母は流動食になり、「味がついていて美味しい。便も少しづつ出る様になったよ。」と話していた。
が、昨日から腹痛があり苦しくて、吐かないと楽にならないという。

入院する前と同じだ。
色んな検査の結果、母が手術に耐えられると思われ、医師は手術をする方向にしていたところらしい。

予定は1週間後。

腹痛が出てきた事で、医師は少し戸惑っていたと聞いた。
また一週間、絶食になると、栄養や体力が心配だ。絶食しないと腹痛が起きる。

深夜にも痛くなり、トイレに走るのは不安と疲労が襲うだろう。

母は、元気に振る舞っていたが、自分でも何となく感じているのかもしれない。これはただならぬことかもと。


この前「昼はお見舞いの人が来ても良い様に、私服を着て綺麗にしているの。病人みたいに見られたくないから。」と言っていた。
その時は、腹痛も無く、元気だったから。
腹痛と吐き気を繰り返す時に、見舞客が来たら、どれだけストレスになるのだろう。
そこも心配だ。

弟は「そんな事気にしないで病人らしくしとけばいいのに」と言うが、いやいや、その気持ちがあるだけまだましだと思う。
その気力が大事だ。本当に苦しければそんな事考える余裕も無くなるのだから。

お見舞いも考え物だなと、参考になる。
他人に義理でむやみにお見舞いに行くのは辞めたほうがいいなと感じた。

迷惑でしかない。これについては、思い出す事があるので後日に。

弟からのメールなので詳しい様子はわからないが、昨日は母が痛がるので痛みが治まるまで見守ってから帰宅したらしい。それは助かった。
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私の個人的な考えだが、本人が永遠に苦しみ、痛みに耐えて過ごさないといけないのなら、例え寿命が縮んでもいいから苦しまず、楽に日常を味わえる生活を過ごしてほしい。

手術後は、副作用の無い苦しまない処置だけで良いと思う。日常生活が苦しい治療だけの時間ならいらない。母の意志は尊重するが、私はそう思う。

自分が余命短い病気になっても、そうしてほしい。

電話で、母が「デパートで今日、お茶の売り出しがあったはずなのよ。行きたかったけどね。でも、退院してから、また買いにいけばいいわね」と言っていた。

そう、手術して退院したら、またいつもの様にデパートに行って買い物してほしい。
いつもの日常を早く戻してほしい。

手術の日や時間が確定したら、その日だけは行こう。麻酔から無事醒めたのを確認してから帰るつもりだ。

母より父の方が先に病気になると思っていた。
高齢の男性が一人で暮らす事の世話も家族にかかってくる。
弟夫婦は父の世話はしたがらない。

私が近くにいたら良かったのだが。
なので、私は母が倒れると父の方が逆に心配で、二人同時に入院なんて事になるんじゃないかと思ってしまう。

今日、改めて手術についての説明があるようだ。また連絡を待とう。