その立場にならないとわからないとか、体験しないとわからないという事はいつも意識はしているつもり。

介護をする立場にならないとわからないという事も、わかっていたので、友人が毎週実家に通ってお世話を頑張っていた時や、亡くなった時も、よけいな事は言わず、ただ彼女の気持ちを受け止めるだけにしていた。


いくら、慰めようとか、励まそうとか思っても、相手にとっては余計なお世話だろう。
所詮他人事の立場から物を言ったところで、相手の立場になることはできない。

友人が疲れたり、鬱になった時に会いたいと連絡がくるから、それを待つ。そして馬鹿な話をして笑う。

それで良いと思った。

今回、その友人から誘いがあったが、今度は私が実家に通うことになり、その話をすると、何も余計な事は言わず、あっさりとわかってくれた。

もう一人の遠方の友人も長年、遠い実家に通い、介護を頑張った経験のある人。今はもうゆったりと生活している。

その遠方の友人は、古い付き合いで、近くにいてくれたらなと思える大好きな人だ。


でも、私はひねくれていると自分のことを今思う。

何故だろう。遠方の長く介護を頑張った友人の経験談をメールで読んだ時、不快感がしたのだ。

何故だか自分でもわからない。

自分もこんなに頑張って、親も姉も看取ったのだから、あなたはこれからよ。覚悟なさい。
みたいに言われた感覚がしたのだ。

彼女にそんなつもりは全くないと言うことはわかっている。


でも、これから頑張ろうと思っている私に、「自分はもっと頑張った。親が亡くなるまで大変よ」と言う表現をされるのは、どうなんだろう。


私の性格が歪んでいて、被害妄想なのはわかっている。自分だってこれまで無神経な言葉を使って誰かに失礼なことをしてきた事だろう。


今の私も母も、まだ希望を持っている。まだ危篤でもない。誤診ではないかと思うほど今はまだ悪化が見られない。急変はあるかもしれないが、希望を捨てていない。

そこへ、あなたもこうなるわよ、でも、私にはかなわないわね、あなたの頑張り何てたいしたことないわ。と言われた気がしたのだ。私の妄想だ。


だから、言葉には気を付けている。本人に悪気は全くない、むしろ善意、優しさからくる言葉。

なのに、相手を傷つけたり、不快にしたりするのだ。言葉は難しい。
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母から聞いたのだが、お見舞い客の中に、無神経な人がいたという。


腸の手術で絶食状態だと知っているのに、食べ物を沢山持ってきたり、「お腹を切って、大きなおなかは少しはひっこんだんじゃない?」と言ったりする人がいたそうだ。


私も、体調を崩した時、普段付き合いのない人から電話がきて、心配していると言いながら実はねずみ講の健康食品を売りつけてきた。


何かがあると、周りの人がどんな人か良く分かる。

かと言って、いちいち縁を切ろうとは思わない。自分だって無神経な事してきたかもしれない。

母が、注意しても、動き回る。今やらなくても良いことをする。あさって精密検査なのに。

掃除したばかりの部屋を次々と散らかしていく。

はあ~年寄りって、我儘だよね。わかっていたけど。

勝手な時に呼びつけ、次々と仕事をやらせる。やってもやっても片付かない。どんどん仕事を増やす。

無駄な動きに見えるが、本人はやらねばならないと思い込んでいる。

自分もいつかそうなるのだろうか。嫌だなあ。