筍を湯がいたものを沢山いただいた。
さっそく、煮物と筍ご飯を炊いた。
残った分は小さく切って、だし汁に浸けて冷凍した。
今まで長い間、子ども達の為や、実家でも料理を作るのが当たり前だったのに
もう自分の分だけ作ればいいので、食材が少しで済む。
気を抜くとすぐいい加減になる。
誰かの為に、栄養を考えて作る行為は、
実は自分の為になっていると思う。
料理は脳トレになる。
子育て中、疲れている時は手抜きだったけど
なるべくお金をかけず、かつ栄養を偏ることなくお腹いっぱいになるように気を付けた。
自分が子ども時代、ご飯が美味しいと楽しみにしている子では無かったので
我が子には、せめて美味しく食べてもらい、
食べる事を楽しみにしてほしいと願っていた。
私の育った家庭が食に関して最悪だった。
母は料理下手で、父は戦時中の意識が強く、贅沢は敵、
栄養に無知で、食べられたらいいと言う考えで、
食事の時間が苦痛というありえない成長期を過ごした。
経済的な理由もあっただろうが、工夫も味付けも全く手抜きだった。
大学で親元を離れた後から、食事が美味しく感じ、
反動で好きな物ばかり食べて太って
お袋の味が恋しい~なんて感じる事もなかった。
弟も同じだった。
今もあまり母の料理の味を思い出せない。
母が病気になる1年前に、その気持ちを伝え、
母に料理を作って貰ったことがある。
「お母さんの料理ってどんなだったか、思い出せない。」
と言ったら、はっとした母は私の為に初めて?ご馳走を作った。
美味しかった。その料理は写真に残してある。
あの時の母は、歳をとり、自分の子育てについて後悔する気持ちもあったのかもしれない。
(あとになって悔いるもの、それが子育てというもの。)
学生時代から帰省すると、冷たい口調でいつも私に食事を作らせていた
意地悪?な母だったから。それを後になってから後悔していたのだろうか。
成長期に、ご飯を食べない私は、小さくやせ細り病気をよくしていた。
近所の人から母は、ネグレクトかと陰口をたたかれていて悩んでいた。
なので、私は料理にコンプレックスがあり、どうにか自己流で覚えた。
責任を感じたのか、私の為に母が買いそろえた料理本は、
お菓子作りにしか使っていない。
今はネットがあるし必要なくなった。
当たり前だけど、お金が無ければ美味しい料理を作るのも限界がある。
肉、魚、果物、野菜、調味料、何でも良質のものが美味しいに決まっている。
自分だけなら、たまには良いお肉を買って食べたりできる。
子育て中はそうはいかなかった。
美味しいお肉を食べさせたくても、
人数分買う余裕もなく、安いものしか買えなかった。
それでも、子ども達は喜んだ。
自分一人、今になって高い物を食べても
あの頃の事を思い出すと、申し訳なくなってしまう。
今は、子ども達の方が自分の稼ぎで美味しい物を食べている。
そして「母親にも食べさせてあげたいな」と思う様だ。
子ども達が、美味しかったから連れていくよと言って来たり、
名産などをお土産に買って来たりするのは
今も私が我慢しているに違いないと思い込んでいるのだろう。
確かに貧乏には変わりないが、自分は充分幸せだ。
自分も結婚するまでは、自由にお金を使い、楽しい思いもして
贅沢な体験もしたから、それで満足なのだ。
嬉しさを超えて、本当に申し訳ない、と涙が出てきてしまう。
それが親冥利につきるというものか。
夫に我慢を強要されたくはない。
家族を奴隷と思い込む奴は問題外。
自分の生き方は自分の意志で決める。