母の重い病気がわかった時、母から電話で言われた。
「私は重い病気みたいだわ。今日医師からあの子(弟)に説明があったみたい。
可哀想に、母親が病気と聞いてショックを受けてるわよね、
ああ可哀想に。今頃、落ち込んでいるだろうねえ。あの子に余計な心配かけてしまったわ」
思わず、私は「え?私もあなたの子どもだけど。可哀想じゃないの?」と口走った。
それでも母は??という反応で、意味が理解できていない様子だった。
重い病気で先が短いと知り、母自身、相当辛いはずなのに、
息子の気持ちを心配する母。
小さい頃から息子の気持ちばかり配慮して、娘の気持ちは想像もしないし、
どうでもよいという長年の習慣?がそのまま表れていた。
世間体の悪い行動をする私の夫を軽蔑してはいたが、
弟は嫁の尻に敷かれて可哀想、私には悪い男に騙されたあなたが悪い、と言う。
恥かしい娘だからと、他人のふりをさせられたこともあった。
私は弟に母の表裏を全て話した。
弟がたまに母にちくりと注意すると、一瞬慌てるが態度が変わる事は無かった。

母が病気になってからは、それまでの気持ちは一旦忘れ、積極的に母と話す様にした。
皮肉なもので、寿命を意識した母は、
次第にまともな事を言う様になり、俗っぽい計算や世間体や差別意識も消えていた。
本当に、仏様に近づいていってた気がする程だ。
言葉使いも綺麗になっていた気がする。
私への態度も自分の人生と重ね、
女性の生き方として共感し、まるで同じ年の友人と話している様だった。
変なフィルターが外れ、真実が見えたかのように。
自分の人生を振り返りながら、20代に戻った様な、別人のような、
何でも素直に私に話す日が続いた。
亡くなる日が近づくにつれ、弟に不信感を持ち始め、
息子と話があわないと言い出し、自分は間違っていたと言い出した。
私にだけ電話をかけてくるようになった。
「大丈夫だから、心配しないで」と何度も慰めた。
「私はもうダメかもしれない」と言う最期の電話も私にかけてきて
私一人、病室に泊まった日の夜明け前、
結果的に、私一人で看取ることになった。
あの時の幸福感は悲しみを超えていた。
理想的なお別れが出来た様な、満足感があった。
自分にとって、二人の母がいた。
毒親的母と亡くなる前の良き母。どちらも記憶から消えない。
暇な時間ができる度に、思い出す。
今までずっと母の電話の相手で、こんなゆったりした時間は無かったなあ。と。
そして、生れてからこの歳まで続いていた説明のつかない嫌な感情がぷつっと消えた。