テレビで、食べ物紹介シーンを見ると
レポートする人が上手に表現するというのもあり
よだれがでそうになる。

食欲が増してきて、つい食べ過ぎる。

やっぱり、食べるという本能は生きる為に必要だし、
大事な楽しみの一つだなと再確認する。

介護状態になっても、
食べられるうちは、食事が楽しみとなり、
生きる力となるだろう。

ある日突然、物理的に口から食べ物を入れることができなくなったら?
点滴だけの栄養でしか生きる術がなくなったら?
味もわかるし、臭いもわかる、
歯もあるし、咀嚼できる、口ものども何も異常は無いのにそうなったら?

胃と腸の途中を塞ぐ腫瘍がある為に、飲食物がひっかかり、
飲み込んでも、吐いてしまうとしたら?

腫瘍を手術で摘出すればいい、
薬で小さくすればいいと思う。

それが両方共、無理だと言われたら?

ああ、自分はもうダメなんだな、と絶望するだろう。
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食べ物を見て「美味しそう!」と思う度に、
あの時の母を思い出す。

「私のご飯はこれよ」と
不機嫌な顔で、首に繋がれた点滴を指さしていた。
一時帰宅した時に、
テーブルにあった父の湯のみや御茶菓子を指さし、
母が「もう私は何も食べられないのよ」と怒っていた。

しまったと思ったが後の祭り。

そんな時も、父と弟は何も感じていない様で、
母を無視していた。
私は、すぐに目に突かない場所に片付けたが。

やっぱり手術をした方が良かったのではとか、
母の体力なら大丈夫だったのではないかと思ってしまう。

高齢だから危険、腫瘍の場所が悪いと言う理由で
薬だけの治療になった。
入院したその日から2度と口から食事はできないと言われた。

最初は、母には言わなかった。
2週間ほどで、回復して帰宅できると信じていた母。

「そのうち食事のリハビリがあるだろうから
お箸とスプーンを持ってきて」と言われた弟。

あの頃は、毎日悲しい気持ちを抑えて
母からの電話に明るく答えていた私と弟。

食べる事さえしなければ、何の苦痛も無かった母は
自分の回復を信じていたから
私も信じることにした。

でも、こんな残酷なことってあるだろうか。
もう少し、やり方があったのではないかと
今でも、後悔する。

医師は、年齢だけで判断し、最初から匙を投げている感じがした。

母なら、手術をすれば、
あと1年、あと半年は元の生活に戻れたのではないかと思った。

半年、元気でいられたら、
違っていたと思う。

今更、何を言っても仕方ないけど。

いつ、どんな理由で
食べたい物が食べられなくなるかもしれないという不安が
頭をよぎる様になった。

病気、災害、戦争など
いつどんなことで、今の幸せが奪われるかわからない。
そんな事を考えて居ると
人は、何の為に生まれてくるのだろうとか
哲学的に思い詰めてしまうので
そこで考えるのを止めて、気分転換するようにしている。

カルト宗教にだけは騙されない(笑)