母が再入院してから
亡くなる3日前まで、母から電話がきていた。

ずーっと母の精神と肉体の変化を聞きながら
なるべく心に添う様に、受け止める様にしてきた。

かと言って、弟の様に
「もうどうせ先はないんだから」という意識をあからさまに出すようなことはしない。

医師の話より、母の自覚する事だけを信じ、
母が「まだまだ生きるかも」と言うと
きっとそうなるよと心から思うようにした。


だから弟と話すと母は不安になる事が多く
後から私に「こんな事を言われたけど、どういう事だろうか?」
「私はもう長くないの?あの子が何か隠している?」
と私に聞いて来た。

弟は、医師のいう事しか信じず、
母自身は生きようと頑張っている時に
「何も知らずに、可哀想に」と言うことばかり言っていた。

しかも、悲しいと言いながら
お金を使い込んでいた。どうせもういなくなるのだからと。

お前のその、可哀想、悲しいという気持ちは何なのだ?
と今でも思う。

母の気持ちより自分の気持ちが全てで
常に自分が可哀想なのだろう。

母は自分の心の内側を私に話し、
書いた日記を私に託した。

人に読まれる事を意識しているので
気を使って書いている。

本音、愚痴は書いていない。
私にだけ「ノートには書いていないけど」と
言いながら電話で愚痴っていた。

自分の結婚は失敗だったかも、とか
苦労は報われなかったとか
大事にした息子に最後に裏切られたとか
そういう悪い話はいっさい書いていない。

というより、そういう事を考え始めた頃には
かなり弱っていて、文を書く気力が無くなっていた。
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どうしても訴えたいことは
2度、大きな字で書いてあった。
自分のお骨のこと。
昨日書いたこと。


日記は、2度の抗がん剤治療が終わるまで、書いてあった。

次第に字が乱れ、読むのも苦労する。
最後の方は、日付も間違っており
書くのがやっとなのがわかる。

日記と電話の違いに驚く。

電話では、緩和ケアにうつってから
母は急に頭がしっかりしてきて、聡明になっていった、

身体は死に近づいていったのに
魂は毒がとれ、洗練されて健康になっていったのだろうか。
声がどんどん若く元気になっていった。

本人は「そんな事は無いよ。だるくてだるくて」と自覚はなさそうだった。

母は、弟とも毎日電話していたが、弟はそういうことは
全く無関心というか、鈍感だった。

母の最後の言葉すら聞いていなかったのだから。

いったいどこを見て来たのか。母の何を聞いて来たのか。

母の日記をパソコンで書き起こし、わかりやすくした。

それを弟に送信すると
「読みたくない。辛すぎて」と言う。

母が父と弟に是非、伝えたいと書いたんだから
読んでほしいと伝えたが、
母の遺志は、弟も父も知りたくないという。

何かずれている。

ずれている2人が、仕切っている。
私は、父に排除された。
母が一番嫌っていたことをさっそくしている父。

私だけが母と一体化して
男2人と戦うなんて。

我慢する人が寿命が短く、苦労し、
我儘で自己中心な人が生き残り
成功する様な世の中は…理不尽なものだ。
この世は修行の為にあるから?

弟は話せば何とかなるかもしれないが
母が可哀想だとか、辛いというのは
それは、自分のことしか考えてないからだよと言いたくなる。

毎日電話で話した訳だから
それに沿った内容の日記であり、
私は、その場で母に寄り添い、気持ちを受け止め
母が落ち着いていたのを記憶している。
だから辛いどころか、物足りないほど。

日記を読んで、唯一泣いたのは
私の子ども達に対して
「幸せな思い出をありがとう」とお礼が書いてあったところだった。


母が元気だったころから旅立つまで

人はこうやって最期を迎えるのだなと
いつか自分にも必ず訪れる最後について
母に学ばせて貰った気がする。