弟のやつれはストレスが原因だろう。

表面的には強く見えるが、実はとても弱い。
私よりずっと母をあてにしてきたし、
病気になってから、ずっと通院、買い物に付き添って来た。

病院での対応も全てやってきて、
医師から母の余命宣告なども一人で聞き、
ショックで眠れない日もあっただろう。

今弟が倒れて入院にでもなれば
誰が母の洗濯物を運び、面会に行き、責任者になるのだろう。

誰もいない。父には無理だ。

弟の奥さんは全く存在感が無い。
顔も一度もださない。家にいるのだろうか。

もっと弟を支えてくれたら、弟の負担も軽くなるだろうに。


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それで、母の転院する日が急遽決まり
バタバタと退院準備をした。


私は、PCR検査も抗原検査も大丈夫とは言え
病院には入れないので
外で、母の乗った車を待った。

退院した母が、他の病院の緩和ケア病棟に入るまでに2時間あった。

両病院から、自宅に寄ってきてもいいですよと言われ、
やっと母を自宅に連れていく事ができた。

母は、数日の間に一気に衰弱していた。

顔は痩せ、顔色は悪く、手は冷たい。
3日前まで、自分で歩いていたらしいが
支えなしには立ち上がる事も、歩くこともできない。

私が、実家で母の介助をやり、手を握ったり
身体を支えたり、触れることができたことが
嬉しかった。コロナ禍出の今、奇跡的にできた。

目つき、顔付きは表情が無く、
話すときも苦しそうで、声も低く弱い。

別人に見えて、辛かった。

新しい病院は、個室で気に入った様だったという。

電話の声が明るく、少し元気になっていたので救われた。

苦しいはずなのに、苦しいともだるいとも一切言わない。
ただ「私はこんなに動けなくなった。食事ができない身体になった。
情けない。もうだめかもしれない」
と戸惑っている感じだ。

苦しみが無いだけでも良かったが
「何故、自分はこんな目にあうのか?」と
母が、毎日泣いている事を思うと、夜あまり眠れない。


こういう最期の迎え方は、
本人も家族にも残酷なものだ。

これが、高齢者ではなく
私の親友の様な若い人だったら
想像を絶する辛さだ。