昨夜子どもと夕食時に話したことについて書きたい。

それは、何かの話から(子=Sとしよう。もう成人している)Sが「自我に目覚めた時の事を鮮明に覚えている」と言い始めた。
「それはいつ頃で、どんなものだったの」と私は身を乗り出した。

自分の思春期などを思い出して比べてみたが、状況が違い過ぎていた。

結局「家庭環境や性別やその時の状況で、自我を意識した時の感じ方は違うってことかな」と言う話になった。
救われたのは、Sが「自分は幸せだったから順調に自我に目覚めた」と感じていた事。
色々、小さい時から父親がいないストレスは大きかったはずだ。

何故自分の家は他と違うのかと、悩む時もあっただろう。
でも、次第に順応してくれたのか、Sは「思い切り子どもらしい無邪気な生活を送ったと思う」と言ってくれた。
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そして…
「自我のめざめ=アイデンティティの確立の時は~それまで親や周りの友人などに流されて、何も考えずに生きて来た事が、自分の考えや意志を持つ様になり、周りからの抑圧に抵抗したくなる感じだった。それが反抗期というものだろうね。自我が目覚めるという事は、自分の考えを持ち、納得行かない事に抵抗するという事だと思う。」

「つまり、大人になっても自分の考えというものが無く、親の言う事に何の抵抗も持たず、反抗期も無かった人は自我が無い訳で。
人の考えを自分の考えの様に思い込み、人真似ばかりして言う事がくるくる変わる人や信念の無い人って、自我の目覚めがないまま大人になったのかもしれない。
自分のした事に責任をとらないとか、人のせいにする人も、思春期に自我の目覚めが無かったのかもしれない。そういう人は心は幼児のままで、マザコンだったりする。」

という話にまで広がった。


あくまで想像の話だったが、Sがそんな事を話していた。誰かを特定してそう思っている訳ではなさそうで、周りの大人を見てきて、自分の考えとしてそう思うとの事だった。

それって、ズバリ夫もだよなと思った。
夫みたいな理解のできない人を分析すると、この話の通りになる。

Sは、いつも辛辣で、私には厳しい。はっきり悪いところを注意してくれる。
カチンときて、よく喧嘩はするが、Sのお陰で自分を振り返る事が出来ている。

良かった。Sが夫に似なくて。そしてありがとう。