番嫌なのは、夫の夢だ。
だいたい、夫が何かしでかすか、こちらに嫌がらせをする予知夢が多い。

こちらはアンテナを張っていなくても
相手が、こちらに何かをしようと考えると
夢で伝わる様な感覚がする。

第6感というのか、夢で感じるのかも。

自分の幼児期は、毎日の様に悪夢を見て、
恐くて目が覚めていた。
おそらく幼い頃は誰でも似た体験があるのでは。

眠りに入る時に、
大きな黒い闇が自分を襲うのだ。
その闇に覆い尽くされると、自分が無くなってしまう気がして
恐くて逃げ惑うのだが、すぐに目が覚める。
おそらくだが、夜泣きしていたかもしれない。
夜泣きの原因はこんな悪夢のせい?

あの黒い闇は、あの世なのかなと思ったりする。
幼児期だけの悪夢なので
胎内に入る前のトンネルの中の記憶?
せっかくこの世に生れたばかりだから
元に戻さないで!
戻りたくないよという恐怖だったのか。

よくわからない。
とにかく、子どもはいつも不安をどこかに抱えている。
夜は特に怖くなる。
何故だかわからないけど、不安になる。
大人になるにつれ、その夢も不安も忘れていく。

我が子もそうだったろう。
自分は子どもたちの説明のできない不安を
和らげてあげていただろうか。
ダメな母親だったかもしれないと
色々、思いは広がっていく。

夢について調べても、夢占いを参考にする程度で終わる。
学問的に研究されているのかもしれないが
脳の機能とする研究が限界なのではないか。
全て脳のせい?
そうじゃないと思いたい自分がいる。                                         

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仕事で車を運転することがある。

これまで、事故の経験は無いが、ヒヤリハット体験は何回かあった。
高速道路でひやっとした後は
2度と高速は走らないぞと思うほど怖かった。

昨日、思わず「アーッ」と声が出る様なヒヤリ体験をした。

片側1車線の国道を走っていた。
道路は狭く、歩道も無い。
両側には店舗や住宅が並ぶ。
歩行者は、ひやひやしながら歩いて行く。

なのでスピードを出せる道では無い。
目の前の信号の無い横断歩道に、子どもが立っていたので停車した。
反対側の車も気がついて停車。 
子どもが横断歩道を渡り終える頃、すぐ後ろから老夫婦が歩いて来た。
車が停まっているのを見て、
急いで横断歩道を渡り始めた。

誰が見ても、目の前の歩行者は見える。

だから、反対側の車も老夫婦が渡り終えるのを待つと誰もが思ったはず。

奥さんの方が先に小走りで渡っていたのだが、
反対側の車が発進したのだ。
この時「アーッ」と思わず声がでた。

歩行者の奥さんの方は、車が動き出したことに気が付いていない。
ノロノロと動き出した車にまさに接触寸前。
ご主人が慌てて「止まれ」と叫んでいた。
奥さんは、(車は当然自分が見えていて、動くはずがない)
と信じている様子で、笑顔で後ろを振り返り
「何言ってんの?」ときょとん。

運転手の顔を見ると、これもまた笑顔で
後ろの座席の人とお喋り中なのか、
心ここにあらずと言う感じ。

渡り終えた子どもの事しか頭に無く、
もう誰も来ないという思いこみなのか、
目の前の人が見えていない様子。

たまたま、スピードを出せない道路だったから
発進がノロノロだったので、
歩行者の奥さんが、車が動いた事に気が付き
服をかすった位で止まり、
同時に、運転手もやっと気が付いて停止した。

もし車が、普通に勢いよく発進していて、
歩行者もご主人が声をかけて止めなかったら、バン!と跳ねていた事だろう。
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反対側の私の車が停止したまま動かない事に気が付けば、
まだ、歩行者が来るのかな?と予想できたかもしれない。

いくら横断歩道でも、よく見ずに
車が動いている事に気が付かず渡ろうとした奥さんも
不注意だったかもしれないが、
目の前にいる歩行者が目に入っているのに、
思いこみのせいで見えていなかった運転手。

両方共、注意散漫だったかも。
事故が起きたら、絶対的に車が悪いのだが。

以前も、目の前にボールが転がってきて、
停止したら子どもが走って来た。
反対側の車にはねられそうになり、
ひやっとしたことがあった。
まるで研修の動画そのものの場面だった。

歩行者になる時も、運転手になる時も、
しつこく疑ってかかる位がちょうど良いかもしれない。

自分も、考え事をしながらとか、
慣れた道で漫然と運転したり、
同乗者と話をしていたりすると
同じ不注意な事をする可能性はある。
話し込んでいて、道を間違う事も多い。

これまで、無事故でこれたのは
たまたま運が良かっただけ。
運転が上手、下手、好き、嫌い関係なく
事故は起こる場合があると思う。

たまにヒヤリハット体験をした方が
気を引き締めることができて良いかもしれない。
自分は、ぞっとしていつまでも引きずる方なので
運転がしばらく怖くなる。
あと何年運転できるだろうか。

恐がりだから、早めに免許返納するかも?




家で映画を沢山みていると
以前観たことを忘れて、1年後位にまた観てしまう事がある。
タイトルをいちいち覚えていないので
大まかなストーリーを読んで、面白そうだなと思う物を選ぶとそうなってしまう。

始まると、前に観たなとすぐに気が付く。
それでも面白かったものは、そのまま何度でも観る。

先日観た映画「ゴーン・ガール」は、2年前に観ていた。
ラストがどうだったかを忘れていたので、再度じっくり観た。
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                                                                                                         (Amazonより)
                    
ネタバレになってしまうが、
モラハラ、DVヒモ夫の犠牲になった優秀で 美しい妻の物語かと思いきや、
え~そうだったのか~!というショックを受けるどんでん返し。

ラストが近づくと恐怖を感じて来る。

サイコパス、演技性人格障害の話かなあ。
たまにあんな人いるなあ。
映画程じゃないけど、狙った相手を捕まえる為には何でもする人。
絶対に関わりたくない人。

でも、能力があり、お金を稼ぎ、魅力的で人気がある。
それが表の顔だから、誰もが騙される。
裏の顔を知り、関わりたくないと思っても、
ターゲットにされたら、怖くて逃げられなくなりそうだ。

映画そのものは面白かった。
が、ラストは個人的にはがっかりした。
だから、この映画のラストが記憶に無かったのかも。

2年前もきっと、がっかりしたのだろうな。

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