どうやらお盆はのんびり一人で過ごせそうだ。
ただ、早朝と夜遅くに子どもから(出張で)空港へ車の送迎を頼まれている。
なのでその日だけはちょっと緊張する。
いつもの事だけど、
今の私と同じ年齢の頃の母は、お盆はどうしていたっけと思い出してみる。
毎日父の世話に加えて、弟家族の家政婦状態だった。
そこに私が(お金が無いので旅行の代わりに)子どもを連れて帰省していた訳だ。
私は帰省する方が疲れていた。学生の頃からずっと。
帰れば私に全てのストレスを向けて、家事も全部押し付けてきた母。
弟家族が近くに住みだして、母をこき使い始めてからひどくなった。
帰省した私が、地元にいる兄夫婦の接待をさせられた。
私には、自分でご飯作れ、と言う母は、
弟夫婦にはせっせと御馳走をつくり、媚びていた。
何度、怒りがわいて二度と帰省するもんかと思ったことか。
私が不機嫌になって家に帰ると、母はいつも後から慌ててご機嫌をとってきた。
なのにまた繰り返す。
両親は、そんな毒親な面があったが、親としての責任はきちんと果たしてくれた。
弟は、母の毒親の面を全く知らない。
ただ優しい母しか記憶にないそうで、
同じ我が子なのに、いかに男女で態度が違っていたかを思い知らされた。
母が私に優しい言葉をかけたことがあったかな?
乱暴な冷たい言葉しか思い出せない。
亡くなる直前には、優しい母になっていた。

母は私と違って、ずっと毎日父の存在と弟家族への気遣いに追われていた。
今の私に比べたら、天国と地獄だ。
母はずっとおひとり様になるのを夢見ていた。
生きていたら、今の私の生活を母は羨むに違いない。
そして早く夫と縁を切れとせかすだろう。
おそらく母は父とも弟とも共依存関係だったのだと思う。
尽くすことが、自分の価値を見出せる唯一の方法だった。
なのに、父も弟も感謝の言葉や誉め言葉を母に対して口にしたことは無いと思う。
母も差別的な扱いを受けていた。
それでも、最期まで夫に連れ添い、夫婦協力してきちんと家庭を守りぬいたことは立派だし羨ましい。
私は両親が普通に揃い、堂々と実家を紹介できたことは幸せな事で、
感謝しているし、恵まれていたと思う。
いつも家に頼もしい父親がいて安心感があった。
我が子には、しっかりした両親のいる実家が作れなくて申し訳なく思う。
これから結婚するにあたり、嫌でも迷惑をかけてしまう。
自分はこんななのに、母の事を愚痴ったりして情けないし悔しい。
せめて子ども達には、ここを安らぎの場にしてほしい。
普段はお互い干渉せず、自由に生活。
疲れて親に(私に)甘えたくなったら歓迎して受け止めるし、
ゆっくりここで休んでほしい。
いつも言うけど、ここを駆け込み寺的な場所にして貰えたらなと思う。
これも私の自己満足で、押し付けているのかもしれないけど。