筍を湯がいたものを沢山いただいた。
さっそく、煮物と筍ご飯を炊いた。
残った分は小さく切って、だし汁に浸けて冷凍した。

今まで長い間、子ども達の為や、実家でも料理を作るのが当たり前だったのに
もう自分の分だけ作ればいいので、食材が少しで済む。
気を抜くとすぐいい加減になる。
誰かの為に、栄養を考えて作る行為は、
実は自分の為になっていると思う。
料理は脳トレになる。

子育て中、疲れている時は手抜きだったけど
なるべくお金をかけず、かつ栄養を偏ることなくお腹いっぱいになるように気を付けた。
自分が子ども時代、ご飯が美味しいと楽しみにしている子では無かったので
我が子には、せめて美味しく食べてもらい、
食べる事を楽しみにしてほしいと願っていた。

私の育った家庭が食に関して最悪だった。
母は料理下手で、父は戦時中の意識が強く、贅沢は敵、
栄養に無知で、食べられたらいいと言う考えで、
食事の時間が苦痛というありえない成長期を過ごした。
経済的な理由もあっただろうが、工夫も味付けも全く手抜きだった。

大学で親元を離れた後から、食事が美味しく感じ、
反動で好きな物ばかり食べて太って
 お袋の味が恋しい~なんて感じる事もなかった。
弟も同じだった。
ellycollection048_TP_V

今もあまり母の料理の味を思い出せない。
母が病気になる1年前に、その気持ちを伝え、
母に料理を作って貰ったことがある。
「お母さんの料理ってどんなだったか、思い出せない。」
と言ったら、はっとした母は私の為に初めて?ご馳走を作った。
美味しかった。その料理は写真に残してある。

あの時の母は、歳をとり、自分の子育てについて後悔する気持ちもあったのかもしれない。
(あとになって悔いるもの、それが子育てというもの。)
学生時代から帰省すると、冷たい口調でいつも私に食事を作らせていた
意地悪?な母だったから。それを後になってから後悔していたのだろうか。

成長期に、ご飯を食べない私は、小さくやせ細り病気をよくしていた。
近所の人から母は、ネグレクトかと陰口をたたかれていて悩んでいた。

なので、私は料理にコンプレックスがあり、どうにか自己流で覚えた。
責任を感じたのか、私の為に母が買いそろえた料理本は、
お菓子作りにしか使っていない。
今はネットがあるし必要なくなった。

当たり前だけど、お金が無ければ美味しい料理を作るのも限界がある。
肉、魚、果物、野菜、調味料、何でも良質のものが美味しいに決まっている。
自分だけなら、たまには良いお肉を買って食べたりできる。
子育て中はそうはいかなかった。
美味しいお肉を食べさせたくても、
人数分買う余裕もなく、安いものしか買えなかった。
それでも、子ども達は喜んだ。

自分一人、今になって高い物を食べても
あの頃の事を思い出すと、申し訳なくなってしまう。
今は、子ども達の方が自分の稼ぎで美味しい物を食べている。
そして「母親にも食べさせてあげたいな」と思う様だ。

子ども達が、美味しかったから連れていくよと言って来たり、
名産などをお土産に買って来たりするのは
今も私が我慢しているに違いないと思い込んでいるのだろう。

確かに貧乏には変わりないが、自分は充分幸せだ。
自分も結婚するまでは、自由にお金を使い、楽しい思いもして
贅沢な体験もしたから、それで満足なのだ。

嬉しさを超えて、本当に申し訳ない、と涙が出てきてしまう。
それが親冥利につきるというものか。

夫に我慢を強要されたくはない。
家族を奴隷と思い込む奴は問題外。
自分の生き方は自分の意志で決める。