「幸せな人は他者の幸せを願う 不幸せな人は他者の不幸せを願う」

人間は弱いものだ。誰だって自分よりも他者が幸せに見えてしまいがち。

常に物足りなさを感じ、何かに飢えている。人を羨むのは仕方の無い事かもしれない。

それでもいいと思う。そこに気がついているかどうかの問題だと思う。

この場合の幸と不幸の意味は、客観的なもの(裕福だとか出世しているとか)物理的な物ではなく、主観的な物。基準は人それぞれ違うから。

自分は全然そうは思っていないのに、人から「不幸だったわね、可哀想に」と言われたりするのは心外だ。そうやって、人の幸、不幸を他者の基準で決める事は間違いだ。
PPO_akaibaratowain

見渡せば、私よりもずっと裕福で、家庭も平和で、羨ましいほどの人生を歩んでいる様に見える人が沢山いる。でも、その中の1人が私を羨んでいたりする。

私の事をあまり知らないその人は、想像だけできっと私が自分に無い物を沢山持っており、何の苦労もしてなくて、のほほんとお気楽に生きて来たと思っているのだろう。

私は私で、同じ様に相手を見ている訳だ。

かと言って、わざわざそうじゃないとか説明するパワーも無いし必要も無い。


もしその人が、誤解から生じた妬みから、相手の不幸を願って何か嫌な行動にでたとしたら、その時は誤解を解く努力をして、戦うだろう。


かなり前に、別の友人がマンションを買って引っ越しした。

引っ越し祝いを持って遊びに行った。

マンションのドアを開けてもらった瞬間から、自分の中にとても幸せな気持ちがあふれたのを覚えている。

自分でも意外だった。全く羨む気持ちは無く、自分の事の様に嬉しくなった。

中を案内してもらうと、自分の新居みたいな気分になってはしゃいだ。

何故あの時、あんなに嬉しかったのだろう。

マンションを買ったという事は物理的な物ではあるが、それはきっかけにすぎない。
それまでの友人の苦労を思い出し、やっとという安堵した気持ちが伝わったのだろう。その人の幸せが単純に嬉しかったのだ。

人の幸せを自分のものとして強く感じたあの時の温かい気持ちは忘れられない。

自分も心を温かくして貰えて、幸せな気持ちになった。

自分がどこで誰に、いつそういう風になれるのかはわからない。人の幸せを心から祝おうと思っても、出来ない時もある。

計算してできる事じゃない。

自分は全くの未熟者なので、人を羨んでばかりだ。嫌な人間になっていないか気になる。

嫌な人間になりそうな時は、あの時感じた温かい幸せな感覚を思い出そう。