今年の正月は、脱力感が半端ない。
元日に帰宅してからずっと眠いのを堪えて生活している感じ。
喪中を言い訳に、何も買い物はせず、料理も煮物と雑煮を作っただけ。
来客は無いし、子ども達が来たらピザを注文し、
私はサラダを作っただけ。
毎年、自己流おせちを作り、お正月の雰囲気を味わうのだが
今年は前もって「喪中だし、今年はやらない」と宣言しておいた。
結婚以来、何もしないお正月は初めてだ。
長年の正月疲れがどっと出た感覚。
過去何年かは、夫がいたからというのもある。
最近は、年末に帰ってこなくなったので気分は全然違った。
年末年始と言えば、どこの主婦も大変だ。
仕事をしながら、家の事も子育ても、
大晦日もお正月も、家事に追われ休む間も無い。
弟の奥さんみたいに、ろくに家事をせず、
人にやらせるのが当然な女王キャラで、
手伝うとか、困った人を助けるのが嫌で、
これほどの逃亡癖がある人は中々いないと思う。
今回は、それをうまく利用し、良い結果になった。
と良い方に思う事にしよう。
墓参りに行き、父を1人にしなくてすんだことで、
母も安心したことだろう。
母の念に動かされた気がした。
弟の反応は、父の事はどうでもいいみたいな感じだった。
何もかも家事をやっていた母が亡くなり、初めて1人で迎える年末年始。
高齢の父を1人にできるその神経がわからない。
おそらく、父は強がって、弟には
大丈夫、1人でも平気だから気にするなと
快く行かせたに違いない。
でも、本音は違う、会った時にわかった。
父は私には本音を出し、弟には格好をつける。
いくら弟にそう言っても、理解しない。
弟にも逃亡癖がついているのかも。
自分の心を保つためにはそうするしかないのだろう。
父は、いつ何があってもおかしくない。
だから、あの時こうしておけばよかったと後悔したくない。
私が、親の子育ての仕方に反発しながらも、
結局、今、高齢の親を心配するのは
少なくとも、両親が、親としての義務、責任をきちんと果たしてくれたことへの
感謝の気持ちがあるからだ。
若い時、お金が無くて苦労したのも知っている。
男女待遇は違っても、親という自覚をしっかり持っていた。
自分は食べなくても、子どもには食べさせる親だった。
夫は、子どもの食べ物も奪う父親だ。
夫を見ていて、自分の親が尚更まともに見えた。
私の親だけでなく、どの家でも当たり前のことだけど。
今の私は、親が困っていれば助けたくなる。
父からまた拒絶されたら、どうなるかわからないが、
高齢者だからと割り切るしかないのかも。