台所や母の部屋を少し片付けた。
父に追い返されていなければ
コロナが無ければ
もっとしっかり整理できたはず。
特に母の部屋は、
「帰ったら自分で片付けるからそのままでいいよ」と
入院したばかりの母が言っていた。
すぐに帰るつもりで
元日の深夜、病院に向かったままだった。
着替えた後の状態で、寝間着が置いてあり
服も、沢山壁に下がっていた。
来ていたエプロンは無造作に置いてあり、
家事のやりかけの台所、
母の臭いと残像がしっかり残っていた。
最初に診た医師の計画書に
入院予定期間が2週間と書いてあった。
だから、薬で治せて
それ位で退院できると思い込んでいた母。
その裏で、私たちは
「あと2週間もつかどうか」などと言われていた。
母が、次第に状況がわかってきて
落胆するのを見ているのは
残酷なものだった。
2度と家に帰れないかもしれないとわかったら、
家の事が気になるのではないかと思った。
コロナですぐには帰れなかったので
自分が何もできないことが辛かった。
やっと帰省できた時、
母は心から安心した様だった。
辛い気持ちを抑えていたが、当時はまだ母が生きていたし
いつか帰宅できることを信じて
母が帰宅したら、喜ぶようにと出来る事をやった。
コロナの前から、私と一緒にタンスの片づけをしたいと言っていた。
だから、母がまだ生きている間に
少しタンスの片づけをしていた。
私と子供から母へ送ったプレゼントやお土産が
実家のタンスの奥から出て来た。
「もったいなくて使えない」と言う昔気質の母らしさを感じた。
それを見るだけで涙が出た。
亡くなった後に片付けるのは
もっと悲しい。

今、その体験を自分に置き換えて考えている。
もし、私に何かあった時、
子ども達は、家の事がわかるだろうか。
急に入院して、それっきり帰れないとなったら
家の中がごちゃごちゃしていたら困るだろうなあ。
と思ったし、こんな私でも
一応親だから、悲しんでくれるのかなあとか。
で、まずはゴミみたいな物をどんどん捨てる事にした。
外周りも綺麗にして、服や靴、バッグ他色々捨てた。
今後も少しずつ、定期的にチェックして捨てていく事にした。
自分の荷物を減らしていく。
自分がこの世を去る時は、何も残さず、
悲しい後片付けをしなくて済む様に、物が無い状態でいきたい。
残すのはお金だけでいいと言えるほど
お金は残せたらいいなあ。
それにしても、長く生きていると
無駄な荷物が多くなるものだ。
安物だらけで高価な物は一切ない(笑)
夫がまともだったら、もっと職場関係のお付き合いが多く
実家の様に交際で物が増えていた事だろうが
その点だけは、無くて良かったと思う。
ゴミの処分と一緒に
夫の事もすっきりできればどんなに良いか(笑)