以前、ご近所の高齢の未亡人に会う度に
いつも言われていたことがある。
「ご主人を大事にしてね。あんな奴嫌いだ、と思っていても
いざいなくなるととても寂しいものよ。もっと大事にすれば良かったと
後悔するわよ。遺族年金で暮らしていけるのは旦那様のお陰、と感謝しているの」

この方のご主人は、とてもまともな方だったのだろう。

うちもそういう夫であれば、その話を少しは気に留めたと思う。

(前提が違うのよ。)
と内心思っても、いちいち説明する必要もないし、
わからない人には、あなたの我慢が足りない、と
お説教されるのも嫌だし、
黙って、ハイと答えていた。

「コノヤローと思っていても、いざとなると、そんな気持ちは消える」
普通のまともな夫婦関係ならそうだろう。

コノヤローの意味が違う。

家族を不幸にする夫を大事にしたら、もっと被害が広がる。

年金もわずかで、全然助けにはならないだろうし、
夫のお陰、と感謝するようなものは何も思い浮かばない。
子どものことは別。
逆に後始末をさせられ、迷惑をかけられると思う。
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夫のように、嘘の薄っぺらな優しさで、誤魔化されるよりも、
愛想が無くてもいい、やるべき事さえきちんと
やる人ならそれでいい。
信頼が基本にあってこその感謝だ。お互いに。

義務も責任からも逃げ、平然と好き放題やっている人が
いなくなっても何も感じないと思う。
むしろ、心が解放されるだろう。

世間には、「夫婦はこうあるべきだ。」
「お互いに我慢し、感謝しあおう」とか、
うまくいくコツをご指導する人がいる。

それは、二人共、きちんとやるべきことをやっているのが前提。
そうじゃない夫婦にいくら指導しても意味が無い。
逆に、どちらかが更に被害に遭い、事態が悪化する。

虐待を受けている子どもも同じ。
「親に感謝しましょう。親孝行しましょう。」
みたいな事が学校で指導されてきた。
益々、子どもは被害を訴えにくくなり、事態は悪化する。

昔から私はこういう親孝行や感謝の強制には抵抗を感じていた。