そろそろ喪中葉書の準備をしないといけない。
辛いなあ。まだどこかで母がいるような気がする。

何気ない事で、つい「今度母に話そう」とか「これ、見せなくちゃ」とか思ってしまう。

「あ、もういないんだっけ」とその度、思い知る。

父は、元々電話嫌いで、全く話さなかったし、
今なんて絶縁状態。耳も遠くてだめ。
これが、昔から良くお喋りする人だったり、
娘を可愛がってくれる人だったら
今頃は、実家に遊びに行ったりしていたと思う。
そうするつもりだった。
喜んでくれると思っていたから。

母が残っていたら、そうしていたと思う。 
弟の為には、父が残った方が良かったかもしれないが
(母だったら、お金を弟が使いこんでいたかも)
私にとっては、毒親みたいだったけど、今の父よりまだずっと母の方が優しかった。

昨日、母の遺品の指輪をはめた。
一度ははずしたが、またつけた。

「着物もネックレスも、今のうちに全部あなたが持って行きなさい。」
と入院中に何度も言っていた。
ネックレス類は、先に持ち帰ったから、父に捨てられず良かった。

父は、娘が使うとは頭に無いのだろうか。
母の形見という意識が無い。

気候も良いし、コロナも落ち着いた今、すぐにでも実家に行きたいが
父が毎月留守をする予定のはずが、今月はまだ予定がわからない。
留守の時に行かないと、何もできない。
立ち寄った事は、後から手紙で伝えるつもり。
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父は、母が元気でいる時は、救急車で運ばれたり、
貧血でふらふらして、ボーッとして、母より父の方が先かもと
母も私も思っていた。

それがあるから、まさか自分が先だなんて、
母は悔しくて最後まで辛かったのだろう。
皮肉なことに、母がいなくなった途端、父が元気になった。

妻に先立たれ、何もできず、弱ってくるのではと
誰もが思っていたら、正反対だった。
それどころか、いなくなるのを待っていたかの様に、
母の悪口を言いだし、母の物を邪魔、お金を無駄使いしていたと言う。
無駄使いどころか、若い頃、辛抱辛抱で苦労していたのは知っている。

認知症が進んでいるのかと思ったが、
以前より、しっかりしてきて、何とか暮らしているから、病院にも行かない。
助けようとしたら、嫌がる。自分は若い、馬鹿にするなと言い出す。

でも、年齢的に父も先は短い。
何があっても覚悟しているし、父もやがては孤独が辛くなるだろう。
いつまでも、このままだとは思っていない。

でも、今は、実家に自由に寝泊りできず、自分の物もへたに置いておけない。
私の物も捨てられそうで心配。

施設に入ると言って、探していたのに、
いざとなると自信がついたのか、気が変わった様だ。

来月には留守をするだろうか。
母の形見を早く取りに行きたい。

これを書いていたら思い出した。
昨夜、母が夢に出てきて、私に色々話しかけた。
その内容が思い出せない。

これまでは、出てきても黙っていた、
昨日は違った。
一生懸命、何かを私に話していた。
何だったけ。思い出さなきゃ。

早く、会いに来てと言うことだったのかなあ。
待っててね。きっと行くから。