朝の散歩は耳が冷たくなる日もあれば、
汗だらだらで家に帰ると、中が蒸し暑く、気分が悪くなりそうな日もある。
過ごしやすくなって、ウキウキする時期のはずなのに、
気象病になりやすい私の体質。計算が狂う。
午前中は頭が重く、立ち眩みも多い。
耳の不調もあって気持ち悪い。
でも、じっとしているより動く方が気が紛れる。
最近は、目の不調の方が気になっている。
ドライアイだけではなく、眼精疲労からの頭痛、
後部硝子体剥離からの飛蚊症、一番は調節機能の衰え。
薄暗い時間から夜の運転は、大事な用事以外は避けている。
暗い時間に歩くと足元がおぼつかなくなり、
早朝の散歩は、明るくなってから出る様にした。
公園にはいつものメンバーの姿がある。
サービス付き高齢者住宅が近所にあるのでそこの住民なのかもしれない。
「昨日は病院で会わなかったわね」「○○さんは、最近見ないけどどうしてるの」
など、お互いの様子を気にし合っている。
公園を1周した後、「どんぐりころころ」「学生時代」「ふるさと」など童謡や懐メロを合唱してから帰っている。
こういうのいいなあと思う。
母も病気を克服できていたら、こうやって仲間とリハビリを楽しめていたかもと残念になる。
その点父は、病気持ちではないから、通院はしていない。
定年後、スポーツを趣味にし、長い間その仲間がいたし、
同窓会にもよく出かけて、友人は多かった。
歳をとり、スポーツもやめて近所の人としか付き合いは無くなった。
友人は次々と病気をしたり亡くなり、母も近所の方もいなくなった。
皮肉なもので、長生きしている分、どんどん孤独になっている。(頑固さも原因)
持病で長く通院しているとか、デイサービスに通っていれば
話し相手もできて、逆に良かったのかもと思ってしまう。
母が入院中、父はサービス付き高齢者住宅に入りたいと言っていた。
が、いざとなると1人で気楽に家で生活したいと言い出し、
誰にも邪魔させないと頑固になった。
流石にいつまでも今の生活は無理だろうから、
いつかは施設のお世話になるだろう。
衛生面、栄養面、話し相手を考えると私は今すぐにでも入ってほしい。
気分が落ちこみそうな時は、ビートルズ関連の曲を聴く。
高校生の頃の通学バスの臭い、寒い日のコートの臭いまで蘇る。
そして同時に若かった両親の姿も浮かぶ。
必死で子育てしていた両親が、充実していて幸せだったであろう頃と
ビートルズを聞いていた自分の思い出が重なる。
母は「あの頃が一番自分が頑張ってた時だと思う、幸せだった」と亡くなる前に話していた。
こんな事ばかり考えずに、もっと明るい話題を書きたいけれど。
早く季節の変化に慣れなくちゃ。