昨日も子ども達がふらっと我が家へ立ち寄って、
昼食から夕食まで一緒に食べてお喋りしてテレビをみて、夜に帰っていった。

下の子はまた今日も来ると言う。
今の私には、この日常がとても有難い。
会話の相手がいるだけで助かる。
政治や世間のニュースに関しても色々情報交換できる。

料理に関しても、普段は自分だけの超手抜き粗食なので
御馳走はできないけど、一応家庭料理らしきものを作る。
それだけで、普段なまけている脳には良さそうだ。

以前は毎日この何十倍もエネルギーを使っていた訳で
それがすっかり無くなった今は、楽になりすぎてどんどん自分がダメになっていく不安がある。
なので、こうやって定期的に誰かがふらっと来てくれたり
用事を頼んできたり、一緒に出掛けたりする機会があるのは救いになる。

かと言って、以前の様な生活には戻りたくないし、もう無理。
たまにだから今がちょうどいい。

そう言いながら、昨日は自分の中でショックな事があった。
母の話題になり、改めて正確な母の病名を聞かれた時、
絶対に忘れるはずの無い病名が全くでてこなかった。
人や物の名前をあれほれ、と思い出せないのは誰でも普通にあるあるで
そんな事は気にしない。

でも、母の病名は難しい言葉でもなく、いつも頭にあったので
全く思い出せないはずがない。
その前に、血液の癌で白血病のキャリアでとか説明をしていて
その流れでスムーズに出てくるはずだった。

え?何だったっけ、と言葉が出てこないことにパニックになった。
いつもの物忘れなら、ヒントは出てくる。
こんな感じの、あそこで見たあれ、みたいに。
この時、ヒントも何も出てこず、慌てた。
どうしたんだろうと不思議そうな顔で答えを待つ子の顔を見て益々焦った。

落ち着け自分、集中しようと思い、目を瞑って記憶を探ろうとした。
すると頭に浮かんだのが、空っぽの箱だった。
記憶の箱の中が空じゃないかとまた焦る。
あの映像は初めての体験だ。

箱を諦めて、今度は思い出すのではなくて、考える事にした。
血液の病気~白血球~リンパ球まで言葉が出てきた。
「リンパ球の病気だったから、そうリンパ腫!悪性リンパ腫だった」
とやっと思い出すことができた。

今は、病名は即出てくる。
これまでもパッと出てきていた。
昨日のあの頭が真っ白(記憶の箱が空っぽ)の体験は初めてだ。

自分の中では、思い出すまで、長く感じた。
実際はほんの短い時間だったと思う。
だから、子は普通の度忘れ位にしか思っていないだろう。
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実際ただの度忘れだったのかもしれないけど、もっと深刻な怖い感覚がした。
間違いなく老化現象と言えるだろう。
一人暮らしになると刺激が減ってくるし、こうやって衰えていくのだろう。

70歳の一人暮らしの方のブログで、
認知症にならない為に、また仕事を始めないとと焦っている人がいた。

確かに仕事をすれば、人と接したり、時間に縛られる生活は緊張感や刺激が得られて
身体も活動的になるし、お金も入るしで良い事ばかりに思える。

以前から働いていて途切れない人はただそれまでのルーテインを続けるだけ。
でも、一旦辞めて、のんびりとストレスの無い自由な生活を何年かしてきた人は、
新しい職場、人間関係、仕事に慣れるまでに、凄いストレスを抱えそう。
むしろストレスの方が強くて、健康を害してしまいそう。
人にもよるとは思うし、仕事の内容にもよるだろうけど
ちょっと前の、頑張れていた自分のままだと思わない方が良さそう。

人とおしゃべりしたい、友達を作りたい、認知症を防ぎたい、
などの期待を仕事復帰すれば解決できると思わない方が良い気がする。
(あくまで個人の考え)
また、そんな不安を持っている人に対して
急いで何か始めないとだめだと励ます周囲も良くない。

私も、今のうちに何か習い事やサークルを探そうかと思っている。
でも、まだ実行する気になれない。
楽しさよりもストレスになりそうだからだ。
とりあえず、今は話したくなったら子ども達や弟、友人と話せばいい。
認知症が心配なら、本や新聞、ネットで色んな情報を取り入れたり、
家の中で工夫する。

声を出したくなったら一人カラオケ。
車の中、家の中でも歌える。
貧乏なのでお金を使わずにどうにかやれる事をやる。

私みたいに人見知りで初対面の人と即親しく話せない、神経を使って疲れるタイプは
無理に外で何かやろうとすると、それがストレスになってしまう。
長い間、夫のストレスで心身共にくたびれた自分が
今やっとリセットできて、これまでのストレスを100とすれば、
今は10のレベルまで回復できている。

せっかく立て直した自分の精神を、無駄に傷つけたくない。
自分の本心に素直に従おう。
昨日の怖い体験が今後も続くようになり、これじゃやばいと思ったら、
その時に自分の生活をどう変えていくかを考えようと思う。