父が、先日会った時、「肉じゃがの作り方を書いた本がほしい」
と言っていた。
料理の本は数冊あるので、送ろうかと想ったが、
小さい文字で書いてあるし、高齢の父にわかるかな、
そもそも出汁からして、どうしたらよいかわからないだろう。

母が、入院していた時は、父なりに作っていたようだ。
父自身は美味しくないと自分の料理に満足していなかった。

どんどん脳の老化と共に、
これまでできていた事が出来なくなっていく。

わかりやすく、私が紙に書いて送ろうかなと思った。
出汁はインスタントを買えばいいから、
まずそれを買う事も教えないといけない。

適当とか、少々とかの表現はダメで、
小さじ〇杯、の様に、正確な数字で書いてないと駄目だという。
「その通りにやれば、必ず美味しくなるレシピが欲しい」と言っていた。

それは難しいなあ。
まず、材料の量がぴったり同じは無理。
野菜の大きさも微妙に違うし、
醤油の味、甘さも違う。
火加減も調整できるとは思えない。

味見をしながら、調味料を加えていくことも
父には無理だろう。
そもそも、もう正しい味がわからなくなっている。
本に書いてある味と父の好みの味とは違う。
火を使うのも心配。

不衛生な台所で、
もしかしたら火をつけっぱなしたまま忘れたりも心配。

本来、ヘルパーさんをお願いしたり、
施設に入る年齢。

母が亡くなるまで、施設に入る予定でいた。
葬儀後、気が変わった様で、
1人で気楽な生活がよくなった様だ。

料理ができないから、施設に入ると言っていたのに
今は自分で作りたいと言い出す。
配達のお弁当は美味しくないと、断った。


ヘルパーさんは弟が反対し(手続き、お願いする前の部屋の片づけが面倒くさいだと)
父が嫌がるのは良くある事だが、家族はお願いしたくなるものだ。
だったら掃除くらい、してあげたらいいのに。

父に下着を買って渡した時、
嬉しそうな顔をした父を見て、
父を世話する人がいなくなってしまったんだなあ。

母は、こういう父の姿を想像して、
父のこれから先の生活を心配していたのかなとか、
自分が父を最後までお世話し、見送るつもりだったのに、
父より先に逝ってしまうのは心残りだと、
色んな意味で悔しかったろうなと、今になって感じる。
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母が、最後に「何の心配もしていない」と
自分に言い聞かす様に私たちに言ったのは、
おそらく、私が頻繁に父の世話をして、
弟夫婦のカバーをするだろうと期待したのだろう。

私もそう言って、母を安心させた。

でも、父から葬儀の夜に
世話は迷惑、邪魔だ、帰れと怒鳴られ、その理不尽さに怒りを覚え、
もう実家とは縁が切れるかもと覚悟した。

母の魂もまだ近くにいる感覚がひしひしとあり、
母は全てを見ており、ショックを受け、
心配してくれてる娘になんてことを言うの!
と、父に怒り、私に寄り添ってくれていた気がした。

弟夫婦の冷たさにも、まさかここまでとは、と
母が呆れているのも感じる。

父もおかしいけど、それは年のせいだし、
かといって、大晦日も元日も一人ぼっちで、
食べ物も無い状態で放置するのは酷いでしょ。
お願い、今年だけは、一緒にいてあげて、
可哀想だからと、母が必死で私に訴えていた気がした。

母の心配通りに、それ以上の悪い状態になってきた様で、
母がいないと父はやっぱりだめだなあと痛感する。

私が近くにいたら、コロナが無かったら、
頻繁に様子を見にいけたのだが。
父も、あまり家に人がいるのは嫌だろうから
短期間で、掃除や食事を作ってあげたらよいと思う。

実家の様子が、まるっきり変わった。
母がいるといないとでは、こんなに違うのかと思った。
家がどんどん荒れていく。
弟も共犯だ。

大晦日に一緒に撮った写真を父に送る。
すぐ忘れるので、覚えてもらう為にも。

数年前から、父に会う度、これが最後かもと思って来た。
まさか、母が先とは思わずに。

今年のお正月、短い時間だったけど、
父を1人にせずに、一緒に過ごせたのは良かったと思う。
きっとあの場所に、母もいたに違いない。