母は他の高齢者よりも、しっかりしていたし、
元々健康な身体だったのだ。
医師は「高齢者だから、手術中に何かあってはいけない、負担が大きすぎる」
と言って、最初から匙を投げ緩和ケアを勧めた。

母にじわじわと恐怖と不安で辛い日々を過ごさせる位だったら
手術をして、少しでも希望を持たせてあげた方が良かったのでは。
苦しんでいくのを見ていくのは可哀想で仕方が無かった。

こんな風に、もっとこうしたら、もっと良い方法があったのではと
思いを巡らせる事は残された家族には良くあることかもしれない。
別の方法をとっていても、やっぱり同じ様に何だかの後悔をしていたかも。

口内炎位で、自分は何を騒いでいるのだ。
口から食べたい物を食べられるって、本当に大事で幸せなことだ。

母は、腸に腫瘍ができていなければ、食事ができたはずだから
入院生活は気が紛れたかもしれない。
他の人が毎日3食配膳されているのに、母はお茶だけだった。
どんな気持ちだったろう。
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何の楽しみも無い、ただ終わりをまつだけの入院生活。
自分がそうなったらと思っても想像もできない。

緩和ケア病棟に移る時、母はもう希望を失って
かなり不機嫌になっていた。
点滴を指さして「これが私の食事よ。もう何も食べる事はできないのよ」と言っていた。
どうして自分がこんな目に?と怒りが湧くのも当然だし、
「気がおかしくなりそう」と毎日電話をかけてきていた。

私と弟に電話をする事でどうにか気持ちを落ち着かせていたのだと思う。
弟は会話を録音していた様だ。
私には留守電の声が沢山残っている。

母は元気で長生きした方だし、
病気になったのは寿命が来たからだと、最近は思える様になった。
自分は母の年齢まで生きられる自信も無い。

残酷に思えたが、母には覚悟を決める時間が与えられ、
私達に残す言葉も言い尽くして、最期は私が見送ることができた。
前日には、家族にお別れの言葉も言えて、最後は納得して逝った。
そういう終わり方ができたのは、幸せだったと思う。