家族連れで年末年始やお盆には実家となる我が家に来ることだろう。
殆どの人は、そんな未来を夢見てるのかな。
私は、想像しただけで正直しんどそうと思ってしまう。
自分一人で全員の接待?をする気力、体力、経済力を持ち続ける自信がない。
夫は自分が接待される事しか頭に無いし、
そもそもその頃には縁が切れているかもしれないし、
同居していたとしても、言い訳をつくって避けるだろう。
これまで同様、全部私に押し付けるはずだ。
一般的なご夫婦で、御主人がお孫さんたちを歓迎しているお宅をみていると
それがどれだけ幸せで、立派なことであるかを感じる。
そして自分の両親もその点では模範的だった。
弟家族との差別が酷かったのを除けば。
行けばご馳走を出してくれて、孫と遊んでくれるお爺ちゃんがいたというだけで
私の結婚生活よりましだ。
帰省した娘の私を家政婦の様に扱い(言葉使いが酷かった)
弟夫婦を接待させるような最低の母だったが。
訪問者に対しては、歓迎する気持ちを表し、良く動いていた。
父のおかげで経済的に私よりははるかに豊かだったのが大きい。
帰省する度、私が不機嫌になって帰るので、
後から孫にお小遣いを渡して誤魔化す母だった。
私に嫌われると利用する相手がいなくなると焦っている様だった。
父に頼りきり、専業主婦だった母は、
思い通りの家庭を築き、幸せな老後を過ごしたと思う。
父へのストレスはあっただろうが、真の幸せに気が付いていなかったのかも。
父が元気で働いてくれたからこそ、私はきちんと進学させてもらえたと思う。
もし、父が途中で亡くなっていたら、母は私をもっと差別しただろう。
女だから学問はいらないと言って、働かせただろう。
自分の思い通りにコントロールし、弟だけは立派に育てたいと
同じ子でも正反対の育て方をしただろうと常に予想していた。
父の方がむしろ学業に関しては理解があり、
女は外に出るなという母とは違い、
行きたい学校に行っていいと言ったのは父だった。
ただし、学業だけだ。他は差別意識がある偏った考えを持っていた。
母が亡くなる直前に、嫌な面が消えて別人のようになったのは救われた。
母に会いたいと思う時は、亡くなる前の心の綺麗な母だ。
嫌な思い出も多く、二人の母がいる。
どっちも母なのだ。

自分は将来どんなおばあちゃんになるのだろう。
無理に結婚しなくてもいい、子どもがいなくてもいい、生き方は自由だと子ども等には言っている。
お婆ちゃんになるのが夢だとか、早く孫がほしいとか、
親孝行の為にとか、
自分が母に強要されたような事は、絶対思わないし言わない。
むしろ逆で、このまま1人で気楽に過ごしたい。
正月もお盆も無理して挨拶に来なくていい。
堅苦しい配慮は無しで、来たい時に来て、お互い気楽に過ごそうよ、
と子供達には言うつもり。
法事とか大事な用の時は別だけど、
休みなのに、男性達の接待で女性は台所で動いてばかりなんておかしい。
正月、お盆が憂鬱になる馬鹿らしい風習は止めよう。
自分がやりたい、と思う人はどうぞお好きに。
〇の仕事と決めずに、皆でやればいい。
普段自分のやるべきことをやらないで
「これは女がやることだ」とふんぞり返る夫や
全てを他人や夫に押し付けて何もしない女性が「男も家事をやるべき」と
言っているのは問題外だけど。
自分は、今はまだ子ども達が帰って来た時は、
お世話?をする気持ちや体力はあるし、当たり前だけど楽しい。
結局は健康で動けることに尽きる。
子育てから逃げた夫には、こういう場面も経験が無い訳だし
想像もできないだろう。
いつまでも誰かを利用し、甘えることしか頭にない。
子や孫を愛おしむ気持ちが皆無。
家庭の価値がわからず、小銭で自分の食べたい物、
買いたい物を買う方が幸せな人。
人格の歪みは悪化はしても良くなることはない。
戦時中、日本が他国にした残酷な事を思えば、
理解できない非道な事をする人は普通に存在するのだろう。