母は、新しい病室に移り
自由に動けず、個室で時間を過ごすだけ。
このままでは認知症になり、益々足腰も弱くなる。

本人がその恐怖を持っており
身体も思いのまま動かせないので
リハビリをもっと増やしてほしい様だ。


まだ、入院したてなので
これからプランを作ってもらい、
散歩などしてもらえることと思う。

「自宅にもたまには帰宅してもいいし
口の中に少し、ゼリーの様なものを入れることも
楽しみとしてやってあげます」と弟は病院から聞いている。

それは、あくまでも「もう治る見込みがない」事が前提だが。

どうせ先がないのなら
せめて本人の喜ぶことを、という配慮だ。

それが緩和ケア。

母が、不安になり電話をしてくると
「また家に帰ってもいいらしいよ」
「何か口に入れることもできるかも」
と話すと、一気に声が明るくなる。
母にすれば、回復の見込みがまだ自分に残っていると思うのだろう。

先日自宅に少し立ち寄った時、
介助はあったが、自分でトイレまで歩けたりしたので
自信がつき、またああやって家で過ごせるならと
期待が出来た様だ。

そういう目標があるだけで少しは気持ちを明るく持てればいいが。

段々、子どもに戻っていく母。

父の事をいつも思っている事が言葉の端々に感じとれる。

何かにつけ、父の様子を聞いてくる。
「話をしたいけど何も話題がないし、そっけなくされるし」
と言いながら、私が電話を父に渡し、
母と会話させると、母が喜んでいるのがわかる。

父も、これまで1人で過ごしていたので
私が一緒にいることで、
色々話しかけて来る。
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母に対して、最近吐いた暴言やDV的な事は許せないが
父も母と同様、自分の若い時の事を良く思い出すようで
母とのなれそめや、結婚までのことを
まるで恋愛中の若い人みたいに嬉しそうに話す。

母がこうなって、お互い自分の人生を振り返り
2人共、夫婦の思い出を辿り始めているのだなあ。

羨ましいなあ、私にはありえないことだ。

アレクサを持参し、父の為に昭和の古い演歌を流している。

とても喜び、こんな凄い便利な物が世の中にあるなんて
知らなかった。と感動していた。

それにしても、実家にいても空しい。
ここに母がいない事、母の世話を何もできないどころか
病院にすら入れない事がもどかしい。

病院で1人、寂しく、死の恐怖と戦っている母。
きっと家で前のように過ごしたい、
今も「私の作ったご飯を3人で一緒に食べたい」と思っている事だろう。
最初の手術後は、回復し、
帰宅し、元の生活に戻れた。
あの時も、私が退院後、母に食事を作って
3人で食べた。今度もあんな風になれると母は思っていた。

料理をしていると、あの時を思い出し、
(もう母は食べられない身体になり、
家にも帰れないんだ。2度と母に私の料理を食べさせられないんだ)
という現実が襲い、胸が苦しくなる。


昨年のコロナの1年間が全ての人の色んな事を狂わせた事だろう。
コロナが無ければ、
母のSOSを聞いたら、助けられたはずだ。
本当は、再発していて
具合悪かったはずだ。
1人、黙って耐えて家事をやっていた。
できなくなっても、弟夫婦も父もろくに協力せず
母のストレスが病気を悪化させたんじゃないかと想像すると
コロナが憎くなる。

去年は、私ともあまり電話をしなくなり
1人であれこれ我慢していたと母から聞いた。

病院で泣きながら話す母の気持ちは痛いほどわかる。

最近は、親としての強い言い方もしなくなり、子どもみたいになった。

もう、私が嫌いだった母はいない。

今の私の心境は、我が子を病院に1人置いている親の立場に近いかもしれない。