夜なかなか寝付けない時は、YouTubeで眠りを誘う癒しの音楽を聴きながら寝る。
最初、聴いた時は少し怖かった。
何故か、母を看取った場面が蘇ってくるのだ。
病室は薄暗いライトでほの暗く、
弱くなる母の呼吸をじっと見ていた。
紫色の様なきらきらした色の光に包まれて、
幻想的な音楽が流れていた様な、
厳粛で綺麗な光の中にいたようなイメージが残っている。
実際にはただの病室で、そんな事は無かった。
が、思い出すとその映像と音楽があったかのような気がするのだ。
癒しの音楽がその時の音楽に似ている。
だから、母を見送るシーンが何とも言えない幸せな美しい体験に感じた、
別れのシーンだったのに、号泣もせず、涙は少ししか出なかった。
母がこの世を卒業し、次の世へ旅立つのを
「お疲れ様、よく頑張ったね」と見送ったような気持ちだった。
(私の妄想だと思っているから誰にも話していないが、
あの時、病室の天井の角から強い視線を感じた。
怖くてそっちの方を見なかった。
誰かが見ている気がして、自由に動けなかった。
今思えば、馬鹿馬鹿しい、もっと好きに動けば良かったのに、
角をじっと見て、何も無いのを確認すれば良いだけのこと。
と思うのに、あの時はそれができなかった。
自分も変な精神状態になっていたのかも。)
あの時より、今の方が寂しさを感じる。
不思議なのは、母を見送る前後の記憶が部分的に飛んでいること。
病室に泊まる事になって、夕方部屋に入ってすぐに
子どもから電話がきて、話をしたことも忘れていた。
母が亡くなってから、葬儀までの行動も部分的にしか覚えていない。
徹夜だったのに、眠気もなく元気だったことだけ覚えている。
あれから時間が経ち、思い出す事も減って来た今、
癒しの音楽を聴くたびに、あの病室が蘇ってくる。
そういう別れができるというのは、幸せなことだ。
事故や事件で悲惨な別れをするのは不幸で残された人にとっても辛い。
安倍元総理が亡くなって1年。
あの時、思ったのは
「ベッドの上でなくて、汚くて冷たい外のコンクリートの上に倒れ、亡くなるなんて気の毒すぎる。」
だった。
家族に見守られてベッドの上で静かに息を引き取るのは
誰でも望む事だけど、なかなかそうはいかない場面があるのは辛い。
元気なうちは、自分の去り方は誰にもわからない。
だから怖いのかも?