母が自分の最期を感じた時、自分の人生を振り返っていた。
”子育てに一生懸命だった頃が一番幸せだった。
最後まで子ども二人(私と弟)と毎日電話で話せたし、顔を観れて良かった、
それだけが心の救いになっている”と涙ながらに話していた。
私も同じ立場になった時、そう思うだろう。
私達には、夫との思い出が短期間で、振り回された嫌な記憶しかない。
別居期間が長すぎる上、ついには帰らなくなり、
同居していた頃の記憶も薄れ、存在を忘れつつある。
なので、私だけが子どもとの思い出を沢山持っている。
夫は、妻子との思い出は不要な人で
自分の子ども時代の思い出に執着している。
もう老人になりつつある年齢なのに。
人と会った時には、両親との思い出より、まずは今の家族の話になるものだ。
夫はそうではなく、常に自分の子どもの時の思い出を、熱心に自慢気に話す。
聞かれてもいないのに、得意気に昔はこうだった、
自分の親はこうだった、立派だったと
自分の子ども時代の事しか話さない。
かなり美化して、見習えと言わんばかり。
場はしらけるが、全く気が付かない夫。
全然自慢にならない普通の内容だけど、
自分は神童だったと思い込んでいるふしがあり、イタイ。
夫が人生の最期に心の支えになるのは、両親との思い出なのだろう。
(独身や子どものいない人では、それぞれ支えが違うのは当然で、
必ずしも子どもがいる事が当然と言う話をしている訳ではない。)
夫は、自分から家族の思い出を沢山残したいと熱心に語って結婚を迫っていた。
実際は、自分がいつまでも子どものままでいたい人だった。
責任感も持たず、誰かに甘えて楽に生きていこうとする人で、
結婚してはいけなかった。

一緒に家族で旅行しようと言えば、
「いいね行こう」と必ず口で言うけれど、
「ただし、費用をそっちがだすならの話」
と最後は言いだす。
”一緒に何かしたいなら、自分で払え”が条件なのだ。
結局お金が足りずにやめると、誘ったのに妻が行きたくないと言ったから行けなかった、
と話を作り替える。
妻は自分が断ったくせに夫が何もしないと文句を言う悪い奴、となる。
今でも、そっちに呼んでと言っても無視だ。
いまだに引っ越した事も言わない。
これだけで、家族に全く気持ちが無いことが証明できる。
孤独で哀れな末路になっても、それを自ら選んだことになる。
さっさと縁を切ればいいのに、切ろうとしないのは、
自分の為に利用する目的がある事もみえみえ。
おまけに、昔からカルトや詐欺、悪徳商法に簡単に騙される。
カルトや如何わしい物に自分から引き寄せられていき、お金を使う。
自分と同じ匂いを感じるのだろう。
デマや世界の終わり的な話、陰謀論好きなのも
自分の失敗は誰かのせい、
自分は人より優れているのに負け組なのが納得がいかない。
自分は何かの陰謀の被害者だ。
自分だけが悔しい思いをしたくないから世の中が滅びてしまえばいい、
と言う現実逃避的な幼稚な発想だと思う。
夫と似たようなタイプの人達が、世の中には沢山存在する。
気が付いてもらおうと忠告する人がいても
プライドが高く、馬鹿にするだけで聞き入れない。
人間として一緒にいたくない理由は、根本的なこういうところだ。