前の病院にあのままいたら
母の寿命を縮められそうな気がしていた。
最初から違和感を感じていた。

一生懸命治療をして頂いたが
母をひとくくりに高齢者として
どこか見放すような雰囲気を感じた。

2度目の抗がん剤治療が始まると
母の精神状態がどんどん悪くなっていた。

自分で決めた治療だったので我慢してはいたが
泣きながら「家に帰りたい、ここにいたくない」
と訴える電話が続いた。
声も次第に弱々しくなり
呂律も回らなくなっていった。

携帯電話の扱いもわからなくなって
電話がうまくかけられないと言い出した。
看護師さんに頼む事が増えた。

その時も弟はそっけなく
ちゃんとボタンを押すように言うだけで
母を責めるような言い方をしていた。

あの時に比べて
今は嘘みたいに元気な頃の母の声になった。
転院したその日に
栄養点滴など、薬の量が多すぎる事に今の医師が驚いたそうだ。

直ぐに量を減らしてくれ、
それから母の声や話し方がみるみる良くなってきたのだ。
悪いものが抜けた感じだ。

本人は全く自覚が無い。

抗がん剤か他の点滴のせいかわからないが
今思えば、悪い薬物が脳に回り
ぼーっとした様な状況だったと思う。

私の嫌な予感=薬と事務的な扱いで、母が壊される。
は、外れてはいなかったんだなとぞっとした。
おまけに転倒をさせ、怪我をさせた。
看護師は医師に報告しておらず
何の対応もしていなかった。

たまたま2日後の医師との面談で
顔の内出血の痣をみた医師が驚き、初めて知ったという。

その後、病院は今度は母を動かさなくなった。

転倒されたら困るからという自分たちを守る事が優先で
母の運動機能の衰えを防ぐ努力はしなくなり
寝たきりにさせ、母はどんどん動けなくなって
もう私はダメだとどんどん追い込まれていた。

緩和ケア病棟に転院予定があったので
「あと少しの辛抱よ」と慰めることができたが、
そのままあの病院に居たらと思うと
ぞっとする。

私以外の誰もが、前の医師や看護師さんには感謝し
良くやって頂いたと思っている。
高齢者にも色々あって
人に応じた治療や対応が、まだまだ遅れているという事だろうか。
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ここまで書いたところで、母から電話。

昨夜、胸の痛みとお腹の張りが苦しくて
痛み止めを貰ったそうだ。

緩和ケアの看護師さんらしく
とても優しく、安心させてくださり
母も落ち着いている。


「こうやって、終わっていくんだね」
としっかりした声で言う母。

抗がん剤治療中の時と
出る言葉は同じでも、今は全く違う。
以前は、とても悔しそうで納得がいかないという感じだった。

今は、もう悔いはない、これでいいと本人が納得している感じだ。
それでも、「昨夜はこんな思いを毎日過ごしていくなら
さっさと楽になりたいと思った」と言う。

母の身体だけが知る母の寿命。
最初のサインがでたのだな。

痛み止めが効きますように。

苦しまず、安らかな日々を過ごせます様に。

そして祖母(母の母)が夢に頻繁に出てくるそうだ。

育った家ではなく、祖母が若い頃の姿だけが。

人は母親から生まれ、最期は母親の胎内にまた戻ろうとするのだな。

弟が母に面会した後「だんだん、子どもに戻っていく感じがする」と言っていたが
そういう事なんだろうな。