以前買ったままタンスに仕舞い込んでいた、ワンピースを着てみた。

暗い色は似合わない気がして、1年中明るい色を着ている。

冬のセーター類は黒を着るが
ブラウスやワンピースは明るい色の物が多い。

顔が地味なので、気分を高揚させたいというのもある。

コロナになって、好きな服で外出する機会が減った。
バーゲンでかなり割引された時にしか買わないから安物だけど。
着ないで大事に取っておく癖がある。

断捨離するのに、着ないまま処分なんてもったいない。
部屋着、寝間着にでも、とにかくどんどん着る事にした。

で、そのワンピースを着た自分の姿を鏡で見て、ショックを受けた。
老けたなあと。わかっていたけど。
明るい色や柄はもう似合わないかも。
若い時は、似合っていた色も
年齢を重ねていくと、老化を浮きだたせてしまう。

もっと早いうちにどんどん着ておけば良かった。

タンスを見ると、全ての服が自分の顔に合わなくなった気がする。

いつまでも若くありたいと思っても、それは無理。

コロナ禍で家に居る事が多かったのもいけなかったかな。
姿勢も悪くなり、益々高齢者みたい。

今なら気候もいいし、感染者が少ないうちに
タンスに眠っていた服をジャンジャン着て、
外に出ようかなと思う。人に会うんじゃなくて、1人で。

好きな服で思い出した。
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母が永遠の眠りについた後、
病院で身体を綺麗にして下さり、私が準備した洋服を着せ、
化粧をして貰うと、まるで生きている様な艶やかな顔になった。

まだ母がしっかりしていた時、母に
「次に外出する時はどの服にする?このブラウスがいいなと思うけど」
と、綺麗な花柄のブラウスの話をしていた。
母は「もう服を着て外に出る事は無いと思うけど、一応それを用意しておいて」
と答えていた。

母が着る最後の服選びになった。

弟や父なら、何でもいいと適当に選んだと思う。

私が選んだブラウスは、母の年齢の人は着ないような派手な柄。
春にぴったりの花柄で、ピンク、黄色、青、紫、緑などの混じった
とても鮮やかな色のブラウスだった。

看護師さんが、私に、好きな色の口紅を塗って下さいと言い、
鮮やかなピンク色の口紅をぬってあげた。

派手目の花柄のブラウスを着て、ピンクの口紅の母は10歳は若く見えた。
それまでベッドで苦しんでいた母では無かった。

父が母の顔を見て「肌も綺麗だし、とても若く見えるね!」と、とても驚いていた。
この言葉は母に聞こえていた事だろう。
滅多に褒めなかった父からの、最大の褒め言葉だったと思う。
亡くなってから言うなんて。
でも、きっと母は嬉しかったと思う。

火葬されるまで、ずっとその服を着ていた。

自分の寿命を感じた母は「もう、今更化粧水つけてもね。」と肌の手入れを止めようとした。
諦める母に対して、私は
「いつも通りに、やり続けて」と頼んだ。
母の終わりを認めたくなかったし、諦めてほしくなかったし
化粧水をつけている限り、大丈夫と思いたかった。

母は、亡くなる前日まで化粧水をつけてくれた。
あの時「そうね、しに化粧の時、肌は綺麗な方がいいからね」と
冗談みたいに言い返した母。

「綺麗だよ。良かったね、お父さんも褒めていたよ。」と
お棺の中で眠っている母に声をかけた。

母は、望み通りの終わり方ができたのではないかと思う。

それを叶えるのは、本人の希望を良く知る家族の存在も大事だ。
(その後は、無視して父が独断でやっているけど。)

母の最期だけは、自分が手伝えて良かったかなと思えるようになってきた。
今、何もやらせてもらえないし、何もできないから尚更思う。

洋服の事から、そんな事を思い出したのだった。