りんごの嘆き

人生の後半もだいぶ過ぎた主婦りんごの嘆き。これからは自分らしく生きる。最後は笑って終わりたい。

カテゴリ: つぶやき


子どもの時から、雨の日や寒い日にはあくびが出て、
鼻水や涙がとまらず困っていた。
今思えば、寒暖差、湿度差?アレルギー的なものだったのだろう。
その事と耳の不調が繋がるとは思ってもいなかった。

最初の耳鳴りや耳の塞がった感覚は、妊娠中に始まった。
出産後も耳鳴りは止まらず、貧血、血流不足や疲労が原因だったと思う。

耳の不調が長く続くと、不定愁訴が出て来る。
耳鼻科に通ってもその場のみの処置とアレルギーの薬を出されるだけ。
精神科で抗うつ剤を貰った事もあった。
耳鼻科を変えたところ、鼓膜のマッサージ機を使わせてくれた。

使ったら、血流がよくなったのか、
固くなっていた鼓膜が回復したのかわからないが、
すっきりして、それから調子が良くなった気がした。
(ヘッドホンみたいなのをつけて、中から空気圧で刺激する)
家に一台欲しいくらいだ。
この耳鼻科は医師が高齢になり、閉院してしまった。
04-7400942_TP_V

確かに、耳たぶを引っ張ったり、手の平で耳をこすったりするのも
効果があるとテレビでもやっていた。

鼻が原因で耳やのどが不調になることも多い。
鼻水が喉に流れる事で、
咳がとまらなくなったり、風邪の様な症状が出る。

耳の不調で耳鼻科に行くと、鼻の治療をされるのが不思議だったが、
私の場合、耳管の不調が多かった様だ。

今も、耳が塞がった感じや軽い耳鳴りがする時がある。
思い出すと、朝の寒い時間に鼻がずるずるしていた日、
鼻を何度かかんでいた。
そんな日は、午後になると耳が変になる。

軽いアレルギー反応で、一瞬鼻炎状態になり、
鼻と耳とつなぐ管が腫れ、そんな症状が出るのだと思う。
鼻炎の薬でシュッとすると、いつのまにか治まっている事が多い。
(私に関しての事柄で、全てに当てはまる訳では無い)

鼻をすするのは良くない、と言われる。
中耳の気圧が下がる事で鼓膜への悪影響があり、
鼻水が耳やのどにも流れてしまうそうだ。
鼻のかみ方も気を付けた方が良い。
片方ずつ、優しく何回かに分けてが良い。

自分の子ども達には、そう教えてきたが、守っているかどうか。

歯のことも、目の事も、自分の子どもの時から親は無関心で、
自分で苦労して、気を付ける様になった。
もっと早くにそういう知識があったら余計な苦労と言うか、
変な不安感も持たずに済んだと思う。

歯、鼻や耳、目は特に、元気な若い時には酷使してしまいがち。
歳をとり、不調になって初めて失う事に恐怖を感じる。
子どもの時から、毎日の健康管理にちょっと気を付けてやるだけで変ってくると思う。
が、わかっていてもなかなか難しい。
酷使せざるを得ない時代になってしまっているから。


 


結婚直前は不安も多い。なのに
「もうあなたには帰る場所は無い、結婚したら何があっても耐えなさい」
なんて言われるのは酷だと思う。
出産したばかりの、疲労困憊で不安だらけの女性に
「もうお母さんなのだからしっかりしないと」と急に厳しい目を向ける酷さと同じ。

結婚相手がまともであれば、こんな心配を持つことも無いのだけど。
NPDが相手だったら、逃場の無い人は被害から抜け出せない。

世の中のDVへの無知が、これまでどれだけの被害者を増やし、
苦しめてきたのだろう。
私も、親に訴えても、世間体が悪い、我慢しろ、
結婚とはそんなものだ、そんな人を選んだお前が悪い、だのと責められた。
私さえ我慢すれば済むと言われた。
そこに夫がつけこんでいたのは感じた。

aig-168ai231105-xl_TP_V

自分なら、我が子が何かに苦しんでいたら、
辛さを想像して夜も眠れないと思う。
両親にはそれを感じられなかった。

母が夫の事を嫌っていたのは確かだ。
高齢になってから、私に縁を切って帰って来たらと言い始めた。
歳をとって自分の事が不安になったからだと思う。
弟夫婦があてにならず、計算が狂ったのが一番の理由かもしれない。
私を自分の為に使おうと思ったのか。
もう手遅れだったし、そう簡単にはいかなかった。
今では、父が帰る場所としての実家を無くしてしまった。

そんな両親を反面教師にしている。
自分の子ども達には「いつでも私は応援しているし、
何かあったら帰っておいで。全力で助ける」とまだ口にはしないけど、
そう感じさせるように振る舞っているつもり。
それが伝わっているかどうかはわからないけど。
実際、どこまでできるかどうかはわからないが、気持ちだけはある。

かといって、子ども達の生活には全く干渉はしない。
あくまでもいざという時の事。
という理想論は語るけど、現実はどうなんだろう?
唯一これを邪魔してくるのは夫しかいない。
それを考えると頭が痛くなる。



久し振りに韓国ドラマを観ている。
観始めると止まらない。
 
今観ているドラマのあるシーンが心に残る。
問題のある男と結婚したいと願う娘に反対する両親。
お金持ちで権力者の一人娘。
両親は娘が幸せなら、と最後は折れる。

問題のある男なので、結婚しても娘の悩みは尽きない。
それを心配しながらそっと見守る親。
父親は何かあるごとに、娘に語り掛ける。
「いつでも帰ってきていいんだよ。私達はお前の幸せの為なら何でもする」

この「いつでも帰ってきていい」と言う言葉。
私の世代では「結婚したら我慢するのは当然。簡単に別れるな、
帰ってくるな。」と言って送り出すのが当然の様な風潮だったと思う。
経済的にもう面倒は見れないという事情や、
出戻りと言う差別的な世間の目があって、
親としてもそんな目に遭わせたくない気持ちもあっての
色んな意味の言葉なのだとは思う。

私の思う「いつでも帰ってきていい」は
「嫌なことがあればすぐに別れていい」と言う訳ではなくて、
「どうしても無理、自分が壊れると感じたらいつでも両親の元へ逃げてこい」
という意味だと思う。

ドラマの中でも、そういう意味で父親は言っていた。
それに甘えず、娘はどんな困難でもふんばり、親に心配させまいと頑張っていた。
が、もう限界となった時、両親に助けを求めた。
aig-ai221124154-xl_TP_V

知人の中にこんな人がいた。
結婚式の日、娘に「すぐ別れて帰って来たらいいのよ」と言った母親がいた。
周囲の人は呆れていたが、母子家庭だったので、
娘を取られた気がして寂しかったのかなと聞き流していた。

その母親は、今思えば毒親みたいな人で、
娘をコントロールできなくなったのが嫌だった様だ。
娘の幸せよりも自分の為に生きてほしいと願う人に思えた。

案の定、娘の家庭をかき回し、お婿さんの実家にまで悪態をついたりして、
結果、娘は離婚するまでに追い詰められた。
母娘で再び暮らす事になったが、娘は以前とは違っていた。
母親の因果応報か、結果的には娘から虐待を受け続けた。
老後は、周囲との縁を全て断ち切られ、施設に入れられた。

そういう意味の「いつでも帰ってきていい」ではなく、
愛情のある「いつでもあなたの味方だよ、あなたを信じて居るよ」と言う意味だ。

いつでも逃げ込む場所があると思うと多少の困難も耐えられる。
子育てと同じだ。
安心できる家の存在が、子どもの成長には必要。
自分は夫の事があって、その点が常に気がかりだった。
居心地良い家にしようと気を気を付けたつもりだが、どうだったろうか、
親として申し訳ない気持ちだ。

全員が家を出て自立した今の方が、ここが逃場になれる様意識している。
そんな事が無いのが一番だけど。
連絡が無い方が寂しいけど安心ではある。
自分のいる場所が一番安心できるならそれが最高だ。



喉の痛みと頭痛はすっかり消えた。
暖かく、天気が良くなったことも関係あるかな?
とにかく冷えと乾燥には気を付けよう。
 
最近、母の若い頃の夢をよく見ている気がする。
内容は覚えていないけれど、
夢の中で、母から必死で何か頼まれるような、
こうして!と何度も言われている様な。

母の夢は、何かのメッセージかなと思いがちだったけど
最近の夢はそんな感じじゃなくなってきた。
自分の中の古い記憶や、願望やらが見せる夢の様に思えて来た。

メッセージ的に感じる時ははっきり覚えているし、何か違う。
亡き親友の不思議な夢の様に、説明のつかないものだ。



それにしても、帰省するたびに、故郷は暗く寂しくなったなと思う。
奥さんの存在は、どのお宅でも太陽で、
家の中を明るく、温かくしてくれているから。
失って感じる存在の大きさ。
NS525_hkanaibara_TP_V4

マッカートニーローズの蕾が、夏ならさっさと咲いて
1日で散ってしまうのに、今は温度が低いのでなかなか開かない。
早く開いた花を見たいけど、逆に長く楽しめるから良いかな。

香りがとっても上品。
さすが、上級薔薇?は違うなあなんて勝手に思い込んでいる。

棘もあまりないし、茎も葉も綺麗だし、
その代わり、あまり成長は早くない。(私の育て方が悪いのかも)
クイーンエリザベスは、どんどん上に伸びて、
花も次々と咲いている。
これも、綺麗な濃いピンクで良い香りがする。

もし、自分が入院したり、長い旅行にいくとなると
この薔薇達はどうなるのだろう。
ペットと同じで、留守をする時、いつも植物の事が心配になる。

子ども達が協力してくれるかな。
忙しいから大変かもしれない、迷惑かけたくない。
その時は、覚悟するしかない。

この薔薇達が全て枯れたら、これ以上植物は増やさないようにしよう。
新たにペットを飼わないのもそれが理由。
心配事は少しでも減らしていきたい。



昨日、朝は何ともなかったのに、
昼過ぎから急に喉が痛くなり、頭痛がしてきた。

インフルエンザが流行っているし、コロナもまだある。
ここ何年も熱を出すような風邪をひいていない。
ワクチンの副反応の熱くらいだ。

もし、コロナだったら?
人によって症状が違うし、自分はどうなのだろう。

駅伝部で活躍していた高校生の息子さんがコロナに感染し、
肺の機能が悪くなる後遺症が残り、
駅伝をやめざるをえなくなった話を耳にしたばかりだ。
どうか、焦らずゆっくり回復されることを祈るしかない。

これが、高齢者になると命取りになったり、
寝たきりになるのかも。
インフルエンザも同じだ。

だから絶対かかりたくない。
先日、ファミレスでランチしていたら、
隣の席で、若い男性が何か仕事をしていた。
ドリンクバーだけで何杯もお代わりして、
長い時間過ごしている感じに見えた。

その人が、口を塞がず、大きな咳を何度もしていた。
ゲホッ、ゴホゴホと店内に響いていた。
何も食べず、飲まずでいる時は、
咳がでるならマスクすればいいのにな、
せめてハンカチで口を押えればいいのにと思った。
他のお客は飲食でマスクを外しているのだから。

私なら、咳が出る状態なら、飲食店には入り辛い。
他に仕事をする適当な場所が無いから仕方がないのか、
風邪では無くて、アレルギーか何かの咳で、
本人は気にしていないのかもしれない。
aig-009aig-v23102-xl_TP_V

実際、鼻炎からの咳で長引く人は多い。
でも、それは他の客にはわからない。
食事をする場所だったので、ちょっと嫌だった。

そんな事があったし、もしや?と一瞬感染の不安が過った。
まだ熱は無い。
でも、急に昼になってからの喉の痛みって何だろう。
それこそ、何かのアレルギー?
花粉症の時期にはよくある。

頭痛も目の痛みも酷くなり、
肩こり?眼精疲労?
ただ、急に寒くなり肩が冷えているのは確か。
気象病?

感染症では無い事を祈りつつ、
だとしても早めに処置しとこうと思い、
帰宅後、目薬をさし、うがい薬でうがい、水分摂取、栄養のある食事を意識した。

湯船にゆっくり浸かり、身体を芯から温めた。
寝る前に、軽いストレッチをしてたら
テレビをつけたままいつのまにかうたた寝していた。
眠くて眠くてたまらず、早めに寝た。

今朝は悪化していない。大丈夫そう。
喉はまだ少しイガイガするけど、昨日よりまし。
感染症ではなかった様だ。

普段いくら感染症に気を付けていても、マスクしていても、
人混みに出ない訳にはいかない。

まずは身体を冷やさない事が一番大事。
免疫力が落ちるから。

1人で暮らしていると、感染症にかかったら
家族にうつす心配が無いのは良いけれど、
まずは病院で検査する必要がある。
高熱の場合、1人で病院まで行けるかどうか
そんな事も考えると不安になってくる。

とにかく気を付けるしかないってことだな。
後は運かな?


片側3車線の交通量の多い道路を運転中、
赤信号で停まっていた時、
横断歩道を渡る30代位の女性に目が行った。

よろよろしている。泥酔?まだ午後の3時。
耳にイヤホンをしていた。
横断歩道をまっすぐ歩かずに、途中から車道を歩きだした。
え?どうしたのかな。具合が悪いのかなとじっと見ると、
よろよろしているのは、どうやら踊っている様にも見える。

音に集中し過ぎてる?
手足を動かし、身体を揺らしながら、目は足元を見ている。
全く周囲を見ずに。本当に酔っ払いみたい。
幸い、車が来てなくて良かったが、ハラハラした。

すぐ横には広い歩道があるのに、
危険な車道を歩くなんて、何故気が付かないのだろう。
外見で人を見てはいけないけど、
女性は家が近いのだろうか、髪は長くぼさぼさ、
部屋着というか、パジャマみたいな服を
だらしなく着ていた。
kabukiIMG_4889_TP_V

泥酔していて訳が分からず外を歩いているとか、
何か薬で意識が朦朧としているとしか思えない行動に
危ないし、大丈夫かなあと運転席から見ていた。

すると、タイミングよくパトロール中のパトカーが来た。
あまりにすぐ登場したので、
この人を尾行していたのかと思うほど。

パトカーが横に来ても女性は気が付いていない様子。
そこまで音に集中できるもの?
「歩道を歩いてください」とマイクで注意された。

女性はすぐ歩道に移動した。
まだ信号待ちをしていた自分は、その後の彼女の様子を見ていた。
まだ音に没頭しながら歩いており、更に踊りの動きが激しくなった。

パトカーに注意されても、はっと我に返る様な様子は見られなかった。
 あのまま、無事に帰宅したであろうことを祈るが、
歩道であっても、後ろから自転車が突っ込んで来たり、
スマホを見ている人とぶつかったり、
電柱にぶつかったり、転倒したりと危険はいっぱいだ。

自分も、散歩する時イヤホンで音楽を聴きながら歩こうかなと思ったりする。
この歳で転倒するのは危険だし、
骨折してそのまま後遺症が残ったら嫌なのでやめている。
周囲をよく見て、車などの音も聞いて、
気を付けながら歩く様にしなくてはね。



ああ疲れた。

最近、車のスマートキーの電池が切れかかっている気がして
電池をいつでも交換出来るように買っておいた。
今朝早く、車に乗ろうとしたらキーが反応しない。
ついに電池切れかと思い、交換は簡単なので
時間もまだあったし、やっておこうと家の中に戻った。

車を予備鍵で開けると、キーレスで閉めた後だから
けたたましい警報がなるのが嫌だった。
すぐにエンジンをかければ音は止まるけど
休日の早朝に、うるさい音を立てたくない。

まずはリモコンの蓋を開ける。
スライドできるはずが、固くて動かない。
煖房を切っていたので、家の中は寒い。
すぐ終わると思い、そのまま続けた。

一瞬で開くはずの外蓋に時間がかかった。
次は極小のネジ4個で止められた中蓋を外す。
精密ドライバーを出して、外す作業開始。
ネジ2個はすぐに取れたが、あと2個が固くて斜めにきつく締められている。
しかも金属が柔らかい。
固いなあと力をいれたら穴が潰れた。2個とも。

えーそんなー。これさえ外せば、電池入れ替えるだけなのに、
と焦りだす私。
身体が冷えて来た。

ネットで調べてみたら、同じ事で困っている人は結構いた。
色んなアドバイスがあったが、
道具をそろえてじっくり試さないといけない。
とりあえず、用をすませ帰宅してから試そうと決めた。

試しにスマートキーを使ったら、まだ使えた。ホッ。
電池がまだ少し残っていて、ムラがあるのだろう。
elly063010_TP_V

用をすませて帰宅後、さあ挑戦。大げさだけど
ネジをはずせないと、お店に持って行くしかない。
もし、新品交換となったら高い。
壊れている訳でもないし、ネジ2個のせいでそんなお金使いたくない。

ネジがあまりにも小さく、
枠が邪魔してペンチではさめない。
でも、ペンチではさんで回すしか方法は無さそうだ。

ネジの周囲は柔らかいプラスティックなので、
マイナスドライバーで、がりがりと丸く削った。
中蓋だから、多少傷がついても見えないし、気にしない。
ラジオペンチはごつくて無理。
そこで、ミニ四駆に使う様な古い小さなペンチを見つけ、
それでどうにか挟んで回した。

2個ともそれでやっと外れた。
そのネジはもう使えないけど、
似た様なネジを見つけてつけるか
テープでとめれば大丈夫そう。
2個はちゃんと止められるし、中蓋は動かない。

困った時は諦めず色々やってみるのが実は好きだったりする。
解決した時の快感が最高だから(笑)

無事に電池は交換できて一安心。

朝、身体を冷やしたので、せっかく治まっていた腰痛が復活した。
冷えが大敵だと痛感した。
疲れたのは、腰痛のせいもある。
早速、ホッカイロを腰に貼った。



持ち帰ったお宝品の中に、同人誌10部がある。
学生時代の友人の中に、小説を書くのが趣味の、自称?文学青年ぽい人がいた。
私も当時は本が好きだったのと同じビートルズ好きで、
彼は唯一趣味の話が合う相手だった。

彼から「小説好きな仲間で同人誌を作る事になったので読まない?」
と、発行する度に私に渡してくれた。
連載を書いていた彼は、照れくさそうに感想を聞いてきた。
私は何て答えていたのだろう、覚えていない。

そんな記憶も、段ボールを開けるまですっかり忘れていた。
紙の色は黄色くなっていたが、綺麗な状態。
IMG_3501
当時の私は自分に自信が持てず、サークルに入ったものの
人と接するのが苦手で、仲良しの友人以外とはうまく話せなかった。
そんな私でも馬鹿にせずに接してくれる有難い存在だった。

あれから何十年。
彼にとってこの冊子はどんな存在なのだろう、
今思い出してどんな風に思うのだろうと興味が湧いた。
もしかしたら、是非それが欲しいと言われたら送ってあげたいし、
近況も知りたいと思い、メールをしてみることに。
年賀状は今までやり取りしているので抵抗は無い。

元気なのだろうか、病気していないだろうかと
一瞬心配したが、すぐに元気だと返信が来た。

「懐かしい、自分は全部捨ててしまって何も残っていない。
どんな事を書いていたか覚えていない、変な事書いていないか気になる。
思い出の品を持っていて羨ましい、大事にしてね」
との事だった。
ビートルズの話題などもやり取りした。

彼との会話の中身は、あの頃と何も変わらず同じ。
お互い歳はとり色々な経験はしたけれど、
本質はあの頃のままということを確認できた気がした。

父が捨てなかった段ボールの中から
思いがけず、懐かしい友人の近況まで知る事できて良かった。Σ(=゚ω゚=;)


帰省した翌日は、疲れも感じず腰も痛く無くてよく動けた。
やっぱり疲れは後からやってくる。
昨日から右足が重くて腰も痛い。
急に寒くなったせいもあるだろう。

それにしても、目が一番疲れる。
これは旅行には関係ない。むしろ目は休ませたと思う。
飛蚊症、ドライアイのせいだろう。

目が疲れると、首、頭、腰、足も固まる感じ。
昨日は、買い物に行って、品物を色々じっと見ていたら、
目の焦点を合わせる機能が弱っているせいか、
一瞬、視界がぼやけて嫌な感じがした。
目が頼りないと、足も力が抜けた感じになる。
見たい物が若い時の様に、スムーズに見えることが無くなった。
DSC_0637

眼鏡をかけて視力は1,5あるはずなのに、
目をきょろきょろと動かして、遠く、近くと頻繁に視線を動かすと
調整機能がついていけなくなっているのを感じる。

寒い時期になると、どうしても身体が凝ってくるし、
服が重くなって来て、動きも鈍くなる。
煖房でドライアイが悪化する。
私の場合は冬に老化が進むのかも。

精神的に弱虫なのか、ちょっと不調を感じると
夫の問題で寝込んだ時期のことが蘇り、不安になってくる。
二度とあんな体調不良は経験したくない。
私は、身体は大丈夫でも、予期不安が強くて動けなくなるタイプ。

その原因を作った夫本人は、自分は関係ないとピンピンして
好き放題に生きている。

世の中でも、追い詰めた加害者が平然としていて、
被害者だけがいつまでも苦しんでいる事件が目に付く。
真面目に生きようとしている人が苦しむ世の中、どうにかできないものか。


昨日の夜 、NHK教育で糖尿病について放送していた。
自分もいつそうなるかわからないし、関心があったので観た。
私の印象では、癌より厄介と感じる病気。

食事や運動療法もそうだが、最近は良い薬があり、改善する人も多いようだ。
が、種類によってそうでない人もいる。
悪化が進むと血管がぼろぼろになる。
失明、脳梗塞、脳出血、心臓疾患、腎不全、手足の壊死もよく聞く話。
西城秀樹が重度の糖尿病だったそうだ。

いつだったかな。同窓会コンサートに行った事がある。
秀樹は目も悪くなっていて、真っ黒なサングラスをかけ、
足もふらつき、椅子にすわったまま歌っていた。
(おそらく口パク)
何度かの脳梗塞、目の病気も糖尿病が原因だったのだろう。
元気だったら、いつまでも素敵なナイスミドルだったろうに。
あんなに元気いっぱいに見えた人でも、
糖尿病のせいで寿命が縮まり、脳梗塞後は別人の様になった姿を見て、
この病気の怖さを感じた。

友人が、何年か前に糖尿病になったと言った。
とてもそうは見えず、すぐ良くなると思っていた。
いつ会っても、元気で普通に食事やお茶をする。
食後には薬を飲んでいるけれど、病気持ちには見えない。
仕事も人一倍頑張っている。
生活改善や薬で回復すると信じていたから、私は気にしなかった。
IMG_3618

2年ほど前に女がつぶやいた。
「糖尿病になってしまったら、寿命が短くなるみたい。
計算したら、私はあと15年しか生きられない。
お医者さんに聞いたら、否定しなかった。」
そう言われてもピンとこず、彼女も笑っていて、
まさか、こんなに元気なのに冗談よね、と私は言葉がでなかった。

調べてみたが、糖尿で無い人との平均余命にそれほど差は無いようだ。
ただ、糖尿病にも種類があり、西城秀樹の様に若い時に病気になってしまい、
進行していくと寿命が短くなる可能性もあるだろう。

先日会った時も、友人は「なかなか薬が効かなくて、お医者さんも困っていたわ」
と話していた。

私は最近、食後の血糖値の急上昇を防ごうと意識はしている。
食後1時間以内に動く。軽い体操をしたりとか。

糖分の取りすぎにも気を付けて、運動を短時間でも毎日する。
体重も減るし、身体全体の調子が良くなる気がする。

友人は自分にはあと10年しか残っていないなんて言うけれど、
大丈夫、もっと長生きすると信じて居る。
医学はどんどん進歩している。昨日の放送もそう言っていた。

それよりも、持病と全く関係の無い事で
ピンピンしていた人が急にという事もある。
私だっていつどうなるかわからない。
とにかく夫より長生きしたい、それだけ。


↑このページのトップヘ