季節の変わり目は、体調が崩れやすい。
春は、暖かくなって良いのだけど、子どもの時から苦手な季節。
幼児期、小学生の頃は、花粉症と言う言葉もあまり耳にせず、
アレルギーについて無知だった。
春になると、光が眩しい、
何だかだるい、鼻炎になる、咳がでるなど
普通に過ごせないと言うか、なんとなく苦しかった。
子どもの自分にはそれを上手く表現も出来ず、仮に説明したところで
熱が無いなら、気のせい、軽い鼻風邪みたいな扱いをされる時代。
自分のせい、自分が悪い、だから我慢するしかないと思っていた。
今の親なら、耳鼻科に連れて行き、すぐに手当てをする。
自分の親は子どもは甘やかすと弱くなると思い込み、
冬は寒かろうが、厚着をさせない、
煖房を使わない、など、今思えば無知でもあるし時代錯誤だった。
体質もあるのに、鍛えようが関係なく、私は良く熱を出した。
育ち盛りなのに、食事が美味しいと思えず、
成長が遅い時期があった。
栄養状態が悪かったのだろう。ストレスで変な皮膚病になったりした。
粗食でもいい、お金を使うな。とDV気味の父のせいでもあった。
母も、料理が下手で工夫もしないし、
おそらく、凝った料理を作ると
父に贅沢だと叱られるからだと思う。
当時の父は、経済的に大変だったこともあり、
お金の使い方にうるさかったらしい。
子ども時代の記憶は、いつも疲れていた記憶がある。

子どもがご飯を欲しがらないという事は
問題だと親は気が付くべきだった。
母から、密かに悩んでいたと後から聞いた。
弟も痩せていたが、身体は丈夫で強かった。
亡くなる前、母が
「あの頃、食べさせたくても買えなくて、
情けなくて辛かった。我慢ばかりさせてたことを後悔してる」
と、私に言った。
あんな育て方をしたから、
私たちが、こうなったと言うのだ。
(結婚しても苦労していること)
でも、もう全て遅い。後の祭り。
もっと早く気が付かなきゃ。
私は最期の最期に、理想の母に会えて良かったけど。
それが、母の本質だったのだと思う。
父との共依存で、毒親になったのだと思う。
亡くなってから、何かにつけて
母の娘を思う気持ちが感じられて、涙が出る。
生きている時よりも、何倍も、母の優しさを感じてしまう。
現実は毒親だったと思っていたのに。
後の祭りと恨み節を言いいながら。