ミニマフラーも編んでしまった。
海外ドラマを吹き替えで声だけ聴きながら同時進行で編んでるとあっという間。
自分の好きな色の糸が無くて、
地味な色ばかりなので出来上がりはいまいち。
残り糸の処分が目的なので、それを気にしたら意味が無いけど。
次は何を編もうかと悩む。
もっと上手なら小物を編んで人にあげられるけど
下手すぎて、編み方にもムラがあって、簡単な模様しかできないから
結局家の中のゴミ?化してしまうかも。
糸のままで長年押し入れに置いたままよりは、
何か形になっている方が整理しやすいかと思ったけど。
これから寒くなったら、家で自分用に使うしかない。
ネックウオーマーは寝る時にも使えそうだ。
帽子も冬の寒い朝のウォーキング時に使おうかとは思っているけど。
どうなることか。
大きなストールを編もうかとも思ったけど、
母の形見のストールやスカーフ類が沢山あるのでいらないかな。
母は編み機を使っていたが、プロだけあってカギ編みも上手だった。
私が最初の出産で帰省した時、赤ちゃんのケープを編んでほしいと頼んだ。
母は当時はもう編み物の仕事はやめており、
時間に余裕もあったので、喜んで編んでくれた。
白いふわふわの羊毛で赤ちゃんをすっぽり包み込める可愛いケープが出来上がった。
それは下の子にも使い、大事に保管している。

何をするにも、最近は今の自分と同じ年齢の頃の親を想い出し、比較してしまう。
私は孫にケープすら編んであげられないだろうし、
お金で助けてあげることもできない。
頼りない母親で申し訳なく思う。
ただ、(今のところは)母みたいに何かにつけ夫や子にすぐ頼らない。
毎日子どもに電話をして同じ愚痴を延々と吐き出したり、
自分の思い通りにコントロールしようと強い口調で指示したりはしていない。
そういう嫌だった事は反面教師にしてきた。
人格の歪んだ人と結婚してしまった事は悔いが残る。
子ども達に心配の多い生活をさせてしまった事は親失格だったと思う。
私がいくら頑張っても、夫が足を引っ張るならどうしようもない。
子ども達にとって救いだったのは、祖父である私の父によく接していたこと。
父親失格の例を見て育つより、
祖父を父親のモデルとして見る事ができて良かったと思う。
子ども達は、大人になった今でも、本来なら父親(夫)に語る様な事を、
ねえ聞いて、みたいな風に祖父である私の父に話している。
両親には、色々理不尽な差別も感じ、不満も多かったし、毒親な面も感じた。
それでも恵まれていた。
両親にすればできるだけ娘と孫を助けようとしてくれていたのだと
今になってしみじみわかるし、感謝している。
そろそろ父の顔を見に行かなくてはと思う。