緩和ケア病棟へ転院してから
暫くは、声に張りが出てきて
頭がしっかりしてきたし、このまま長く頑張れるのではないかと
期待も出て来た。
が、1週間過ぎたあたりから、夜になるとお腹の張りで苦しみだした。
それ以降、毎晩の様に便秘で苦しみ
痛み止めが増え、強くなっていき、母も弱音を吐く事が増えた。

転院後15日目(再発入院後68日)亡くなる9日前の3月9日、
コロナ禍で県外から来た私にやっと面会許可がおりた。

その日、部屋に入った時に感じた。

●部屋には独特の臭いがしていた。
おそらく弟は気が付いていない。
これは、ある医師の方がネットで書いておられたが
亡くなる前になると、独特の臭いがするらしい。
不快なものでは無く、薬物の臭いの様な感じがした。

以下、亡くなる2週間ほど前から母が話していたことの記憶~~~

●テレビなど、外の情報に全く興味が無くなる。
日記を書く気力も無くなる

●強いだるさがでてくる。

医師からせん妄の話を聞いた後、
●自分には、光の玉が幾つか飛んでいるのが見える。と言った。

●夜は痛みが出てきて苦しむ日が多い。

●ひどい寝汗をかく。

●昼は、寝ては置きの繰り返しで、
沢山寝たかと思うと、まだ10分しか経っていないという事の繰り返し、

●光が眩しく
、部屋を暗くしたがる。

朝の5時かと思って、夕方の5時に私に電話をしてきたことがあった。
「あら、起きていたのね」と言ったり
朝の9時を夜の9時と間違ったり、
●朝晩の区別がつかなくなる時期があった。
(しかし亡くなる前には、区別はついていた。)

●目が覚めると、ここはどこ?と思う時がある。

●ウトウトする事が増え、鮮明な夢ばかり見る。

●夢によく亡くなった母と姉がでてくる。(お迎え現象

●眼鏡も頭に巻いたスカーフも邪魔に感じ、身に着ける物が煩わしくなる


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●身の置きどころのない強いだるさは、肝臓の悪化
●むくみ腎臓の悪化によるものだった。

それが急激に進行し、一晩のたうち回り、
翌日夕方私に電話をした後に、医療用麻薬を点滴で処方された様だ。
亡くなる2日前が最期の会話になった。

その時の顔つき、黄疸などを見れば
もう諦めるしかなかったし、苦しそうな母を見ていて
早く楽にしてあげたいと
父も弟も私も見ているのが辛かった。

緩和ケア病棟とは言っても
苦しみからは逃れられなかった。
精神的な救いも無かった。
コロナ禍だったことも良くなかった。

何より可哀想だったのは、すぐに帰れると思って入院した母が
自分の病状に気が付いて行き、絶望していき、
何より孤独な目に合せた事だった。

元日に入院して、77日。
まさかこんなに早くいなくなるなんて
想像もしていなかった。

最初、医師に余命2週間と言われたことを思えば、
長く頑張ったけれど
私は奇跡を信じていた。

短い77日だったが、母の辛い気持ちを思えば、
長い77日間でもあった。

ある知り合いの方も同じ頃に
施設に入居されていたお父様が亡くなられた。

親族は皆県外に居たため
誰も、施設に入れず、看取れず、
斎場で初めて会えたらしい。

母も私も、電話で沢山話す時間があり、
心の準備が(辛かったが)できて
きちんと看取れ、別れができただけでも
このコロナ禍にあり、幸せな方だったと言えるだろう。

今日も、居間にいる母の写真に向かって
話しかけている。



混乱しており、もしかしたら
以前書いた内容と時系列にずれがあるかもしれませんが、ご了承下さい。