何でもネットで調べる事が出来る世の中になり、
助かっている。
離婚届けをお役所に貰いにいくのが、
結構気が重い。
受付に自由に取れるように置いてあればなと思うが
そういう所、見た事が無い。
離婚届けくださいと窓口に言うのも、
周囲に聞こえるような小さい出張所とか、
特に神経を使いそう。
あくまで協議離婚の場合だけど。
今もそうなのかなと思い、調べると
ネットでダウンロードできるようだ。
ただし、大きさがA3指定なので、
家のA4 のプリンターで印刷後、コンビニなどでサイズを変更してコピー
して使えばよいとあった。
場所によっては、制限もあるかもしれないし、
いざとなったら、自分の市町村のHPで確認してからやろうと思う。
毎日、何枚位、提出されるのだろう。
お役所の人は、慣れているのだろうが
自分とっては、人生が変わる大事な紙切れ。
扱いにも緊張するだろうなあ。
思えば、婚姻届けは雑に扱かった気がする。
事務的で、何の感動もなく。
親族の1人に、結婚してすぐ、家を飛び出し、
子どもも1人で産んで、育てた伯母がいる。
昔の女性だけど、仕事を持っており、
経済的には全く困らなかった。
だからこそ、すぐに家を出られたのだ。
妊娠していたにもかかわらず、出たのは、
かなり辛い目にあったからだと思う。
昔の女性は、私の母を見ていてもわかるが、
結婚したら仕事をやめ、専業主婦になるのが当然だった。
今の様に、便利な時代じゃないし、
そうしないと、仕事と家事、育児の両立は無理だったろう。
仕事をしたければ、全部完璧にやれみたいな
女性差別もあって、昔の女性は苦労が多かったと思う。

母もいつも言っていた。
「離婚できる人は、仕事をもっててお金があるから」
「お金さえあれば、離婚してる」
と、愚痴っていた。父が仕事をさせなかったから。
叔母は、当時の女性にしては、意志の強い人で、
プライドも高かったから、
すぐに方向転換できたのだろう。
子どもの為に、と籍は抜かず、別居と言う形にして
形だけ、両親が揃っているということにしていた。
名字が変わるのも嫌だったそうで。
今より、離婚に対する偏見が強かった時代だからか。
誰にも頼らず、仕事をしながら子どもを育てていくのは大変だったと思う。
従弟も、留守番が多く、寂しかったり、
愛情に飢えていたのだろうか、
叔母の老後は、親子関係で心労が多かった。
そんな中、警察から電話が入り、
戸籍だけの夫の孤独死の連絡があったそうだ。
戸籍上、妻子なので、
家族として引き取り、葬儀もやったという。
別れて以来、お互い全くの音信不通で、
再会したのがそういう形。
長い間、全く他人同然だったのに、
こういう時だけ、突然現れ、身内だと主張し、
葬儀を仕切り、夫の世話をしてきた親族には挨拶もなかったそうだ。
財産を相続した後「これで、あなた方とは縁をきります」
と言って、去って行った伯母親子に、
夫側の親族は怒っていたそうだ。
法的には、間違ったことをしていないが、
人として、どうだったかなと感じた親族の人も多かったそう。
続く