無事帰宅した。
移動時間が長く、暑さで疲れた。でも、行ってよかった。
弟は忙しそうで、夜帰りを待って訪問した。
気になっていた弟嫁のお参りができてホッとした。
仏壇の周りには写真が沢山置いてあった。
弟と奥さんと二人、仲良さそうに並んだ写真もあった。
弟が沢山ある中から選んで印刷しているので、弟自身の中で
楽しかった時、奥さんが幸せそうにしているもの、
自分の好きな奥さんの表情の物なのだろう。
全て家族旅行した時の笑顔の写真ばかりだった。
私は、絶対夫の写真は飾らない。
というか、見たくなくて夫の写真は捨てたかも。
最初の頃しか写真も無いし、思い出はほとんどないし
そもそも夫との思い出なんて後悔の記憶しかない。
その点、弟は結婚には後悔してなかったのだなと感じた。
弟は、奥さんがいなくなって初めて、存在の大事さに気が付いたという印象。
ご主人を早くに亡くした友人は多いのだが、
「元気な時はこの野郎、と思っていつも文句ばかり言ってたけど、
いざいなくなると、大事な人だったと思い知らされた」
と語る人がいた。ほとんどの夫婦はそうなのだろう。
長年、別居して苦労させられた友人はそんな事は言っていないが。
私もそんな事は絶対思わないと思う。
同居と別居の違いもあるかもしれない。
一緒に暮らしてきたという日常を突然失う事のショックと空虚感が襲うのと、
長く離れて暮らして、二度と会いたくないと思いながら1人で暮らしてきた人とは
感じ方が違うのは当然だ。冷たい様だけど、そこまで追いつめた方の自業自得で仕方が無いかも。

気になったのは、遺影の写真だ。
何でこれにしたのと言いたくなった。
「これが一番最後に写したやつだから」と言う。
弟は、写真はよく写すし、印刷して飾るのが好きなのだが
下手すぎるのだ。画質は悪く、表情も考えず無造作に撮る。
綺麗に構図を考えて写そうとか全く考えていない。
写ればいいんでしょというレベル。
だから、自分だったらこんなの人に見せないでと言いたくなる写真を
平然と壁に飾ったりする。
母も、弟に撮影を頼むとおかしな風に写され、
それを勝手に大きく引き伸ばして飾られるのが嫌だが、文句も言えないと愚痴っていた。
記念写真を撮っておきたいと、私に撮り直しを頼んできた。
結局私が撮り直した物が気に入り、遺影に使ってほしいと言われその通りになった。
抗がん剤で脱毛した頭では嫌だと言う母に、
弟夫婦は、そのままでいい、と母の相談事はいつも冷たく流していた。
そんな頭でやつれた顔の母の写真を撮り、
それを遺影にすればいいと弟は母に言い放ったのだ。
こんな姿の自分を人に見せたくないと私に愚痴った母。
私は、ウイッグを買って送り、母を我が家に呼びよせ、着物を着てもらい、
お化粧をしてあげ、母が一番綺麗に見える様に沢山写真を撮った。
これが母の最後の写真と旅行にもなり、あの時は本当に嬉しかったと最後に言ってくれた。
せめてもの親孝行になったかも。結婚では親不孝しかしてこなかったから。
弟が奥さんの遺影に選んだ写真にはびっくりした。
弟らしい鈍感さというか、何も変わってないなあと思った。
そういう点では、似た者夫婦だからうまくいっていたのだなとある意味良かったともいえるが。 続く