今日も朝から編み物三昧。
編み方が雑なのはわかっているが、
編むことに意味がある?みたいな?誰かへのプレゼントでもないし、
と気楽にやっている。
ネットフリックスのドラマの声をBGMにしながら‥楽しい。
母は編み物のプロだった。編み物教師の免状も持っていた。
当時の流行りに上手く乗って自分の技術にした母。
残り糸でジャケットスーツも編んでいた。
当時、実家は貧しかったので、仕送りの少ない学生時代は、夏はサマーヤーンで、
冬は純毛でセーターやニットスーツを編んでもらえたのは助かった。
残り糸を使い、服を買うお金も節約できて、
私も喜ぶし、母は満足気だった。
オーダーメイドで、使用糸も良質な物をほぼタダで作って貰えるのだ。
普段、安い服しか着ていなかった私は、プロの母の編む二ットは友人から羨ましがられ
堂々と着ていられた。
デザインも、私が描いたものに母が手を加えて、
ほぼ希望通りに編んでもらえた。
当時から、その価値はわかっていたし、母には素直に感謝を伝えていた。
弟は正反対で、価値がわかっておらず(同じ物を買うなら〇万はしていた)
亡くなる1年前、母の編んだセーターを、全部まとめて母の目の前で捨てようとした。
母は裏で私に愚痴り、弟には黙っていたので、弟は何もわかっていない。

弟が捨てようとしたセーターは、もったいないので、
私が貰って、家で着る事にした。
シンプルなデザインなので、性別関係なく着れる。
古い物でも、全くそうは見えないし、とにかくウールだから暖かい。
捨てる位なら、部屋着にすればいい。
我が子達も、ウールなのでおさがりでも喜んで着る。
その時の私の行動に、母は泣いて喜んだ。
「私の形見になる物なのに、大切にとっておくという気持ちにはならないのだろうか」
としきりに「私の形見」と口にしながら、陰で弟に腹をたてていた。
あの時、抗がん剤で治療中で、もう自分は先が短いと感じていたのだろう。
弟は、全く悪気が無く鈍感なだけなのだ。
なのに、ストレスにはかなり弱い。繊細かと思えば人に対しては鈍感。
何かずれている感じだ。
今は亡き奥さんとは、その点が相性が良かったのかもしれない。
母が、私の下手な編み物を見たら苦笑いしそうだ。
でも、けなす事はなく「楽しければいいのよ」と言う気がする。
最近の私の生活は、引きこもりに近い。
会いたいねと言いあっている友人もいるのに、
何故か、今は気が乗らない。
今は家で1人で好きな事をして過ごしていたい。
春になれば、気分は変わるだろうけど。