子ども達は、休日になると交互にフラッと泊まりに来る。
私は1人暮らしになってから、寝る時間が早くなり、
その分朝早くに目が覚める様になった。
お年寄りの生活リズムそのもの。
誰かが泊まりにくると、
そのリズムを相手に合わせようと思うから、
最初のうちは変に緊張している。
少し前までそれが当たり前の生活だったのに
あっという間に、生活リズムは変化する。
遠慮のいらない家族なのだし、
食事の準備をしたり、あれこれお喋りしていると
緊張はすぐに取れる。それ以外はお互い好きに過ごす。
(少しでも居心地良くしようと思うのが緊張に繋がるみたいだ。)
夜、誰かが家にいると思うと安心して眠れる。
先日、お弁当を作って、子が帰る時に持たせた。
いつもはそんな事はしないけど、ちょっとお遊び的な感じで。
久し振りに高校生弁当を思い出した。
長い間、お弁当を作り続けていた事が信じられなく思えるほど、今は気力が無い。
朝、5時半に起きて作って、朝食を食べさせてそれぞれを送り出し、
仕事に行く生活、今ではもうできない気がする。
体力、気力が持たない。
お弁当のメニューを毎日考え、食材を買うのが大変だった。経済的にも。
物足りなかった事だろう。我慢ばかりさせた。
でも母同様「あの頃が一番楽しかった、あの頃の自分が好きだ」
と思える日が来るとしたら最高の幸せだ。

久し振りに子どもにお弁当を作るのは面白いし、
刺激になって良かった。
特に末っ子は、小さい時からお弁当への想いが強く、
お弁当=親の愛 を感じている様に思えた。
あえてそれを私は口にしないできたし、本人は自覚していないと思う。
反抗期で荒れていたり、落ち込んでいるのかなと思った時に、
休日で家にいても、昼食をあえてお弁当にして一緒に食べたりした。
効果てきめんで、笑顔になっていた。
我が子にとっては、お弁当は癒しの薬になっていたと思う。
今はどうかわからないけど。
親が作った弁当だからではなくて、料理を人に作って貰う有り難さや
食べ物を大事にする気持ちを持ち続けてくれたらいいなと思う。
今回は、子どもの為にと言うよりも、
私の喜びの為に付き合ってもらったというのが真実なのだ。
こんな事ができるのも今のうちだけだろう。
そのうち、泊まりにも来なくなると思う。
それが当然、そうでなくてはいけない。
自分は、どんなに厳しい時期でも、生き方を迷った時も
「子どもの事を最優先に、一番に考えれば間違うことはない。」
と思う様にしてきた。
自分の事を一番にしてしまうと、
その場は一時的に楽な気がするかもしれないが、
必ず、後からその時犠牲にした何かの歪みが自分に返ってくる気がするのだ。
(夫は問題外。)
あくまでも私個人の考えに過ぎない話。