前に、実家から慌てて持ち帰った母の着物を整理した。
タンスも一杯だし、とりあえず衣装ケースに 押し込んだ。
いずれ、実家を整理する日がくる。
これ以上、荷物を置く場所もなく
かといって、形見が全くいらないとは思えないし、
どうなってしまうのだろうと考えた。
服や道具は全て処分するが
生前、母がこれは形見として持っておいてほしいと
言っていた物は、私が生きている間は保管することになりそう。
自分が歳老いたらいつか処分しよう。
子ども達に、片付けの負担は残したくないし。
知りあいの着物屋さんに勧められるまま、
母は、私への財産としても買いそろえていたのだろう。
昔の感覚で、着物は財産。
困った時にお金に換えられるとか、
娘に着物を持たせないと世間体が悪いとか、
当時の親なら似た様な考えの人は多かったのでは。
母は、亡くなる1年前に、お気に入りの着物を着た写真を残したいと言った。
抗がん剤で脱毛していたので、私が送ったウイッグを付けて。
あの時、まさかあっけなくいなくなるなんて思っていなかったが、
一緒に写真を撮っていて良かった。
母は、遺影をとっておきたかったのだ。
はっきりは言わなかったが、
一番好きな着物を着て、きちんとした写真を撮りたいと言った。

なかなかチャンスが無かったが、最初の手術の後、
再発が無く、少し体調が良くなった時期に
私や子どもたちと一緒に、大好きな着物を着た母を、
私たちが何枚も写した。
どれも嬉しそうな笑顔あふれる母の綺麗な写真が出来上がった。
それを遺影に使った。
葬儀屋さんが「素晴らしい写真ですね。」と誉めてくれた。
我が家のリビングにも同じ写真を飾っている。
着物を片付けながら、遺影の写真の時に付けていた帯締めが無い事に気が付いた。
実家に忘れたかな。いや、確かに持ってきた。
前はあったぞ。おかしいなと思い、あれこれと探した。
急に悲しくなってきた。
私は着物に疎く、母任せだった。
着物を触る時は、いつも母に聞いていた。
何で、私が1人でこんな沢山の着物を触っているの。
どうしたらいいか、わからないよ。
いつもここで、母に電話して聞いていたのに
もういない。
母の遺影を横に置いて(帯締めの色を確認する為)再び探した。
するとすぐ見つかった。
母の写真をそばに置いたとたんにだ。
「ほら、あったでしょ。全く探し方が下手なんだからね」
と写真から声が聞こえる気がした。
写真の母は、今の私を笑っている気がした。
私の心の中の母は、健在だった頃の母とは違う。
亡くなる前の聡明な、愛情にあふれた優しい母だ。
生前は、イライラさせる母だったが、
今は、私は穏やかになり、写真に毎日話しかけ、
お願い事、悩み、愚痴などを聞いてもらっている。
まだ、母が近くに居る様な気がするうちは
そうしていきたいと思う。