昨日はまた実家の夢を見た。
夢なので、場面が滅茶苦茶で未来だったり今だったり。

最初のシーンは実家がとうに無くなり、
違う家に変わっていた。
かと思えば、寒いから部屋を暖かくして、父の食事を用意している場面に変わる。
そのシーンの実家はとても綺麗で広い。
たまに若い頃の両親が出てきて、にこやかで幸せな家庭だったり。

最後は、今の実家にいるシーン。
父が留守で、今のうちに母の形見を持ち帰ろうと急いでタンスをあせる夢。
タンスをあけたら、母が使っていたポーチが沢山あり、
中を見ると、色んな物が入っていて、母がまだそこにいる気になる。

目が覚めたら、悲しくなった。
もう悲しみは乗り越えたと思ったのに。

以前も書いたけど、ずっと一緒にいた人がいなくなった後の喪失感は、
その人と過ごした過去の自分への喪失感でもある。
依存していたなら、尚更引きずる。

私は、母の女性としての生き方を考えてしまう。
幼い頃に、経済面と、父に対して苦労していた姿が今になって蘇る。
母は、幸せな人生だったのだろうか、とか、
私同様、子どもを必死で育てる事を生きがいにして耐えていたのだろうかとか。

私に比べれば、結婚生活は幸せだったよねと思ったり、
母が病室のベッドで、孤独に色々自分の人生を振り返っていた事を思い出した。
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最後まで頭がしっかりしていて、
毎日子ども(私と弟)と電話で話し、
私に後の事を託し、納得して旅立てたのは幸せな終わり方だったと思う。

でも、コロナ禍で見舞いがなかなかできず、
本人は、回復できると信じていたのに、二度と帰れないと知り、
心も身体も日に日に苦しんでいくのは残酷だった。

最後まで、意識がしっかりして話ができるのは良いけれど、
その分苦しみ、悲しみを感じてしまうのは嫌だ。
苦しみを認識しない代わりに意識が無くなったり、
認知症になるか、突然〇か、…どっちも嫌だ。

緩和ケア病棟は、想像と違っていた。
無理な治療をせず、最後の最後は、鎮静の処置で静かに旅立つ。

だが、そこまでいくのに、苦しみからは逃れられない。
緩和ケアだから、苦しまずに最後まで過ごせると思っていたが
そうでは無かった。
母が楽になるなら、もう苦しませないでと願ったし、
本人も医師にそう訴えていた。
そこまで苦しまないと終われない時もあると知った。
自分に置き換えてしまい、怖くなった。

あの世があってほしいと願ってしまう。
おそらくその方が、またあの世で会えるとか、
あの世から見てくれているとか、メッセージがくるとか、
そう思いたいからだ。
現実には無いのだろうけど。

そんな、久し振りに寂しさを感じた朝だった。