植物が元気になる季節。
小さい株でもらったものが、年数が経ち大きくなり、
剪定した枝を捨てられず、土に刺して増やして~で、
植木鉢が増えて来た。

薔薇の花は、長年大きくのびている枝を剪定するたび、
植木鉢に刺している。

そのうち、今年は1本が生き残り、綺麗な花を咲かせている。

母から分けてもらった花も元気だ。

母が大事にしていた植木鉢の花の数々、父が全て枯らしてしまった。
ずっと気にしていたのに、残念だ。

母は、そういう父の冷たさに失望していた。

私が実家にいる間は、意地でも枯らさないように世話をした。
母ががっかりしないように。もう見る事もないとわかっていても。

でも、結局は父と兄が、水やりが面倒臭いと言い、処分した。

面倒くさいなんてありえない。
2人共、暇じゃないか。
弟は、自宅の広い庭で植物を沢山育てているのに。
意地でも実家の世話はやりたくないようだ。

何故、母が大事に育てた花を捨てるかなあ。

そういう所が、父と兄は似ている。
その二人に軽くあしらわれた母の気持ちが今わかる。

救いなのは、捨てられた花の一部は私の家で育っている。
母からわけてもらっていた。
だから、実家には無くなっても、ここに同じ株の花が生きている。
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母が我が家に来て、花を見て喜んでいないかな。

大きな鉢の移動をしたり、植え替えたり、
土を買いに行ったり、力仕事だ。
以前はそこまでやる暇も関心も無かったが、
母がいなくなってから、急に興味が出て来た。
年齢的なこともあるだろうな。

自己流で、適当に雑な私流な手入れしかできないが、
植物が元気になると嬉しい。

また夫の愚痴になるが、
以前、帰宅した時に、「花が綺麗だよ」と言ったら
わざと花から目をそらし、
「勝手に飛んでいた種が勝手に育ってラッキーだっただけ」
と負け惜しみを言った。

そう言えば、姑も生前、近所で花の綺麗なお宅のことを
「玄関先に花をこれ見よがしに見せびらかして、あんなの嫌いだわ」
とけなしていた。自分も同じ事をしているのに、
負け惜しみだった。それをうんうんと聞いていた夫。
良く似た親子だった。